九十四、石山本願寺の胎動
時は少し遡る。加賀、能登、西越中、飛騨の浄土真宗が分派独立した次第については、既に述べた。その直後のことである。
畿内及び北陸、東海を中心とした戦国諸大名を震撼させ、或いは懐柔し融和策をとらせ、或いは禁教として排斥策をらせ、或いは別の宗教との対立を生み出してその上で平衡をとらせるというような、百姓や地侍といった民衆の力を最大限に利用した、宗教を軸とした権威を元に成立した異色の戦国大名、それが石山本願寺という存在であった。その勢力範囲は、容易に他の戦国大名の勢力範囲と重複する。なぜなら、守護、守護代、国司などといった官位等を背景とした、その実武力を背景とした、徴税権をはじめとした行政権による支配とは全く別の次元で、宗教という寄進、指導という方法でその地を支配していくためであった。
もしかしたら、国というものを民であると理解していたのは、草太を除けば本願寺などの宗教勢力だけだったのかもしれなかった。
したがって、例えば既に出てきた西越中であれば、神保家が守護代として徴税権を持っているが、その納税を拒否させたり、場合によっては寺社が軸となって西越中の民が神保家を攻撃するという形で、支配圏が二重に重なることも珍しくはなかった。そのために神保家の命令も寺社勢力に配慮したものにならざるを得ず、実際に神保長職は操り人形にされかけて重臣水越勝重の反乱を招き滅亡している。
その意味で、政治的に西越中の支配者が神保家から姉小路家に変わろうと、石山本願寺は痛痒も感じなかった。その信者を支配する力、その源泉である宗教的な支配体制が全く変化しないのであれば、精々どう接するかを変える程度でしかなかかった。寺領が侵されないのであり、或いは寄進があることで石山本願寺に上納金が入れば、それ以上は特に何も必要ではなかった。
逆にいえば、例えば朝倉家のように対立する場合においても、気が付けばいつの間にか周囲の民衆が本願寺側に付いている、というような事態が起こり得た。酷い場合には、松平家が経験したように家中の部下の半数近くが一向一揆に参加するために敵に回り、その鎮圧に悪戦苦闘することにもなりえた。加賀などは鎮圧できずに傀儡とされた好例である。明確な侵略ならば気も付くし対処もできるが、このような間接侵略策を取られると中々気が付きにくく、対処もしにくい。
更に、例えば朝倉家が加賀に対して行ったように、どこからどこまでが敵なのかも判然としないため、その地の有力者を皆殺しにしていく、いわゆる根切りを行うことが対処とされるが、根切りにしたところで結局はその地域に信者がある程度いれば時間と共に残った中から有力者が出てくることとなり、また根切りを行われた側はそれを恨みに思うことが普通であるため、ますます敵対関係は強くなり、単に次の一揆までの時間を稼ぐだけに留まるのが常であった。
史実では、この問題に対処するため、三河一向一揆後の三河の国では一向宗は禁教とされ、越前の国は朝倉家が織田家に滅ぼされた後、一向宗の支援を受けた土一揆により織田家が越前を一時失陥さえしている。織田信長は延々と戦い続け、或いはキリスト教などとかみ合わせていったが、最終的に一向衆を何とかしたのは天皇家を仲介とした石山本願寺との講和の後に柴田勝家らが根切りを行った後であったことを考えれば、いかに厄介な問題であったかが分かるだろう。石山退去後も本能寺顕如は死ぬまで常に監視されており、更に徳川家康も東西に本願寺を分割しかみ合わせるという方法をとったのも、一向一揆をそれだけ警戒した結果であると言える。
因みに実際には、この他に浄土真宗の他派、真宗高田派、真宗三門徒派の他、禅宗、日蓮宗など他宗派も入り乱れての一大混戦模様が繰り広げられるのであるが、そこまで追っていくと草太の立志伝が中世宗教史になってしまう恐れが多分にあるので、草太に直接関係のある部分だけを取り出すことにする。
しかし草太はこの問題を、ごく簡単に克服した。実情は違ったのだが石山本願寺では、小一揆派の再興と小一揆派との和睦によって、大一揆派である石山本願寺の支配を見事に断ち切って見せた、そう見えた。実際、一斉に提出された縁切り状と顕誓からの挨拶状により、石山本願寺は加賀、西越中、飛騨、能登の支配を失ったのであった。
その日の衝撃は、本願寺顕如は昨日のことのように思い出せた。まだ父であり師であった本願寺証如が生前であり、その横に座って修業をしていたころのことであった。坊官の下間頼照が盆に多数の書状を載せ、珍しいほど慌て取り乱したかのような風で現れた。本願寺顕如は座禅をしながら聞くともなしにそのやり取りを聞いていた。
本願寺証如が慌てて入ってきた下間頼照を窘めて言った。
「そのように慌てるでない。どうしたのだ、そんなに書状を持って」
下間頼照は慌てているのを恥じるように、一度深く呼吸してから言った。
「この書状をご覧ください。これら全て、いえ、一通を除いて、全て縁切り状にございます」
「なに、縁切り状だと。どこからだ」
色をなしたのは本願寺証如も同じであった。その数は一通や二通ではない。それは半眼をした本願寺顕如にも見えた。
「加賀、西越中、飛騨、能登にある全ての末寺からでございます。そして、こちらを」
こう言って下間頼照から差し出された書状を読みながら、わなわなと体中を震わせた本願寺証如を見たのは、本願寺顕如には初めての経験であった。普段温厚で穏やかな表情を崩すことすら滅多にない父であり師の、最初で最後に見せた怒気であった。
「……顕誓め、叔父の、顕証寺蓮淳の遺言と思ったからこそ軟禁を解いたのに、すぐに身を隠して、その恩を仇で返しよったわ。……頼照、越前一向門徒衆に、山田光教寺を攻めさせよ。今すぐにだ」
下間頼照は落ち着き下されと宥めていった。
「一向門徒衆は、加賀で一大勢力を誇っておりましたが、戦にて姉小路房綱が手に落ちましてございます。あの超勝寺実照や杉浦玄任を退けたのですぞ。その庇護下にあるうちは、外から門徒衆を送り込んでも難しかろうと思われます。更に、このように末寺一同を纏め上げて分派独立を宣言したという事は、布教の僧を差し向けても、そううまくはいかないでしょう」
本願寺証如は怒気を収め、力なく、そうか、と言って瞑目して考え事をしたように見えた。
そして、一瞬苦悶の顔になり胸を抑えたかと思うとそのまま前のめりに倒れこみ、そのまま寂滅した。時に、天文二十三年皐月十四日(1554年6月15日)のことであった。
本願寺顕如は十二歳という若年であったが、石山本願寺を継いだ。その心に暗い炎として山田光教寺顕誓と姉小路家、特に姉小路房綱への恨みとも怒りともつかないものを灯したまま。
こうして、草太は一方的に石山本願寺の恨みを買い、石山本願寺との対決を余儀なくされたのであった。
そして、姉小路房綱のことを調べさせた本願寺顕如は、その軍事的な強さと圧倒的な民衆の支持という現実を突きつけられた。外から一向門徒衆による軍事的な攻撃も容易にはねのけられて終わり、中からの一向一揆の扇動も成功する見込みは全くないという現実であった。それでも、姉小路家打倒を心の底で燃やしながら、日常の仏事を行い、また末寺の締め付けを強化していったのであった。
ただ、姉小路家は房綱が継ぐまでは飛騨半国もないほどにまで落ちた羽林家であった。ほんの三年余り前の話であった。それが今の勢力になるまでになったというのは、姉小路房綱というまだ見ぬ敵の強さを、本願寺顕如は認めざるを得なかった。
その姉小路房綱が若狭、丹後、丹波を平定するため兵を率いて出撃してくるという情報は、足利幕府に入れていた細作の手によってもたらされた。これまでと同じように、姉小路房綱が陣頭指揮をとることは充分に予測の範疇であった。しかも、途中に石山本願寺の勢力下ともいえる越前を通らざるを得ない、という地理的な状況であり本国とは切り離されざるを得なかった。
本願寺顕如には、これは天祐に思えた。
そして、密かに下間頼照ら坊官と諮り、諸方に書状が飛んだ。甲斐へ、越前へ、丹波へ、丹後へ、摂津へ、美濃へ、越後へ、尾張へ、そして東越中へ。
こうして、石山本願寺を中心とした反姉小路連合ともいうべき連合が組まれ、その攻撃の日を待っていた。その日は、姉小路家にとって最悪の日になるはずであり、姉小路家と石山本願寺の戦いはこの書状が飛んだ日に始まっていたと言えるかもしれなかった。
そして、この書状が飛んだことが、将軍家をも巻き込んだ大動乱の始まりであった。
近年の研究者の中には、将軍足利義輝の草太への若狭平定命令ですら既にその策の第一歩であるとする者もいるが、これは誤りであろう。まず第一に石山本願寺の勢力がいかに強いからと言って、石山本願寺に幕府に対するそこまでの力がないことが挙げられる。更に、縁切り状の到着から草太への若狭平定命令までの期間が半月ほどと短すぎ、まだ本願寺証如の法要をし、後継者として本願寺顕如が推戴されている時期である。一部に若すぎるという声もありながら、祖母慶寿院鎮永尼の補佐をうける、ということで座主を継いだことを考えると、それができたとは考えにくいためである。単に草太への若狭平定命令を奇貨としたものであったといえるだろう。
また、草太への若狭平定命令から出兵までの期間が準備のために長くかかったことも、この挙を誘発したのかもしれない。当初の草太の構想のように、数千の兵を短期的に派遣して平定、という方針であれば、この挙自体を起こすことさえ本願寺顕如にはできなかった可能性が高いためである。
更に、諜報の手の大部分が若狭、丹波、丹後に集中していたため、他の地域への諜報の目が薄くなっていた、というのもこの挙を防ぎきれなかった原因として挙げられる。
そう考えると、余りに周到な準備を行おうとしすぎた姉小路家にとっては皮肉なことである。




