三十九、三人の家臣と鉄砲
勝負、と滝川一益が札を出し、草太は考えた。この勝負でこの滝川一益は何を知りたいのだろう、と。
確かに博打が好き、というのはあるだろう。だが、禄高を決めるのに博打もあるまい。運否天賦であれば、それこそサイコロで決めれば良い。それがこの札である。何かを確認したいのだろう。そう判断した。そして一枚目を出せ、という。
「何が見たいのか、分からないがな」と草太が言って出したのは、一の札であった。つまり最弱の札である。そして、草太の想像通りであれば、それが最良の札であった。
果たして一益の札は一であった。一益は驚いた。草太が四、又は三を出すと予想していたからだ。一益の一を草太の四に当てることが出来れば、その場は取られるかもしれないが総合して考えた場合には最強の四を手元に残してある一益が有利になる。そういう機微を見抜いてか、それとも武将としての本能的なものかは分からないが、とにかく草太は一を出して引き分けにした。
次だ。いや、もう勝負はついた。ここから先は四、三、と考えたところで気が付いた。一枚目に一が出るかどうかを、一益という男は測っていたのだ、と。
「止めましょう。この後はもう見えている。引き分けだ。違いますか」
滝川一益は、ほう、という顔になって聞いた。なぜかな、と。
「後は、四、三と出て最後に手元に残るのが二。……もっと言えば、最初に一が切れるかどうかを測っていた。違いますか」
滝川一益は、心の底から驚愕した。こんな子供に、確かに従五位下飛騨国司という官位を持つにしろ、内政に上手い部下を持っているにしろ、単なる子供だと思っていた認識が、根底から覆された。
この方となら、天下の夢を見るかもしれない。
それは滝川一益にとって初めての経験であった。これまで雇われた家は数多いが、その主人は最後まで四を抱える。或いは最初に四を出す。そういう手合いであった。この方は、最初に一という犠牲を払い、すぐに四という強い札を出すことを、ほとんど瞬時に選んだ。その上でこの勝負が引き分けに終わることを瞬時に見抜いた。確かに最適な戦術ではないに違いない。相手の手を読んでそれより一多い札を出せば勝てるのだから。
正に驚愕すべき器である。もう滝川一益には禄などいくらでも良かった。ただ、この主に仕えたいと思った。
「分かり申した。おっしゃる通りでございます。某は最初に一を出し申した。これは、確かに二を出せば、その後もあり申すが某の勝ちは無かったでしょう。それでも良いと思って出し申した。あの場で最初に一が出せるかどうか、それを測らせていただいた。これは確かでございます」
「それで、お主のお眼鏡に適ったかな」草太は聞いた。
「もはや家禄などどうでもよく、生活できればそれで良いのでございます。伝える子もおりませぬし、博打で儲けた小銭もございます故。ただ姉小路家に骨をうずめる覚悟でございます。……正直申しあげて、最初は適当に大元締めの顔を潰さぬ程度に勤めて退転するつもりでござった。が、今は偽りなく姉小路家のために粉骨砕身いたす覚悟にございます」
ひどく買われたものだ、と草太は苦笑する他はなかった。
こういう話をしていたところ、沖島牛太郎が入ってきた。
「遅れて申し訳ございません。このところ少し立て込んでおりまして」
とはいうものの、突如として無理に会談を決めたのは草太の方である。手紙が着いてから、わずかに二日かその位しかなかったはずであるため、多忙なはずの城井弥太郎のようにのんびりと待っている方がどうかしている。
「情報収集と聞いて、この男を呼んでまいりました。……入れ」
と、足が不自由なのだろう、杖を突き右足を引き摺りながら一人の男が入ってきた。滝川一益が、お、という顔をし、沖島牛太郎が紹介した。
「この男、服部保長と申す過去の忍び、とでも申しましょうか。戦場にて片足に重傷を負い、既に家督も譲って悠々隠居の身、と言いたいところですが、息子から捨扶持を貰っての穀潰し扱いにございます。この度の件であれば、足が不自由でも問題ありますまい。戦の指揮は難しいでしょうし、忍び働きは全く期待できませぬ。捨扶持でも良いので拾ってやって貰えませぬか」
「息子はどうしたのだ。親は子を思い、子は親を思うもの。捨ててしまってもよいのか」
とは平助であった。捨てられた草太には、親が子を平然と捨てることもあるということを実体験として知っていた。
「息子は既に家督を継いでおります。継いだ後は一度も会っておりませぬ。……親兄弟であっても必要であれば手にかける。忍びとは、そういう生き物にて」
これには草太は苦笑せざるを得なかった。なにしろ彼自身、母親に海に捨てられた者の一人であるためだ。
「そうそう、姉小路房綱様、でしたな。屯田の法、一鍬衆ですか。あれは上手い手でございましたな。国というものを、ともすれば城の支配権と勘違いしているものも多い中で、民百姓がその実態であると看破しておられる。なかなか出来るものではありません」
こうして、草太の目的の一つ、人材の確保は、二人の人材、滝川一益と服部保長の二人を確保することで、一応の成果を挙げた。
ところで気になることがあった。滝川一益は鉄砲の名手だという。
既に鉄砲は普及しているのか、入手できるのか、どのような場所で作られ、流通し、運用されているのか。
これらによって今後の対応はがらりと変わる。鉄砲の威力によっては、一方的な蹂躙さえ容易に行われる。まずはその辺りを聞いてみた。この辺りは戦場往来の多い滝川一益が詳しかった。
「鉄砲は、確かに戦場では使われております。おりますが、ほとんどは両軍合わせて百丁以下、それも一発撃つだけというのが圧倒的多数を占めまする。というのも、根来衆や雑賀衆のような傭兵を除けば、鉄砲を打てるもの自体が限られておる上、千人の隊に一人か二人鉄砲を打てる者がいてもその程度を打つのが関の山にございます」
草太は、実物を見たくなった。
「手前も一丁、持っております。御所望なら、後でお見せいたしましょう。ただし、玉薬と玉の代金は出していただきたい。何しろ、あれはひどく金がかかりますから」
日本にはほとんど全ての物資の鉱山があるといわれているが、鉱山として存在しないものが二つだけある。岩塩と硝石である。つまり黒色火薬の原材料である硝石はほぼすべて輸入に頼っていたのが初期の火縄銃の実態であり、その結果、火縄銃の運用だけでも費用は非常に負担となった。しかも火縄銃を作るというのは特殊な技能である。最先端の技能を結集していると言っても過言ではない。それが安かろうはずもない。
「要するに、金持ちの道楽」とは滝川一益の自嘲気味の言葉である。
色々話を聞いていた。火縄銃の威力は、射程は弓に劣り、生産費用や維持の手間は弓より高く、ただし射程内での貫通力は弓より強い。威力は腕力にはほとんど依存せず、ただ反動に耐えられさえすればよい。これは弓もほとんど変わらないが雨の日は使えず、また玉薬を扱うための訓練は必要である、という。草太の考えている、個人対個人の集合としての戦ではなく集団対集団という戦においては、鉄砲は画期的ともいえる意味合いを持っているように思われた。
無論、滝川一益は玉薬の調合法を知っている。硝石も、実は蚕を飼う家の軒下にはあるということもしっていた。
「どうも、鉄砲にご興味がお有りのようですな」
城井弥太郎が声をかけてきた。
「鉄砲鍛冶を一人、雇いますかな。あぁ、腕は確かですが、少し変人でございまして、持てあましているのが一人、おりましてな」
この言葉にピンと来たのが滝川一益である。
「まさか、失敗太郎を、じゃあないな、七太郎を送ろうっていうのではないでしょうな」
「そのまさかだよ。芝辻殿から、どこかにやってくれと頼まれていてな」
このやり取りに口を出したのは沖島牛太郎である。
「国友からも出しましょう。ただし一から十まで全部できるとあれば、一人ではなく数名の組になり、それなりの費用が必要となりますが」
火縄銃の生産地としては種子島、堺、国友の三者が有名であるが、実際の問題としては火縄銃は、もう少し時代が下るにせよ、日本中どこでも作っていたようである。ただし、鉄砲専門ではなく刀鍛冶などをしつつ鉄砲も作る、というものであったが。
日本における火縄銃は、いくつかの構造のものが技術的には流入しているが、結局のところ戦国時代が終わったことなどもあり、現実世界での全般的な技術革新は明治維新を待たなければならない。ただし、精度はその分上がり、今でも火縄銃の世界大会を行うとしたら海外勢でも日本の火縄銃を使うというのが常識であるそうだ。
「費用の問題なら、何とかなる。というか、何とでもする。鉄砲鍛冶を国友村から一組送ってもらうとして、その失敗太郎というのはどういうものですか」
草太は少し気になって尋ねた。
「なに、非常に腕のいい鉄砲鍛冶で、一から十まで全部できまする。が、独自の工夫とかで変な機構を設けるのが趣味という変わり者でございまして、それを納めても大抵は納得致しません。ですので、家の中には試作品だらけの失敗作だらけ。それでついたあだ名が失敗太郎、という訳でございます」
とは滝川一益の言である。直接の面識もあるらしい。
「といって、鉄砲作りの腕は良いのですが、普通のものを作れといわれると中々、作らないのでございますよ。気まぐれでございましてな。火縄銃の先に小刀をつけて槍として使える銃、などと遊んでおりまする。近頃は短筒に凝っておるとか」
滝川一益の説明を聞いて、草太は「会おう」と言った。想像通りなら、多分柔軟な発想と高い技術力が同居している、稀有な存在である。凡庸な変わり者なら仕方ないとしても、だ。
その翌日は一時帰京のあいさつ回りで一条家、西洞院家を回り、型通りに挨拶し、小物に持たせた荷と目録を渡してそれぞれを辞した。また、半家、羽林家などで無役で食い詰めたものがあれば飛騨に来れば雇うと言付けるのも忘れなかった。当人に会えるわけもない。身分が違うためでもあり、また格式というものもあるからである。
これだけでも半日仕事である。その後、吉岡憲法の兵法所を回り、兵法所に師岡を紹介して分かれた。剣を志すということであるから、その志を曲げさせる権利は草太にはない。例え、師岡が得難い人物であるにしても、である。そうして、下京区にあるかつての寺に足を運び、相変わらずの状況を見て、今度は自分がこれを作る側だということに恐怖感を覚えつついくばくかの寄進をして堺へ向かった。
堺では城井弥太郎が失敗太郎ならぬ七太郎を紹介してきた。試作品だという二連の短筒を持って来たという。
「普通の短筒を二つ並べただけじゃねぇか」
とは滝川一益の言であるが、草太には二発を連発出来るという意味で試作の価値があるように思えた。単発から連発になれば、確かに自由度は遥かに増すだろう。
「よし、雇おう」
こういう時の草太は即決である。
そうして、すぐに飛騨に戻らなければならない。年賀の挨拶に当主が不在、というのは、非公式に来ている手前、かなり拙い。帰りは琵琶湖の東岸を通り国友村のものと会い、人数が多くなりすぎるため飛騨には分かれて入ることとなった。
敦賀からの船は、やはり草太、平助共に酔い、滝川一益も酔ったが、失敗太郎だけは酔わなかった。そして「船は何故揺れるのだ」と妙なことを考えていた。水夫たちには、揺れなかったら俺たちが酔うだろうよ、と笑われていたが、当人は至ってまじめに揺れない船を考えていたが、何しろ船大工ではないのでその考えはどうもまとまらなかったようであった。
敦賀から船で尾山まで進み、そこから倶梨伽羅峠を越え、鰤街道を通って岡前館に師走のうちに着けたのは、僥倖であったといって良い。鰤街道がいかに雪を避けて進めるように整備され続けていたとしても、山間部で吹雪けば二日や三日、簡単に足止めを食う。
ここ一番で天候が味方をする、という意味では、確かに草太は運がある、と滝川一益は見た。




