二百七十二、三河一向一揆(六)
柳川瀬の敗戦により吉良義昭が上野上村城へ落ち、姉小路軍本隊の上野上村城への進軍に対し酒井忠尚が野戦を選択した次第、および平野右衛門尉隊が柳川瀬における戦いで得た捕虜についての処置と分散して刈谷城に向けて再度進軍を始めた次第については既に述べた。
柳川瀬の合戦では死傷者の大部分は僧兵であり、他には吉良家の足軽であった。農民兵は飢えと疲れによりほとんど棒立ちであり、最初の銃撃で倒れた者以外はほとんどがそのまま降伏したといっても過言ではない。本證寺に集められた民も下間頼照が出発して程なくして解散したようであり、この後も散発的な一揆は起こるものの、全て小規模なものに留まっている。一向一揆という枠組みでは、全体としてみた場合には農民の被害はそれほど大きなものではなかったといえよう。
吉良義昭が国人衆も含め足軽千三百を率い北上を開始したまさにその時、草太は巴川と矢作川の合流点付近で仮設橋をかけて川を渡っていた。無論、渡り終える前に、既に物見は多数放たれており、特に上野上村城の動きについては物見の動きが密になっていた。とはいえ流石の姉小路家の物見も、渡河のわずかな時間では吉良義昭隊の北上までは把握することは出来なかった。
全軍がほぼ渡河を終え陣を組みなおさせ、陣組の終わった組から兵糧を使わせながら、草太は武将衆を集め軍議を開き物見の報告と合わせ今後の動きの詳細について詰めることとした。草太たちも兵と同様の兵糧を使いながらであり、無論その献立も行軍中の事であるため火を使わず、味噌を入れ焼き〆た蕎麦団子に、一度火を通し酒精を飛ばした甘酒であった。兵たちと異なっているとすれば、わずかではあるが灯があり付近に絵図を広げる用意におかれていることだけであった。草太の背後で平助と師岡一羽も黙々と同じ献立を食べていた。吉田右衛門もやはり同じ何も思わぬようであったが、竹中重治のみは一口蕎麦団子を口に入れ甘酒を飲んで渋い顔をしていた。草太がやはり智謀のみの男かと思うとその後ろから喜多村直吉が声をかけた。
「若、若はまだ甘酒が苦手にございますか。これは酒精も飛ばしてございます故、悪酔いも致しませぬ。ご案じ召されるな」
しかしな、と言いかける竹中重治に草太が苦笑しながら声をかけた。
「竹中重治、陣中において酔いが回り不覚を取ることを心配する、その気持ちは分からぬではないがな、心配しすぎだ。陣中食は食べておかねば後が続かぬ。食べることも戦のうちと心得て、まずは食べるべきぞ。なに、酒精は飛ばしてある故酔うことはありえぬ」
「酒についていえば、御屋形様も弱い。いつぞやの正月も僅かに盃に数杯で悪酔いして二日ほど寝付いたほどだ。その御屋形様でも平気なのだ。安心せよ。あの時はまだひい様も居られず、奥方様がお世話に大変でな……」
これ平助、と草太がたしなめたがその目は笑っていた。
そうこうしているうちに物見が到着した。
「報告します。敵方も物見を多数出しているようであり、こちらの動静もある程度掴んでいる様子でございます。目についた物見は処理いたしましたが、しきれぬものもそれなりにいるかと思われます。いずれにせよこちらが渡河を開始したこと自体は既に敵方には知られているようであり、その証拠に敵兵が既に城外に展開を開始してございます」
この報告に居並ぶ武将衆は一様に不思議そうな顔をした。戦準備をしたというのは分からないではないが、それにしても野戦を選択するというのが解せなかった。
「どの程度の規模で、布陣はどうだ」
先を促すように吉田右衛門が問うと物見は懐から取り出した絵図を示しながら言った。
「上野上村城の北東に大規模な集団が、南に小規模な集団が出陣中でございます。詳しい兵数及び将は未だ出陣が続いているため分かりませんが、北東には数千、南には数百から精々千程度の見込みにございます。この他、川下の方角から鬨の声を聞いた者あり、おそらくは柳川瀬を渡った平野右衛門尉隊がいずれの勢力と合戦したものかと存じます」
「平野右衛門尉殿の兵九千がそうそう不覚は取るとは思えぬが……いずれ兵がいたのは事実でございましょう。北上して上野上村城に合流されるのもまた面白くない話でございます。平野右衛門尉殿からの連絡もなければ北上してくるのは敗兵か一部を足止めに残しての残兵か、いずれにせよ疲れ切り弱兵と化した兵にございましょう。こちらを先に叩くべきかと。この地に二千、更に千数百の兵を陽動として上野上村城より北東に張り出した陣を回り込むように兵を出し、北東の陣が動けばよし、動かなければ横腹を突かせれば面白かろうと存じます。残りの兵は矢作川沿いに下って南方の敵陣を叩き、北上してくる敵兵を叩くべきかと」
物見の報告を聞いた途端にこのような策を献策出来る辺り、流石は竹中重治であった。草太は即座にこの策を採用し、命を下した。
「喜多村直吉、竹中家の陪臣の身で頭越しで悪いが兵を預ける。一鍬衆千、中筒隊五百を率いて西へ向かい、上野上村城を北から攻めると見せよ。竹中重治は一鍬衆千五百、中筒隊五百を率いてこの場に残れ。敵陣の動き次第で動き、北東に張り出した陣を協同して破れ。その辺りの呼吸は主従だ、合わせるのは容易かろう。残りは矢作川の堤の陰に紛れて南下し、北上してくる敵兵又は敵城の南へ張り出した陣を攻撃する。
まもなく払暁、卯の下刻には全体移動を開始せよ」
はは、と一同は頭を下げ、行動を開始した。兵糧を包んでいた竹皮だけが後に残されていた。
四半刻後、まず動いたのは喜多村直吉率いる陽動部隊であった。払暁の事であるとはいえ未だ夜の気配の残っている中、松明を手にした兵を先頭に一鍬衆は三間槍を立て揃え、また中筒隊は中筒を肩に担ぎ早合を胸に差し、足並みも揃えて幟も旗指物も高々に西へと進んでいった。松明で明々と照らしながらの行軍は勿論、敵方の物見に見つかるためであった。
次いでやや川岸へ戻る形で河川敷へと出発したのは草太率いる姉小路家本隊であった。馬は銜を深く噛ませ槍の穂先には炭を塗り、消えつつある夜の中を拾いながら先へと進んでいた。無論馬には乗らず手綱を取って馬を引き、出来るだけ人目を避ける行軍であった。周辺には既に物見を多数放っており、これは敵兵の動きを探るほか敵の物見を発見次第排除する役割も負っていた。
一方の上野上村城方、酒井忠尚は若干苛ついていた。深夜の出陣という事もあり、兵を起こすだけでも一騒動であった上、出陣準備を整えて出陣という時刻となっても、郎党衆はまだしも、ここ数年で増やした当代が雇いはじめという渡り者が多数含まれる足軽に至っては未だに目が覚めきらぬものも少なくなかった。直前になって雇った雑兵は留守居であったから起こすだけで良かったが、彼らを出陣させるとなれば文字通り夜が明けるのを待った方が早いかもしれなかった。
出陣準備が整った隊から出陣、と業を煮やして下命し、自身も出陣し陣を張っていたが、払暁になっても出陣してくる隊が途切れぬところを見るとどうやら未だに出陣準備の整わない隊があるようであった。
「最初から夜に出陣する気もない、か……」
酒井忠尚は一人呟くと、一つ頭を振って左右のものに陣の状況を尋ねようとした。その時、物見が飛び込んできた。
「報告いたします、姉小路軍、西へ向け動き出してございます。第一陣の兵数は千から二千、旗は遠目には菱餅と見えましてございます」
「他に大きな部隊の動きはないか」
酒井忠尚の問いにございませぬと物見が返すと、酒井忠尚は傍らにいた老将榊原長政に言った。
「榊原長政、流石にそなたに松平宗家に弓引かすような真似は出来ぬ。だが姉小路なら敵にとって不足はあるまい。兵千五百を任す。出陣した部隊は陽動と見た故、足止めとこちらへの側面を突かぬよう、その備えをせよ。積極的に攻める必要はない。今は松平家次様、吉良義昭様との合流を目指すのみ。合流できれば後は城を盾に戦うこととなろう。ここでけがをしても、つまらぬ」
ところ変わって本多正重を中核とした国人衆の雑兵は上野上村城の南へ陣を張り終えていた。数が五百と少なかったことに加え、常時雇いの足軽と違い臨時雇いの雑兵が中心であったものの、一向宗という精神的な支柱がありその士気が高いためであった。だが士気とは裏腹に兵としての能力は高いとはいえず、また本多正重、正信の本多家は分家の端の方であり、武器防具の類も最低限度しか集めることが出来なかった。これは陣中の国人衆の大半がほぼ同じような状況であり、それが故に逆に武器防具に統一感が生まれているとさえいえた。
兵の質が悪いとはいえ、しかもほとんど物見は出せておらず、わずかに出した物見ですらその大多数が姉小路家の手により処置されていたとはいえ、辰の刻の朝日に照らされた中を半里程の作川沿いに進む五千の兵を見逃すほどには本多正重は甘くなかった。本多正重は即座に戦闘準備を叫び、俄かに陣中は騒然となった。
そこへ南の方角に別の兵が見えた。起伏の陰になったか草に紛れて見逃したのか、その位置は姉小路軍よりもかなり近く、精々十二、三町程と見た。ただ足取りは重く、動きは鈍いものであった。いると分かれば幟も見ようとするものであった。
「幟は足利二ツ両、吉良様の兵と見えましてございます」
お味方来着、援軍来る、陣中は俄かに沸き立った。だが本多正重は冷静に左右に命じた。
「姉小路との合戦はこちらからは仕掛けぬ。急ぎ合流し、即座に退いて城へお迎えするのじゃ」
合戦は致しませんので、という声に本多正重は言った。
「吉良義昭殿の兵は二千もいない上に疲れ切っている。それに我らを加えても二千五百に足らぬ。姉小路軍はどう見ても五千近い。しかも向こうには鉄砲が豊富にあるのに対しこちらには小筒すらない。弓が幾張かある程度だ……で、どうだ、戦いたいか」
もっとも向こうからくる分には仕方がないがな、と本多正重は笑ってみせた。笑ってみせることで安心することを、本多正重は知っていた。
「篝火を明々とたけ、幟を掲げよ、喚声を上げよ。お味方ここにありと吉良義昭殿にお知らせするのだ。合流した後には城の出迎えだ。粥は間に合うまいが、せめて湯なりと支度せよ」
本多正重隊を見つけたと見えて吉良義昭隊も元気を取り戻したのか最後の死力を振り絞っているのか、早足程度ではあるが速度を上げ本多正重の陣へと接近してきた。本多正重も合流がうまくいけば後は軍を回して城へ入れば良い、と気が緩みかけた。
だがその気の緩みが命取りであった。吉良義昭隊との合流の時こそ本多正重は姉小路軍を見ておくべきであったのだ。彼我の距離は僅かに半里、吉良義昭隊よりも遠いとはいえ姉小路軍の接近を許すには充分な刻であった。騎馬隊が騎乗し本隊から分かれたとみるや瞬く間に上野上村城と本多正重隊の間に割って入った。本隊も迫ってきており、大河内信貞は吉良義昭との合流を急ぐよう求め、本多正重は咄嗟の判断が遅れた。
そこへ矢が降ってきた。騎馬隊が駆け抜けるまでに十射が行われ、都合五千本の矢が放たれた。矢盾もさして巡らせていない仮の陣である、被害は大きかったがどの程度の被害かを確認する余裕もなかった。幸いにも本多正重、大河内信貞は矢傷も負わず、振り返り見れば吉良義昭隊はすぐそこまでたどり着いていた。騎馬隊も陣を攻撃するでもなく矢を浴びせただけで駆け抜け、接近中の四、五千ばかりの本隊以外は接近中の敵もいないようであった。本多正重は吉良義昭隊との合流を急がせ、更に急ぎ城まで退くよう左右に命じた。
合流は、上手くいった。大河内信貞を抱きかかえんばかりに吉良義昭は再会を喜び、また本多正重の出迎えに厚く礼を言った。
「礼など別に構いませぬ。大儀のため、必要なことをしたまでにございます。今は危急の折、急ぎ城へ入らせ給え」
本多正重は非礼と知りながらも吉良義昭を急き立てた。吉良義昭も武人である、敵兵の迫っているのも承知しており、非礼とは取らなかった。
「もう一息ぞ、者共、駆けよ」
吉良義昭が号令をかけ、吉良義昭麾下の足軽は、一部の国人衆が抜け、或いは脱落し脱走した為に減少しても千程度が残っており、これに多数の矢傷を負っているものの動きに支障のない本多正重の雑兵隊数百が上野上村城へ向け退却を開始しようとした。無論、嵩張る矢盾などは捨て、身一つに最低限の武具防具を身に纏った姿であった。
その時、轟音が鳴り響いた。
距離一町半の位置まで接近していた姉小路軍が、中筒を斉射した音であった。一度の轟音でざっと二、三百の脱落者が出、それが三度続いた後、姉小路家の一鍬衆が三間槍の穂先を揃え、喊声を上げて突入してきた。
退却戦のむつかしさは、進む方向と防ぐ方向が異なるという、その一点に尽きた。中筒隊との間に一鍬衆が入ったおかげで一息つくことが出来てはいたが、それでも速力の点で劣っている本多正重隊は誰かが殿に残り足止めをして時を稼がなければならなかった。夏目吉信が本多正重に近付き、言った。
「某、手勢を率いて殿を仕りますれば、疾く城へ入りなされ」
「馬鹿を申すな。そなたの手勢など元より五十もおらず、今満足に戦えるものは二十か二十五か、いずれにせよあの数には焼け石に水であろう。我ら全隊が殿を致し吉良様のみを落とす」
不服はあるか、という顔をした本多正重に夏目吉信は、良い戦場を得たとばかりに満足げに頷いた。そして隊列を組みなおすと同時にほぼ同時に一鍬衆が殺到した。
吉良義昭は上野上村城へ向けて進みながら殿に本多正重がついたという報告に短くご苦労と返しただけであった。吉良義昭は武将であったが、それ以上に足利将軍家に連なる貴人であるという意識が強かった。
足利家が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ
意識はここにあったが現実はあくまで非情であった。三河吉良家は東西に分裂し、吉良が絶えた後に出るはずの今川家への隷属状態とされ、ねじ込まれた形での吉良家当主となったことは吉良義昭にとってやはり面白くなく、やはり今川支配からの脱却を目指すべきであった。後方で本多正重隊が壊滅する声は聞こえてはいたが、必要なこととしてさして気にも留めなかった。
だがここでも現実は非情であった。
「騎馬隊、突撃ィ」
敵将の命令一下、騎馬隊五百が西から、今度は弓ではなく槍を持ち吉良義昭隊の左前方から突撃をかけてきた。朝日を背負っての戦いゆえの有利を生かすだけの余力すら、既に吉良義昭隊には残されていなかった。陣を割りつつ兵をなぎ倒し、殺傷するというよりも陣立てを崩すことに主眼を置いているような戦いは、すぐに中央部付近まで崩し、頃は良しと見たのか反撃態勢を整えつつあるのを見て取ったのか、反転、離脱して去っていった。
被害自体は意外にも多くはなかった。精々骨折程度で、死者は数えるほどしかいなかった。しかしこの突撃とそれに対する対応により完全に足が止まった。これは後方からの強大な敵、姉小路軍に吉良義昭隊が捕捉されたことを意味していた。周りを見回せば西にも東にもそれぞれ一隊があり、更に上野上村城のある北には先ほどの騎馬隊が悠然と佇んでいた。ここに至って吉良義昭は、降伏を余儀なくされた。
上野上村城の物見櫓からこの様子を見ていた本多正信は、使い番に事の次第を伝えるよう酒井忠尚の下へと走らせ、籠城の支度を左右に命じるとともに、自身の小姓を本證寺空誓へと密使に出した。籠城で勝つには、いくら守っても限界があった。かといって尾張織田家には伝手がなく、他の国人衆がバラバラに当たっても埒が明かぬと見えた。
「吉良殿が一揆勢とは別に来た理由も、想像がつかぬでもないが……」
それでも救援を求める相手は他には思いつかなかった。




