七、草太 出会う
西洞院時当が草太を伴って鞍馬寺を訪ねたのは、暮れも迫った小雪の舞い散る日のことである。記録によれば、時当の日記では霜月二日(11月20日)の項に書かれているが、鞍馬寺側の記録では神無月二十九日(11月18日)の項であり、食い違いが見られる。ともかく、時当が草太を伴って鞍馬寺を訪れ、草太を預けたのは秋も深まった季節である。草太が京に着いてから一月と少しの期間、草太は京で過ごした。これはほぼ間違いがない。時当の日記にも時折草太に関すると見られる記述があるため、西洞院家に滞在していたようだ。
時当は、おそらく房通から話が通っていたのであろう、通常の業務は大部分が免除され、多少の決定や報告といった業務は行ったが、基本的には草太に関する仕事を行っていた。
この一月について、記述すべきことはいくつかある。
一つ目は、高屋平助との出会いである。
高屋平助は吉岡憲法の弟子であり、草太が「まずは武芸と馬術がなければ、武家としては成り立ちませぬ」とその師範となるべきもの、及び護衛となるべき者を求めたところ、時当がそれならば、と吉岡家の兵法所に連れていき、雇ったのが始まりだという。
戦国時代の剣士といえば、塚原卜伝、上泉信綱、柳生一門などが、他にも槍の宝蔵院など数多くが浮かぶだろう。しかし、塚原卜伝は別にして上泉信綱はまだ箕輪城に出仕しており、その弟子として技を完成させていった柳生宗厳、宝蔵院胤栄らはほとんど無名である。その卜伝は既に遠く関東に去っていた。宮本武蔵は生まれてすらいない。
京八流と呼ばれる剣術の諸流派がこの時代には畿内に存在していた。その祖は遠く鞍馬の鬼一法眼とも言われているが、この時代には将軍家指南をも兼ねる吉岡一門が最も盛んであったといえよう。因みに吉岡憲法と簡単に書いたが、吉岡家当主は代々憲法を名乗る。この時草太が会ったのは、二代目である直光であり、時の足利将軍義輝の指南役として「兵法所」を開いていた。正に、当時の畿内の剣術界としては最高峰の一角である。武芸を、と草太に言われて時当から吉岡憲法の名が出るのは、自然なことであろう。
半家とはいえ流石は堂上人である。吉岡家に添え状をつけて使いを出し、翌日には会うことができることとなった。
西洞院家からの突然の手紙に、吉岡憲法直光は困惑していた。会うのはよい。すぐに承諾の返事を書き、下人に渡した。公卿といえどもこの時代である。武芸の一つも習いたいのかもしれない。或いは護衛の一人でも雇いたいのかもしれない。委細は面談の上、というのが気にはなるが、下位とはいえ堂上人が自ら来るという手紙に、否はなかった。すぐに正装をして出迎えるのが筋だ。問題は、護衛を一人雇いたし、ただし西洞院家ではないという。面接の上雇う者を決める、とも書かれている。指南役であれ護衛であれ、雇いたいと言われれば弟子を一人推挙し、雇う側はそれを黙って受け入れるのが普通だ。内密に、というのも気にはなるが、昨今の京の情勢、ことに三好家側と細川家・将軍家側の抗争を考えれば、内密にすべきなのは分からないでもないが、何か引っかかるものを、吉岡は感じていた。
翌日、西洞院家の家紋、鷹羽蝶の家紋の付いた牛車が今出川にある吉岡憲法の兵法所の前に止まったのは、日が暮れて後のことである。人目を憚る、ということと同時に、弟子を集める時間を、という時当の配慮でもあった。手紙で物々しい篝火等は遠慮のこととされていたので、特に兵法所前は静かなものである。とはいうものの、場所が場所であるため、それなりに人目がないわけでもない。
牛車が門に入り門が閉じられると、時当と一人の少年が牛車から出てきた。その禿頭から吉岡は最初は稚児かと思った。しかし、奥の間に通されると床の間を背にして座ったのはその禿頭であり、脇に時当が控えている。型どおりの挨拶を、と吉岡が座ると、時当が口を開いた。
「憲法どの、これから先の話は内密に願います。このお方は、元服後、小一条流姉小路家を継ぎ飛騨国司に内定されている方。元服までまだ間がある故、名は幼名で草太と申します」
小一条流姉小路家といえば家格は羽林家、ゆくゆくは堂上人の上位に着く家柄である。正三位参議、又はその上の従二位までなる家柄である。現代で言えば、近い将来に入閣することが決まっている与党の青年部長に会った係長クラスの公務員、位を想像すると近いかもしれない。現実にはそれ以上の隔たりがあるのだが、翻って現代人の目から見ればただ親が有力者の息子と一流の剣士である。現代の目から見れば剣士に軍配が上がるに違いない。しかし家の格で決まる身分の上下が今よりも数段厳しい時代の、まだ元服前とはいえ生粋の堂上人と、ただ将軍家に認められただけの剣術指南である地下人の間にある隔たりが純然たる隔たりとして、まだ現実のものとして認識されている時代である。家格が明かされた段階で吉岡はひれ伏すしかない。少なくとも畿内で生きていき、公卿、ひいては朝廷という隠然たる存在を敵に回したくなければ。
畿内で、朝廷を完全に敵に回して無事でいたものは、この時点では一人もいない。日本の歴史を見ても、朝廷内部での争い、例えば院と帝の争い等であれば別として、朝廷そのものを敵に回して無事でいたものは、おそらく一人もいないだろう。もっとも、朝廷自身が強い方につく、勝敗が決する段になって勝つ方に着くという行動に出たことも数多くあるのは事実だが、例えば後の太閤秀吉も正親町天皇に好かれなかったとしたら、歴史はまた違っていたかもしれない。
少し余談が過ぎた。
「略式である故、全て直答を許す」と時当が話を始めた。直答も何も、取次などいない。牛車を引いてきた御者は外にいて牛車の番をしているだけだ。しかし形は形だ。時当が続けた。
「必要としているのは護衛であり指南役である、と手紙には書いた通りである。全て面談して決める、とも書いた。承知しておるな」「御意」
ならば、と時当が、吉岡が驚くことを言った。
「今宵集めた全員を、順にこれへ。一人ずつ」
そうして、面談であるが、草太の希望により名前と略歴を紹介する時以外は、吉岡のみならず時当も同席は許されなかった。
この夜、吉岡憲法の弟子で高屋平助という男が、草太の指南役兼護衛役として雇われた。剣士としては無名であり、その腕はようやく切紙に達したが平凡である。史実としての名前はない。草太がいなければ、おそらくさしたる手柄もないままどこかの戦場で果てるか、下士の一人として朽ち果てていただろう。この時も、ただ時当の日記に一度だけ名が出るのみである。この高屋平助という名は、草太がいなければ雑多な無名武士の一人でしかなっただろうが、それは別の話である。
夜のうちに平助を連れて牛車は西洞院家に戻り、平助には一室が与えられた。翌朝には荷を取りに一度出るというが、即日居を西洞院家に移し、草太の鞍馬行きにも同道することになっていた。
しかし時当には合点がいかなかったため、草太に聞いてみた。
「何故あの者に決めたのでございますか。より強い者も大勢おりましたのに」
草太は涼しい顔で答えた。宿星と骨相で決めた、と。実際は違った。草太は三つ質問をした。その答えで決めたのだ。
一つ目の質問は、養うべき家族がいるか、だ。いると答えたものは全て不合格にした。
二つ目は給金だ。後は考えるとして、最初は年にどれだけ欲しいのか、と。上は1,000貫文というものから、多くは数十貫文が多い中、平助だけは少し考え、「先に1貫文と15文、後は年に2貫文ずつ」と言った。なぜ先に1貫文と15文なのかといえば、周囲から借りた銭や付けている銭が、あちらこちらと合わせると1貫文と15文だという。因みに、当時の1文が現代の何円にあたるかは、何を基準にするかで大分違う。10円というものから150円というものもある。一応、1貫文は1000文であり、1文を30円とすれば1貫文は30万円となる。大金ではあるが、大金と言うほどでもない。無期限に護衛兼指南役として雇われる前に、踏み倒しもせず身綺麗にしよういう心遣いを、草太は律儀者とみた。
三つ目の質問は、自分より強い、或いは多数の敵に囲まれたときにどうするか、だ。斬り死にするまで戦う、草太だけを逃がすように盾になる、果ては全て身を捨ててでも切り捨てるまでという勇ましい者もあったが、全て不合格にした。ただ一人平助だけは、少し考えて逃げると答えた。愚直なまでに正直である。その正直さを、草太は買った。
さて、平助が護衛として付くからには、時当が着き従うのは公式な場に限られた。
京洛の街中の強面であっても、平助のような武士がいれば絡む者もおらず、平穏無事、とまではいかないまでも、割合に安全に街中を歩くことが出来たからだ。庶民の生活を見ながら、草太にはその多くが困窮している様もどうしようもない。どうにかする程の力はないのだ。
そしてこの京洛を歩いている最中に、どうしても語らなければならない事件が起こった。弥次郎兵衛との出会いでもある。
話自体は簡単にいえば酔った男が草太に絡んで来、それを平助がいなしたという、ただそれだけである。だが、いなした男が露天営業をしていた店に突っ込んで破壊し、怒った店主が弁償せよと騒ぐ。まさか身分を明かすわけにもいかず、また平助にその店主を力づくで、という訳にもいかない。店主は服装その他からみて、明らかに酔った男はほとんど文なしだが草太はそれなりに懐に金があると踏んでおり|(実際、持ってはいたのだが)、一歩も引かない。無理にでも草太から金を取ろうと騒ぎたてるが、草太も平助も払ういわれはない、とこちらも一歩も引かない。
騒ぎが大きくなったところで、一人の男が割って入ってきた。この辺りの顔役であると言い、名を弥次郎兵衛と名乗った。一言二言店主と話をすると、店主に懐から包みを出して見舞いだと渡し、草太たちを連れて騒ぎの場を離れた。驚いたのは草太である。鮮やかな手並みである。
少し離れた空き地の手ごろな石に腰を下ろさせ、自身も座った。いつの間にかその両脇に一人ずつ、男が座っていた。
「なに、旦那には話を聞かせてもらいたいと思っていたのでね。草太さん、でしたっけ? で高屋平助さん、でしたな。私は弥次郎兵衛、この辺りの香具師の元締め、ってことになってます。大元締に機を見て一度話をするように命じられていたのでね、丁度良かったといえば丁度良かったのですよ。……ああ、あの酔っ払いは関係ありません。偶然です」
そう言った後、驚くことに、草太が土佐沖を流されていたこと、そこから一条家の貢納品の一行と一緒に京に来て一条家に入ったこと、そこから西洞院家に入り、すぐに高屋を雇ったがそのまま西洞院家に住んでいること、近いうちに鞍馬寺にいくことまでぴたりと言い当てて
「違いますかね?」
と一言で言った。流石に姉小路の名は出なかったが、その他は全て知られているようだった。
「驚いたようですな。それでも種を明かすとね、なに、簡単なんですよ。例えば京に来た荷を誰が運んだと思ってます? 鞍馬寺に手紙を運んだのは? 我々地下人・雑人の類に決まっているでしょう? ならそいつらから情報を集めて整理すれば簡単です。吉岡憲法の兵法所に牛車で行ったでしょう? あのときだって御者がいたでしょう? 大体、家紋付きの牛車で行動して、秘密も何もあるものですか」
この様子では高屋平助のことも調べてあるのだろう。だが話に出ないということは、話をしたい相手は草太だけのようだ。
「さて、単刀直入に言いましょう。あなた、何者なんです? 土佐沖で拾われた。それは分かっている。でもその前が分からない。一条家とのつながりもね。一体全体、あなた、何者なんです?」




