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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百七十五、岡崎城強襲

 三河松平家が西三河を掌握すべく各地に兵を派し、特に本證寺には本多忠真を遣わして和を結んだ次第、そして岡崎城を出た朝比奈泰能隊が柳川瀬を渡り織田家本陣を突こうと陣を動かし、それを察知した織田信広が逆に岡崎城を攻撃すべく兵を動かした次第については既に述べた。



 三河後風土記にこうある。

「本證時蜂起に遅るる事二日、岡崎城下牢人戸田光忠、兵を率いて岡崎城へ入り候。(略)家中一同、かつての悪行を忘れず詰め寄り候えども、松平元康様、一同へ旧悪を忘れ受け入れるべく申し付け候」

 戸田光忠の父戸田康光は言うまでもなく、かつて駿府へ送るはずであった、当時竹千代といった松平元康を尾張の織田信秀に売り渡した張本人であり、その後その罪に問われ居城を攻め落とされたものであった。無論当時松平広忠に仕えていた三河国人衆で恨みに思わぬものはなく、織田信広を捕らえ人質交換により奪還したことで留飲を下げたものの、戸田康光に対する恨みは消えたわけではなかったとみえ、戸田康光討死後に一人落ち延びてきた戸田光忠にもかかっていたようである。

 田原城落城から岡崎城へ入場するまでの戸田光忠の足取りは必ずしも明らかではなく、この時期に岡崎城下にいた理由も不明である。分家筋である河和戸田家に入ったという記録も見当たらない。落城から十年の年月を経て一軍を率いて岡崎城に登ることが出来るほどの影響力を保っていたというのは不思議なことである。

 しかし、敵味方いずれの勢力にも一脈を残し家系の断絶を防ぐというのはこの当時の国人衆には良くある話のため、記録がないだけで案外に河和戸田家の関与があったのかもしれない。



 弥生二十九日昼に岡崎を発った朝比奈泰能隊が柳川瀬の渡しを渡しを渡り、接近に気付いた内藤清長が威力偵察のような一戦を一つしただけで南へ落ちていくのを追いもせず、安城城に入ったのは二十九日もとっぷりと暮れた頃であった。追撃の許可を、との朝比奈泰朝の進言に対して、朝比奈泰能は言った。

「内藤清長が落ちる先は自身の本貫か織田家の本陣か。東へ落ち渥美半島を攻め下っておる隊と合流しようと画策するとも、上之郷城の鵜殿長持、そして二連木城付近に殿がいる、丹羽長秀と合流できるとしても、その後は身の置き所が難しかろう。……そうさな、どこかの城に立て籠ってくれれば、また手取りにしてくれるのだがな」

 物見から、また今川義元率いる本隊からの報告から米津にいる木瓜紋の持ち主は織田信長ではなく、想定されるのはその庶兄の織田信広であると思われた。そうであれば急ぐよりも圧をかけ、動いたところに合わせた方が正しい様に思われた。それゆえに、これからいかに、と聞くと織田家本陣に動きがなければ、払暁に出撃し織田家の本陣を突く、との返答であった。

「兵を休ませねば、戦はならぬよ」

 安城城から米津の織田家の陣まで二里半、払暁に出れば昼間に攻撃をかけることになり、数の利を生かした戦いが期待できた。朝比奈泰朝は納得してその夜は下がった。


 翌晦日払暁、朝比奈泰能は朝比奈泰朝を副将に遠州兵一万五千を率いて安城城を出陣、一路南へと向かった。唯一の懸念事項である本證寺もすでに本多忠真が入っており、少なくとも近日中の武力衝突は回避されていた。

 ……邪魔が入れば潰すのみ、と考えていたのだが、……思ったよりも竹千代め、慕われているようだ。

 本多忠真からの連絡を聞いた朝比奈泰能は、微笑みを浮かべながら心の中で一人ほほ笑んだ。

 本證寺との武力衝突は、避けた方が良いものであった。特に松平家の攻撃は後の事を考えれば避けた方がよく、武力衝突が避けられないとあれば朝比奈泰能があえて泥をかぶるつもりであった。いずれ三河では苛政を敷いたという悪名は既に受けている身である、そこにもう一つ付け加えられたところで何ほどのものでもなかった。それでも余計な騒動は避けた方が良いのは明らかであった。



 出陣した兵が隊列を組み、米津を遠目に見ることが出来るまで接近しても、更にそれを越えて接近しても尚織田家の本陣に反応らしい反応がなかった。不審に思った朝比奈泰能が軍を止め、物見を呼んで様子を尋ねた。

「今朝方、炊ぎの為と思われる煙が常と同じように上っていたほか、動きらしい動きはございません。昨夜は珍しく篝火が陣門に焚かれておりましたが、その他は特に何も」

 ふと引っかかるものを感じた朝比奈泰能は、その篝火はどうした、と尋ねると物見は答えた。

「いえ、台は以前から出してございましたが焚かれたのは昨夜が初めてでございました」

「いずれにせよ、周辺は膝まで程度の草しかない平地、奇襲の恐れもございませぬ。矢盾を掲げ一当てさせましょう」

 朝比奈泰朝にこう言われては、朝比奈泰能に拒む理由もなく、軍を進める指示を出した。


 彼我の距離が五町にまで迫り、朝比奈泰能にははっきりと分かった。陣はほぼ無人である、と。いるのは見張りの数名くらいであろうと思われた。左右のものに下知していった。

「しっ、抜かったわ。陣はほとんど無人と見える。誰ぞ行って残った者どもを捕らえてまいれ」

 即座に配下の兵が駆け、程なくして数名の雑兵を引っ立てて戻ってきた。聞けば付近を歩いていた行商人でるといい、言った。

「この格好して立ってるだけで良い、と言われて雇われただけだ」

 昨晩、物売りに行ったところ、荷を全て買ってくれた上で追加で一人当たり銭を十疋、とあれば、悪くない話であったのだろう。

「疑うなら野寺辺りに旅籠や卸に問い合わせて下せえ。顔見知りもおりますでな。……なんで敵に物を売りに行った、って行商人は銭にならなきゃ明日の飯もなくなるんで。敵だのなんだのは二の次三の次さね」

 太刀に手をかけた郎党を目で制しながら、朝比奈泰朝は織田家の軍の行方を尋ねたが、その答えは予想の範囲を越えなかった。

「川を越えたところまでは知ってる。その先は知らねぇ」

 苦笑しながら朝比奈泰能は、放してやれと命じた。迷惑料だ、皆で分けよと小粒銀を一粒懐から渡したが、小粒銀一粒と一人当銭十疋、どちらが価値があるのか朝比奈泰能は分からなかった。


 しばらくして陣の中を捜索していた隊が、矢作川にかけられていた仮橋が落とされているのを報告したことから、朝比奈泰能は仮橋を架けて矢作川を渡ることを命じた。だが一人朝比奈泰朝は反対した。

「橋を架けなおす、とは時間の浪費にございます。敵の数は五千余とはいえ、陣内に輜重の類は放棄してございます。一揆勢を味方に付けるとすれば村々から略奪することは出来かねます故、兵は増えるにしても腰兵糧はさしては持たぬはず。ならば速戦を選ぶはずならば、急ぎ川を渡るべきと存じます」

 ふむ、と一つ考えを巡らせた朝比奈泰能は、ならばと言った。

「兵三千を預ける。安城城付近、三鹿の渡しから岡崎城を目指せ。速戦を目指すとすればそこか、或いは形原城だ。形原城なら他の瀬を目指す意味はない」

 他に異論は出ず、軍議はここまでとなり行動に移った。




 ところ変わって、北上を続けている織田信広隊は、前衛に浅井長政千五百、後陣に織田信清千を配し、織田信広は中央に二千五百を率いて先を急いでいた。道中に数十人単位での敵兵集団を蹴散らかしながらの進軍であった。この数十人単位での集団は、もちろん松平元康が西三河各地、特に幡豆郡掌握のために各地に派遣した兵であった。いうまでもないことだが一カ所に駐屯すればよいわけでもなく、幡豆郡だけでも数十名から百数十名ずつ十数カ所に駐屯する計画であった。そのうちのいくつかの隊の進路が矢作川沿いを南下する道であり、すなわち織田信広隊の前面に立ちふさがる形となった。

 織田信広隊の前衛、浅井長政隊が直接、敵兵との戦闘に当たっていた。浅井長政隊の侍大将、遠藤直隆は前線で兵を鼓舞しながら自ら槍を振るい、それでなくとも兵力の差は歴然である、ほとんど鎧袖一触とばかりに敵兵を突き崩して進んでいた。

 被害はほとんどないとはいえ、敵を発見次第に行われる戦闘準備と小規模な戦闘、戦闘後の被害確認と隊列の組みなおし、と小集団との戦闘は戦力は損なわないものの速度は確実に奪っていた。

 もっとも悪いことばかりではなかった。小集団との戦闘の度に周辺の田畑に多少の被害が出、何の補償もしなかったが、そのかわりに略奪もまたしなかった。これは織田信長が姉小路家の軍略を見ての厳命であった。別段仏心に目覚めたわけではなく、略奪による行軍の遅れ、周辺住民の妨害工策や味方への支援などを勘案すれば、略奪をしない方が良い、と見て取っての判断であった。これが出来たのは織田家が津島の支援を受けており、その水運により輸送の便も良かったためであった。

 村々を略奪しなかった軍は村人にはむしろ好意的にみられるのが常であった。地侍とも村人ともつかない者達が陣借りを申し入れ、浅井長政は鷹揚に受け入れて兵数は徐々に増えていった。



 岡崎城の松平元康の下へ織田信広率いる兵数千が接近中との一報がなされたのは、午の刻を回った頃であった。一報をもたらしたのは、浅井長政が蹴散らかした兵の一人であった。松平元康の傍らに、本多忠真に代わって兵を任された本多忠勝が召されていた。

「米津にいた兵数は五千、これがほぼ全て西へ戻っておらず、東か北へ、おそらくは全軍がここ岡崎をさして進んでいるものと思われます。手許の兵は各地に派兵してございます故、既に本多忠真の手勢二千五百を中心に全体で三千五百、朝比奈泰能殿の支援も必ずやあり、また姉小路家を動かすという手もございます。いずれにせよ勝つだけならば精々三日も耐えれば勝てる戦でございます。しかしそれでは足りませぬ」

「勝てばよいではございませぬか。それでは足らぬとは何が足らぬのでございますか」

 鳥居元吉の声に本多忠勝がやや不思議そうに尋ねた。戦場は知らず、政治向きについてはまだまだこれから、というところと松平元康は見ていた。

「ただ閉じこもって救援を待つだけ、とあれば弱いと見て、いずれ謀反か調略の足掛かりにされかねん。民からも侮られる元となろう。これがこちらの五倍も十倍もというのであれば話は別なのだがな。いずれにせよ五千やそこらの兵ではこの岡崎は落ちぬが、防戦体制を取るのにも時がかかる。その意味でも分かりやすい単独での勝利が必要だ。たとえ小さくともな」

 幸いにして勝算はある、と鳥居元吉は続けた。

「物見の報告によれば、前衛は最前衛が突出し、縦に数段の陣を敷いております。おそらくは戦闘があろうとも行軍速度を落とさぬ工夫と思われますが、前衛は千五百程。これを蹴散らかすのがまずは先決にございましょう。逆手にとって前衛のみを叩くことも可能かと。本多忠勝が忠真殿の兵を預かっていると聞いております。いくらかは各地に派したが残りは尚敵前衛を大きく上回るかと。……殿」

 鳥居元吉が促し本多忠勝が眼で松平元康に確認を取ると、松平元康は一つ頷いた。本多忠勝は即座に退出し、出陣の支度をはじめた。



 両者の激突は、目前に迫っていた。

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