六十七、越中内政と新型銃始末
草太が岡前館に帰還したという一報が入ったと同時に、越中にいる弥次郎兵衛から使いが来た。内政について話したいということであった。
このころになると、土地を持たない、或いは土地を捨てて逃散してきた者たちは、既に益田郡でも収容できる限界にきており、岡前館を通じて越中へと送ることが検討されていた。ほとんどが春小麦を収穫し、その収穫を持ってきていたので、米飯以外は掛屋を用意する程度で岡前館前に市をなしていた。鉱山に送る、鍛冶場に配属するというのにも限度があり、やはり農業を、という人間は鉱山や鍛冶場では結局は働きが悪いことが知られていたので、越中に送る許可を待っているような状況であった。
草太は越中の内情について詳しくは分からない。報告書は読んではいるが、報告書にはかかれない事実というものもたくさんあるのを肌で知っているためだ。だが日本全国を統一したとして、全部の国を巡察できるかと言えば不可能である。報告書から判断する、その練習だと思って判断した。まずは荒れ具合であった。長く続いた越中一向一揆、大小一揆、そして多くの農民が一向門徒衆として駆り出され戦場の最前線に配備され、越後長尾家の先代長尾為景や一向宗同士の戦いにより、農業に適する土地のうち十のうち三は荒れ地のままと見えたり、とあった。早速にして岡前館前から内ケ島家の了承を経て白川郷を通り、改修中の上見城脇、そして増山城下へ向かわせる手配書を書いた。
こうなると、越中から白川郷、岡前館、吉城郡、高山盆地を経て益田郡まで街道の整備をさせるべきかも知れない。草太自身、何度か往復しているから街道の整備と宿場をおくのは悪い策には思えなかった。
念のため太江熊八郎に諮ったところ、岡前館から白川郷を経て越中にかけては、内ケ島に許可を出させれば問題なく、それ以外は国人衆にやらせれば済む話であるという回答であった。
内ケ島氏理に書状にて街道整備を打診したところ問題ないという回答が得られたので、岡前館前の百人余りを人夫として雇い、岡前館から白川郷を経て上見城へ通じる道路を栗田彦八郎に監修させて建設させた。残り千数百人は岡前館前から越中増山城下へととりあえず移動させた。今も日々増え続けている住民たちに土地を与えるためには、越中の国へ送ることと決められた。この人夫たちは、街道整備が終了次第、越中一鍬衆に加えることとした。越中の国に留めてる一鍬衆の大半は飛騨に戻し越中で新たに編成する、というくらいのことをしないと数が違いすぎ飛騨の一鍬衆が一段上の立場になるか、或いは完全に飲み込まれてしまい意味がない集団になるかのどちらかである。
だとすれば新たに拡充する一鍬衆をどうするのか、という問題に突き当たる。下層指揮官として飛騨の一鍬衆をつかうにしても、指揮される兵の規模も分からなければどうにもならない。
弥次郎兵衛によれば、約三十万石が新たに加わった領土であり、今まで通りの食料購入を行い続けるのであれば三万人程度の常備軍の拡充が可能であるということであった。
「検地の結果から、おそらく十五万石から二十万石ほどは新規開拓の余地があります。そのうち一鍬衆の制で増やすとすれば三万人程度になるかと思われます。食料購入が滞りなく行われるという前提であれば、四万人から五万人が妥当な線でしょうが、そこまでの食料購入ができるほどは蓄えもありません。こちらに金があっても他国の食料がないのです。買える国は増えていませんから」
草太は、この話はしていなかったと内心焦ったが、それでも表面は平静を保って言った。
「実は田中与太郎殿に話をして、加賀から食料を買い求め、その三割を越中に売ることになっておる。適切な価格で買ってやれ。多分値が上がっているだろうから、色は付けよ」
な、と弥次郎兵衛は口がふさがらなかった。加賀は敵国、それも仮想敵国ではなく近い将来に戦う相手であった。そこから兵糧を調達するというのは、計略としては面白いがその分の代金が入る。軍備も整えられる。今は一兵でも多く兵員を増やし、能登、加賀という二国を相手に責めなければならない以上、この数が十分であるとは言い切れない。
また、兵員を増やしたところで武器、防具の類を支給し、練兵をしなければ話にならない、
こういった事情で、飛騨一鍬衆の帰還は秋以降と見込まれた。
難民の移動、一鍬衆、常備軍の雇用、人夫組織の発足と従事者の選抜、各村への開拓民の振り分けなど、内政方も軍事方も大変であった。
さて。草太が上洛から戻ってきた直後のことであった。
既に試製七太郎後装銃天文二十二年一型については述べた。この銃は制式採用にはならなかったとはいえ後装式火縄銃としては大きな一歩であった。一型があるということは二型があるということである。二型は肩当式の銃床を備え肩ひもをつけられるようにしたもので、三十丁程度作成されたと記録が残っている。しかし、この三十丁のうち現存するのはわずか二丁に過ぎない。他は全て「使用に耐えず」とある。銃身が軌条により前後に移動する形式であるため、発射時の衝撃により銃身を固定する軌条が持たず、大体五十発から百発で軌条が歪み、銃身の移動そのものができなくなるためであった。また、泥や砂が軌条と銃身の間に入り込んだ場合には、やはり動作不良を引き起こしやすかった。
この次第については、既に述べた。
七太郎は新型銃用の真鍮製の皿の絞りを大量生産する方法を模索しながら、試製七太郎後装銃天文二十三年三型と後に呼ばれる銃を作らなければならなかった。
まず七太郎は、銃身が前後に移動すること自体をすっぱりと諦めた。全ての問題がここにあるからだ。銃身が移動するから軌条が必要であり強度を上げたところでいずれ歪みが蓄積し前後に移動しなくなる、また砂などが入るのを防ぐことは難しいと考えられたためだ。
そこで一旦は没にした中折れ式の銃に再度光が当てられた。
中折れ式が上手くいかなかった原因は二つあった。一つは不発弾が多くなることであり、もう一つは水平より下に打とうとした場合には、朔杖などで突いていないため銃弾が零れ落ちる可能性があるという点である。この二つが解決できれば万事問題ない。
簡単に解決できないから試作品の山の一部になっていたわけだが、カラクリを少し追加することを思いついた。
引き金を引くまでは銃弾をそれ以上前まで行かせずに固定し、引き金を引いた時には固定が外れる、そういうカラクリであればいい。このカラクリ自体は、非常に構造が簡単なものであり、引き金を引くまでは銃弾の前に爪が出る形状にしておけば済む。何度かの試作の結果、一本の爪で十分に安定することが分かった。
銃弾を入れ、火薬を指で押し込み、最後に薬莢部を装填して中折れを戻せば装填は完了である。これも多少改良され、火薬の量を多くすることで弾、火薬を入れて薬莢部で押し込められるように改良した。更に、中折れを戻すと口薬入れから一定量を火皿に移す機構も追加した
何回かの実験の後、不発弾はほぼ出ず、不発だったのは玉薬入れが空だったのに気が付かなかった一回だけであった。カラクリがやや面倒になるほかは特に問題はないように思われたため、京から戻ったばかりの草太に披露した。
因みに早合も少し手直ししている。今までは銃弾-火薬-薬莢の順で入れられていたものが、火薬-銃弾-蓋兼薬莢に改められた。これであれば、蓋兼薬莢を外してそのまま銃に流し込んで薬莢を使って指で押し込めば済む。そのうえで中折れを戻せば発射体制が整う。
これが試製七太郎後装銃天文二十二年三型であり、いくつかの形式をとりながらも撃鉄を使用したいわゆるパーカッション型が出るまで、この形が原型となるのであった。中折れ式であり一発ごとに後ろから薬莢を押す必要があるため、どうしても単発にならざるを得ず、明治維新後の雷管を用いたボルトアクションなどの連射可能な銃に押されるが、それまでは日本における火縄銃の改良型としてはこの形が原型になるのである。
姉小路家日誌によれば、天文二十二年皐月二十日(1553年6月10日)の項に新型銃披露の記載がある。
「七太郎、かねてよりの火縄銃改良に付、新型の火縄銃を姉小路房道公に献上致候。公、新型の火縄銃は二つに折れることから中折れ式と呼ばれ候。発射頻度はやはり滝川一益が通常の中筒を、七太郎が新型の火縄銃を使いたるも、滝川一益が二発目を撃つまでに七太郎は七八発撃ちたり。(略)公大いに喜びて、この銃を試用隊に回し、問題なければ制式銃として採用することと致候」
この銃自体には問題がなく、この後制式銃として採用され前線の鉄砲隊の鉄砲から順次置き換えられていくのだが、それには相当な時間がかかった。
問題は、この銃の製造方法は姉小路家の独占とすべきことであったためだ。つまり作り手が飛騨国友衆だけであり、拡充に努めているもののカラクリ部分を作れる手が最も増えず、未だに一人しか新たに作れる人間は増えていない。徒弟を取らせて技術の伝達に努めているものの、現代のように機械を並べさえすれば増産できるという種類の問題ではない。しかも新型銃の製造に力を入れれば入れるほど中筒隊の増強は専ら外部の手によらなければならない。分業体制を更に細分化するなど、かなりの方策はとられているが、それでも徒弟が一人前になるまでどんなに些細なことでも半年程度はかかる。複雑なことであれば一年以上かかるのが普通だ。
その国友衆にしても、中折れ式の銃は今まで作ったことのない未知の領域であるため、どうしても最初は慣れない作業を強いられる。銃身などについては今まで通り作ることができるにせよ、カラクリ部分は難しい。
また、戦況を左右するほどの数とすれば、十丁や二十丁あっても仕方がない。百丁程度はないと、話にならない。
こういう意味で、結局は新型銃の実戦力化にはまだまだ時間がかかるのであった。
またこれは服部保長の領分ではあるが、情報の漏洩にも気を付けなければならない。といって、分業体制が細分化すればするほど個別の情報の漏洩はあまり意味を持たないので、銃本体の漏洩を気にすればよかった。まずは三十丁作成し、試用隊が試用した報告をもとに多少の改良を加え、制式採用されるというのが一連の流れである。年を越すまでに制式化がされるかどうかという程であり、大規模な戦力化にはまだ長い道のりがあった。残念ながらゲームのようにはいかないのだ。




