15-7
コウガはライ麦パンが嫌いだった。
作る人にもよるのだが、発酵が不十分だと硬くて噛み切れない物も有る。
逆に発酵が進み過ぎていると、酸っぱくなってしまう。
普通の人はバターやクリームを塗って食べるが、彼は発酵した乳製品も嫌いだった。
宿屋の食堂で夕食をとっているが、ジャガイモとソーセージのポトフだけを食べて、パンには手を付けていない。
「食べないなら貰うぞ」
テーブルの向かいに座った男が、彼の分のパンをかっさらっていく。
食べるつもりは無かったが、持って行かれるとやはりムッとする。
「それにしても、元軍事顧問殿は本当に東に向かったのかね?サッツ帝国方面に網を張らせたが引っ掛からないし、それらしい目撃情報も無いようじゃないか?」
不機嫌な顔のコウガを無視して、彼がそう聞く。
「俺は連中から聞いた話を報告しただけですよ」
コウガは不機嫌そうに答える。
てんこには逃げられ、他の連中の足取りも掴めていない。
対面に座る男はペールン侯配下の情報担当、名をロニーと言った。
コウガの現場での上司にあたる。
「そうなると、お前に言ったその話自体がフェイクだな。お前信用されてなかったんだよ」
ロニーはそう言う。
コウガが苦い顔をする。
「まあ、しょうがないだろう。昔の知り合いだそうだが、急に現れた奴を簡単に信用するようじゃ、他国に潜入する仕事などできないだろう」
フォローなのか、ライ麦パンをポトフの汁に浸して食べながら、彼はそう言う。
「となると、残り二つのプランのどちらかを採った事になるか・・・他の選択肢となると北の山脈を越えるルートだが、険しすぎる上に蛮族の地を通る事になる。まず無いだろう」
北の山脈はかなりの高山が連なり、万年雪に閉ざされているので、普通の人間に踏破することは不可能だ。
超えた先にも人は住んでいるが、山脈の南側の国とは交流がほとんどなく、こちらからは蛮族として見られている。
実際にはこちらより人口密度は低いが普通に国を作り、生活をしているのだが、交流が無いために、どうしてもそういうイメージになってしまっている。
「ペールンから船に乗るか、直接国を突っ切ってベルドナに行くか、お前はどっちだと思う?」
ロニーがコウガに聞く。
「・・・やっぱり、ペールンに戻って、来るときに世話になったって言う商会に頼るのが現実的じゃないっすかね」
少し考えて、コウガが答える。
その商会はデリン商会と言うのだが、コウガはその商会名はてんこ達から聞かされていない。
やはり信用されていなかった思えて、悔しがる。
ペールン港に出入りする商会は複数あり、特定するのは難しい。
「そうだよな。普通そうするだろうな・・・」
ロニーも彼の意見に賛成の様だが、何かが引っ掛かっている様な口振りだ。
ポトフのソーセージにフォークを突き刺し、口に持って行く。
「分かった。俺はペールンの方に戻って探す。お前は直接ベルドナへ行くルートを調べろ」
齧りかけのソーセージでコウガを指してそう言う。
「え?そっちは三つの中では一番有り得ないって言ってたルートですけど?」
コウガが不服そうな顔をする。
「だからだよ。一見有り得ないからこそ、それを選ぶ可能性もある」
ロニーは有無を言わせぬ口調でそう言う。
コウガは更に不機嫌になった。
ロニーは二十代後半くらいの歳だ。
コウガよりは年上だが、一対一で戦えば自分の方が強いという自信は有る。
それでも、その下に就いているのは彼が金を払う立場であり、ペールン侯とのパイプ役であるからだ。
この世界に来てから、どんなに個人で強くても、スキルが有ってもそれだけでは生活していけない事を思い知った。
個人で組織には勝てない事は赤城の件で良く分かった。
何でも自分で出来る様に満遍なくスキルを採ったなら一人で暮らしていけたのだろうが、尖ったスキルを採ってしまった自分達の様な者は出来ない事を人にやって貰う為に何らかの組織に属さなければいけないのは理解できる。
とは言え、誰かに命令されるのはやはり面白くはない。
「・・・分かりました」
渋々と言った感じでコウガは了承する。
「そう、嫌そうな顔するな。旅費と現地の役人に対する紹介状は用意する」
不服そうな顔を隠さないコウガに向かって、ロニーはそう言った。
「うちの方にも衛兵来たよ。忙しいのに迷惑だよね」
工房の隅の木材に腰掛けたフローラがそう言う。
「そうか」
勝利は作業をしながらそう答える。
その衛兵達が探していた人物をここで匿っていたことは言わない。
彼は彫刻が終わったドア板にニスを塗って防腐処理をしている。
「あんまり見たことない装飾だけど、割りと良い感じじゃない?」
フローラは十歳くらいの女の子だが、少し背伸びした感じの生意気な口調でそう言う。
彼女は、勝利の師匠であるショーンとハンナの孫であり、彼等の所から独立した馬車職人の息子の子供の一人だった。
今日は、祖父母の所に遊びに来ている。
「そうだな、我ながら良く出来てると思う」
勝利はそう言う。
その顔は嬉しそうであり、少し寂しそうである。
「どうしたの?なんか元気ないみたいだけど?」
フローラが彼の顔を覗き込む。
子供らしい無遠慮さだ。
「何?失恋でもした?」
そう聞いてくる。
ある意味、図星なその言葉に勝利は驚く。
まだ子供だと思っていたのに、そんな事を言われるとは思っていなかったのもある。
「そうだな。失恋したからかな?」
彼がそう答える。
「え?カッツ、誰か好きな人が居たの?」
自分から聞いておいて、フローラが驚いた感じで言う。
「好きな人か・・・好きだったのかな?まあ、気になってた人ではあるな・・・」
勝利が遠い目をする。
「ふーん、フラれたにしては、なんか嬉しそうにも見えるけど?」
彼の横顔を見て、フローラはそう言った。
「そうだな、ま、良い事も有ったし」
何か吹っ切れた感じで彼はそう言う。
ほんの数日だけだが、一緒に居られた事は良かった事だ。
「まあ、気にすんな。カッツは父ちゃんも爺ちゃんも良い職人だって言ってるから、私がお婿にしてあげる」
フローラがそう言ってくる。
「そりゃどうも、君が大きくなったらね」
勝利は笑いながらそう答えた。




