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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百七十七、岡崎城強襲(三)

 浅井長政率いる織田家先陣を本多忠勝が迎撃した次第、そして短時間の野戦の結果本多忠勝は隊を纏めて岡崎城へと入城することとなった次第については既に述べた。



 三河物語の浅井長政と本多忠勝の合戦の項に続けてこうある。

「(略)織田信広城攻めを命じ、織田信清城門へ迫りたるも、朝比奈泰朝殿早くも三鹿の渡を渡り、(略)織田信広、戦は手仕舞いと称して南をさして兵を纏め落ち延び(略)」

 松平家誌によればこの時、松平家独力で打ち破った直後に朝比奈泰能隊が到着したことになっている。しかし後の論功行賞で他国の将ながらも朝比奈泰能が筆頭とされたことから考えれば、おそらくは三河物語の方が正しかったのではと思われる。特に自国については、都合の良い様に書くのが一般的でもあるため、その分を割り引いて考える必要からも、今川家の兵が間に合ったという方が事実に近いのであろう。



 浅井長政と本多忠勝との合戦後、弥生晦日(1556年5月8日)も夜の帳が下りていたが、織田信広はそのまま岡崎城へ攻め上ることとして手配りを終え、兵を休息させながら最後の軍議に入っていた。軍議というよりも最後の確認であった。

「城の搦め手、これは打ち合わせ通り織田信清殿が一手にて抑えてもらう。兵を集めての封鎖だ、さして難しくもあるまい。火矢も集めてあれば、射掛け火攻めにせよ。我が隊は大手門を遠巻きにしつつ後詰をする。浅井長政、そなたの隊は岡崎の街へ行き必要な物資を調達せよ。方法は任せるが兵糧を優先、まだこれで終わりではない故、手取は邪魔になる故するな。これは徹底させよ。手取を引き連れての行軍はちときついのでな。

 予想外に弱く岡崎城が落ちれば別だがそれは期待すまい。未の刻には南東、東条城へ向けて落ちる。時間が足らぬ故岡崎城を落とせるとは思わぬが、打撃は与えることが出来よう」

 織田信広が言うと織田信清が続けた。

「今川方が現れた場合には即座に落ちるという事で宜しいですな」

「今川方と今戦っても詰まらぬ。鼻面を引き摺りまわし精々消耗させよ。戦うとしてもその後だ」

 織田信広は改めて物見を厚くするように指示しつつ、軍議を終えた。



 軍議が終わると各隊行動を始める時間であった。とはいえ事前の打ち合わせ通りであったため、配置は既に済んでいた。


 まず織田信清隊は搦め手から兵を寄せ、鬨の声を上げさせつつ闇夜に明々と火矢を幾筋も打ち上げ、城内へと打ち込んでいった。一度に数十本の光の筋が城内に延び、刺さった矢は辺りを照らしながら城の壁を焦がしていた。また通常の矢も同時に射込まれ、被害こそさほどには与えなかったものの櫓の上などにいた兵の頭を下げさせるのには十分であった。

 更に掛矢を持った足軽が十数名門扉に取り掛かり扉を壊しにかかったが、これは城内からの反撃にあいたちまちに射殺された。だがそれでもあきらめずに第二波、第三波と城門前に進み門扉に取り掛かり、反撃しようとした城兵のいくばくかは寄せ手の攻撃により射殺すことが出来たもののやはり門扉の破壊には遠いように見えた。

 織田信清配下、生駒家宗はこの様子を見て進言した。

「掛矢はさして効き目がない様子にございます。矢間からの反撃も少なからずあれば、やはり油壺も使いましょう」

 油壺はその名の通り油が五升ほども入った素焼きの壺であり、縄でからげて遠くまで投げることが出来るように工夫されたものであった。だが油を多量に用意することは容易なことではなく、武家商人としての財を持つ生駒家宗であるからこそ用意できた攻城具であるともいえた。とはいえ生駒家宗も油壺は多量には用意出来ず、用意できたのは僅かに百数十程であり、この一戦で使い切る程度であった。

 織田信清は少し考えたが、今後使える機会があるかどうかが怪しい上に追撃を受けつつ輸送することを考えればここで使うのも悪くはないように思った。

「そうだな。油壺を。五十程は門扉へ、それ以外は城内へと投げ込んでやれ」

 かしこまりました、と下がった生駒家宗は早速配下の者に指示を出し、忽ちのうちに油壺が飛んだ。


 あちこちで素焼きの壺が割れ、油が飛び散り、更にその油に打ち込まれた火矢や篝火の火が付いては周囲に燃え広がった。勿論、如何に木製であるとはいえこれだけで門扉が焼け落ちる訳ではないが、矢間から狙っていた弓隊は炎にまかれ煙で視界を遮られ、有効な射撃は行えなくなった。

 もっとも悪いのは櫓であった。櫓といっても元々は物見用であり、周囲に矢盾を巡らせてあるとはいえ柱も床もそれほど耐久性のあるものではなかった。油をかけられ火矢を放たれれば、矢束など燃えやすいものも少なくないという事情も相まって、程なくして炎をあげ始めた。

「今のうちだ、門扉を叩け。破壊するのだ」

 織田信清は号令をかけつつも、今川家の兵が来れば撤退するとあればそこまで深入りしない様に気を付けるべきだと考えていた。勿論、兵には撤退予定を悟らせない様に気を配ることは忘れてはいなかった。



 城下町を包囲した浅井長政は、気が進まないながらも赤井清綱、雨森弥兵衛の二将に命じて城下町にある商家を囲ませた。

「このようなことは気が進まぬが、物資は貰い受けていく。手向かいしなければ手荒な真似はせぬ上、手取として民には手出しせぬ故、物資を出すが良い」

 赤井清綱、雨森弥兵衛はこのように商家を説き、といって説得というよりも刀にかけて奪い取ったという面もあるが商家の住人も城下町が囲まれている以上覚悟はできているようであった。むしろ手取がないとほっとした面さえあり、浅井長政隊は続々と兵糧をはじめとする物資を運び出すことに成功した。

 ただ岡崎城では既に戦支度が行われていたこともあり、矢をはじめとした武具はほとんどなかったのは、浅井長政には失敗のように思われた。だが雨森弥兵衛はこう言って慰めた。

「岡崎の街にないものを徴発できなかったという事で責められるいわれはございません。むしろ兵糧だけでも充分な成果でございましょう」

 たしかに兵糧は米五百俵程、五千の兵が半月暮らせる程度の量が確保できたのは幸いであった。夏に向かう季節であれば薪炭はさほど必要ではなく、東条城の兵糧も当てにできるとあればこの量でも充分な量であるといえた。



 大手門前を攻撃していた織田信広は、織田信清とは違ってさして攻勢には出ていなかった。

「矢盾に隠れながら矢を射よ。弓矢のないものは石で構わぬ。敵の頭を抑えよ。焦れて出撃するのを待って叩くのだ」

 織田信広配下の兵へ叱咤激励をする声が処々で聞こえてきた。だが織田信広は強く攻めるつもりはなく、むしろその目は巴川の南へ、今川家の兵が追ってくるはずのその先へと向けられていた。そのため兵の配置も大手門を攻撃できる位置に配置されているのは千程度しかおらず、残りの兵は巴川をにらむ位置へと配置されていた。

 とはいえ織田信広も自分の備の兵二千五百を当てても今川家の兵を止められるとは思っていなかった。何しろ数が違いすぎるためであり、千五百では足止めと時間稼ぎが精々であると分かっていた。

「あの時に捕らえられた怨みがないとは言わぬが、意趣返しでは戦はできぬからな。精々、ここで力を見せておかねば今後に差し支えるわ」

 織田信広は一人呟くと、左右のものに物見の報告がないかと確認をした。


 時刻は戌の下刻に差し掛かっていた。

「報告します、今川家の朝比奈泰朝隊とみられる兵、既に三鹿の渡の大半を渡った様子。その数千数百。対岸にはまだ二千程度の兵がいる模様」

 矢作川を渡って追ってくると読んでいたが、三鹿の渡を渡るという事は来た道を引き返してきたのであろう、物見の報告を受けて織田信広は読み違えを悟った。矢作川側には物見も薄く、夜の事でもありおそらくは物見も見落としたようであった。

「これまでか。……退くぞ。退き太鼓を鳴らせ」




 岡崎城の本丸前の広場に床几を据えた松平元康は、物見櫓からの報告を待っていた。松平元康は自身の目で櫓から見下ろしたいとは思っていたが、流石に城攻めが行われている間に櫓に身を晒すのは憚られた。

「戦況は良くない、か」

 ため息交じりに松平元康の呟きを、本多忠勝が申し訳なさそうに引き取った。

「某が野戦に敗れたばかりに、申し訳ございませぬ」

「よい。勝敗は兵家の常、勝てる戦ばかりではあるまい。そもそもの兵力も足らぬ故、そなたの責任ではあるまい。責任があるとすれば負ける戦へ兵を出した私自身であろう。……それにしても、だ。相手は城門を本気で攻めておらぬようだが何が狙いだと思う」

 これには傍らにいた平岩親吉が答えた。

「確かなことは言えませぬが野戦を望んでいるかと。城攻めを本腰を入れて行わないとなれば、城内からの誘い出しか城外からの援軍を叩くか、さもなければ本格的に攻めるまでの単なる繋ぎ程度でしかありますまい。後詰でもあるのではございませぬか」

「敵方に後詰の類はないかと存じます。あるならば既に我らの耳にも入っておりましょう。本證寺や他の国人衆が後詰に入るとしても、すでに安城城付近から南へと朝比奈泰能様率いる今川家の兵が進んでおります故、出せる兵力はさほどに多くはございませぬ。さりとて城外からの我らへの援軍となれば今川家の兵ということになろうかとは存じますがその数が一万を下らないことは向こうも分かっているはず。となれば倍の兵を相手に背腹に敵を抱えて戦うという愚策をすることになりますが、中々考えにくいものがございます。こちらの誘い出しか、さもなければ案外に城下での物資の徴発が主眼ではございませぬか」

 酒井忠次の発言、特に物資の徴発が目的という予測になるほどという顔を見せた者も多くいたが、ではこの後どうすべきかという方針にはあまり影響がなかった。一言で言えば籠城を続けることであり程なく来ると予測される今川家の援軍を待つ、それだけであった。全ての発言を受けて松平元康が締めくくった。

「……我らが出来るのは城の守りを固めること位であろう。他に俄かにとれる施策もあるまいし、姉小路家が近くにいるといっても援軍を乞うてこの急場に間に合うかどうかは分からぬからな。それよりも城下町のことだ。敵の目的がどうあれ城下が荒れるのは、籠城であるから避けようがあるまい。せめて包囲が解かれた後は速やかに民心を安定させることが出来るよう、今のうちから策を練っておけ」

 松平元康はそう指示する以外にすべきこともなかった。


 そのうちに物見櫓から報告が来た。

「報告いたします。三鹿の渡を渡る兵あり、その数四千。敵味方は判然と致しません。また織田家の兵が撤退を始めた様子。退き太鼓が鳴っているとの報告がございました」

 おそらく三鹿の渡を渡ったのは今川家の兵であり、織田家の兵はそれと見て撤退を選んだのであろうと松平元康は当たりを付けた。

「追撃は致しますか」

 酒井忠次の提案に、松平元康はそれほどの余力もないと首を振った。


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