二百七十四、松平元康の始動
上野上村城南における合戦の結果を受け酒井忠尚が上野上村城に退き姉小路軍の包囲が完成した次第、そして捕縛した吉良義昭の対応に草太が苦慮している次第については既に述べた。
松平家誌に「西三河国人参集の事」としてこうある。
「松平元康様、今川家の岡崎へ招集せし者以外の国人をも招くべく使者を派し候。(略)即ち渡辺守綱以下の国人、ニ千の兵を率い集まり候」
相当大規模な徴兵が今川家の本国である駿河、遠江でも行われたことも考え合わせると、三河でも相当な徴兵が行われたと考えるのが自然である。しかし既に国人衆が兵を出し一揆勢が兵を集めた後に更に国人衆が兵を集めて岡崎に上ってくるのは、尋常なことではない。かといって苛酷に兵を集めたという記録もない。
三河の民がそれだけ松平家に賭けるものがあったのか、何らかの事情があったのか、難しいところではある。
同じ弥生二十九日辰の刻、遅い朝餉を摂りながら、岡崎城の奥の間で松平元康は一人瞑目していた。既に岡崎城に来着した国人衆は五千を超えまだ集結中と伝えられてはいるものの、今川家から派遣されてきた朝比奈泰能の遠州兵一万五千、そのうち三千は安城城へ入ったため岡崎付近にいたのは一万二千であったが、その半分にも満たず練度も武器防具も著しく劣っていた。
……別に戦うわけではないがの
とはいえ、内心複雑な思を抱かざるを得なかった。それよりも海沿いに兵を展開している織田家への対応が急務であった。
物見や細作の報告によれば、尾張織田家は刈谷城を出た後安城城を避けるように進み、現在は本隊を矢作川下流、米津の西岸に兵五千で陣を張り、また先陣三千を矢作川から三里進め形原城を攻めていた。形原城からも形原松平家からの救援要請が昨夜遅くに届いており、それによれば三河国人の一部も先陣に参加し、その数は四千近くにまで膨らんでいるとの事であった。本陣の将は確認できなかったが幟からは木瓜紋、つまり織田信長又はその一族が務めているものと見え、先陣には丹羽長秀が務めていると見られていた。
……意外に少ない、か
尾張織田家の動員能力は、駿河今川家では二万から三万、各所への抑えを残すとしても姉小路家と対立しないのであれば国境を接しているのは三河のみであるため、最大で一万五千から二万五千という数が予想されていた。
もっとも全軍で出撃しなければならぬという訳もなく、兵糧その他の物資の関係、尾張の国内事情などで出せたのが八千、これに三河国人衆が千ほど加わった、という辺りと当たりをつけた。三河国人の参加が多ければ尾張兵はさらに減る計算になったが、いずれにせよ当初の見込みからすれば半数以下でしかなく、しかも出撃してきた兵の大半が矢作川西岸から動かないのは、おそらくは尾張の国内事情はそれほど良くないためか、と思い当たった松平元康であるが、しかし何か齟齬があるように感じていた。
……今のうちに敵本陣を叩くべきか
米津の織田家本陣を突き崩すことが出来れば形原城を包囲している兵も退くのは明らかであった。だが現状では松平元康麾下の兵は国人衆の手勢を集めて五千。対する尾張織田家の兵は本陣を守る馬廻りも含む、精兵中の精兵であるはずであった。しかも今川家にいたころに聞いたところによれば、鉄砲を多数装備しているとされていた。松平家だけで戦っても勝ち目は薄く、勝つためであれば朝比奈泰能率いる今川家を頼む以外には方策はなかった。とはいえ既に今川家に対して借りが多い身の上である、松平元康はこれ以上に今川家に借りを作りたくはなかった。
そこへ鎧戸の向こうから小姓の声がかかった。
「朝比奈泰能様がお目通りを願っておりますが、いかがなさいますか」
通せ、と一言声をかけた。同時に鎧戸が開かれ朝比奈泰能が入り、松平元康の目前に座った。
「相済みませぬぬ、朝餉の最中でございましたか。しかしこれは急ぎにて……」
朝比奈泰能の言葉遣いが、これまでの配下に対するものから一大名に対するそれに改まっていることに少し寂しい思いをしながらも、話を聞いて少々先ほどの齟齬が解けたような気がした。朝比奈泰能が発した言葉は短かった。
「河和戸田家戸田繁光、調略により織田方に寝返り、織田家に合力して田原城が攻め落とされてございます」
松平元康の頭の中で何かが嵌まるように思った。織田信長は、知多半島から渥美半島へ勢力を伸ばし、おそらくは二連木城を狙っているものと思われた。ここを抑えれば遠江への足がかりになる上、何より西三河と遠江の連携を妨害する一手となり、成功すれば独立したばかりの三河松平家は相当の苦境に立たされる事になると思われた。
難しい顔をしている松平元康に朝比奈泰能は続けて今川家本陣からもたらされた情報だといい、既に吉田城より二里半、砥鹿神社に陣を張っていた今川義元は陣を引き払い、吉田城へ入るべく兵を動かしているとの事であった。それゆえ、と朝比奈泰能は言った。
「殿の下知として、西三河の平穏を、とございました。ならば、まずは目の前安城城を開放し、更に朝比奈泰朝と合流して尾張織田家の本陣を突く所存。松平元康様は急ぎ兵を派し、近隣の国人、地侍を鎮めて頂きたく」
つまりは謀反側に付いた国人衆の土地に兵を出し、取りつぶして松平宗家に組み込む、降伏しても減知するなどの処分を思いのままにすることができるということであった。力を蓄えるか恩を売るか、売るにしても売り先は、今回味方に付いた家に加増するか降伏した家の所領安堵とするか、中々に難しい問題であると考えながら、松平元康は朝比奈泰能の動きについては了承し、各国人に対する派兵の詳細を決めるため小姓に急ぎ軍議を開くべく主だった国人を参集させた。
軍議は一点を除き簡単に終わった。柳川瀬の渡しを通る際に姉小路家の兵が付近にいると目されたが、特に問題にはならぬと松平元康は断言した。竹中重元の言を信じた、ただそれだけが根拠であった。紛糾したのは次の点であった。
「本證寺へ使者を派するか否か」
本證寺が今回の一向一揆、その根拠地の一つであることははっきりとしていた。また、大物見の結果から未だ数千の民が本證寺付近に残っていることは明らかであり、派兵すべきという意見は即ち武力対決をも辞さないという事を意味していた。確かに現在の手勢であってもやり様によっては勝ち目は十分にあったが、だからといって無用の戦が出来るほどに余裕があるわけでもなかった。
「どうでございましょう、空誓殿は有徳の僧でございます故、一揆を望んでいるとも思いませぬ。使いを出しては」
鳥居元吉が提案をし、その使者を、という段になって松平元康が指名した。
「本多忠真、行ってくれるな」
「兵は本多忠勝に預けておきますれば、供回りのみで参りましょう」
即座に返した本多忠真に一同は言葉もないまま、詳しい口上は軍議以外で伝えることとして散会となった。
その日の未の下刻、本多忠真は僅かな供回りと共に本證寺のある野寺本坊の寺内町大門を通り、本證寺門前に立っていた。用件を伝えると程なく渡辺守綱が出て来、空誓の下へと案内した。通り一遍の挨拶の後、空誓は言った。
「して、御用とはなに用でございますや。不徳にして下間頼照に宿を貸したこと、大いに恥じているところに存じます」
本多忠真は機先を制せられた気になった。ただ単に騙されて同門の誼で場所を使われただけ、という事であれば罪に問うのは難しかった。
「我が殿、松平元康においては、この混乱の折、一揆が集結し決起した本證寺に今もなお多くの民が集結したままであるというのは、偶発的な衝突を招きかねぬと危惧してございます。早急に解散していただきたく」
「それはなりかねます。周辺は未だ安定しておらず。ならば寺内で保護も致し方なき事かと、ご理解くだされ。他意なき証拠に、渡辺守綱殿」
突然指名されて驚いている渡辺守綱を見ながら、空誓は言った。
「そなたが御仏への信心と松平家への忠節の板挟みで苦しんで居ること、知らぬではない。だから儂から言おう。岡崎へ行きなさい。同様の希望のある国人たちも、民も希望を募りなさい。ただし無理強いしてはなりませんよ」
そして本多忠真に向き直って続けて言った。
「騙されたといってもこれだけのことをしたのです、相当に厳しい処分が下るのでございましょう。しかし民には寛大なご処置を」
これには本多忠真も、善処する、としか言えなかった。
本多忠真を先頭に渡辺守綱以下二千が本證寺を出発したのは、翌朝の事であった。松平元康、朝比奈泰能には既に使いを出しており、本證寺との武力衝突は避けられた。
一方の矢作川下流、米津の西岸に陣を張った織田家の本陣は北方、特に岡崎の兵の動きに目を光らせていた。
この本陣の将は織田信長の庶兄、織田信広であった。織田信広自身、かつて一度三河の地で戦い捕らわれの身となった苦い過去があった。出陣命令が下された時のことを、織田信広は思い出していた。
「三河への出陣に付き一手の大将を申し付ける」
と言われた際に今回こそは破れ捕らわれた雪辱を、とは思ったものの、丹羽長秀から語られた今回の役どころは良く言えば陽動、悪く言えば捨て駒であった。
碧海郡、幡豆郡の国人、地侍を糾合し兵を率いて米津へ陣を張り、今川家の目を引くこと、これが織田信広に与えられた役目であった。その先手に丹羽長秀がつき新参の浅井長政が参陣するものの、他には有力な織田家臣は織田信清が与力として本陣に詰めるのみであり、当初これは討死せよとの指図かと勘繰った。その表情を読んだのであろう、丹羽長秀を制して織田信長が言った。
「我が一門、近頃数が減って困りよるわ。そなたもあまり儂を困らせるな」
この言葉に織田信広は、他にこの任務に適した人物がいないことに気が付いた。三河へ攻め入る大将格であれば、重臣でも今川家の目を向けさせるには不十分であった。目を向けさせるには少なくとも木瓜紋が必要であり、最低でも一門か、当主である織田信長本人以外には難しかろうと思われた。
織田信広は、かしこまりましたと言う他はなかった。
物思いに耽っていた織田信広を、陣幕へ入ってきた織田信清の声が現実に引き戻した。
「内藤清長より使い番が来た。今川家の遠州兵、朝比奈泰能の兵だが、柳川瀬を渡ったとみえる。既に一戦に及んだが衆寡敵せず、城内より朝比奈泰朝の突撃の気配もあり退いたとの事。今川家の兵、およそ一万数千。安城城へ入ったとの事だが……こちらへ来るのも時間の問題であろう。どうする」
織田信広が聞いた情報では、内藤清長の手勢は精々四千。これは流れ者を雇ったとして出撃できる上限であるが、無傷で合流できたとしても不利は否めなかった。織田信広は、即座に行動を決定した。
「全軍、明日未明に川を渡り北へ、矢作川東岸を進み岡崎城へ向け前進。偽兵の策として陣は残す。仮橋を落とすのを忘るるな」
織田信広の雪辱の戦が始まった。




