表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草太の立志伝  作者: 昨日の風
第三章、群雄割拠編
75/291

七十四、侘びさびの心

 城井弥太郎はその手紙を見て、少々驚いていた。前回来たのは公式に半年ほど前、今回はお忍びで、という違いはあるがまた草太が上洛してくると手紙には書かれていた。

 暇なのか、と思わないでもなかったが、少なくともこの半年で氷見郡、末森城を含む羽咋郡南部を制し、また内政問題に発展しかねない一向宗の根城である勝興寺玄宗が国人衆として屈するなど、遊んでいるわけではないようであった。それにしても田中与四郎に会いたいとは、一体どういう意味をもつのだろうか、城井弥太郎は考えてしまった。

 田中与兵衛なら分からないでもない。また鉄砲のことか、御用商人ということで何か所用があるのだろう、というだけである。しかしその道楽息子の田中与四郎のこととなると、あの侘びさびとかいうわけのわからないものか、茶道というものだと思われる。だが、なぜなのだ。なぜ今なのだ。

 今までも機会はあったはずだ。それを無視しておいて、なぜ今なのだ。


 ま、考えても仕方ないわな。


 城井弥太郎は考えるのは止めにした。直接の礼金は僅かしかないとはいえ、例えば前回の上洛の時には街の救護寺が随分と助けられている。その他にも、京洛の庶民のために少なからぬ援助がある。食えなければ飛騨へ行け、という言葉が流行るくらいには、飛騨では善政を敷いているらしい。仏の姉小路とも鬼の姉小路ともいわれれている。前者は内政の、後者は戦場の、それぞれあだ名だ。


 もう一つ、城井弥太郎は不思議なことを思っていた。それは戦に勝つことの意味が、どうも草太にとってとそれ以外の武将にとってでは異なってるようだ、という点である。

 姉小路家は無駄な戦をしない。確かに強い武将は多数いる。だが戦に勝って、それで支配権を獲得した武将というのは意外に少ない。例えば朝倉宗滴は戦には強いが、それで獲得したのは精々越前にある寺領や公卿領の押収だけであった。加賀や美濃にも出兵しているものの、越前から一歩でも領土が増えたことはない。しかし姉小路家はどうだ。飛騨統一のみならず、越中、そして能登へと出兵し、戦をしたところは確実に支配権を獲得している。全く確実に。

 草太が世の中から戦をなくしたいと志を述べたのが天文二十年の正月元旦、そこからわずか三年足らずである。戦をなくすために戦をするとは矛盾しているようだが、戦がそれ以上起こる火種を一つずつ減らしているという意味では確かに志に向かって活動しているといえた。しかも、聞けば天子様も公方様も公認であるという。どういう手品を使ったのかは、城井弥太郎には分からない。だが、少なくとも西越中を支配下に置いた後に陞爵を受け、公方様とも会って細川藤孝殿を預けられたのは確かだ。あの細川藤孝を預けられたのだ。悪い感情があるわけがあるまい。

 つまり、先に外交的に支配権を得ておいて、それを元に戦をしている、ということになる。

 だがその「先に外交的に支配権を得る」こと自体が奇術に近い。同じことを城井弥太郎がしろと言われても、不可能だろう。伝手ならあるだろうが、外交的に支配権を得るためには先に武力で支配権を得る必要がある。既成事実としての支配権を認めさせる、位しか思いつかない。どうやってか分からないが、草太はその奇術を何とかできているらしい。


「分からんのぅ」

 ふと城井弥太郎の口から出た。

 そういえば、弥次郎兵衛は忙しくしているらしく、今回も上洛して来ないらしかった。少し寂しいのと共に、城井を名乗っていると聞くと少し誇らしくなった。跡目を継ぐ者は弥次郎兵衛、と決めていたこともあったが、他に誰もいないわけもない。だが、名刀を見て使っておいて今更数打ちの刀に戻ると、やはり違いがはっきり分かるのと同じように、弥次郎兵衛を手放したのは惜しかった。今更だと思いながら、養子縁組でもしておけばよかったと後悔がない訳でもない。

 ま、跡目は分けてしか継がせられないだろうがな、と思考が発散してしまったことを感じながら、城井弥太郎は田中与兵衛に、田中与四郎に連絡してもらえるよう手配をしたのであった。



 草太が田中与四郎に用事があったのは、他でもない、漆器のことであった。

 草太には分からないが、侘びさびという付加価値が付くのであれば、夥しく持たせてきた多少上物だが田舎細工の漆塗りの盆が金銭になり、新たな収入源になるためであった。草太はある意味冷めた物の見方をしており、いかに高い茶碗だろうが安い茶碗だろうが、茶碗という機能が同じならば同じものとしか思えなかった。それに価値がある、と言われても、草太が母親に持たされたブランド物を入れてきた紙袋とスーパーの紙袋、どちらも教科書やノートを入れるという機能に違いはないのだが、ブランド物を入れてきた紙袋は欲しがるおばさんがいたのも不思議だったが、スーパーの紙袋は誰も欲しがらなかった。草太にとってはさして違いはないのだが、精々持ち手が布か紙紐かの違いだけなのだが、どういうわけか分からなかった。今でも草太には分からない。

 それと同じように、何かのよく分からない違い、という仲間内のお約束のような価値の違いがあるのだろう。その程度に考えていた。


 田中与四郎が堺の別宅に草太たちを招いたのは、天文二十二年師走十二日(1554年1月13日)のことであった。草太には侘びさびの世界はまだ早かったのかもしれない。だが、なんとなく落ち着く、という空間と亭主である田中与四郎の心遣いに、なるほど侘びさびの世界というのも悪いものではない、となんとなくでしかないのだが感じるところがあった。掛軸一つ、茶碗の置き方一つ変えてもこの落ち着きが壊れそうな、そんな気分にさえなるのは、やはり田中与四郎が侘びさびの世界をよく理解していたからに他ならない。


 草太は急に、田舎仕立ての盆を単なる収入源としか見ていなかったのは誤りであろう、と思うようになった。勿論収入源ではあるに違いない。が、それ以上に単なる収入源という以上に文化的な価値がある、否、つけることができると理解した。

「どうなさいましたかな」と田中与四郎が言った。草太がすっかり放心状態にあるように見えたからだ。草太が正直に、単なる収入源にと思っていた盆に、文化的な価値がある、つけることができるということに気が付いたことを述べると

「侘びさびの世界などございませんよ。ただ、居心地の良い世界がある。それに大枚をはたく必要などございませんし、大枚をはたいたからといって居心地がよくなるわけもありませぬ。美しくしようとする、その作為が既に居心地が悪くなる原因であれば、そのような作為はしない方が良い。ただの安茶碗に居心地の良さがあれば、その方にとってはその安茶碗こそ良い品でございます。ただ」

 そこで言葉を切って立てた茶を草太に出し、続けた。

「自分の目を信じるよりも金額の方を信じる方が多くて困ります。唐物の茶入れであろうが、精々舶来の茶入れにすぎませぬ。物の価値は本来、そのようなところにはない、というのは、中々分かっていただけないようです。高値で宝器として取引されますし、私も商人です、安く手に入れて高く売ることができればうれしゅうございます。それでも、です」

 草太が茶の飲み方を迷っていると

「あぁ、好きにお飲みになると良いですな。作法など、ただの約束事、適当でよいのですよ。芯のところさえ間違えなければ。……もっとも、芯のところを間違えないように作法が存在するのですがね」

 草太がずず、と一口のみ、意外に苦みがないのに驚いた。現代にいた時代の和尚の入れたお茶の方が苦く渋かった思い出がふと思い出された。

「盆ですが、あいにくと手元には金二匁しかございません。茶道具を一式つけます故、それでご勘弁願いたい。作法その他は、ご随身の中に細川藤孝様がいらした様子。かの方ならよく知っておりましょう」

「ありがとうございます。それよりも、この空間です。実に落ち着いている。時間がゆっくり流れておるようでございます。ただ、いささか危うく思いました」

 草太が言った。危ういとは、という田中与四郎に草太が言った。

「一点一画でも変われば、この空間が崩れる。そんな気がいたします。その危うさも良いのかもしれませんが」

 田中与四郎は感心したように言った。

「なるほど、さすがは姉小路房綱公でございますな。無作為を装った作為、その中に作為が見えてしまえば奇術の種が見えてしまうようなもので興ざめでございます。侘びさびの世界を、知らぬ顔をして会得していらっしゃる。いや、ご自分ではそういう意識がないのでございましょう。それでも、です。いや、それだから、ですかな」

 と、もう一服の茶を淹れて差し出し、言った。

「作法など、どうでもよいのですがな、故意に何かをするのではなく、予め決められた動きをした方が、その時々の作為がなくなりますから。だから懸命に作法を作り、作法に則って行動するのでございます」

 と言い、更に自嘲気味に続けていった。

「なに、所詮は金持ちの道楽にございますよ」


 そして、ここからが商談であった。

「そうですな、この漆塗りで木目の良いものを春慶塗と呼び、売り出しましょう。そうするだけで、今までは単なる田舎作りの漆塗りが、高価な道具になりましょう。ただ、数は絞らぬといけません。あまりにありふれると、やはり値は下がりますからな。……おそらく、飛騨では高いものでも一つ百文もあれば買えましょう。それを手前が箱書きをして、最低でも銀一匁、高ければ天井知らずに売れましょう。その箱書きが大事でございましてな。……おや、何やら思い当たることがあるような顔をしていらっしゃる」

 草太は知らず知らずのうちに母親がブランド物のイニシャルが付いただけの安物のバッグやなにかをありがたがり、そのマーク一つない同等のものが数百円で買えるのに、マーク一つあるだけで数万円を出していたのを思い出していた。なるほど、ブランド、というものか。

「そうですな、箱代などの諸経費を除いた儲けを折半、ということで宜しいでしょうか」



 宿に下がってから細川藤孝に、侘びさびと茶について聞いてみると、確かに知っているという。ただ、

「一つの作法ですから。決められた動きをする。剣術で言うところの型稽古に似ております。ただ型稽古でも流派があり、独自の工夫もあり、境地もあります。茶の湯の作法も同じでございます。……茶道具一式をいただいたとか。ならばこの際、作法の一つでも覚えられてはいかがでしょうか」


 こうして、姉小路家の収入源として新たに春慶塗というものが登場した。

 また、草太は一つの作法としての茶道を細川藤孝に習うこととなったが、それは剣の稽古と同じく単なる型稽古と同じものでしかなかった。約束されたときに約束された動きをする。ただそれだけであった。

 毎日使っている漆塗りの椀、今や春慶塗となったその椀で蕎麦掻をたべながら、この椀一つで金何匁も出す気が知れないとは思いつつも、いくら積まれても今や手にしっくりとなじんだ椀を手放す気にはならなかった。そういう由緒だけで高い金を出す、というだけの話だろうという気になった。


 結局は金持ちの道楽だな。そう草太は結論を出して、その道楽にも付き合わなければならない自分の身の上を思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ