16
激しい戦闘から明けて一日。
川沿いでにらみ合う両軍は、完全に膠着していた。
俺はそんな両軍を、砦の開発予定地の近くから観察している。
「帝国が軍を引くってのは、希望的過ぎますかね?」
「難しいだろうな。緩衝地帯はこれまでお互いの影響を受けない絶対的な空白地帯だった。そこを制圧されたとなれば、帝国からしてみれば領土を奪われたに近い。今の皇帝の考え方からして、確実に私たちを追い出しに来るはずだ」
俺の隣で同じように川沿いを見ていたデニス隊長は、俺のささやかな希望を簡単に打ち砕く推測を論理的に組み立ててくれる。
「やっぱりそうなりますよね。となると、対空機銃は優先的に設置させるべきでしょうね」
「そうだな。総指揮にも意見を出しておこう」
再びこの地から俺たちを排除しようとするのならば、開戦の合図は間違いなくアヴィラボンブになるはずだ。なにせ、こちらはここに砦を立てようとしているのだ。それを破壊してしまえば、こちらがこれまでしてきたことは全て無駄になる。
砦も完成してしまえば、アヴィラボンブ程度には対処できるだけの対空防御を持たせることが出来るように設計されているのだが、まだ工事は始まってもおらず、予定地には積み上げられた物資が放置されているだけだ。
ある意味ここが正念場でもある。
「長丁場になりそうですし、部隊をどうするか悩みますね。デニス隊長の所はこのままここに駐留ですか?」
これまでの考え方からすれば、操縦士以外は前線から少し下がった位置でキャンプすることが定石だ。
しかし、アブノミューレが開発されてからは整備員不足を補うために、俺たちの部隊の整備士たちにも前線で補給や整備を手伝ってもらっている。
このままここでその整備を手伝ってもらうのもありだとは思うのだが、一つ懸念されることがあるとすれば、サポートメイドの存在だろう。
基本的に彼女たちの仕事は、安全域から俺たちの生活面のサポートをすることだ。しかし、部隊が前線に駐留するとなれば彼女たちにもここまで来てもらわなくてはならなくなる。
うちの部隊のサポートメイドであるアンジュには、現在レイターキで姫様と留守番をしてもらっているが、場合によってはここに来てもらうことになるのだ。
俺個人としては、正直なところいつアヴィラボンブが降ってきてもおかしくはないこんなところにはいてもらいたくはない訳で――
参考までに、デニス隊長の部隊はどうするのか尋ねると、少しだけ間を置いて答えが返ってきた。
「……うちの部隊は一応駐留させる予定だ。だが、一部は後方に戻して休憩させる」
「そうか、交代制って手もあるんですね」
デニス隊長の部隊は、元近衛の大隊長の部隊だけあって人数も多く交代制でも十分人数を確保できるのだ。
だが、それだとうちの部隊の参考にはならないな。
「うちは人数少ないからなぁ」
近衛になった際に人員の補充があったとはいえ、それでも俺を含めて八人しかいない。その上、オレールさんとカリーネさんはまだ王都だ。
「戻るのも手だとは思うぞ。新型のことを考えても、他の隊員にも機体をしっかりと把握させる必要もあるだろう」
「そうなんですよね。けど、今俺が動いちゃうのもどうかと思いまして」
ペスピラージュに関しては、一応操縦席に説明書的なものが置いてあったが、やはり設計を一から担当したオレールさんたちがいないと、細かい部分まで整備するのは困難なようだ。
昨日、リッツさんたちに機体を見せたらみんな困惑の表情で固まってしまっていた。まあ、一番嘆いていたのは、基地から臨時隊員としてついて来てもらっていた物理演算器ライターだが。
なにせ、ペスピラージュの物理演算器はほぼ全てカリーネさんの独自言語で記入されている上に、三枚の物理演算器の連結なんてことを試みているものだから、余計に複雑になっているらしい。
その子では、操作の抽出も調整もできないと泣きつかれてしまった。
なので、本来ならば二人と合流すべくレイターキに戻るべきなのだが、今は俺とデニス隊長がこの戦場の要になっている。他の部隊の士気にも影響するため、うかつに下がることが出来ないのだ。
まあ、八将騎士の二人は叩いたし、だいぶ被害を出したレイラの機体も破壊した。
ジェネレーターこそ回収されてしまったが、すぐに前線に復帰することは出来ないはずだ。
次の戦いが起こるとしても、もう少し楽になるとは思うが……
「そうか、エルドはまだ聞いていなかったな」
「何をですか?」
「増援に関してだ。一夜開けて、南部と北部の詳しい情報が伝わって来た」
どうやら、俺が機体をリッツさんたちに預け、休息を取っている間に新しい情報が届いていたようだ。
そう言えば、本来なら増援で挟み撃ちにするはずの南部と北部の部隊がちゃんと来なかったらしいな。北部は遅れてきたが、南部に至っては未だに到着していない。
「北部の部隊はまるで来ることが分かっているかのように、傭兵が立ちふさがっていたらしい。機体の特徴的に、戦闘狂フォルツェの機体だと思われる。その場は、ジャン隊長が引き受けて他の部隊をこちらに向かわせたそうだが……」
フォルツェは、ほぼ無傷の状態でこの戦場に戻ってきていた。と言うことは――
「ジャン隊長は」
「早朝に、大破した機体とジャン隊長の死体を回収したそうだ」
「そうですか……」
近衛としてはあまり関わりの少なかった人だが、元同僚が殺されたと聞くと、あまり気分がいいものではないな。その上、仇を討ち逃してしまったのだから。
「それと南部だが、同じように傭兵に抑え込まれた挙句、なぜか傭兵同士で戦闘をした挙句、ジェネレーターを爆破して逃走したそうだ。その爆発に巻き込まれて、多くのアブノミューレが損傷したため行軍が止まってしまったようだ。今、改めてこちらに向かっているという話だ。間もなく到着するという話だから、そこまで私たちが張り付く必要もないだろう」
「そうだったんですか」
それは嬉しい知らせだ。
「では、自分は増援が到着しだい、一度レイターキまで戻りたいと思います」
「それがいいだろう。エルドはまだ近衛騎士なのだ。あまり、護衛対象から離れているのも問題になるだろうしな」
「そうですね。では後で総指揮に戻ることを伝えておきます」
姫様の無茶苦茶に付き合ってこんなところで戦っているが、本来の近衛騎士って護衛対象から離れないものだしな。
日も高くなってきたところで、俺はこのことを部隊の皆にも伝えておこうと、待機所へ向かおうと草原を背にする。そこで、近くに数人の兵士たちがいるのが見えた。
全員がこちらを向いており、明らかに何か用がありそうな雰囲気だ。ただ、デニス隊長もいるためか、話しかけづらかったのかな? まあ、緊急でもない限り、一般の兵士が会話の邪魔をすることなんて出来ないか。
「そこの、何か用か?」
俺が声を掛ければ、兵士たちは助かったのかホッとしたようにこちらへと駆け寄ってくる。
「あ、あの。自分たちはアブノミューレ隊の操縦士でして……あの、昨日はありがとうございました!」
『ありがとうございました!』
突然のお礼に、俺は訳が分からず首を傾げる。
「俺たち、人質に取られててエルド隊長に助けていただいたんです」
「ああ、あの時の」
どうやら、ここにいる全員があの時享楽のリゼットに人質にされていた者たちらしい。
一応、川沿いで開放するところまではしっかりと監視していたが、それが誰かまでは知らなかったからな。
「俺たち、人質になった時点で諦めてたんです。兵士は、人質に対して容赦しないように訓練されているから。けど、エルド隊長は俺たちを助けてくれました。だから改めて御お礼を言いたくて」
「そうか、ならありがたく受け取っておく。けど、次は捕まらないでくれよ」
『はい!』
「では、失礼します!」
彼らが駆け足で去っていく。それを見送って、俺はあの時のことを思い出していた。
彼らは俺に感謝の言葉をくれたが、あの時本来ならば、彼らの言う通り人質の命を無視して躊躇いなくフォルツェたちを殺したほうが良かったはずなのだ。
だが、俺は動くことが出来なかった。
助けることが出来た安心感の一報で、後悔の念がずっと心に燻っているのだ。
「エルド隊長、今の話は」
「ええ、事実です」
話を聞いていたデニス隊長が歩み寄ってくる。その表情には困惑の色が浮いていた。
「なぜそんなことを? アカデミーでも、人質を取られた際の行動は、教えられていたはずだ」
「え?」
「ん?」
デニス隊長の言葉に俺は首を傾げ、それを不思議に思ったのか、デニス隊長も首を傾げる。
俺は、アカデミーで人質を取られた際の行動を学んだ覚えがない。
前世ならば、授業も居眠りなどですっ飛ばしていたため、聞いていなかった可能性があるかもしれないが、アカデミー時代には必死に食らいつくために全ての授業はきっちり聞いていたし、予習復習もしていた。
教科書を丸暗記するレベルで覚えていたのだから、聞いていなかったということはないはずだ。
「あの、人質の事は何も教えられていませんが」
「そうなのか? 私の時代には殺すように、覚悟を決めておけとあらかじめ教えられていた。それを躊躇しないように、訓練もしていたが……」
そして、デニス隊長は何かに気付いたようにポンと手を打つ。
「そうか、十年前に内容の改定が行われていたな」
「ではその時に削除されたのですか?」
「その可能性は高い。アルミュナーレの戦いは、騎士道的なものがほとんどだからな。実際、ここ数十年人質を取られたという事例は、兵士隊が盗賊などと戦うとき以外は聞かなくなっている」
確かに、アルミュナーレ同士の戦いでは、基本的に一対一だし、終わりはどちらかが死亡するか、二人がそのまま撤退するかしかない。他の隊員たちは安全圏に避難しているため、人質の取りようがないのだ。
そのせいで、履修内容から人質に関する項目が削除されてしまったのだろう。
だが――
「今後はアブノミューレ同士の戦闘もあるので、人質を取られる可能性も出てくるわけですね」
「早めに履修内容の修正を行わなければならないな。それに、変更後卒業して騎士になった者たちにも、しっかりと通達しておかなければ」
でないと、帝国や傭兵に人質作戦が有効だと思われかねない。
「では、それは俺が姫様に伝えておきます。王族からの指示なら、どこの部署も急ぐでしょうから」
「そうだな。任せる」
「では、前線はデニス隊長にお任せします」
「ああ、任された」
軽く拳をぶつけ合い、俺は隊の皆の元へと向かうのだった。
◇
「イエス! イエスイエス!」
「わぁ! イネス様! 落ち着いてください!」
「我が騎士よくやったわ! さすが私の騎士ね!」
窓枠に足をかけ、外に向けて歓喜の雄叫びを上げるのは、この国の王妹であるイネスだ。
イネスがなぜここまで歓喜しているかといえば、理由は簡単。つい先ほど、早馬によって緩衝地帯での砦建設のための土地確保に成功したという連絡が来たからである。
砦の建設が、イネスの描くシナリオには欠かせない要素だったため、何としてもこの作戦を成功させたかったのである。
そのために、国中に連絡を取り、必死に交渉してきたのだ。それが実ったとなれば、当然の喜びだろう。
そして、今にも窓枠から飛び出しそうなイネスを必死に羽交い絞めにするのは、第一アルミュナーレ大隊、第二王女親衛隊のサポートメイドであるアンジュだ。
アンジュも、勝利の連絡を受けて最初こそイネスと共に喜び合っていたのだが、徐々にエスカレートするイネスの喜びように冷静になり、必死に抑えているのである。
「分かりましたから! エルド君が凄いのはよくわかってますから! とりあえず足を下ろしましょう! 外から見られちゃいますよ!」
「ふっ、王妹のパンツよ! 見られて恥ずかしいものじゃないわ!」
「恥ずかしいですから! 女性としてこの上なく恥ずかしいですから!」
「もう、しょうがないわねぇ」
必死の説得に、イネスはようやく窓枠から足を下ろす。それを見た、側付きたちも、こぞってホッと胸をなでおろした。
「ともかく、これで計画が進められるわ。すぐにお兄様に手紙を書かなきゃ」
「はいはい、こちらに準備してありますよぉ」
慣れた様子で、紙とペンそしてインクを机の上に並べるアンジュ。ここ数カ月、留守番ついでにイネスの側付きと行動を共にしていたため、だいぶイネスの行動には慣れてきた。それでも、アグレッシブ過ぎるイネスにはたまに振り切られるが。
「それで、今後はどういう予定で?」
「砦が建造できるまでは待機ね。その間に色々根回しして、完成したら帝国に対して停戦を要求するわ」
「本格的に戦争を止めさせる方向で動くんですね」
「そのために、ここまで押し返したのだもの。帝国も、一国で侵攻した軍を押し返された挙句、緩衝地帯の一部を支配されたとなれば、その脅威を理解できるでしょ。そのまま攻め込むことをチラつかせれば、嫌でも交渉のテーブルに出てくるはずよ。まあ、色々根回ししないといけないことも多いけどね」
その準備も、今国王である兄が少しずつ進めている。最初こそあまり芳しい返事をもらえないと手紙で愚痴っていたが、戦況が傾くにつれて相手からの返事も少しずつ変わってきているとイネスは聞いていた。
「もう、これ以上民を苦しめることはしたくないもの。少しでも早く終わらせなきゃね。その後は結婚かしら? 王族も兄様と私とフォルドだけになっちゃったし――ああ、でも私の婚約者って病弱らしいのよね。婿に来てくれるかしら?」
「ウェリア公国の方でしたよね? 病弱なのでしたら、むしろこちらにお呼びしたほうが、気候的にはいいのでは?」
「その線で誘ってみようかしらね。後はフォルドよねぇ。今の国の第三王子と結婚してくれる子なんているかしら?」
「戦争の動き次第なのでは? 安定すれば、フェイタルは比較的大国ですし」
「それもそうね」
アルミュナーレの保有数では上位に入るフェイタルだ。当然国土もある程度の大きさを誇り、帝国や他の大国とも肩を並べるだけの地力はあるのだ。
戦争さえ終わらせることが出来れば、十分他国と婚約を結ぶことも可能である。
「なら、フォルドの為にも頑張ってあげないとね」
「そうですね」
「子供といえば、アンジュたちはそろそろどうなの? 子供の一人でも、そろそろ欲しいんじゃない?」
突然のフリに、アンジュの顔が赤く染まる。
周りの側付きたちも女性であり、その手の話には敏感だ。今も、しっかりと耳を立てていた。
「えっと、エルド君の方針でまだ作らないようにしてるんです。色々と落ち着かないと、生むのも大変だろうからって」
アンジュの答えに、出産の経験がある側付きが何人か、うんうんと頷いていた。
「そうなの? アンジュにも我慢させちゃってたのね」
「いえ、そんな」
「なら目標は一年にしましょう! 一年以内に、私は戦争を終結させて、アンジュたちに落ち着いて子供を作れる国にしてあげる。期待していなさい」
「はい、お待ちしております」
イネスの宣言に、アンジュは笑顔で頷くのだった。




