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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第四章 戦国動乱編
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九十二、内政を振り返って

 姉小路家日誌天文二十三年水無月九日(1554年7月10日)の項、及びその翌日の項にこうある。

「姉小路房綱公、金沢城に帰着致し候。(略)城井弥次郎兵衛、木下藤吉郎、服部保長を呼び、報告書類の下読みの制を諮り候処、一同同意し、また報告書及び建白書の書式を定めさせしむ」

 この時期に、漸く草太という要が一つ抜けただけで回らなくなりがちな、いわば現代にもあるワンマン社長の経営から、集団での経営を行う組織形態へと変化を始めたというのが、一般的な見方である。集団での組織経営は、西欧であれば近代にならなければ出てこない概念である。その原始的な形であれ、中央集権的かつ画一的な風を望む姉小路家にとって、その採用は組織の膨張と共に不可避であったのである。

 しかしその集団での経営も、試行錯誤の伺えるものであるが、その端緒はこの時点か、さらに遡って能登侵攻前の視察主義から報告書主義への転換とされる。



 朝倉家との会見も終わり、帰路に就いた一行であったが、草太はその馬上でもほとんど休む間もなく報告書を読み、手控えに何かを控えていた。

 金沢城に帰り着いたのは、夕方も遅くなってからであった。奥座敷に行くとつうが待っており、草太が入ると「おかえりなさいませ」と言った。そのつうの笑顔だけでなんだか不思議な元気が湧いてきた。草太は、それが恋だとかそういったものなのかどうか、全く分からなかった。自分でもなんとも言い難い、不思議な感覚であった。


「お食事の支度を致します故、少々お待ちください」

とつうが下がり、しばらくして膳部が運ばれてきた。蕎麦団子の田楽に焼魚、切り身であったから何の魚かは分からなかったが白身魚のようであった。それに香の物と蕎麦掻の入った吸い物であった。草太は味を確かめるように、ゆっくりと噛み締めつつ一品一品食べていった。蕎麦団子の田楽味噌に、いつもと違う香りがあった。聞けばすりごまを振りかけてあるのだという。よく知っている、と聞くと、つうが作ったものであるということであった。

「賄い方は全員、炊き出しの方に行っております故、今夜はわたくしが作らせていただきました。白身魚を捌いたのだけは賄い方の方ですが、それ以外は焼くか蒸すか温めるだけですので」

といっても、火をおこすのも一苦労だろうに、と草太は思わずにはいられなかった。


 暖かい食事を食べながら草太は、そういえば毒味なんていう制度もあったと思い出したが、今まで一度も毒味など使ったことはなかった。賄い方では毒味を置かない今の制度に、我らを信用しているからだと一層の忠誠を誓っていたのであるが、それはまた別の話である。

 とにかく、つうのつくった食事を摂っていると、なんというか、心まで満たされるようであった。


 そして、最後の香の物を食べ吸い物を飲み終わり、一息ついて

「ご馳走様、旨かったよ」

と言うと、つうは少しほほを赤らめつつ膳部を下げた。


 そうして、つうが白湯をもって草太の部屋に戻ると、草太は既に報告書を読んでいた。隣室には既に長持に一つ、草太がいない間に提出された報告書や建白書が来ており、草太が出発前に受け取った報告書や建白書も読み終わっていない分がまだ残っていることを思えば、読んでも読んでも減っていくようには思えなかった。


 つうは、思い切って言ってみた。

「御屋形様。少しだけ宜しいでしょうか」

「なんだ。……ああ、白湯か。ありがとう」

「白湯かではございませぬ。報告書や建白書のことでございます」

 そう言ってつうは草太の首に手をかけて引き倒し、自分の太腿の上に草太の頭を乗せた。つうの優しい匂いがした。

「御屋形様、少しだけこうしてくださいね。……つうは、御屋形様が心配でなりませぬ。報告書や建白書を読まれるのは結構なことだというのはつうにも分かります。しかし、全てに目を通しておられますが、そうすべきでしょうか」

 草太は、つうが言わんとしていることが分からないでもなかった。自分自身、報告書や建白書を読んでいるが、さっぱり減っていかない。内容も思い出せない報告書や建白書も少なくない。

「私は愚かな商人の娘ですから難しいことは分かりかねます。ですが、何事にも強弱というものがあるはずです。御屋形様が空いた時間の全てを報告書や建白書を読むことに費やすことが、そんなに大事なことでしょうか」

 草太は、確かに下読みをさせるべき時期に来ていると感じていた。数名のものに下読みをさせ、草太が読むべきもの、概略だけで良いもの、読む必要のないもの、別の誰かが読むべきものなどに分類する役割をする下役を置く時期だと。問題は、そういった人間を作るということは、草太に入ってくる情報もそういった人物に取捨選択されてしまう、という点であった。


 視察から報告書などだけで回るように進歩したとはいえ、そのころとは石高であっても倍は違う。報告書などだけで視察を極力減らす、という方針でさえ能登侵攻前から導入を始め、漸くに定着しつつあるのである。この上で下読みが必要な情報かどうかを見極める、その見極め方を下読みに任せるわけにはいかないように思っていた。何か、恣意的ではない基準を作る必要があった。又は概略の作り方か。

 こういったことは誰に諮るべきか、やはり弥次郎兵衛と木下藤吉郎、服部保長といった面々か、顕誓もいい知恵を貸してくれそうな気もした。

 草太は、つうの膝枕の心地よさを振り切るように起き上がり、弥次郎兵衛、木下藤吉郎、服部保長を明日の朝呼び出すよう命じたのであった。そして、自身は文机の前に座り、少し残念そうなつうの視線を背中に感じながら、下読みについての考えを纏めるべく瞑目して考えに集中した。


 翌早朝、弥次郎兵衛、木下藤吉郎、服部保長は草太に呼び出されて広間に座っていた。

 草太が下読みのことを言うと、服部保長が言った。

「漸く御屋形様もそこまで成長なさいましたか。もう半月も言いださなければこちらから言うつもりだったのですが」

 どういうことかと聞くと、木下藤吉郎が言った。

「御屋形様、情報ってのはよ、ただ集めるだけではダメなんだわ。整理せんと、いらん情報に大事な情報が埋もれっちまってよ、訳が分からなくなるんだわ」

 弥次郎兵衛も同様のことを言った。

「御屋形様、例えば昨日読んだ報告書、全部内容を言えますか。一昨日のはどうです。言えないなら、それは読んでいないのと同じですよ。ただ見ただけなら、読まなくても一緒です。内容を把握して何かに生かせるから、報告書や建白書は意味があるのです」

 ということで、全会一致で下読みの制度を導入することになったのであった。しかし、それをどう分類するかについては、難しい問題であった。


 だが、さすがは情報収集、分析を専門としている服部保長である。まず下読みに報告書の内容を石高なり、水裁判なり、建白書であればどういった内容の建白が多いのかを分類させることとした。その上で、例えば石高であれば石高帳に、水裁判なら概略に留めるか件数だけにするか、どういったものがどのくらいあるのかという把握から入ることとした。


 そういえば弥次郎兵衛の内政方も報告書の山ができるはずであった。どうさばいているのかを聞くと、

「予め書式を定めまして、それに書き込ませております。書式も時々見直しますが、同じ書式であれば同じ分類、と分類が大変に楽でございます。また、内容に漏れがないかどうかも一目でわかります。……なに、書式と言いましても、版木で刷らせております故、手間はほとんどございませんな」

 そういえば草太も、文字が木版の報告書を見た覚えがあった。あれは弥次郎兵衛のところの報告書が紛れていたのか、それとも弥次郎兵衛の報告書の書式を流用したのかも分からなかった。


 いずれにせよ、どういった内容のものが多いか内容別の分類をまずは下読みにさせその嵩を見る、という点と、報告書及び建白書については書式を定め、木版にて書式を流通させることにより分類を明瞭にしたり内容に漏れがないかを確認できるようにする、という方法がとられることが決められた。

 下読みは誰がするのか、という問題は、弥次郎兵衛が簡単に、うちの人間を回しましょう、と言った。どういうことかと聞けば、

「公家の次男、三男を大量に雇いましたが、大半は意識が公家ですからね。そのままでは使い物になりませんでした。どうにか教育して使えるようになったのが半数もいるかどうか。外に出せるのは更にその半数ばかりで、下手に外に出すと威張り散らかすばかりで面倒でなりませんから、書類整理の人間は余っておりまして」

と苦笑交じりに言った。


 一段落するまでは私もつきますので、と弥次郎兵衛はこともなげに言った。自分の仕事は、と聞くと人任せでもある程度回るのだという。木下藤吉郎、服部保長が下がり草太の周囲に平助と弥次郎兵衛のみになった後、弥次郎兵衛は言った。

「だからね、旦那、どうしてもということ以外は人に任せることも覚えましょうよ。任せてしまえば、あとは責任を取るだけで済みますからね。それでも、根のところだけしっかり押さえておけば、大抵は何とかなるものです」

 だからと言って何でもかんでも任せられちゃあ、たまりませんがね、という弥次郎兵衛に、根とは、と草太は聞き返した。

「立ち位置ですよ。旦那は民の味方、民衆の味方。そういう立ち位置なんです。それを違えてちゃあ、困るのですよ」


 草太は、そんなもので良いのかと思ったが、平助が珍しく口をはさんできた。

「御屋形様、剣術でも些細な動きにまで気を配りすぎると、それに惑わされてしまいます。同じことではございませんか」

 なんとなくだが、草太にも分かりかけてきた。あまり草太が動きすぎるのは良くない。今までのように些細なことにまで気を配れる時期は、既に終わったのだと理解したのであった。

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