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春日部てんこは利己的な人間である。
誰かを助ける為に自分を危険に晒すことは可能な限りしたくないと思う。
なので、動き出す前には常に何らかの作戦を立てる。
しかし、その危険かどうかの判断は、当然、彼女の主観に寄ってしまう。
その為、若さ故の無謀な作戦であることもある。
それでもやると決めたら、やる。
春日部てんこは利己的な人間である。
トロッコ問題と言うものが有る。
暴走するトロッコが有って、その先には分岐点が有り、そのまま進むと五人の人間が居て轢かれてしまう。
分岐点でレールを切り替えると、別の方にトロッコは進むが、その先には一人の人間が居て、切り替えた場合こちらが轢かれてしまう。
あなたが分岐点でレールを切り替えるレバーを握っていたとして、どうするかと言う問題である。
まあ、そんなシチュエーションに置かれることなど普通は無いのだろうが。
人によって色々な回答が有るだろうが、てんこの場合は自分の責任を回避するために何もしないと言うのが答えである。
例え、轢かれる方に金持ちのイケメンが居たとしても、その人が彼女にとって無関係の人間なら、彼女は何もしない。
しかし、どちらかに彼女の親しい人が居たなら・・・
利己的であるが故に、迷わずにその人を助けるために動くであろう。
カレンはまだ矢を放つか迷っている。
剣を持って歩く男との射線上にアーネさんとヴィクトリアさんが居る。
風魔法で軌道を変えようにも、廊下は微妙に狭い。
私は走り出し、彼女に叫ぶ。
「私に風魔法を!」
カレンとは良く一緒に狩りをしているから、こういう時には、何となくこちらの意図を分かってくれる。
「わ、分かった!疾風矢(人間)!!」
彼女の風魔法を背中に受けて、私は加速する。
予想外のスピードに男達は反応が遅れる。
私の弓矢は邪魔なので走り出す前に捨てている。
短剣は有るが、ダボッとしたドレスの内側に隠してあるので、すぐには取り出せない。
それに普通の剣相手に短剣で打ち合うスキルは私にはない。
代わりに、左の拳を握り、土魔法を発動させる。
「石拳!」
土魔法で良く有る攻撃方法は、石礫を生み出し、それを発射するものだが、これは発射する分の魔力を使わず、左の拳を覆うように石の塊を生み出すだけに使う。
これなら、レベルの低い私の魔法でも手首まで覆うだけの石が生み出せる。
私は右利きだが、相手との位置関係から左拳の方が有効だと感じた。
相手も右利きで右手に剣を持っているので、同じ側に武器が有るように出来るからだ。
この世界に来て徒手格闘のスキルを得てから、毎日ではないが時間が余った時に出来るだけ練習する様にしていた。
お陰で、右手でも左手でも同じようにパンチが打てるようになっている。
「こっち向けー!!」
相手の注意を引くように叫ぶ。
アーネさんに剣を振ろうとしていた男が振り返る。
私の有り得ない速さに驚くが、それでも咄嗟にこちらに剣を向ける。
私はその剣に向かって、拳を繰り出す。
手首は石で固定されているので、残りの肘と肩をインパクトの瞬間、力を入れて筋肉で固定する。
私の全体重が乗った拳が剣を叩き折った。
そのまま相手の顔面まで殴りつける。
風魔法で加速してきているので、今更手加減などできない。
相手は顔面を陥没させて吹き飛んでいった。
私も勢い余って転んでしまう。
敵と一緒にごろごろと転がり、アーネさん達の所まで行く。
私は立ち上がり、背中に背負っていた鍋を手に取って、彼女たちを守るように盾の様にして構える。
ヴィクトリアさんを斬り付けたであろう血の付いた剣を持った男が近くに居るが、そいつを鍋越しに睨み付ける。
私達が来た廊下の方から、エドガーさんと数人の兵士達がやって来た。
「アーネ!無事か!?」
彼が叫ぶ。
「投降した方が良いよ、街の方の襲撃も失敗したし、そこの人も早く治療しないと死んでしまう」
私は、廊下に倒れ痙攣している男を指してそう言った。
拳大の石で顔面を殴られたのだから、即死していてもおかしくなかっただろう。
アーネさんとヴィクトリアさんを守るためだから、私は手加減なしで、それこそ殺す気で殴った。
それでも、剣を折った分だけ威力は落ちていたみたいだ。
男達は一瞬迷うが、皆剣を捨てる。
「その男はワーリン王国の爵位持ちだ、死なれると我々も無事では済まない。治療させて欲しい」
男の一人がそう言った。
ふと、その男と以前会ったことが有るのに気付いた。
フラウリーゼ川の戦いで、私達が狩り兼偵察をしていた時に遭遇した敵の別動隊に居た男だった。
私は茂みの中に隠れて魔法を撃っていたので、向こうはこっちの顔を見ていないと思うが。
確か、エドガーさんの撃った火魔法を防御していたと思う。
味方の兵士達が、武装解除した敵を拘束していく。
「そうだ、ヴィクトリアさんの治療を!」
私は後ろを振り向き、アーネさんに抱きかかえられている彼女を見る。
メイド服の背中が大きく切り裂かれて、大量の血で濡れている。
私の治癒魔法では到底治せるような傷ではないのが分かる。
「お嬢様・・・、御無事で・・・」
彼女の口から弱々しい声が漏れる。
「リーナかユキを呼んできて!いや、間に合わない。誰か他に治癒魔法が使える人は!?」
私が叫ぶ。
「それなら、ここに居ますわ」
そう言ったのは、アーネさんだった。
「え?」
よく見ると、彼女の胸元のネックレスに付いている宝石、いや魔石が淡く光っているのに気付いた。
そう言えば、アーネさんも治癒魔法が使えるんだったっけ。
どうやら、彼女はヴィクトリアさんを抱きかかえながら、ずっと治癒魔法を掛け続けていたらしい。
一人で逃げる事もしないで。
ヴィクトリアさんは貧血で意識が朦朧としているが、背中の傷はほとんど塞がっている様だった。
私は安心して、その場にへたり込んだ。
カレンとエドガーさんが、私達のそばにやって来る。
私が殴りつけた男は、例の男が治癒魔法を掛け始めた。
おかしな事をしない様に、味方の兵士が見張っている。
最初から倒れていた護衛の兵士は、どうやら突き飛ばされて倒れたときに頭を打って気絶していたようで、こちらも命に別状は無かった。




