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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第三章、群雄割拠編
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七十六、米とソバと麦

 草太たちが上洛から岡前館に戻ったのは、姉小路家日誌によれば遅くとも天文二十二年師走二十八日(1554年1月31日)のことである。この日の項に、こうある。

「姉小路房綱公、花背の衆及び太江熊八郎を召し、新しき農法について尋ね候。花背の衆曰く、初年の出来は上々なり、されど明年も見て後のことに候とぞ。又今は麦を踏んで春には麦が取れ候が、その出来は今のところは相不明候とぞ言いける。太江熊八郎、蕎麦の連作障害についてどうすべきかは花背の衆とも相談し、蕎麦の代わりに来年は水田となすことで合意している、とぞ報告致候。また、荏胡麻を試す畑は既に肥料を施し終わっており、夏前には植えることが出来候とぞ。

 公、両者に曰く、報告書無きを責め候。両者ともにそこまでの気が回っておらぬことに加え、まだ確たる成果が上がっておらぬこと故報告書を出さざる旨回答したところ、公曰く、年月がかかるといえども、年に一度は報告を出すべきに候とて(略)」

 草太は視察もよく行ったが、このころになると全てを視察することは限界であると感じており、それ故に報告書の提出を各人に命じていた。現存する最も簡略な報告書と呼ばれるのは、天文二十二年師走に提出された田中弥左衛門の報告書であり、名前、日付などの他にはただ一行しか書かれていないものである。

「天文二十二年、土城周辺はこともなし」

 それでもあくまで全部の報告書に目を通そうとしている辺り、まだまだ余裕があるのだろう。ただし、草太は早晩、この方法でも限界が来るのを理解していた。単純に、出陣中は報告書が読めないためもあり、また、報告書が大小となく出されるため、全部に目を通して内容を理解するのも限界があった。

 こういった改革が朝令暮改の誹りを怖れずに次から次へと出来る辺り、草太にとって内政を試行錯誤している時期であったのであろう。



 草太、平助、木下藤吉郎、細川藤孝、そして増田長盛が岡前館に戻ったのは、師走二十七日の夕刻のことであった。草太が岡前館に戻るのも随分と久しぶりである。夕餉として蕎麦田楽と、丁度仕留めたばかりの穴持たずになっていた熊の肉の炙りを食べ、吸い物を啜った。

 蕎麦田楽は、草太に好物の一つであると認識されていた。草太自身はそこまで思い入れはない。ただ蕎麦掻も白い飯も好きではあるが、この蕎麦田楽はなにか落ち着く味であった。田楽味噌が良いのかもしれない。ソウタ爺が作っていた味噌は塩辛く、それを田楽味噌として豆腐や蒟蒻の田楽に田楽味噌としてつけ焼きにして食べていた、そのつけ焼きを思い出すのかもしれない。あの味噌の味とこの味噌の味は、多少は違うが、似た味であった。特に塩気がソウタ爺の方が強かった記憶がある。

 これに落ち着いた味の吸い物と、熊の肉の炙りを食べていると、なんとなくほっとする、というものの価値が分かるような、だがそれが器や壁の工夫で作り出せるのかという気になった。この、なんとなくほっとする、というものが侘びさびの極致であるのであれば、である。もしかすると、侘びさびの極致とは全く別の世界なのかもしれない。


 この日の草太の食事は珍しく相伴として細川藤孝を相手に、これまでの半年ほどの感想を尋ねながらの食事であった。

 草太の質問に、細川藤孝は答えた。

「これまでの半年間、面白うございました。内政の仕様といい、戦の仕様といい、今までの将軍家とはまるで違う世界でございました」

 草太は、最も気になっていることを聞いた。

「このまま姉小路家に居て見聞を広めて、それが戻ったときの糧になると思うか」

 この質問には、細川藤孝は考えざるを得なかった。確かにここにいると面白い。個人としてはここに居たいと思う。だが、将軍家を支えるという志はどうなるのだ。正直に答えることに、少しも抵抗がなかったと言えばうそになるだろう。

「このまま姉小路家におれば、面白かろうと思います。しかし、ここでの経験をそのまま将軍家に戻って使うことができるかといえば、状況が違いすぎます故、できないと思われまする」

 そうか、と草太は言い、

「多分、だがな。将軍家は危うい。義輝公は危ういよ。剣の勝負で思った。あれは危うい。何が何でも勝たねばならぬ、という勝負にありながら、下がるということを知らない。気を抜くということも知らない。ただ前に出る、それだけしか知らない。……将軍家を取り巻く状況は良く知っているよ。だが、いかに薄くとも勝ち目がありさえすれば乾坤一擲、戦うというあの姿勢では、な。最悪の場合傀儡でも良い、位の気持ちでなければ、今の将軍家の立場では難しかろうよ」

 この発言に、細川藤孝は尋ねた。

「危ういとはどういう意味でございますか」

 即座に草太は言った。

「力はないのに、力を使おうとする。そうすればどこかに無理が出る。いろいろなところから借りを作り、それを返そうとしてまた借りを作る。結局、地力がない。だから名目上の家臣である我々守護にすら良いようにされる。細川家、三好家、六角家、その他、キリがない。うまく舵を取って相争わせて切り抜ける、なんて曲芸師でもあるまいし、難しいだろうよ。かといって、他を圧倒できるような力を持つ守護も、畿内には見当たらない。だからこその曲芸なんだろうけれどもね」

 草太のこの分析は、概ね的中していた。まさに言われた通りの状況であるのだ。であれば、解決策は地力をつける、これ以外にはない。だが、将軍家にはその元手も広げるべき領土の余裕もないのだ。

「房綱殿がもし将軍であったとしたら、どうなさいますか」

 うん、と聞き返した。というよりも、自分が将軍であったとしたら、……そもそも継がないだろう。が、正直にそう告げていいものやら考えざるを得なかった。なにしろ、細川藤孝は将軍家が今後どうすべきか、必死に模索しているのだから。とはいえ、やはり嘘はつかないことにした。

「そもそも継がない、と思うがな。それでも、だ。もし継いだとしたら……なんの利権があるのだ。明との貿易権か。だがそれも倭寇の密貿易で大幅に利権を削られているし、確か北九州の誰かがその権利を持っているはずだ。戦の仲裁をする機能も、幕府から失われて久しい。本当に、何の力があるのだ。……もし何の力もないただの将軍職であれば、不要なりと打ち捨てられても仕方があるまい。或いは大義名分の神輿として担ぎ上げられるだけであろうよ」


 そういって草太は、吸い物を啜り炙り肉を食べ、言った。

「興仙僧正には、深入りしてくれるな、そうっとしておけと命じられているのだがな。もし落ちるなら朽木谷などという、京には近いがどうにも展望が開けない土地よりも、何らかの展望の開ける土地まで引くことかな」

「それは」細川藤孝はその先を言わなかった。


「いずれにせよ、細川藤孝殿、一度戻られてはいかがかな。おそらく、誰にもどうに出来ぬのは分かる。だが、引くということがどういうことか、義輝公にお教えするのは、おそらく細川藤孝殿にしかできぬ仕事だ」

 本音を言えばこのまま家臣にとは思わないでもないのだがな、と続けた草太であった。


 そうして細川藤孝は正月明け早々にも、朽木谷にいる将軍のもとに戻ることとなった。



 夕食後、普段であれば書見をするなどするのであるが、報告書の山がそれを許さなかった。明日の政務の時間に、と思わないでもなかったが、詳細はまた後として、ざっと報告書の目録だけでも目を通しておこうと思った。報告書を提出した場合には、全て日付、提出者、報告書の題名、紙幅を目録に記載することとなっていた。草太が気にしていたのは、花背の衆他に命じてある乾田の法、そして太江熊八郎に命じている蕎麦の連作障害に対する対応であった。これらは草太の趣味嗜好ではない。これらは食料生産量に直結する、重要なものであり、早くとも秋までは結果が出ないため先日の能登動乱に対応した合戦の前には提出されていないのも仕方がないものであった。

 だが、今は師走も押し迫った時期である。記録から漏れているかもしれぬが、少なくとも目録には見当たらなかった。

 草太は次の間に控えていた小者に、花背の衆の主だったものと太江熊八郎に明日の政務の時間に来るようにと命じた。


 翌朝、主な報告書や建白書、特に医療班が纏めた飛騨国内の薬草の分布についてと硝石の納入状況と売却、使用、備蓄状況についての報告書については興味深く読んだ。また建白書の中では全兵衛が提出した主な鉱山の見立てが面白く、飛騨国内をくまなく歩いたために時間がかかったことを詫びつつ、少なくとも大倉、笠ヶ丘、二ツ屋、六厩に鉱山があると報告していた。すぐに開発の許可は出したが、どうせこれからは雪の季節である。実際に掘り始めるのは来年になるだろう。

 新しい報告書に、と手を出したところに、小者が花背の衆の主だったものと太江熊八郎の来着を知らせてきた。草太自身の経験から、怒るときに感情的な物言いをされても反感を覚えるだけで反省したりすることはほとんどない。努めて冷静に、報告書が出ていないことを指摘し、理由を尋ねた。まず答えたのは花背の衆であった。

「確かに今年の収穫は終わりました。周囲と比べて一割ほどは多く収穫できたと思われます。しかしもう一年は試さなければ、なんとも言えませぬ。特に麦を踏ませております故、それが上手くいくかどうかは春にならねば分かりかねます。それ故に報告書は出しませんでした」

 次に口を開いたのは太江熊八郎であった。

「今年は蕎麦を播きましたので、明年は別の作物を作らせるよう支度させておりまする。一部は大根、一部は荏胡麻、一部はそのまま蕎麦、一部は乾田の法を試すべく支度をしているところでございます。まだ何の成果もございませんから、報告書を出しませんでした」

 草太は言った。重要な問題だからこそ、動きがなくとも動きがないという報告は区切りごとに上げてほしい、と。

 二人は平伏して去り、草太は報告書だけではやはり限界がある、と感じていた。だからといって、報告書で回るようにしなければ、更に進めて下読みをさせて重要度を測らせ、重要なものだけを読むなどという体制は作れそうもない。

 焦る必要はないが、一気にそういった体制を作ることができるわけがない。一歩ずつでも体制を作るように前に進めていくことが必要と考えられた。


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