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本格的な冬の到来は、戦争の歩みを停滞させる。
アルミュナーレのような技術がいくら発達したとしても、極わずかな技術が突出して発達しているだけであり、その恩恵を平民たちが受けているわけではない。
農村部では、冬越えのために食糧や薪の備蓄が必要になるし、今年は春から夏の終わりまでずっと国内で戦争をやっていたのだ。あちらこちらで食糧が足らず、政府も他国から買い集めた食糧で必死に工面しているところだ。
そんなこともあり、ベルジオから戻ってきた第一近衛アルミュナーレ大隊、第二王女親衛隊の面々はちょっとした冬休みです!
「ふぁあ~、なんかホッとするな」
ソファーに寝そべり、暖炉の暖かさに思わずあくびが出る。
「ちょっとエルド君! 寝てないで手伝ってよ! もう時間ないんだから!」
そんな風に慌てているのは、アンジュだ。
使用人たちと共に、慌ただしくテーブルのセッティングをしている。
というのも、今日この家に客を招待しているからだ。
「アンジュ様、そのカップではいけません。こちらを」
「あ、そっか。お菓子の用意って大丈夫だよね? 向こうの好き嫌いとか把握できてる?」
「大丈夫です。有名な方なので、その辺りの情報はすぐに入手できましたので」
「オッケー、お茶はベルジオのお土産として、合うお菓子も準備できたし、後は……あ! 音楽とかどうしよう!?」
「少人数のお茶会なので、必要ないかと。後はこちらが準備しますので、アンジュ様もそろそろお召し換えをしていただかないと」
「もうそんな時間!?」
時計は既に午後二時半を指し示している。約束が三時だし、気が早い奴はそろそろ来るかもしれないな。
俺はソファーから起き上がりつつ、部屋を駆け出そうとするアンジュを引き留める。
「アンジュ、もし来ても俺が対応するから、焦らなくていいぞ」
「だったら、最初から手伝ってよ! もう!」
ぷりぷりと頬を膨らませつつ、アンジュは自室へと戻っていった。
それを見送り、俺はセッティングされたテーブルを見る。
白いマットの敷かれたテーブルには、綺麗な花が飾られ、ティーカップが伏せられている。
それが二セット。それぞれに椅子が三つずつ用意され、全員で話すことも、それぞれのテーブルで話すことも可能な絶妙な距離がとられていた。
「旦那様、これでよろしいでしょうか?」
「ああ、大丈夫。っていうか、そんなに気張らなくてもいいだろ。友達呼ぶだけなんだし」
「何をおっしゃいますか! フェイタル王国の上位貴族。その中でも特に権威のあるオーバン家とラザール家のご子息に加え、その婚約者と旦那様の剣の師匠のかたまで来られるのですよ! 気を抜くことなど、一瞬たりともできません!」
そんな風に鼻息荒く話すのは、うちで雇った使用人たちの筆頭家政婦ハウキさんだ。
もともとは王宮で働いていたらしく、歳のせいで王宮での礼儀作法がつらく感じるようになっていたところで、姫様が家を紹介してくれた。
彼女のおかげで、うちの家政婦たちは軒並み仕事のレベルが高かったりする。最初は一般で応募したはずなんだけどな。半年ほど家を空けているうちに、いつの間にか鍛えられていたらしい。
「確かにその言い方だとすごいメンバーだな。けど、アカデミー時代の同級生とその婚約者に先生ですよ? それにうちは貴族ですけど、末端も末端の准貴族ですし」
「何をおっしゃいますか。貴位騎士爵を与えられ、今やフェイタルの英雄とまで言われる旦那様なのです。そんな旦那様に仕える家政婦の仕事がそこらへんの下級貴族や准貴族などと同等など、許されるはずがありません!」
この熱意を消すのは無理だな。
俺がため息を吐くとほぼ同時に、玄関のチャイムが鳴らされた。
「いらっしゃったようですね」
「ああ。んじゃ行きますか」
案の定アンジュの着替えはまだ終わってないみたいだしな。言った通り、俺が出迎えるとしよう。
足早に玄関へと向かい、扉を開く。そこにいたのは、バスケットを持った女性だ。
「お久しぶりですね、エルド君」
「ルネさん、お久しぶりです」
そこに立っていたのは、俺の剣の師匠でもあるルネさんだ。
アカデミーを卒業以来疎遠になってしまっていたが、お茶会を開くということで誘ってみたところ、快く了承してくれたのだ。
「これお土産です」
そう言って家政婦に渡されたバスケットの中には、色々なフルーツが詰まっていた。
俺はそのバスケットをのぞき込み、量の多さに驚く。
持ってるだけでも大変なのか、家政婦の腕がプルプル震え始めた。
「こんなに沢山――ありがとうございます。とりあえず台所に持って行っておいて」
「分かりました」
ホッとした様子で台所へと向かうハウキをしり目に、俺はルネさんを部屋へと案内する。
「今アンジュは着替えてるところなんで、もうすぐ来ると思いますよ」
「アンジュちゃんと会うのも久しぶりですね。楽しみです」
部屋の中へと入ると、暖炉の暖かさにルネさんがホウッとため息を吐く。
「コート、こちらで預かりますよ」
「ありがとう」
コートを脱いだルネさんを見て、そういえば私服姿を見るのは初めて会ったとき以来だと気づく。
今日はお茶会に呼ばれたためか、あの時よりもかなりお洒落だ。
「どうかしましたか?」
「私服を見るのは久しぶりだと思いまして」
「そういえばそうですね。寮ではずっとメイド服でしたし。今もメイド服がほとんどなので、今日の服は結構悩みました」
どうでしょうと言ってくるっとその場で回ってみせるルネさんは、とても三十間近とは思えないほど若々しい。というか、アンジュの隣に立っていても同い年に見えそうだ。
「とてもお似合いですよ」
「ありがとう」
預かったコートを、部屋の準備を進めていた使用人の一人に渡し、他の来客の上着と合わせて丁寧に保管しておくように言いつける。
その様子を見て、ルネさんがクスクスと笑った。
「どうかしましたか?」
「いえ、エルド君もしっかり貴族だなと思いまして」
「ああ」
確かに、使用人たちに色々とやらせているのははたから見ればしっかり貴族をしているように見えるのかもしれない。けど、実際はちょっと違うんだよな。
「戻ってきた当初は、俺もアンジュも凄い困りましたけどね。昔からなんでも自分でやってたんで、うっかり自分でやろうとして怒られたりしましたよ」
俺は隊長の仕事のおかげか、指示を出すことにも多少慣れているので今は違和感なく指示を出せているのだが、アンジュは未だに使用人たちに全て任せると言うことに慣れていないようだ。よく使用人に混じってお茶を入れたり、掃除をしたりしている。
まあ、個人的にはアンジュの入れてくれたお茶が好きなので、全然かまわないのだがね。
そんな感じに談笑していると、扉が開きイブニングドレスを身に纏ったアンジュが戻ってくる。
「ルネさんいらっしゃい。お久しぶりです」
「アンジュちゃん久しぶりね。少し見ない間にまた綺麗になったわね」
「えへへ、ありがとうございます。ルネさんは変わりませんね」
「もう変わるのも怖い年だからね。がんばってるわ」
いったい何を頑張ったら、アラサーが二十歳に見えるのか詳しく聞きたいところだが、聞くと怖そうなのでそっと胸の奥に閉じ込める。
と、再びインターホンが鳴った。
時計を見れば、もう約束の時間まで十五分を切っている。
「バティスかレオンだな。アンジュはルネさんと話してろよ。俺が行くから」
「ありがと」
談笑を中断させるのも悪いので、そのまま俺が玄関へと向かう。
途中で調理場から戻って来たハウキを引き連れ、玄関の扉を開けた。
「よう、来たぜ」
「お前はもう少し貴族らしい挨拶をしろ。エルド、本日はお招きいただき感謝する」
「いらっしゃい」
扉を開けた先にいたのは、やはりレオンとバティス、そしてその後ろに薄桃色の髪の女性。彼女が噂のレオンの婚約者だろう。確かに爆乳だ……
「エルドは会うのが初めてだったな。紹介する。僕の婚約者のシーメルだ」
「エルド様、本日はお招きいただきありがとうございます。わたくし、レオンの婚約者でシーメル・ローレンツと申します。以後お見知りおきを」
レオンの後ろから一歩出てきたシーメルは、ドレスの裾を少しだけ上げて小さくお辞儀をする。
その所作はまさしく貴族のそれだ。簡単な動作に気品がある。
「これはご丁寧に。初めまして、エルドと申します。アンジュが色々とお世話になったようで、その節はありがとうございました」
アンジュに貴族としての立ち振る舞いを教えてくれていたのがシーメルさんだ。おかげでアンジュは、城のパーティーに出ても恥ずかしくないだけの技量を持ち合わせている。むしろ、それに引っ張られている俺の方が恥ずかしいぐらいだ。
「お噂はかねがね。お会いできるのを楽しみにしておりました」
「立ち話もなんだしさ、中入ろうぜ」
「だからお前は、少しは貴族らしくしろ」
俺とシーメルさんを押しのけて、家の中へと入ってくるバティス。
バティスの言うことももっともなので、俺は三人を部屋へと案内する。
「結構いい趣味してるな。落ち着いてるのに華がある」
廊下を進んでいると、色々と見回していたバティスが呟いた。
それにレオンも頷く。
「確かに、主張しすぎない調度品だが、どれもしっかりと輝きがある。これはアンジュさんが?」
「いや、筆頭家政婦だ。そもそも俺もアンジュも家にいなかったからな。出かけた時は結構殺風景だったんだが、帰ってきたらこうなってた」
「凄いな」
給料の一部を家の管理費として自動的に筆頭に預けている口座に入るようにしていたのだ。それを使って、とりあえず恥ずかしくない程度に調度品を整えておいて欲しいと頼んで家を出たのだが、まさかここまでやってくれるとは思わなかった。
俺としても落ち着いていて結構気に入っているのだが、上級貴族から見てもいい雰囲気なのか。
自分の感性が間違っていないことに少し安心した。
「んじゃ、ルネさんももう来てるし、みんなそろったから始めるとするか」
アンジュとルネさんが談笑する部屋へと三人を招き入れ、俺たちの主催する初めてのお茶会が始まった。
お茶会と言っても、基本的にこれをやらなければいけないなどという決まりはない。
適当にしゃべり、適当に遊び、適当に情報交換するのがお茶会だ。
ここにいるメンバーは、シーメルさんとルネさんが初対面ということを除けば、他は全員顔見知りである。
自己紹介もほどほどに、最初は俺とアンジュが買って来たベルジオのお土産をきっかけに、近況についてぼちぼちと話し始めた。
「こっちは相変わらず姫様についてあっち行ったりこっち行ったりだな。そういえばレオンとは緩衝地帯で機体を受け取った後そのままに別れちまったけど、あの時はほんと助かった。改めて礼を言わせてくれ」
レオンには俺の新型機をわざわざアヴィラブースターで届けてもらった。あの時の恩は死んでも忘れないだろう。
だが、その直後にベルジオ行きが決まってしまったため、ろくな礼も言えずに出発してしまったのだ。
「あれに関しては、たまたま僕の手が空いていたというだけの話だ。気にすることはない」
「ふふ、そんなこと言っていますけど、レオン様エルド様の機体を操作できるように必死に訓練なさっていたんですよ。僕が届けなければ、エルド様が十分に戦うことが出来ないとおっしゃって」
「ばっ、余計なことを!?」
シーメルの暴露で、顔を真っ赤にして慌てるレオン。
バティスやルネさんはそんなレオンを見てニヤニヤと笑みを浮かべている。
「レオンも何だかんだ熱血なところあるよな。いつもはすまし顔してるくせに、裏で必死に努力してんの」
「手の平を見れば分かりますね。今も剣の稽古を絶やしていないのでしょ?」
「う、むぅう。そんなことはどうでもいいんです。エルドが聞きたいのは僕たちがどうだったのかと言うことでしょう」
「まあそうだけど、こっちの話も気になるな」
裏で必死に努力してる冷静な男って、レオンさんマジ主人公じゃないですか。
「気にするな! それで、エルドと別れた後だが、僕はそのまま砦に残って残骸の回収などを手伝っていた。もともと、そこで隊長たちと合流する予定だったのでな。要は戦争の跡片付けだ。その後副隊長として隊に復帰し、警備任務を行っていた」
なるほど、基本的には普通にアルミュナーレ隊として動いてたわけか。
バティスはどうしていたのかと視線をそちらにむけると、バティスは両腕で頭を支え背もたれにもたれかかりながら天井を見上げる。
「こっちはずっと修理だ。もともと南部から北上して帝国の部隊を挟撃する算段だったんだけどな。一機の傭兵にいいようにあしらわれたよ。アブノミューレ部隊自体をボロボロにされたし、アルミュナーレも二機まともに動けない状態にされちまった」
「そんな強い傭兵がいたのか?」
レオンはその傭兵が誰なのか気づかない。だが、俺はバティスの雰囲気からそれが誰によって行われたものなのか理解した。
「レイラだな」
「ああ」
「レイラだと!?」
「レイラさん? ……って確か」
「ええ、俺たちのクラスメイトですよ。今は裏切りの姫なんて二つ名がついた傭兵です」
「そんな……王都襲撃の実行犯が……」
ルネさんは、どうやら詳しいことは聞いてないようだ。まあ、アカデミーで教えていた生徒が王都を襲撃しアルミュナーレを奪取して逃げたなんて醜聞、簡単に広げられるはずがないか。
「エルドも会ったのか?」
「ああ、たぶんバティスと戦った後にな。四肢ぶった切って、投降させようとしたところで邪魔が入って逃げられた」
「そうか……じゃあまた来るんだろうな」
「ああ、あいつが何をやりたいのか訳が分からないが、どうもフェイタルとオーバードを戦争させようとしてるってことは間違いなさそうだ。となれば、次の戦いでも出てくるだろうな」
あの場で少しだけ話す時間があったが、分かったことはほとんどない。ただ、これまでのあいつらの動きを考えれば、確実に戦争を誘発する方向に動いている。
「エルドはどうするつもりだ? また投降を促すのか?」
「いや、殺す。今度は問答無用で操縦席を狙う」
俺が即答したことに、バティスやレオンが驚くがすぐに納得したような表情になる。
「覚悟、決まってんのか」
「まあ、戦場で悩むよりはいいだろうな」
レイラの話になって、場が暗くなってしまった。
俺は何とか話題を切り替えようと、バティスの話に戻る。
「じゃあ、バティスはずっと修理か。王都に戻ってきてたのか?」
「いや、エレクシア隊長の部隊と一緒に近くの基地で修理してた。お前の機体と違って、こっちは互換性のあるパーツが多いからな」
「整備性最悪で悪かったな。団員からも散々愚痴られたよ」
「んで、修理が終わった後に、試運転も兼ねて国境警備やって、任務の切れ目にこっちに戻ってきたわけだな」
「任務期間的には短くないか? 一カ月もないだろ?」
「ああ、ちょうど交代のタイミングに当たったみたいだ」
「いや、そうでもないぞ。これは本部が狙ったものだろう」
偶然だと考えていた俺たちに、レオンが否と言う。
「交代に来た部隊は、ほぼ全て今年新人を加えていた部隊だ。そこに冬の間の警備を任せるということは、春になったら王都側に退かせるつもりなのだろう」
「ああ、そういうことか。だから今俺たちが戻ってこれたわけだな」
バティスは理解したようだが、女性陣はいまいち理解できていないようだったので、俺が補足で説明を付ける。
「春になったら、オーバードと前面衝突の可能性が高いってことだ。だから、戦争慣れしている部隊を冬のうちに整備させて、春になったら緩衝地帯へ一気に送るつもりなんだろう」
「そう言うことでしたか。また戦争がはじまるんですね」
「正確には今もやってる最中ですけどね。どっちもそれどころじゃないだけで、余裕ができたらまた戦い始めるでしょう」
「けど、それを終わらせるためにエルドの所の姫様が動いてんだろ?」
「ああ、そのためにベルジオまで行ったわけだしな」
ベルジオとの条約締結で、オーバードに対する包囲網が大方完成したと言ってもいい。この国々が共同で非難声明を出すことにより、オーバードの身動きを封じる。
そうすれば、オーバードも交渉のテーブルに出てこざるを得ないはずだ。
「国交に関しては王族と大臣たちに任せるとして、俺たちは何が起きても大丈夫なように、機体を完璧に仕上げておけばいいってことだ」
「だな。ただ冬の間、姫様はどこにも行く予定がない。おかげで腕がなまりそうなのが心配だよ」
「なら俺たちが相手してやるよ。エレクシア隊長も直にこっちに来るだろうし、全員で模擬戦と行こうや」
そんな提案をするバティスに、レオンがため息を一つ。
「機体の整備を万全にしておけと今行ったばかりだろうが。やるならせめてアブノミューレでだ」
「それだと俺は意味なくなるしな」
アブノミューレでの戦闘も確かに学べるものはあるが、俺の今の機体とじゃ操縦システムが違い過ぎる。結局、本来の機体の腕を維持するのにはつながらない。
「ま、それはおいおい考えるさ。次はルネさんの話を聞かせてくださいよ。アカデミーの新入生で面白そうな新人いました?」
「そうね、エルド君に影響されてか、平民から騎士を目指す子が増えた気はしますね。やはり勉強という観点では貴族の方々に遅れをとってますけど、必死に食らい付いていますよ」
これまでは、一年生の前半で平民出身の生徒は大半が淘汰されていたが、今年は半分以上の生徒がくらいついて来ているらしい。そのほぼ全員が俺に憧れているというのだから、直接見た訳でもないのに、なんだか気恥ずかしくなってしまう。
「エルド様のお話は、町でもかなり有名ですからね。それに憧れる子は多いと思いますよ。友人の弟も、エルド様みたいな操縦士になると言って入学試験のために今から勉強を始めていますから」
「なんだかむず痒いですね。けど、その中に少しでもアルミュナーレを好きになってくれる子がいたら嬉しく思います」
実際に乗ってみれば、アルミュナーレを操縦することの面白さは理解できるだろうしな。
後は、その楽しさを味方に努力していけばいいだけだ。
けど――
「ま、戦闘訓練は将来あまり意味がなくなるかもしれませんけどね」
「次で戦争は終わりにするからな」
「当然だ」
「頼もしい限りですね。期待していますが、命を捨てるようなことはしないでくださいよ?」
「当然です。アンジュが待ってますから」
「僕もシーメルを残して逝くつもりはありません」
「俺だって、数多くの女の子たちが町で帰りを待ってんだ! 死ぬつもりはねぇぜ」
「なんだかバティス君で台無しになった気がしますね……」
穏やかな雰囲気のまま、お茶会は続く。
◇
ダンッとテーブルを叩く音に、周囲にいた側付きたちの肩がビクッと跳ねる。
その音の発生源は、テーブルを叩いた拳を真っ赤にしながら震えていた。
「やられた。強引に逃げ道を作られたわ」
イネスが見ているのは、今日届いたばかりの二枚の報告書。
一枚は、共同声明を頼んでいた国から。そしてもう一つは周辺国すべてに当てたオーバードからの宣言だ。
「オーバードの地力を舐めていた? いえ、確実にオーバードは消耗していたわ。なのに、こんな簡単にコーラが落とされるなんて……どこを見落としていたの」
報告書を読み進めながら、イネスはどこに原因があったのかを考える。
共同声明の採択こそまだであったが、周辺国の意志はほぼ統一されていた。故に、もしオーバードが宣言前に兵を動かしたとしても、周辺国は共同声明の内容に従って挙兵の準備を進めるはずだった。
だが、オーバードは速度でそれを振り切った。
たった一日。しかも少数による強襲で一国を落としたのだ。アブノミューレを有する数少ない国家のうちの一つをだ。
これが原因で、共同声明を予定していた国のうち数国に罅が入った。
主にフェイタルからオーバードを挟んだ反対側にいる国だ。彼らが共同声明の発表を躊躇したのである。
「アブノミューレを有する国の優先排除宣言。こんなものを出された上に、実際に一国を潰されたら、確かに躊躇するのも分かる。けど――」
それがもう一枚の報告書の内容だ。共同声明を予定していた国の一つから、声明の発表を白紙に戻したいと言ってきたのである。
その国も、アブノミューレを有する国だ。本気で防衛しようと思えば、一日そこらで落とされるような国ではない。しかし、コーラ王国が現実一日で落とされてしまったため、首脳陣が怯えてしまったのだ。
「後ろを気にする必要が無くなれば、オーバードは間違いなくフェイタルを狙ってくる。春の戦争が避けられない……」
何のための共同声明なのか。
イネスは苛立たずにはいられなかった。
そしてその原因を作ったのは――
「エルシャルド傭兵団。どこまでもフェイタルの民を苦しめるのね」
報告書に記載された、コーラ王国を潰した実働部隊。ただの傭兵団でありながら、三機のアルミュナーレを有するこの傭兵団を、イネスはフェイタルの最優先排除対象として、全アルミュナーレ隊に伝達するのだった。
次回予告
冬の終わりが近づき、本格的に戦争の準備が始まる。
そんな中エルドたちは、兵士たちの士気を高めるため、出兵パレードへと駆り出されるのだった。




