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『お帰りなさいませ、イネス様』
城の入口。そこで魔導車から降りたイネスは、使用人たちに一斉にお辞儀される形で出迎えられた。
イネスはそれを一瞥もせずに、城の中へと進んでいく。すると、いつの間にか執事の一人が付き添っていた。イネスの筆頭執事である男だ。
「お帰りなさいませ。この度は色々と動かれたようで」
言葉には、非難する声音が含まれていた。
当然だろう。勝手に前線に行った挙句、自分を守るはずの騎士を前線に送り込んで、自分はその少し後ろでずっと指揮を執っていたのだから。
普通ならば考えられない行動ばかりである。
「あれ以外にタイミングがありませんでした」
イネスはそれを軽く受け流し、廊下を進んでいく。
それを見て執事は諦めたのか、小さくため息をついて話題をすすめる。伊達に幼いころからイネスの成長を見てきたわけではないのだ。
彼女の素の性格がどんなものか、彼女が何を考えているのかなど、イネスが話さなくても何となく察することぐらいはできる。
「そうですか。この後はいかがしますか? お疲れでしょうし、お部屋で休まれますか?」
「いえ、お父様と会います。お父様は執務室かしら?」
「今ですと、官僚たちと会議を行っているかと。しばらくすれば終わると思いますが」
「では終わったら教えてください。それまでに着替えてきます」
「承知しました」
執事がそっと後ろから姿を消す。それに気にせず通路を進んでいくと、私室が見えてきた。
見張りの兵士は、イネスが来たのを見ると、扉を開いてイネスを中へと受け入れる。
「とりあえず楽な服を。お父様にお会いするので、それほどラフではないものをお願い」
「承知いたしました」
側付きたちがテキパキと服を選び、イネスに着せていく。
着替え終わったときには、イネスはふんわりとした青を基調としたドレスになっていた。
「ふぅ、外着のドレスよりかなり楽ね」
イネスは、自分の来ているドレスを眺めながら嬉しそうに言う。
「最新の部屋着用ドレスだそうです。婚前は脱げにくく、結婚後の物は脱がせやすくなっているそうですわ」
「あら、意外と俗物的なのね。これはどちらかしら?」
「もちろん婚前用ですよ。姫様に結婚後の物なんてお着せしたら、私たちの首が飛んでしまいますわ」
「ふふ、それもそうね。でも一着は欲しいわね。一度は着てみたいわ」
「王妃様がお持ちですので、知り合いのメイドから流していただきましょう」
もしイネスが結婚後のドレスを注文したなどとどこかから流れては一大事になる。イネスのわんぱくっぷりを知っている側付きは、それでも欲しがるだろうと予想して、あらかじめ王妃付きのメイドへと話を通しておいたのだ。
簡単に言ってしまえば、横流しである。
「楽しみだわ。私の騎士をからかうのにも面白いかも」
「あの方は婚約されているのですから、ほどほどにしておいてくださいませ」
きっちりイネスの要求を応えているエルドに、彼女との可哀想な誤解を生ませないために、メイドは釘をさしておく。
「私の騎士の恋人はアンジュだったわね。なら、アンジュに着せるのも面白そうね」
「それは良い考えかと」
王妃から借りてきたものを平民のメイドに着せようとすること自体大問題なのだが、イネスの主導だからこそ許される行為である。
この辺りが落としどころだろうと、メイドもそれには同意した。
そこに扉がノックされ、外から執事の声が聞こえてくる。
「イネス様、陛下の会議が終わりました。ただいま執務室にお戻りです」
「分かりました。では行きましょうか」
イネスは微笑むと、側付きたちを連れて王の執務室へと向かった。
王の執務室。そこは王のいる場所とは思えないほど殺風景で実に実務的だ。
棚や机はもちろん一流品なのではあるが、見る人が見なければただの机と同じに見えてしまう。
敷かれたカーペットは、それ一枚で平民ならば優に三年は暮らせるだけの価値のあるものだ。だが、何の模様もないカーペットでは、謁見の間や私室に敷かれたものと比べて見劣りしてしまう。
そんなただ仕事をするためだけの部屋で、親子が向かい合っていた。
「何の用だ」
王は読んでいる書類から顔を上げることもせずイネスに尋ねる。
「お父様はいつまでこの戦争を続けるおつもりなのかと思いまして」
「戦争は向こうが仕掛けてきているものだ。簡単には終わらないだろう」
「本当にそうでしょうか」
イネスの言葉を聞いて、王が初めて顔を上げイネスを睨む。
「何が言いたい」
「緩衝地帯やその付近に広がる村々。少し離れて考えてみれば、それらが餌であることは簡単に分かりますわ」
移動を禁止された村人たち。時間をきっちりと決めて周回するアルミュナーレの監視。
何度も攻め込まれているのにも関わらず、一向に建てようとしない緩衝地帯内の監視所。
そのどれをとっても、まるで攻め込んでくださいと言っているようなものなのだ。
「金がないのだ。兵士の飯も作らねばならない。村人を自由に移動させれば、我が国は食糧難に陥る」
「これだけ産業が活発になり、貿易による収支も大きくなっているのに、自国の食糧にこだわりすぎるのはなぜですか。周辺の同盟国との仲は良く、今年も売るほど余っていると連絡があったではありませんか」
「確実なものではない。自国での供給率が下がり過ぎれば、不作の時に民が苦しむ」
「民が苦しむなど、今まさに苦しんでいるではありませんか。お父様が移動を禁止したことで」
「それは結果論だ。攻め込まれなければ、苦しむことはない」
「つまりオーバードがすべて悪いと?」
「そうだ」
「だから何もしないと? それは怠慢では?」
「補助金や税の免除を行っている」
「その結果が今回の大侵攻ですか」
その言葉に、王の持っていた紙がクシャリと音を立てる。
イネスは正面から、自分の父親を睨み付けた。
「まだ本当に戦争がコントロールできるなどとお思いなのですか?」
「被害は大きいが、想定の範囲内だ」
「これだけの被害を出しておいて、想定の範囲内ですか……確か数十では数えられないほどの村が潰されたと把握しているのですが」
エルドからの情報や、他の前線から入ってくる情報は、一部とはいえイネスの耳にも入ってきていた。
それによれば、今回の敵侵攻により少なくとも国境付近の村は全滅。第二防衛線付近も、βブロック以降は軒並みかなりの数を焼かれている。
完全に第二防衛線を突破されている、δやεブロックは壊滅的だろう。
「それはお前が気にすることではない」
王は、話は終わりだと言わんばかりに再び書類に視線を戻す。
しかしイネスは引かない。
「私とて王族です。民が無意味に傷つくのを見過ごすことはできません」
「お前は女だ。いずれ他国に嫁ぐことになる。この国のことはダリウスたちに任せておけ。奴らには教えるべきことは教えてある」
「それはお父様のやり方を継ぐということでしょう。それではダメだと私は言っているのです」
第一王子ダリウスも、第二王子ユーグも、王位を継いだ時のために政治に関してもかなりしっかりと勉強を受けている。その中で、王は自らのやり方を継ぐように二人に教育を施していた。それを隣で見ていたイネスは、何の疑問も持たずに王のやり方を学ぶ兄弟の姿を見て自ら動くことを決めたのだ。
「お前はまだ小さな世界しか知らないだけだ。ダリウスたちとは見ている世界が違う」
「民のために戦争を止めたいと思うことが、小さなことだとは思えません」
イネスの訴え。それを王は真っ向から否定する。
「些事である。王族が求めるのは国の発展のみ。そのために使うのが民だ」
「そんな考え方では国が崩壊します。今苦しんでいる民を救わなければ、彼らが離反しますよ!」
「そのために近衛騎士を派遣しジェネレーターを横領したのか」
王は当然イネスがジェネレーターの配送先を意図的に変更していたことを知っていた。
イネスも、どうせ知られるだろうと覚悟していたため、動揺はない。胸を張り堂々と答える。
「そうです」
「勝手なことを。それでどれだけ計画に修正が必要になったと思っている」
「戦争を続ける計画など、潰れてしまえばいいのです」
「お前の身勝手な行動で多くの者たちが迷惑を被った。ジェネレーターの横領も含めて、無期限の謹慎を言い渡す。私の許可が出るまで部屋から出ることは許さん」
それは実質、この大侵攻の終結までの謹慎と言うことだ。
王はこれ以上軍事にイネスを関わらせる気は無かった。そのため、畳みかけるように予定していたことをイネスに告げる。
「それと、謹慎中にお前を婚約者と引き合わせる。準備をしておけ」
「仕方ありませんね」
イネスに婚約者自体は昔から存在した。しかしその人物の顔を見たことは一度もない。
何かと理由をつけてイネスが逃げ回っていたのだ。
しかし、謹慎中で部屋から出られなければ、逃げることもできない。
イネスは小さくため息をついて、別方面に計画をシフトする。
「確かウェリア公国の王子でしたか」
「アルド王子だ。自分の婚約者の名前ぐらいしっかり覚えておけ」
「あったことがないもので、存在を忘れそうになっておりましたわ。そうですわね、お会いするのですから、趣味ぐらいは調べておきましょう」
もちろん調べて考えるのは、いかにして嫌われるかということである。
「話は終わりだ。部屋に戻れ。謹慎はすでに始まっている」
「失礼いたします」
これ以上の話し合いは無理だと判断し、イネスは潔く引き下がった。
部屋に戻ってきたイネスは、メイドにお茶を貰いながらため息を吐く。
分かってはいたことだが、あそこまで民を蔑ろにする父のやり方に納得がいかないのだ。そして、父の心に何も届けられなかった自分の力にも落胆する。
「ずいぶんと簡単に下がりましたね。正直もっと食いつくと思っていました」
お茶を出したメイドが、かなりあっさりと引き下がったイネスに感想を告げる。
「あそこでいつまでも口論していても変わりませんもの。まだお父様は理解できていないのですわ」
「何がですか?」
「戦争のコントロールなんて不可能なことをです。想定の範囲内とは言っていましたが、それでもかなりスレスレのラインのはずですわ。これ以上攻め込まれれば、王都にも被害があったはずですもの。想定の範囲内というよりも、許容範囲内と言うほうが適切ですわね」
第二防衛線を抜けられたとしても、最終防衛線がまだある。しかしそこが戦場になるということは、少なからず商人たちの輸送に影響が出るため、王都の生活にも支障が出る可能性があるのだ。
それを考えれば、王都やその周辺にすむ住民にとってみれば、第二防衛線はかなりギリギリのラインだったと考えられる。
その証拠に、エルドが向かった防衛線以外の場所には、かなりの増援が送られていた。
イネスはそれが父の焦っていた証拠だと考えている。
それでもなお戦争のコントロールが出来ているという父に、現実を突きつけるには言葉の力は弱すぎた。
「お父様に考えを改めてもらうには、もっと大規模で予想外な事態を起こすしかありません」
「それは?」
「そのカギになるのは私の騎士ですわ。突出した一つの力は、計画を根本から狂わせる。だからお父様は獅子勲章を理由にエルドを前線から引き離した。そして、それだけの力が彼にあることを、今回の戦いが証明してくれました」
国王は、大幅な修正が必要になったと言っていた。それはエルドの活躍により王の予想外の事態が発生していたということだ。
それを証明できただけでも、今回は十分に収穫がある。
「私はこの国を平和なものにしたい。戦いを利用して産業を活性化させるなんて間違っていると思っています。だからこそ――」
「だからこそ?」
「オーバード帝国との戦争。私が止めさせます」
その瞳に決意を込め、イネスはそう言い切った。
緩衝地帯を越えた町の中を、肩に人を乗せたアルミュナーレが進んでいた。
その周りには馬車を従えた傭兵集団が集まっている。
ドゥ・リベープルのフォルツェたちだ。
エルドによって破壊された両腕は、レイラが持ってきたアブノミューレの物に取り換えられ、いささか不恰好ではあるが何とか人型の体裁を整えている。
「ようやく戻ってこれたよ」
「この町は意外と繁栄しているのね。国境から近いし、基地がメインだと思っていたのだけど」
ジャカータやカイレンは、基地を中心に町が発展した基地都市だ。しかし、オーバードのこの町は、基地は町の側に小さくあるだけで、町の住民や商人の活気に満ち溢れている。フェイタルとは大違いだった。
その疑問に、フォルツェが答える。
「そりゃ、向こうはこっちまで攻め込んでこないからね。国境付近でも安心して発展させられるんだよ」
「なるほどね。向こうの王様がいかに無能かよくわかるわ」
「ずいぶんとフェイタルの王様を憎んでいるみたいだね。理由を聞いてもいいかい?」
「言いたくなくても、リーダーに会うときには話さないといけないんでしょ?」
「ま、そこはね」
今のレイラの立場は、傭兵たちの協力者だ。正式に傭兵の仲間に入るには、ここの傭兵弾のリーダーであるエルシャルドの許可を得なければならない。
フォルツェが推薦することを承知しているため、ほぼ確定だろうが出身がフェイタルであり、アカデミーで訓練を受けていた以上相応の理由がなければ入れることはできないだろう。
「私はね、アカデミーの最終選考で落選した後、国境付近の村々を回っていたの」
「へぇ、女性の一人旅って大変じゃない?」
「アカデミーの制服を着たままだったから意外と安全だったわ。村人たちは優遇してくれるしね」
「だから制服なんだ」
「そこで村人の様子を見て、町の様子を見て、村人たちからいろいろな話を聞いて気づいたのよ。この国の王様は戦争を終わらせる気がないんだ、私たちを守る気はないんだってね」
それがレイラの出した結論だった。
数か月かけて村々を回り、移動禁止のことや補助金が出ること、税が免除されることなどを知った。
ただ村の中で生きてきたのなら、特に疑問は持たなかっただろう。
しかし、アカデミーで一通りの勉強を終えていたレイラには、その理由に疑問が浮かんだ。
アカデミーでは非常時の食糧確保に村からの徴収は存在しなかった。
移動の途中に使うことはあっても、それは場所を借りるだけであり、食糧を貰うことはない。もともと十分な食料を保有するアルミュナーレ隊には、緩衝地帯前で食糧が足りなくなることなどまず無いからだ。
そもそも、そんな危険な場所で食糧を作らなくても、安全な西側で作ればいいだけの話であり、それでも足りなければ、友好国と取引すればいいだけの話なのだ。わざわざ人命を掛けるほど切迫した状態なのでは決してない。
故に気づいた。これが餌であることを。
「王様はね、私たちを餌にして、オーバードの侵攻を誘発させているのよ。それを利用して、アルミュナーレ関連の重工業を中心に、魔導技術や工業を大きく発展させている。多くの血で鉄を打ってるのよ」
「そんなことになってたんだ。まあ、傭兵団としてはありがたい限りだね」
戦争があれば傭兵団は食いっぱくっれることはない。
これまでは、オーバードが積極的に攻めてくれていると思っていた物が、実はフェイタルのおかげだと思うと、フォルツェとしてはその王様に頭を下げたい気分である。
「けどそれなら、尚更なんでこっちに来たのかな? 戦争を止めたいのなら、騎士になって王様に言うべきじゃないの?」
「それまでに何年かかるのよ。その間に多くの民が何年も苦しむことになるわ」
「それはこっちでも同じじゃないの?」
「いえ、こっちならできることがあるもの」
「それがこっちに来た目的なんだ。それは何かな?」
笑みを浮かべながら尋ねるフォルツェに、レイラはアルミュナーレの方から久しぶりに晴れた空を見上げて答えた。
「全面戦争を起こさせるわ。些細な衝突なんて意味のない、どっちかの国がなくなるまでの潰し合いよ」




