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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第四章 戦国動乱編
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九十六、石山本願寺の蠢動

 話は多少前後する。石山本願寺が姉小路家を深く恨み、姉小路家の若狭出兵を天祐として諸方に使いを出した次第については既に述べた。


 本願寺顕如がまず最も重視したのは、朝倉家であったとされる。今日に残されている本願寺顕如からの手紙には、次のようなことが述べられている。

「爾来、不幸にして先代証如の代においては一向一揆や租の拒否等を通じて争いしが、この顕如が座主となり候いし故に和議を結び、一向一揆や租の拒否等は慎む故、一向宗の信仰を認め給へ。また、姉小路家の武力による急速な膨張には我々も心配致し候処なれど、姉小路房綱殿の若狭に手を伸ばすを聞き、我ら一同心を痛めし。この際、姉小路房綱を取り除き候はば、加賀入りも一向門徒衆が手を貸し申し候。委細は使僧の口上にて仕り候」

 一向宗の信仰を認めよも何も、朝倉家は一向宗を弾圧していない。弾圧していたのは一向一揆だけであり、それも国内では超勝寺を追放にして以来、巨大な伽藍を持つ寺はなくとも公然と信仰はされている。そして、目の前にぶら下げられた人参は、加賀一国であり、その侵略には一向門徒衆が手を貸すという内容である。朝倉家、特に朝倉義景と草太の間にあるしこりを考えれば、朝倉家に対しての効果は充分であっただろう。


 同様に、何通もの書がこの時期に出されていることが判明している。判明しているだけで、以下のような書が確認されている。

 越後長尾家の長尾景虎、後の上杉謙信であり混乱を避けるために以後上杉謙信とするが、上杉謙信には、甲斐武田家の信濃北部への侵攻を停止させる故、安心して北関東への出兵に心を砕き給え、と述べている。

 甲斐武田家の武田晴信、後の武田信玄であり混乱を避けるために以後武田信玄とするが、武田信玄には、東越中椎名康胤が椎名長常から家督を奪い、甲斐武田家と呼応させる故、飛騨を攻め給え、と述べている。こちらは鰤街道以外の道なき道、その詳細な地図がつけられていたとされる。

 椎名康胤には、一向門徒衆が味方する故、椎名長常より家督を奪い、飛騨を甲斐武田家と呼応して攻め、また西越中を攻略して越中一国を収め、また能登を朝倉家と分け取りにせよと書かれている。

 美濃斎藤家の斎藤義龍には、織田家の攻撃を止めさせる故、北上して飛騨を攻めよと書かれている。

 尾張織田家の織田信長には、斎藤家への攻撃を止めるよう呼びかけている。

 丹後一色家及び丹波国人衆波多野家には、若狭武田家に対する姉小路家の侵略の後に引き続き丹波を侵略するだろうとし、徹底抗戦をするよう呼びかけている。

 摂津の三好家には、丹波を攻略した後、姉小路家が中央政界への干渉を狙っており、将軍足利義輝を傀儡として補任し、三好家は討伐対象になるであろうと予告している。


 これ以外にも密書が飛び交っていたに違いない。例えば、朝倉家に雑賀衆二千が派遣されているのは、石山本願寺の指示によるものであると考えられる。



 密書を受け取った朝倉義景は、使僧を前にして悩んでいた。一向一揆が味方に付く、これは重大なことであった。今までいかに力を注いでも、かの朝倉宗滴でさえも成し遂げられなかった一向一揆の終息を意味したからだ。更に、加賀の侵攻にも力を貸すということであった。恐らくは小一揆派の復活に対する制裁という側面があることは明白であったが、前回あきらめざるを得なかった加賀の領有に力を貸すというのであった。

 別段禁教にもしていないためその対価として支払うべきものは、姉小路家との全面対決、それも姉小路家を現在の姉小路家にした房綱という存在を、国元から離した上で抹殺した後の姉小路家との全面対決であった。


 朝倉義景は、朝倉宗滴がかつて言っていた言葉を思い出していた。それは、決して姉小路房綱という人物を敵に回してはなりませぬ、という言葉であった。どういう意味かと問えば、朝倉宗滴はこう答えた。

「あのものと戦えば、十中十まで殿の負けでございます。国の大きさではございませぬ、たとえ石高が逆であっても、いずれ巻き返されついにはあの者の城に馬をつなぐ破目になるでしょう。その位、人間の器が違いまする」

 どうしたら勝てるのか、と問うたところ、

「相対して戦える相手であれば、おそらくどこかに勝機はありましょう。ですが、内政ですらこちらを攻める手とする、相対する以前のところで既に勝敗を決することのできる相手に対しての勝機はかなり薄うございます。もし勝てるとすれば……」

 ここで言葉を濁した。その先は朝倉義景が引き取った。

「暗殺、或いは裏切りによる姉小路房綱の死、か」

「御意」


 そう、姉小路房綱は、補給もなく敵中に置かれ、そしてそこで死ぬのだ。否、朝倉義景が殺すのだ。そうなれば混乱が起き、姉小路家との戦いに勝利することができる、少なくともその見込みは充分にあった。加賀一国だけでも取れれば、充分に割に合うのだ。問題は、軍の通行許可は将軍足利義輝の命令であり、通行中は攻撃できないという点であったが、使僧は言った。

「姉小路家には若狭武田家と盛大に戦っていただく。そうして深入りして抜けなくなった処で、通行許可を取りやめていただければ枯れ死にいたしましょう。その後、確実に首が見たければ、救援要請を受けて若狭に兵を出せばよいでしょう」

 ふむ、上手い手だ、と朝倉義景は感心したのであった。



 密書を受け取った上杉謙信は、密書の内容を信じなかった。確かに本願寺顕如と武田信玄は義理の兄弟ではあるが、その武田信玄に北信濃を諦めさせるなどできない、そう判断したためであった。もっとも、使僧は言った。

「この話をどう受け止められるかは長尾景虎殿次第、ですが、武田晴信殿には北信濃よりも更に旨いエサが、飛騨にありますからな」

 飛騨、それも神岡鉱山のある吉城郡を抑えられれば、非常に利益が大きい、と武田信玄が考えてもおかしくはなかった。

「そういえば武田家への使者には、抜け道を抜けて吉城郡に抜ける道の地図が渡されておりましてな」

 そういうことか、と思わないではなかったが、上杉謙信は関東への出兵は行わなかった。むしろその目は北信濃に向けられていた。



 上杉謙信とは逆に、武田信玄はこの密書、更に吉城郡への地図を見て喜び、即座に吉城郡に兵を出そうとして使僧に止められていた。

「今ではございませぬ。姉小路房綱が若狭へ侵攻し、本体がそちらに釘付けにされた後でなければ。さもなければ本来が脇道、道なき道でございます。通り抜けるのは困難かと」

 それもそうか、と出兵の支度だけはさせつつも、飛騨への出兵そのものは草太の若狭侵攻が開始された直後とすることとした。

「で、どうだな。吉城郡の北、東越中には手を伸ばしておるのだろう。……恐らくは椎名康胤に」

 流石は武田信玄であり、見抜いていた。

「そのものには我に臣従させよ。すぐとは言わぬが、その工作は一向宗、そなたらの役割だ。それが条件だ」



 その椎名康胤への使僧は、激しい叱責を受けていた。

「なぜ叔父から家督を受けるのに、貴様らの手を借りねばならぬ。……叔父は病じゃ。それも長くはあるまい。本人もよく知っておる。家督を継ぐ話も、既に出ておる。それをなんじゃ、貴様ら一向一揆が後押しにて継いだという事にして、叔父の名を汚すつもりか」

 使僧は、平謝りに謝り、草太が若狭で身動きが取れなくなり敗死した後、ただ東越中より西越中を抑えることを了承させただけであった。

 この使僧に前後して、越後長尾家から北信濃出兵に兵を出すようにとの命が下された。これを機に越後長尾家から独立しよう、と椎名康胤は決意したのであった。



 さて、美濃斎藤家に向かった使僧と尾張織田家に向かった使僧は、悲惨であった。

 美濃斎藤家に向かった使僧は、笑い飛ばされ、

「売僧、よく聞け。あの信長が美濃侵攻を諦めるなど、少なくともあの道三が生きている限り、いやあの道三が死んでもあり得ぬ。それよりも、だ。そなたらの策、逆手に取られたらなんとする。儂はな、あの姉小路房綱公には到底及ばぬ。……何がとは器がじゃ。あの器、どこまで大きいか、この程度で砕けるような器ではあるまい。ならばそなたらの策、うかつに乗っても精々得られて飛騨南部の一万石にも満たぬ盆地、昔三木が持って居った辺り程度だ。甲斐武田家が出張るとあれば、その程度でしかあるまい。そんな分の悪い賭けには、乗れぬ」

 しかし、というのをぎろりとにらみ、それ以上いうのであれば首にして帰す、と言われ、這う這うの体で逃げ帰った。

 そうして帰らせておいて、さて姉小路房綱公にこの情報を教えるべきかどうか、と斎藤義龍は考えはじめた。



 尾張織田家に向かった使僧は更に悲惨であった。話の最中につ、と席を立った信長が、小姓に一言、首にして晒せ、と命じ、その通りにされた。



 摂津は越水城にて三好長慶を訪れた使僧は、三好長慶の質問に答えられなかった。

「それで、当家に何の得があるのか」

 口丹波に来れば来い、とばかりに三好長慶は言い、ご苦労であったと使僧を下がらせた。そして手のものに、松永長頼に口丹波の攻略と防備を急がせるよう、指示したのであった。



 丹後一色家や奥丹波の国人衆も、来れば来い、とばかりに意気は盛んであった。ただし、別段、益もないとなれば奥丹後の国人衆は普段通りに過ごし、精々が兵糧の支度などを多めにしておく程度、一色家はこれを機会に若狭武田家に奪われた加佐郡を奪還しようという機運が高まったという程度であった。もっとも、この後すぐに一色家には姉小路家からの使者が入り、加佐郡を奪還できるなら和平に応じるという条件を出し草太がそれを飲んだため、一色家は事実上手出ししないという結論に至ったのであった。



 以上のように事実上、草太が若狭に侵攻して抜き差しならぬところになったとして、草太自身を攻撃するのは事実上、朝倉家及びその属国化していた浅井家だけであった。そして、武田信玄が飛騨に、椎名康胤が西越中に、朝倉家が草太亡き後に加賀へ侵攻する、という形で、第一次姉小路家包囲網と呼ばれる包囲網が、石山本願寺を起点として成立したのであったが、その包囲網はかなり歪なものであった。ただし、乗り気だったのは朝倉家だけであり、他は精々が火事場泥棒のように自国の領国拡張を目指したものでしかなかった。

 何より、草太自身が侵攻を意識した国境線の防衛網を考慮していた上、防衛網に先立って諜報網を立て直していたことにより、ある程度の防衛戦は想定の範囲内でもあった。



 そして、諸大名のそれぞれの思惑が交錯する中、草太の若狭への出陣、その日がやってきたのであった。

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