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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第四章 戦国動乱編
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九十五、若狭、丹波、丹後の現状と出陣評定

 草太が将軍足利義輝により若狭、丹波及び丹後の攻略を命じられたことについては既に述べた。

 これが引き金となり石山本願寺との抗争が勃発することについても述べているが、ひとまずそれは置く。ただし、軍の通過許可の関係から朝倉家には姉小路軍の遠征について筒抜けであり、更にそれが石山本願寺にも筒抜けであった事は事実ではあるが、それはまた後に譲るとしよう。



 姉小路家日誌天文二十三年葉月六日(1554年9月2日)の項にこうある。

「姉小路房綱公、服部保長より若狭、丹波及び丹後の情勢について説明之有付、若狭入りについて随分お悩まれ候」

 確かに、この時期の若狭、丹波については混迷を極め、どうすべきか悩むところであるだろう。草太のとった方法がどうであれ、結局は泥沼化する可能性は充分にあったと言われている。ただし、この後起った大混乱を思えば、草太が悩む必要は全くなかったのかもしれない。



 若狭、丹波及び丹後の現状についてかなり詳細な報告を受けたのは、夏も終わるころのことであった。このころになると報告書や建白書も下読みがある程度処理し、分類をし内容が重複しているものや似通った内容で地域や時期が異なるだけのものなどは纏められ、水裁判の詳細などは簡略な概要を読むだけに留めることにしたため、草太が実際に読むべき報告書の類は午前中の政務の時間だけで概ね済むようになっていた。

 その日の午後、日頃から細作を入れているならこんなに時間はかからないのですが、と言い訳をしながら、服部保長から詳細な説明があった。


「簡単に言いますと、若狭は三つに分かれています。若狭の東側、三方郡は粟屋勝久が、中央部遠敷郡おにゅうぐんは若狭武田家当主の武田信豊殿が、西側の大飯郡は逸見昌経並びに武藤友益が、それぞれ領していることになっております。また、丹後加佐郡を平定、白井光胤を郡代として支配しております。ただ、話はこれで終わらず、若狭武田家先代武田元光殿が家督を現当主武田信豊殿に譲ろうとした際に、元光殿の弟に当たる武田信孝殿を擁立する動きがあり粟屋勝久と対立状態になりました。これを何とか克服したものの、畿内の権力争いに巻き込まれる形で丹波、丹後、河内へ出兵しております。そして今、現当主武田信豊殿を廃してその子武田義統殿を立てるべしという声が上がっております。さらにこれに重臣間の軋轢があり、逸見昌経の反乱有り、全く統制が取れているとは言えませぬ」


 ちっとも簡単ではないが、容易ならざることだという事は充分に理解できた。草太は最も気になることを聞いてみた。

「若狭武田家の支配を、領民はどう受け止めているのだ」

 これに対して服部保長は言った。

「なんとも思っていないようです。多少迷惑だと思っているものの、税は納めておりますし、徴兵にも参加します。ただし、それは上がすり替わっても同じように、というだけのことです」

 つまり、と草太が聞き返すと、服部保長は答えた。

「既に反抗する余力さえない、その気力さえない、ただ頭の上を通り過ぎていくのをじっと耐えているだけ、というのが農民の大多数ですな。上級武士以外ではごく一部の商人と漁民は活発ですが、他は目が死んでおるようです。人足は、さすがに沖島牛太郎が上手くやっておりますので活気がありますが、住民とはまた違いますからな」


 さすがに早計かもしれないが、一応は聞いておこうと思い、草太は言った。

「若狭武田家はその位にない、と考えてよいと思うか」

「御意」

 服部保長は短く答えた。



「次に丹波でございますが、現在三好家の家臣、松永長頼が丹波守護代内藤家の名跡を継ぎ、攻略を進めています。対するは波多野晴通という国人衆でありますが、既にかなり押されており、口丹波の支配権は三好のものと思ってまず間違いないかと。ただし、細川京兆家が守護でございまして、更に奥丹波は全て国人衆が割拠しているような次第でございます」

 いやにあっさりとした説明だな、と草太は思った。が、内容は容易ならざる内容であった。

 まず第一に、細川京兆家と三好家、いずれもが絡む可能性が高いことであった。この両者の争いに、いずれかに付くか、或いは両方とも敵に回しての第三者となるかは別にしても、どう転んでも厄介なことになる予感しかしない。更に問題なのは、奥丹波は国人衆が纏め上げていることである。

「国人衆はうまく民をまとめているか」

 草太は気になることを聞いてみた。

「国人衆は、民と同じ目線で動いております。領土的な野心よりも防衛を旨としております。民はそのような国人衆に服しております」

 それを平定する、というのはどういうことか。簡単に言えば侵略者となるという事に他ならない。

「そちらは、和する方向で行けば民は良く治まる、か」

「御意」

 やはり服部保長は短く答えた。



「最後に丹後でございますが、一部は既に話したように若狭武田家が治めております。ですが、現在の丹後守護である一色義幸殿の手により治められております。ただし、問題は隣国である若狭への侵攻を繰り返しておる処にございます。元々は丹後は一色家が守護でございましたが、一時若狭武田家が守護を奪い、また国人衆の離反も相次いでおったようですが、一色義幸殿の手に守護が戻り、また国人衆もよく服しているように存じます」

 三つの国の中ではこれが最も簡単のようだ。単に若狭への侵攻を止めさせれば良い。他に絡む勢力も見当たらない。

「問題は、この丹後には海賊衆、我らの言う水軍が居る処にございます。そのため、下手に敵に回すと海域全体に迷惑が掛かり、そうなると北回り航路の水運への影響が計り知れないものとなるため、奈佐家など但馬国、ひいては山名家の介入すら招きかねない、という点にございます」

 草太は聞いた。

「それは問題なのか。一色家には単に若狭侵攻を止めさせる。それだけで良いはずだ」

「どのように、でございますか」

 服部保長は言った。

「一色家が問題を起こさぬようにする、というのが武力をもってするのであれば、水軍の問題は避けて通れませぬ」

「侵攻の原因はそもそもの感情のもつれ、ということか」

「御意」

 服部保長はまたもや短く答えた。

「ならば、若狭武田家が奪っていた地を返還し若狭武田家を除けば止むだろう。……ということはやはり若狭武田家を除くことになる、のか」

「恐らくは若狭武田家には我らは味方だと思われているはず。それを除くとなると、騙し打ちのようで問題があるように思いますな」

 ふむ、と草太は暫く考えたが、やはり若狭武田家を若狭から離すことが必要だ、という結論に落ち着きそうであった。将軍足利義輝公がどういう反応をするか、という点が最大の問題であった。佐幕、という新しい国是を掲げようと草太は考えていたが、第一に重視すべきはやはり民であった。


 暫く考えたが、結論は容易には出せなかった。だがいずれにせよ最終的には草太が決断すべきことであった。

「下がってよい」

 結論を出せぬまま、草太はそう言って服部保長を下げさせ、一人考えを巡らせていた。



 その夜、草太はつうの膝枕の上で、ぼんやりと考えていた。つうはそんな草太を優しくいたわりながら、子守唄のような歌を口ずさんでいた。平和な時間が、穏やかな時間が流れていた。つうの頭が下がり、そして草太の口につうの口がかぶさった。優しい匂いに包まれながら、草太はつうと口づけを交わした。そんな二人を、満月が明るく照らしていた。

 そして翌日軍議を開き、この秋に出陣する、それを草太は決めたのであった。秋はもうすぐそこまで近づいていた。



 翌日の夜、軍議が行われた。まず動員可能な兵について滝川一益から報告を受けた。

「一鍬衆は現在基礎訓練中のものを除き一鍬衆三万四千、全て投槍器の使用も可能な状態に仕上がっております。ただし一鍬衆には水軍を含んでおります故、その点はお含みおきを。舟手方には、最大で三千の兵を五艘の安宅船、三十艘の関船、百艘の小早船に分乗して乗ることになっております。また舟手方になることのできる一鍬衆自体は六千となっております。

 鉄砲衆は六匁の中筒隊が三千、ただし姉小路家の作りしは千五百ですので遠征を考えればその程度までで留めなければ整備に支障が出るとお考え下さい。

 更に新型銃である中折れ式銃隊は二百、騎馬隊は馬回り五百の他にようやく銃声にも慣れた騎馬隊が五百となっております」

 報告書で見た数字でもあるが、改めて聞くと意外にも一鍬衆が多い。聞けば、以前からの信濃、東越中に加え、最近は美濃方面からの人口流入が止まらないため、割り当てた土地の開墾をし土ができるまでは特に次男、三男を中心として一鍬衆という金銭収入のある職種は人気なのだそうだ。実際、田畑の土作りには意外に時間がかかるものであり、特に土壌改善薬などないこの時代では数年単位でかかるのが一般的であった。


 一同に若狭、丹波、丹後の現状を説明させた後、草太は言った。

「若狭平定を行い、また一色家と外交で決着をつけ、更に丹波へ進む、というのが基本方針である。一色家とのつなぎは、弥次郎兵衛、公家の次男三男辺りから適当なものを使者に立て、下準備をさせよ。同盟ではなくて構わぬ。若狭への侵攻を止めさせればそれで良い。場合によっては一戦して戦意をくじくことになる」

 木下藤吉郎が言った。

「若狭平定、ということは、若狭武田家はどうなさるので」

 草太はごく簡単に答えた。

「残念だが位にない。加賀に来てもらうことにしよう。その上で、若狭は飛び地になるが直轄地とする。名目上は儂が守護代を兼ねるか、後藤帯刀か牛丸重親を守護代にさせることになるだろう」

 更に木下藤吉郎が言った。

「丹波はどうなさるので」

「正直、未だにどうすべきか決められぬ。現地を見て硬軟織り交ぜての対応となろう。ただ、中央政界へ巻き込まれることだけは避けたいと思っておる」

 と草太が言い、現状と大戦略そのものについては草太の腹案通りに決した。ふと草太は、中央政界に巻き込むことこそが将軍足利義輝の真意なのではないかと考えた。


 次に決めるべきは諸方の手配りと遠征の人数であった。草太は腹案を述べた。

「まず飛騨、中島城には訓練部隊の小筒隊をいつでも入れられるよう手配せよ。ただし兵千はいるように偽装せよ。石神城及び洞城には中筒隊五百、一鍬衆二千を配す。平野右衛門尉、土肥但馬守がそれぞれの城に詰めよ。長山九郎兵衛と若林甚八郎をそれぞれの与力とする。兵の分配は任せる。更に土城は田中弥左衛門が一鍬衆千で詰めよ。その他は今まで通り、一鍬衆千五百を牛丸重親に預け、更に桜洞城には五百が今まで通り詰めよ。飛騨全体の治安を守れ。

 次に能登だ。これは内国ではあるが舟手方の根拠地でもある。舟手方となれるもの六千のうちから千を含む三千を配する。寺島職定、内政方と共に努めよ。更に舟手方は三千は若狭侵攻の手伝いを命ずる。

 西越中は増山城に一鍬衆五千、中筒隊五百を配する。小島職鎮が詰めよ。内ケ島氏理、自領の兵と共に西越中を守れ。

 後藤帯刀は加賀を任せる。金沢城に舟手方となれるもの千を含む一鍬衆五千、中筒隊二百を配する。また長沢光国、後藤帯刀に代わって大聖寺城に一鍬衆千、鉄砲衆三百で国境を守備せよ。特に一向門徒衆の乱入には注意せよ。

 服部保長、諜報網を周辺国向けに再度張りなおせ。ここ数か月、若狭、丹波、丹後の諜報に力を注ぐあまり、周辺国への目が薄くなっているだろう」


 ここまで一気に草太が言い、質問は、と言った。長沢光国が聞いた。侵攻は全て排除し領土防衛、これで良いので、と。そうだ、と草太が答えた。

 次に弥次郎兵衛は聞いた。

「内政方は今まで通りで構いませんか」

「内政方は国内では今まで通りだ。だが外征軍の武器兵糧弾薬の輸送準備という問題がある。後で余っても訓練で使いつぶせる故、加賀に多量に集積し適宜輸送できるようにせよ」


 更に侵攻部隊である、遠征隊であるが、要するに残りの兵全部を遠征隊に宛てた。即ち、一鍬衆一万千五百、中筒隊千五百、中折れ銃隊二百、騎馬隊及び馬回り千、これに輸送隊及び医療隊を三千と定められた。若狭のみならば過剰であると言えたが、その後の丹後、丹波まで考えると兵は多いほど良かった。また、特に守備に宛てられていない武将は全て連れていくこととなった。


 出陣は一月後の長月六日(10月1日)に金沢城を出発とされ、諸方が俄かに動き出した。戦の季節はもうすぐそこまで来ていた。

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