二十八、草太の水裁判
内ヶ島氏理との会談を終え、内政の決めごとをあらかた決め終わった草太は、仕事が一段落ついて特に手出しすることもなくなってきた。勿論まだまだ考慮し検討していくべき問題は残っている。例えば治水や軍事調練、のろし台の設置といった通信網の整備など、早く取りかかればそれに越したことはない。周辺諸国の情報収集や外交的接触なども必要である。だが、情勢を鑑みると、秋まではそれらを行うだけの資力がない、というのが現状であった。
とはいえ、厄介な問題は最終的には草太に回ってくることになる。今回はその一例を紹介しようと思う。
百姓にとって、農業が生活のすべてであり、農業を支える基盤は土地と水、それに牛などの家畜である。
これらのうち、牛などは所有者がはっきり決まっているから争いにはならない。
土地も、区画のうちどれが誰の所有かがある程度はっきり決まっているため、畔を動かすなどという姑息な手段を使いでもしない限りはまずは問題がない。
問題となるのは、水である。水は、上流から下流へ流れていく。誰のものでもないが誰もが利用でき、誰もが必要とする。特に農業では。
このため、水利権という問題がしばしば発生する。大抵は村の中や村同士で話し合って、何らかの形で決着をつけることで水利権の裁量が行われる。しかし一旦拗れると、血を見るまで止めない、というような例は珍しくない。
そうして、拗れに拗れた場合には、最終的に誰かに裁定してもらうのである。
それは誰か。領主本人に他ならない。つまり、草太である。拗れに拗れた水利権の問題を、最終的に裁定しなければならない。しかも厄介なことに、両方とも納得しなければ今度はその恨みの矛先が裁定をしたものに、つまり草太に向くのである。
理不尽も良いところである。
まずは両方の言い分を聞き、実地に調査させ、それで結論が出るなら問題は軽い方である。しかし、それでも結論が出ない問題も存在する。
一方の村が言う。水利権の第一は我が村である、なので水門を開く必要はない、と。
もう一方の村は言う。水利権の第一は我が村である、なので水門は常に開いていなければならない、と。
裏付けとなる文書も、お互いに似たような文面の文書であり、おそらくこの争いのために作ったのであろう。発行者は分からないが、古い紙に書かれた文書である。が、弥次郎兵衛に言わせると「新しい紙にちょっと細工しただけ」であり、最近の紙であるという。
必要な水の量からいっても、両方とも大体同じ程度の量が必要で、半々で分けた場合にはいずれの村でも水が不足することはないという。だが両者ともに相手よりも多くの水が必要であると主張している。
「あそこまで拗れると、もう面子の問題だろう」とは弥次郎兵衛の言である。
「あそこまでこじれるとね、人間、銭では動かない。世の中銭で動いているけれどもね、銭が全部を動かしているわけじゃあない。一番大事な問題は、結局は銭では動かないんだ。銭で動く問題は、言ってしまえば簡単な問題さ」
と言われたのをふと思い出す。あれは平助の母親を見舞ったときだったか。
その後の足取りは分からない。おそらく城井弥太郎辺りに調べてもらえばすぐにわかるだろうが、それではダメだというのも何となくわかる。少なくとも飛騨でこうして暮らしている限り、平助は居場所が分かったとしても見舞いにも行けない。行っても追い返されるのが落ちだというのも分かっている。それでも母は母である。勘当されているからといって、あのような姿を見て見捨てたような形になっているのは、さぞ心残りであろうとは思う。
ふと、思った。面子の問題だと難しいが、銭の問題に置き換えたら簡単にならないだろうか。
銭が全部を動かしているわけではないが、多くのものを動かしているのは銭だ。銭で動く問題にすり替えてしまえば、この問題も簡単に済むのではないだろうか。面子の問題だという。であれば、いずれのメンツも潰さずに半々にするにはどうしたら良いだろうか。
理想的なのは、富める者が貧しい者に富を分け与え、それでいて面子もつぶれず水利権を半々に分ける、という方策である。
そんな理想的な話、あるわけがない。
ちらとそんなことを思いながらも、考えた。そして一通の通達を出した。三日の後、村の代表一名これへ来るように、と。
三日後に来たのは、両村とも庄屋であった。二つの村とも、五平の組の村であったので、立会人として五平も呼んだ。
「五平、本日はお主は立会人だ。特に許可がなければ発言は許さない。良いな。……では裁きの前に両者の意見を今一度確認する。山上村、水利権の優先順位が自分達にあり、水利権の七割が割り当てであるという。相違ないな。……うむ。次に下築山、水利権の優先順位は自分達にあり、水門は常に開いておくべきであると主張している。これも間違いないな。……うむ。では裁きを申し渡す」
ここで草太は一呼吸おいた。本当にこれで良いのか、自分でも自信がないが、他に方法が思い浮かばなかった。
「三日後の未の下刻、各々銭を持って参るが良い。その多寡を見て、各々の水利権を決定いたす。ただし、違法なことをした場合にはそちらの一方的な負けとするので注意せよ。更に決定した場合にはそれ以前の決定はすべて無効とする。したがって古文書は何の意味もない故、こちらで処分致す。……五平、立ち合い、ご苦労であるが、三日後も立ち合いを頼む。では本日はここまでとする」
これを聞いて両村の庄屋が慌てて出て行ったのは言うまでもない。村中の銭をかき集めてでも、借金をしてでも、何としてでも相手を出し抜かなければならない。違法なことさえしなければどんなことでも良い。土地と水と体と種もみさえあれば、後は残らず売っても質に入れても、後で取り戻すことが出来る。残すものさえ残してここでいくら銭を出しても、相手の面子をつぶせるなら安いものだ。
お互いにそう考えたのであろう、村人は総出で今まで貯め込んだ銭を出し、あるものは秘蔵の品を質に入れ、あるものは先祖伝来という刀を売り払い、相手も足元を見るのであろうこういう時は大抵安く買いたたかれる。
因みに、飛騨には公認の金貸しは一人しかいない。というより、貸せるほどの銭を持っているものは一人しかいない。それは、領主である草太である。勿論、草太自身が貸しているわけではなく、草太が銭を貸し与えて、借りた金を数軒しかない質屋や二軒しかない金貸しをやらせている、というのが実情である。
元々持っている銭がいくらかは分からないが、おおよその金額が同じになるところまで読めていた。というよりも、借りた金の合計が同じになるように指図した、というのが正しい。他の、例えば親戚連中から借りるといっても、未だに貨幣経済が浸透しきっていないこの時代の飛騨であれば、知れている。
そうして三日後、約束の刻限である。両者は別室に通され、銭の勘定を役人がするのを見守っていた。勘定が終わったら裁定が下るという。それまでは門のところで逢ったきりである。
勘定が終わり下役が下がると、三方を持った者が来て、三方に銭を載せ庄屋を伴って広間に入った。既に草太は座っており、五平もそこに座っている。下役が三方を置き、両村の庄屋が三方を前に座ったのをみて、草太が言った。
「これより裁定を申し渡すが、裁定の前に申し渡す。これから先、水利権に関して争ってはならない。畏れ多くも天皇陛下より飛騨国司をうけた姉小路房綱が裁定したからには、それに逆らうのは日の本全てを統べる陛下が裁定したと覚悟せよ。よいな。……では、申し渡す。その前に、平助」
心得ました、と平助が立ち、二人の庄屋の前の三方を入れ替えた。何をなさいます、と言いかけたのを、御前である、控えよと五平が止めた。
「では裁きを申し渡す、山上村、下築山村、両者ともに水利権は五分と五分とする。また双方とも目の前の三方に載せた銭を下げ渡す。……裁きは終わりじゃ」
「畏れながら申し上げます」山上村の庄屋が言った。なんだ、と草太が返すと
「銭の多寡で決まるのではありませんか。それならば多い方に多くの水が行くのであればまだ納得がいきます。だが、どのくらい違うのか分かりませんが、全く同じというのはないでしょう」
「別に多い方に多く渡す、などと言った覚えはない。多寡を見て、決定する、とだけは言ったがな。多寡を見た。そして決定した。何かおかしなことがあるか。額がそれほど変わらないのは確かだがな」
まだ何か言いたそうな顔の庄屋に草太は言った。
「まだ分からぬか。ま、後で五平によくきくのだな。五平、説明を任す。……さて、今下げ渡した銭で、借りた銭を返し、質に入れたものを受け出してくるように。早くせぬと、利がついて夜逃げせねばならなくなるぞ」
後ほど五平が二人の庄屋を呼んで説明した。
お主らは銭を必死でかき集めた。その結果がそこにある。その村を挙げての必死さがその銭だ。それゆえ、優劣はない。なので五分五分とした。そういうことじゃ。
この話を聞きつけたのが、山際村と水利争いをしている下館村である。下館村は各村を追い出されたごろつきの吹き溜まりであり、比較的新しい村であるため金もない。水利権を暴力で山際村から奪い取って、無駄に水を使い、山際村は水が不足がちである。山際村の水が不足してきたと聞き、渡りに船とばかりに領主さまのところで話をつけようと言いだした。
調べてみると、確かに山際村に水利権はあり、下館村はその余りを使えるにすぎない。これは文書からもはっきりしている。また、暴力を持って今の形に落ち着いたことも調べにより分かっていた。それでも下館村は食い下がり、ついに草太の裁定を仰ぐこととなった。
下館村の代表が言った。前の話は聞いています。今回も一つ、それでお願いいたします、と。
草太は、うむ、分かった、と言って、やはり三日後の未の下刻に持ってくるように申し渡した。
そして三日後の未の下刻、やはり別室に通されたが、山際村は無理に借りてでも数百銭を作ってきたのに対し、下館村は鐚銭を一枚置いたきりである。そして、腹の中で、水利権は半々になるが、数百銭を手に入れられれば楽が出来ると考えていた。
同じように三方に銭をのせ、広間に入った両者であったが、山際村の庄屋は相手が鐚銭一枚であることを見て悲しげな顔になった。そして二人が三方の前に座り、同じように裁きが始まり、草太が言った。
「これより裁定を申し渡すが、裁定の前に申し渡す。これから先、水利権に関して争ってはならない。畏れ多くも天皇陛下より飛騨国司をうけた姉小路房綱が裁定したからには、それに逆らうのは日の本全てを統べる陛下が裁定したと覚悟せよ。よいな。……では、申し渡す。その前に、平助」
心得ました、と平助が立ち、下館村の三方を山際村の前において、その上に銭を一貫文置いた。下館村の庄屋の前には何も置かれなかった。
「では裁きを申し渡す。山際村の言い分、まことにその通りである。今後、水は山際村が優先して使い、その余りを下館村が使うものとする。その一貫文と鐚銭一枚はこれまで暴力により奪われた水、そのわびだと思って受け取れ。下館村の庄屋よ、そなたらは三日以内に我々が立て替えた一貫文を納めよ。納めない場合には全員賦役を申しつける。覚悟せよ」
「な、前の山上村と下築山村のときと話が違うじゃねぇか」
「黙れ」平助が声を挙げた。ゆらりと立ち上がり、普段は出さないように抑えている威圧の気を出している。草太にもわかる。怒っている。
「黙って受け入れるか、受け入れるまで殴られるか、選べ」
どちらにせよ受け入れるのは変わらない、と突っ込んではいけない。いつの間に持ったのか木刀が手にあった。
「わ、分かりました。一貫文、何とかして払います。払いますから。受け入れますから」
す、と剣気を納め、元の席に戻って草太に対して「出過ぎたまねを致しました」と一言言った。
草太もこの一件がこうなることは予測していた。無論、元々の取り決めも過去の経緯も全て調べたうえでのこの裁定であった。平助の逆鱗に触れるとは思わなかったが、下館村はほとんど銭を出さず、山際村の財産をかすめ取ろうとしたということは予測していた。流石に鐚銭一枚とは思わなかったが。それゆえ、あのような裁きとなった。
結局のところ下館村は一貫文を払えず、逃散しようとしたところを捕まえられ、全員鉱山に送られた。これも草太の予想の範囲内だった。勿論、逃散した後の村には移住してきた村人たちを入れて、再度水利権の調整を行わせたのは言うまでもない。
活動報告にも書きましたが、飛騨統一までの間は毎日0時に更新します。
推敲が甘くなる可能性もありますが、その場合はご指摘ください。




