三十三、続、広瀬城始末
大評定は結局、結論を決しないまま終了した。というよりも、結論を出すための情報が不足している、ということがはっきりと浮き彫りになった。特に情報関係についての姉小路家の能力は、低い。先日までは、小鷹利城及び野口城付近で国府盆地入口を北から防御し、南方の、岡前館からすぐ目と鼻の先と言っても良い位の距離にある広瀬城を主敵としていたため、ある意味情報能力が無くてもどうとでもなった。しかし、これからは情報能力もかなり必要となっていることが共有されただけでも、この大評定は意味があったように思われた。
もっとも、無い物ねだりをしても始まらないのではあるが。
もう一つ、三木氏はこのまま立ち枯れを狙い、神岡の鉱山を領する江馬氏を先に攻略するという方針であるという流れになったことは、特筆すべき結論であろう。もっとも、本当に先に江馬氏にするかまでは決定してはいないのだが、少なくとも草太の中では江馬氏を攻略するという方針が決定していた。
大評定の後は宴であった。
草太は、ふと気になったことを聞いてみた。
「この中に、城攻めを指揮したことがあるものはいるか」と。
これから政元城をはじめ、あまたの城を攻撃する必要がある。誰か城攻めを指揮したものがいれば、参考までに話を聞きたかった。
「平助はどうだ」「某、雑兵では参加したことがございますが指揮する立場ではございませんでした」
「弥次郎兵衛はどうだ」「旦那、じゃないや御屋形様、元々香具師の元締めですから、城攻めなんて無縁ですよ」
「後藤帯刀はどうだ」「ございませぬ」
「牛丸重近」「ございませぬ」
「渡邊前綱」「城攻めもなにも、逆茂木隊の指揮が初陣でございます。あれが初陣と呼べるか分かりませんが」
一縷の望みをかけて聞いてみた。
「田中弥左衛門」「ございませぬ。広瀬宗城が城攻めに従軍した折には留守居でございましたゆえ」
「無いとは思うが一応聞こう。太江熊八郎は」「あるわけないじゃありませんか。ご存じのようについこの前まで庄屋で、今回も副将とは名ばかりで空堀掘りと逆茂木結いの後は開墾の指図ですよ」
草太は頭を抱えてしまった。
「当然、私もない。初陣もまだだ。一体全体、誰が城攻めを担当するのだ」
その場を沈黙が支配したが、弥次郎兵衛が突然明るい声を出した。
「良いんじゃないですか、それでも。案ずるより産むがやすしと言いますからね、みんな最初なら、試行錯誤で段々経験を積めば良い。全く新しい方法で意表をつけるかもしれませんよ。商売だって、古くからやっているところよりも新しいところの方が上手くいったりしますからね。こういう色々と代わる折には、新しい方法をためらいなく試せる方が、良いことも少なくありませんよ」
旧広瀬領を吸収したことにより、広瀬城に残された兵の多くは帰農したが、荒れ地は残されていた。彼らと共に、三木領から来た移住者たちを開墾に充て、何とか綱渡りではあるが移住者をさばき切ることに成功していた。
しかし一方で厄介な問題が発生していた。三木領から来たものは年貢を納めずに早稲ではあるが豊富な食料を持ってきている。開墾をして麦を踏むか、間に合わなければ春に開墾して蕎麦を播くかすれば、充分に生活が出来るだけの食料である。しかし他方、元々の旧広瀬領の領民は荒れた田畑を耕し直し、年貢は取られたままで食料もない。勿論、食料については草太が命じて相応の量を給していたが、三木領から来た者との貧富の差が生まれていた。
同じ条件で、頑張ったものが頑張らなかった者よりも富む、その結果としての貧富の差が出ることには、草太も何も言うことはない。だが年貢を納めないという、いわば脱税をした結果としての貧富の差があって良い物なのか、草太はかなり悩んでいた。かといって、彼らに七割の税を課そうにしても、そもそもの土地の広さが分からない。
興仙なら、簡単なことじゃ、と笑って解決策を示すだろう。だが彼はいない。
ソウタ爺なら、差は差、人は人じゃ、貧富の差は人間の偉さを示すものではない、と笑うだろう。だが彼もいない。
平助なら、手前には分かりかねまするとするりとかわすだろう。解決しない。
弥次郎兵衛なら、解決策があるならとっくにこちらに示している。それがないということは彼も解決策がないのだろう。
ふと思った。顕誓ならどういうだろうか。考えてみれば、草太は顕誓とそれほど言葉を交わしてはいない。辻説法を行っているというが、それをじっくりと聞いたこともない。この問題をぶつけてみたらどういうだろうか。
その夜、草太は顕誓の借りている一室を訪ねた。護衛だという厳石という僧兵がいるほかは、座禅を組み一人何かを考えている風であった。
「ようこそいらっしゃいました、房綱様。宿をお借りしておいてなにも致さぬ日々を過ごしておりますことを、先にお詫びしておきます」
「いえ、顕誓様には本当であれば寺の一つも建てなければならないところ、このようなむさくるしいところで申し訳ありませぬ」
こう挨拶して草太は、先ほどの疑問をぶつけてみた。
「ふむ。なるほど。分かりました。……そうですな。人は助け合わなければなりません。その出来る範囲は異なるでしょう。それでも助け合わなければなりません。貧富の差などは、些細な差でございます。その行いが正しければ富み、悪ければ貧しくなる、とは説法で言いますが、事実ではございません。行いが正しいかどうかと、貧富は全く無関係でございます。ただし、行いが正しければ、困った時に差し伸べられる手は多いでしょうし、行いが正しくなければ差し伸べられる手は少ないでしょう。……答えにはなっておりませんな」
確かに宗教家としてみた場合に、顕誓の答えは一つのあり方であろう。しかし政として見た場合には、策になっていない。いや、なっているのか。分からない草太に、顕誓は続けた。
「差し伸べられる手には、今は貧しい村人たちの手もありますが、房綱様、貴方の手も含まれているのでございますよ。お救い倉は郷ごとに作り、郷ごとに自由に引き出せる、と定めがあると聞いています。今は年貢が免除され富んでいるものに、お救い倉の分を出させてはいかがですか」
確かにお救い倉の中身は村人全員の共有財産である。人数からいって、それが相応というものか。
「……差し出たまねを申しました。政は我々僧侶の仕事ではございませんので、他の策があれば無視なさって結構でございます」
「いえ、顕誓様、参考になりました。……それにしても正しい行いには正しい報い、というよりも、正しい行いをしていれば困った時に差し伸べられる手が増える、ですか」
教えではなく私の人生観ですけれどもね、と顕誓は微笑み、言った。
「僧侶としては因果応報を説くのが正しいのかもしれませんね。いや、正しい報いの中に、救いの手が差し伸べられる、が含まれているのかもしれませんね。そう考えるならこれも因果応報ですか」
翌朝、草太は触れを出し、旧三木領で収穫したものを持ってきた者からお救い倉に既定の量まで納め、郷の共有とするようにという触れを出した。
さて。話は少し遡る。広瀬城降伏より少し前のことである。三間槍の試作が出来た故見に来てほしいというので視察に出た。
「鉄製の芯を入れた槍で、穂先は一尺三寸と普通の槍よりも長めにとってございます。一間ごとに取り外しが可能であり、さしこんで目釘を二本打って固定する形となっております。扱いを容易にするため石突は重くしてございます。長さは三間、重さは一貫目半程でございます」
うむ、ご苦労であった、と言い、草太は続けて尋ねた。
「これはどの程度で出来るのか」
「数でございますか。これのみを作るのでございますなら、そうですな、日に五十本は出来るかと」
共にいた平助に感想を求めたところ、自分は刀以外は分かりません、と言った後、特に修練もしていない集団が使うなら長い方が使い勝手が良いでしょうな、と感想を述べた。
とりあえず実戦研究用に三間槍を五十本作らせることとして、この日の視察は終わった。
数日後、広瀬城降伏直前に五十本が納められ、一鍬衆の武芸師範の師岡に戦術研究をさせることとした。報告書によれば、
「一列目は一間槍、二列目以降が三間槍とし、三列を以て一組となす。一列目は腰だめに中段を突き、二列目は上から叩き、或いは胴を突いて距離を保ち、三列目は上段を突くことで、騎馬隊であれ足軽隊であれ突き崩すことが出来ると見申し候。ただし、側面からの攻撃に対しては極めて弱く、いわば将棋の香車にて候」
とあった。隊を回すには全体を回すよりも側面に一間槍を持つ衆を並べておき、三間槍を立てて場所を移動しその後ろに着くことで弱点を補強できるとも書かれていた。
魚鱗の陣や鋒矢の陣のように、側面からの攻撃を考えないでただ突撃させるべきなのかもしれない。或いは逆に、最初に草太が想定していたように、守勢に回らせ敵を正面のみに限定するような状況で使うべきなのかもしれない。
確かにこうした新兵器、これから出てくる火縄銃もそうなのだろうが、このような変化に柔軟に対応できるという意味では、余り経験のないものが試行錯誤する方が良い結果を生む場合があるのかもしれない。
ただ、解決策を同時に提案できる辺り、師岡は優れた人物であり拾いものであった。
とはいえ、師岡に一度、単なる指南役ではなく直臣とならないか打診したことがあるが、みごとに断られた。最初はそれでもよいと思っていたが、平助殿との立ち合いの末、剣によって身を立てると志を建てましてございます、というのがその理由であった。
「自分は剣を志して武者修行の最中でございます。最初は白米を給されるため、もう何日かで美濃に行くつもりでございましたが、平助殿との立ち合いで気が変わり申した。あの平助殿を超えたい。その一心でここにいるのでございます。それ以外は特に欲もありませぬ。指南役も、その修業の合間の手すさびにございますよ」
と。
だが草太は、不幸なことに知っていた。この長槍の戦術がいかに有用であれ、所詮は時代の徒花に過ぎず、火縄銃の一斉射撃には遠く及ばない、ということを。草太は正確な年数は知らないが、火縄銃の組織的な運用が確立されるまで遅くとも石山の鉄砲合戦の起こった二十年程度しかない。そう考えると短い命ではある。しかしそれまでは、いやそれ以降も火縄銃の少ない戦場であれば充分に使える上、防御、攻撃共そこまでの訓練も必要とせず、天候にも左右されにくい。いずれにせよ当面は有用である。いや有用に使わなければならない。そのためにまずは追加で千、長槍を作ることを命じた。
だがしかし、草太も気がついていないが、この戦術はとてつもない意味を持っていた。この時代の風と言ってもよいかもしれないが、それ以前の個人対個人の集合という意味での合戦から、集団対集団という意味での合戦に切り替わりつつある。その意味を正確に理解していないにせよ、この一歩の差は戦術の差という以上の大きな意味を持つ一歩であった。




