一、的のない弓
天文十八年(1549年)、一条房基が死亡し、その後継として一条兼定が僅か七歳という若さで土佐一条家の当主となった。ただしまだ元服前であり、少なくとも元服するまでは土井宗珊が政務をとっていた。この間にも兵書を読むなりをすればよかったのかもしれないが、いかに優れた弓であっても的がなければ当たるはずもない。
一条兼定の最大の不幸は、志を立てるということを全くする機会もなく、大人たちの恣意的なあてはめの中で当主として配されたため、権力を持つ持たない以前に、どのような権力を持たなけらならないのか、その権力で何をすべきかについても全く考えが及んでいない点にあった。つまり、一条兼定という人格は、完成の機会を全く失したまま、土佐一条家の当主とされ、西土佐半国および南伊予半国の主として祭り上げられたが、その実権は全て彼のものではなかったし、実権を渡されたとしても何一つとして能動的にはできなかった。単に彼は蝶よ花よと女性のごとく大事に育てられた。
祖父、ということになっている一条房道の引退後は、土井宗珊が実質的に全面的な取り仕切りを行っていた上、今日の一条本家の当主兼冬が土佐一条家の武家化を非常に嫌い、その趣味をもって一条兼定という人物は育てられた。時には京に上らされて、和歌をはじめとする教養を身につけさせられたりしたが、その一条本家滞在中に彼の人生を決定づける、少なくともその契機となるある出来事が起こった。
それは草太、姉小路房綱との出会いであった。
その時の問答を、一条兼定は死ぬまで忘れなかった。正に、弓矢が的を発見しようとし始めた、その契機となる問答であったからだ。
「国入りからわずか一年で飛騨を統一するとは、凄いですね」
うらやましげに言った兼定であった。ほぼ同年代であり、数年長い統治期間を持ちながら、西土佐と南伊予に受け継いだ領土はほとんど変わらない。むしろ、支配力という意味で言えば後退しているといっても過言ではないかもしれない。草太とは好対象であった。
が、それに対する草太の答えは実に奇妙であった。
「わずか一年だから、余計なしがらみもなく遠慮なく改革もできた。戦も幸いにして勝利した。周囲の大人たちがやることに、ほとんど口を挟まなかったから、各局は私が何かをしたのではなく、単に私は他の人のやることに許可を出した。それだけだよ。大体、飛騨の国を統一したというけれども、石高で見れば西土佐の方が広い。何と言っても山の中の狭い盆地だけだからね」
一条兼定の顔が暗くなった。
「しがらみ、ですか」
「そう。江馬氏、三木氏ともに、何の問題もなく背後にいる勢力もほとんど顧みずに、ただ倒すだけを考えれば良かった。そして倒せば統一だった。でも流れ着いて話を聞いたから知っている。西土佐は違う。北の伊予の国、土佐七雄、それらが複雑に絡み合って、更にその後ろに大内、大友、三好といった連中がいる。どこか一つを武力で倒すだけでも、相当な根回しがいる。どの相手も、どういう風に支配するかを考えるだけでも一苦労だ」
草太が慰めるように言うと、でも、と一条兼定は言い始めた。
「でも、戦だよ。すれば、何人、何百人、何千人、いや万を超えるかも知れない、その命をすてさせるなんて」
草太はなんだか懐かしいものを感じながら、聞いた。
「今戦で百人が死んでも、残りの九千九百人には戦はなく、平穏無事に生きて行くことが出来るでしょう。今のままなら戦は確実に起こります。それを可能な限り減らす、それが私が出した答えです」
一条兼定は不思議そうな顔をした。
「私が出した答え、って他の答えがあり得るの」
「無論。私の答えが正解であるかどうか、誰が分かるというのですか」そういって、草太は遠い目になった。
「この一年、私の命令一下、千数百の人間が死んでおります。土佐とは違い、飛騨に住む人は四万人に足りませぬ。その二十人に一人の命を、私は死なせたのでございます。彼らの死を無駄にしないのは、平和な世の中を作るしかござません。そう、私は考えました。もし正しくないというのであれば、私は地獄に落ちて罪を償わなければならないでしょう」
ここで、言葉を一つきり、
「さて、もし一滴の血も流させずに同じことをできたならばどうでしょうか。或いは戦場に近い荒れ寺で食うものも食えずに人々を救い続ける。そういった道はどうでしょう。……他にも色々な方法があるでしょう。ただ、私は戦をしてその後に戦が起こらない世界をつくっていく路を選んだだけの話です」
「実は、な」
一条兼定は言った。
「父が突如死んだから、私が継いだ。それだけなのだ。何をしよう、これがしたい、そういうものが一切ない。権力もない。全ては部下が、土居が伯父房通殿の意向を受けて進めている。このような私でも、そなたのようになれるだろうか」
草太は微笑んで答えた。
「勿論でしょうとも。その答えが私と同じになるかどうかは分かりませぬ。別の道を選ぶ、それも一つの道でございましょう。しかし、私の知人に、五十近くなってから道を間違えたといって新たな道を選んだものも居ります。まして兼定様はまだ元服して間もない身、道を違えるどころか、これから選ぶ立場でございましょう」
「姉小路房綱殿、いやあえてこう呼ぼうか、草太殿。私の味方となってくれましょうか」
「私は民の味方でありたいと思っております。それを違えない限り、私は兼定様のお味方でございますよ」
一つは民の味方であろうとすること、そしてそのための世界を作るために努力することであった。
だが、草太と一条兼定が決定的に異なることが一つあった。それは、一条兼定が決定的に戦を嫌っていた、という点であった。
いくら年少とはいえ、報告位は上がってきていた。長宗我部国親が武力を背景として力をつけていることも、知っていた。父一条房基が安芸国虎に妹を娶せてまで挟撃する体勢を整えた直後になぜか自害したことも、その真相を探ること自体を禁忌とされたことも。すべては疑いだすとキリがないが、最終的に長宗我部家と一条家が決着をつける必要があることを、一条兼定は既に知っていた。
だが戦は、戦だけは避けたかった。出来れば共存共栄、その道はないのか。
戦国時代は非常である。従属したとしても臣従したとしても、一条家は民の味方であり民を守り続けるというわけにはいかないだろうということは、一条兼定には分かっていた。戦国時代にはそれは、武力で勝ち取るしかない。
まず考えたのは、西土佐半国と南伊予半国という版図全体ではなくもっと狭い範囲であればどうだろうか、例えば土佐の中村御所の近くだけに限定すればどうだろうかという点であった。その範囲の民を守る代わりに他の民は苦しめない。これではどうか、と考えたが、すぐにダメだと分かった。この方法では、結局はその範囲は削られ続け、民を守ることはできない。それだけではない。その範囲外の民を害することになる。
ならば武威を示し、誰も手出しができないほどの強国を作るか。だがその過程では必然的に戦が起こるはずであった。一条兼定には、その戦を徹底的に避けたいという気持ちが強かった。それならば謀略ということになるが、謀略と一口に行ってもどうやっていいのか、一条兼定には分からなかった。
そう考えていて、気が付いた。全て捨て去って出家遁世の道もある。そうして手の届く範囲での民の安寧を、という方向性であった。例えば長宗我部家に民を託す、という方向性であった。この方向性であれば、託す相手が民の味方でありさえすれば問題がない。だが、それをするには、一条家は重すぎた。土佐一条家を捨て去る、ということである。それを、例えば長宗我部家に渡すということが、実現可能であるとは一条兼定には全く思えなかった。大体、その方法では単に人任せにしただけで、民を守る、などという目的には全く合致しないではないか、要するに責任の放棄ではないか、と気が付いたのだ。
一条兼定を導くべき師も、共に歩むべき友も、手本となるべき人物もなく、ただ民の味方であることとそのための世界を作るという漠然とした思いを心に秘めたまま、一条兼定という人物は成長していった。
こう言いかえることもできるだろう。
一条兼定という弓は、的を探し始めたが、的を探す方法すら分からず手探りで漂流を始めた、と。
そんな一条兼定を横目に、長宗我部国親は武力を背景に勢力を伸ばし続けていた。また本山家とは父一条房基の代からの武力抗争が未だ終結の兆しさえ見えていなかった。
時代は着実に、力を背景として一条家を攻撃していた。
外伝ですが、本編の合間に、本編と同じくらいの時期までの分を投下する形式とする予定です。次回からは草太の立身伝本編に戻ることになります。
本編はまだ終わってません。
これからも草太のことをよろしくお願いいたします。




