二百八十、終戦斡旋(二)
上野上村城の降伏を受けて姉小路家が三河を中心とした東海地域に平和を及ぼすべく、草太達が策を練っていた次第については既に述べた。もっとも当事者を抜きにしての領土の線引きなど、そこに姉小路家の力を背景とした平和という傲りがなかったとはいえなかったが、素案もなしに話し合いへと進んでも上手くいかないために、ある意味では仕方がなかった。
高屋平助日記弘治二年卯月八日(1556年5月16日)の項にこうある。
「上野上村城開城降伏、城を受け取り候。姉小路房綱公、城内を見回りて後、調度品をご覧じて不興なり。されども表には出さず。弥次郎兵衛、蔵の宝物の類は売るべきやとぞ言いけるを、公曰く不可也、重代の宝物は残すべし、と。(略)酒井忠尚に尋ねて曰く、重代の宝物はありしや、と。されども酒井忠尚、先代松平広忠の代よりの臣にて重代の宝物は太刀一振りと書画のみなり、宝物は城、民と家臣也、とぞ。(略)公、機嫌を直し候」
上野上村城の降伏後、入城した草太が目にしたのは飾り立てられた調度品の数々であったとされる。書画骨董の類も相当数に上り、来歴を調べるとこの時期に酒井家の所蔵になっていたものは少なくないようである。とはいえ、重要文化財とされるものはさして多くはないのは、有力であったとしてもやはり三河の一国人という限界であったのかもしれない。
この時に上野上村城から持ち出されたとされる書画骨董は相当数に上るようであり、その甲斐あってか酒井忠尚は切腹も死罪もなく生き残ったが、それはこの時に宝物を献上したためなのか、それとも草太がこれまで通りなるべく助ける方針をとっただけなのか、定かではない。
上野上村城の受け取りの儀を終えた弥次郎兵衛は降伏した上級武士から三河松平家へ帰参を希望するか否か、帰参する場合の条件はどの辺りかの聞き取りをさせ、また倉を改めるべく人を配した後、自身は広場へ向かっていた。広場は近在の農民から成る雑兵たちが集められ、その一角には既に集められた雑兵の主だったもの、つまり周辺の民の主なものが集められていた。広場では大鍋に粥を煮させ雑兵たちには振る舞わせていた上、僅かではあるが酒も出していたため、一同の者たちの雰囲気も和やかであった。
弥次郎兵衛が入っていくと流石に空気が改まったが、弥次郎兵衛は努めて座の空気をなだめるような声を出した。
「皆、良く集まってくれた。こたびの戦は、上野上村城の降伏によりひとまず一区切りである。早速にも皆はそれぞれの在所へと戻ることを許すので安心するが良い。
さてそなたらの武具の類のことだ。脇差程度は許すがそれ以上はこちらで回収することになった。だが、一方的に取り上げるのは流石に辛かろう、可哀想だとお屋形様は思召され、買い上げる形とすることとなった。それに加えて少ないながらも旅費代わりとしていくばくかの銭を渡すが、準備に時がかかる故に解放は明朝以降になると心得るが良い。係の者が後に回る故、在所の場所と人数を伝えるが良い」
いくらくらい貰えるので、とどこかから声があった。既に酔っているのか現金なのか、その声は明るかった。
「武具の類は現物を見て決めるとして、旅費として銭で一人十疋というところだ。些少ではあるがな。米などの現物の方が、とも思ったが何しろ嵩張る。銭で許せよ」
最後の辺りは歓声でかき消えた。降伏した兵を放つ時は武具の類を取り上げることは元より身包みを剥がれることもないではないのに、服は取られず武具は買い上げ、その上に旅費まで出るとあれば大部分の農業が主軸の民としては喜ぶべきことであった。
弥次郎兵衛はそう言うと、民に楽しむが良いと声を掛けて輪の中に入っていった。
「ときにそこなもの、名は何と申す。在はどこだ」
弥次郎兵衛が一人の雑兵に声を掛けた。雑兵は口ごもりはしたが、促されて名を丑松、在は巴川上流にある吉ヶ沢であると言った。弥次郎兵衛はその村は誰の領になっているかは分からなかったが、距離にして三四里程度の場所であるとは思い出すことが出来た。
「丑松、か。良い名だ。それで丑松殿、日々の暮らし向きはどうだな」
「へえ、実はあまり良くねえので。ここ数年は特に、米は作った端から持っていく、その上に荷役だなんだと賦役も多く、季節はお構いなしだから厄介なことこの上もねぇ。わしらは山に入ればなんとか喰えはするだがね。楽ではねぇ。唯一兵役が少なかったのが救いだが今回の事だ、悪くなる一方だな。これからはあるのかねぇ」
難しい問題だな、と弥次郎兵衛が返した。
「そなたらの在は三河松平家の傘下に入るだろうが、そうなれば我らが兵役にも賦役にも口は出せないからな、どうなるかは分からぬよ。姉小路家の領内に来るのであれば近くて美濃か信濃伊那谷かその辺りだが、新たに農村に入ることが出来るとすれば今ならば近江か北伊勢、ひょっとすると加賀、越前、飛騨になるかもしれぬ。少しばかり遠かろう」
丑松は、北伊勢であれば近い、と心の中で思った。事実、矢作川を下り船に乗れば、天候次第のところはあるが吉ヶ沢から三四日あれば十分につく程度の距離でしかなかった。試しに丑松は尋ねてみた。
「もし、わしが村を出て、その、姉小路さまの土地に住みたいといえばどうするね」
「歓迎するぞ。姉小路家は来る者は拒まず、が基本だ。近いところであれば東美濃なら足助から信濃へと向かった先にある平谷か恵那、伊勢ならば長島か、海路で行くならば大湊か。その辺りに行けば差配をしている者がいるからそこまで行けばどうにでもなるだろう」
へへ、と丑松は頭を下げたが、丑松は終に弥次郎兵衛が姉小路家の重鎮であることには気が付かなかった。
さて一方の草太は城内の奥まった部屋で一人の武士と会っていた。上野上村城包囲の際の野戦で捕えた武将の一人、本多正重であった。本多正重は持ち物から上級武士の一人として処遇されていたが捕らえられた後も名を明かさず、怪我を負っていたことから面通しも延び延びになっていた。だが城内に入り吉良義昭を逃がすために殿をした武士と判明した。
草太は一方の武将と聞き、会ってみる気になった。
「邪魔をする。本多正重殿、加減はどうかな」
草太が言うと、本多正重は僅かに目を上げた。怪我があるといっても手足がなくなったわけではない。晒がまかれた体も着物で隠れ、畳に円座を敷いて座ったままであった。
「この畳は捕らえられた武士には贅沢だと思いますな」
本多正重は呟くように言った。確かに畳縁には金銀の糸で模様があしらわれており、相当に銭がかかったものであろうとは草太にも見て取れた。
「この畳は確かに贅沢だな。酒井忠尚殿の趣味かと思うが、残念なことに畳までは持ちあわせがない」
草太はそう言って本多正重の正面に座った。側仕えのものが木椀を一つずつ置いて下がり草太は目の前の木椀を、白湯だ、と言って一口飲むと本多正重は少し驚いた顔になった。確かに本多正重は身に刃物一つないとはいえ草太は単身であり、目の前の木椀は粗末なものであるのは分からないではないが草太の前の椀もどう見ても同じようなものであるためであった。
そのことを気にも留めぬように草太は口を開いた。
「さて本多正重殿、一応の確認ではあるがいくらか聞こうか。まずそなたは本多家の末流、今は幡豆郡に一村を持つと聞いている。どうか」
「一村ではなく一集落にございます。石高でいえば十五石から二十石、一村とはとても言えませぬ」
本多正重の答えに草太は腑に落ちぬように言った。
「百数十の雑兵と共に入ったと聞くが」
「村からの収入では喰えませんから父、兄と共に馬喰の真似事などもしていた縁、また周辺の村々にも声を掛けて、門徒宗を集めましてございます。武士としての加増に預かるために本證寺へは参らず酒井忠尚様の上野上村城に入りましてございます」
草太は、同じ門徒宗という繋がりがあるにしても戦場に行くのに自分の領内でもないところから百人以上を集められるこの本多正重という人物は、確かに人物であろうと思った。
「幡豆郡は既に尾張織田家の勢力下に落ち、そなたの村も織田家の勢力下にはいった吉良家が抑えたと聞いている。姉小路家へと入ってはどうかな」
「……松平元康殿には背いたとはいえ家督争いで松平家次殿側に付き敗れたまでであり、某は未だに三河松平家の武士。家督争いを松平元康殿が制することとなったのであれば今後は松平元康殿に仕えるまでの事。松平元康殿からの処分が降るまでは他家に降るなどは出来ません。所領がなければ蔵米を貰うまで」
硬いものだ、と草太は思った。
「ところで用は私の勧誘、という訳ではなかろうと思いますが如何に」
本多正重は、本多家に連なる出自があるとはいえ、更に先日の戦で将を務めていたとはいえ、流石にそれで草太が直々に勧誘に来るはずがないと気が付いていた。
「そうだな、用というのはほかでもない、松平元康殿への使者、これに帯同してもらいたい、ということだ」
草太は事情を説明した。内容は三河松平家、尾張織田家、駿河今川家を和睦させること、既に足利幕府からの調停の使者が付近まで来ていること、和睦に先立って上野上村城は三河松平家へと返還、城内の捕虜は解放するか三河松平家へと引き渡すことであった。
「当家からの使者は出すが後藤重弘を正使に竹中重元を出す予定であるが、出来れば当家以外からの者も帯同する方が良かろう。だが酒井忠尚殿は謀反を起こした主謀者の一人であるから、その家老格である榊原長政殿も使者には出せぬ。吉良義昭殿は協力的ではない。さりとてあまりに下級のものであれば意味がない。南方に張り出した部隊の将であれば、と考えた次第である。無論、無理にとは言わぬよ」
本多正重は少し考えて言った。
「先触れを出すのは当然として、正使が姉小路房綱様ご自身であれば仕りましょう」
なぜだ、と返した草太に本多正重は答えた。
「某は三河松平家では軽輩、姉小路房綱様をお連れした、という形であれば箔も付きます」
良かろう、と答えた草太に本多正重はもう一つ条件を付けた。
「可能であればもう一人、某と共に帯同をお許しいただきたいものがあります。兄正信でございます」
それもよかろう、場所は岡崎城か付近の寺社になろうと言って草太は席を立った。
一刻後、草太の下へと報告が上がった。本多正信は既にいずこかへと姿を晦ました後である、との事であった。




