二百六十九、三河一向一揆(三)
一鍬衆七千、中筒隊二千からなる平野右衛門尉率いる別動隊は柳川瀬の渡しを渡ろうとしたのと同じ夜、兵糧が尽きかけた一揆勢は下間頼照に率いられ矢作川の西で略奪により兵糧を確保すべくおなじ柳川瀬の渡しへ至った。
両者は激突しようとしていた。
姉小路家日誌弘治二年弥生二十九日(1556年5月8日)の項にこうある。
「未明、平野右衛門尉の軍勢、一揆勢と戦を致し候。渡河半ばにて攻めかかられ不利に候えども(略)手取り多く候。藤堂虎高、功あり。手取りは紀伊弥次郎兵衛の差配に置き、(略)刈谷へ進み候」
古来より軍の半ばが川を渡るときが最も不利な状況の一つとされる。この柳川瀬の渡しにおける姉小路軍と一揆勢の戦いは、その不利を跳ね返した戦の一つといわれ、先の大戦中では「不利な体勢であっても必勝の信念さえあれば勝てる」とする根拠として用いられている。
両軍とも相手を直前まで発見しておらず発見した時には既に開戦していたという、姉小路家にとっては珍しい遭遇戦である。
下間頼照は一揆勢を北へ向けて進めながら、兵糧の事を考えていた。当初、本證寺の倉にある兵糧を当てにして挙兵を企んだのであるが、目論見は大きく外れた。理由の一端は下間頼照が空誓の名を勝手に使って民を集めた事、その後の関係修復に成功しなかった事が原因であると下間頼照は考えていた。実際には本證寺の差配の問題であり席次の問題であり、なにより中央である石山本願寺の威を借りて空誓を見下しすぎたという問題であったのであったが、その点には下間頼照は全く気が付いていなかった。それでも一揆が蜂起すれば寺の僧兵を出す、出さないまでも兵糧は出すという見込みであったが、結局は空誓は頑として協力せず、結果として兵糧不足に陥った。
内藤清長から兵糧を譲り受け一息ついたものの、その量は僅か二百石にしか過ぎなかった。安城城攻めで失った者、兵糧が少ないのを悟ってか逃亡した者はいたが、未だ残っている八千の兵にしてみれば、わずか十日分足らずでしかなかった。
「空誓め……」
自然、下間頼照の口から洩れるのは空誓への怨嗟の籠ったつぶやきだけであった。
「……申し訳ございません」
唐突にこう言ったのは、傍らを進んでいた証意であった。実のところ証意は三河での大規模な私曲自体は知らぬものの、ここ数年にわたっての大規模な金穀の寄進が本證寺にあることを知っていた。何よりその金穀の交易や必要な物資の調達に願証寺は一枚噛んでおり、また物資の保管にも一枚噛んでいたためであった。そのため、長島城が落ちる際に下間頼照を本證寺へ誘ったのは、証意であった。あわよくば本證寺の力で願証寺を取り戻そうと考えていた。
「よい。空誓があそこまで頑迷だとは思わなんだが、……顕如様に何と報告してよいやら。かつて越中加賀でご一族を討たねばならなかった蓮淳様と、同じ苦しみを味わわなければならぬとはな。これも末法の世の習いとはいえ、な」
それにしても、と下間頼照はまたしても言った。
「空誓め……」
弥生二十八日(1556年5月7日)夜、柳川瀬の西半里に陣を張った一揆勢であったが、その姿は既に敗軍のそれであり遠目には難民の群れのようにも見えていた。
八千という数は、そのうちに国人衆千六百や願証寺の僧兵千五百で構成されていたが、半数以上が特に訓練もなく直接指揮するものもその方法もないただの農民でしかない人間の群れでしかなかった。本證寺を出、安城城攻撃のために戦働きを強いられ、その甲斐もなく今度は柳川瀬を渡って矢作川の西へ向かうとあれば体力の消耗は激しかった。彼らはさして多くの食事も与えられず、雨に体力を削られ、貧しい農民の身であれば酒を売り春を売りに来た者達から某かを買うこともできず、ただ信仰心だけでこの場に残っていた。
脱走するものを取り締まるためには武力での威嚇は良い方法であったが、それよりも一向宗ならではの良い方法があった。
「僧兵たちに、民を集めて説法させよ」
勿論この方法でも民の脱走は出るのであるが、格段にその数は少なくなることを下間頼照、証意は長島城での経験から知っていた。
姉小路軍の物見は、この集団を発見していた。八千もの人の群れである、特に隠れていない以上見落とすようなものではなかった。
「どう思います」
姉小路家の細作がもう一人の細作に言った。二人とも行商人の服装をしていた。
「あの集団か。……人数は多いが特に武装している様子もなく篝火も焚いていない。荷も僅かだ。見張りもいないではないがかなり疎らで、全部で五十もいないのではないか。状況が読めないが少なくとも夜襲を警戒したり兵が逃げたり、そういったものを警戒している風ではないな」
「売りに行きますか」
行商人がその道中で集団を見かけたとき、通常最初に考えるのは危険があるか無いか、そして何より商売になるかどうかである。明らかに銭を持っていない様相の集団を見て、少し考えたが上役は止めておこう、と言った。
「酒を飲んでいる様子もない。見ろ、もう遊び女が帰って行っている。もっと早い時間なら不思議ではないが、この時間に酒も飲んでいない。その上に遊び女も帰るとあれば、夜襲でも警戒しているのでなければよほどに不景気だ。そんなところに売りに行く者もおるまい」
何者でございますかね、という下役に、さあなと答えながら言った。
「刈谷から高島辺りは尾張織田家が攻め入ったと聞くからその難民かもしれぬな。一応報告は上げておこうか」
そういって二人はその場を立ち去った。
細作は柳川瀬の瀬踏みを行っていた物見たちに伝えられ、物見から行軍中の平野右衛門尉の下へと報告が上げられた。平野右衛門尉は言った。
「貧しい民の群れか。何とか救いたいものだが……」
目的地である刈谷城までは仮陣地からわずかに五里、そのつもりになれば一日で踏破できる程度の距離でしかなかったため輜重隊を連れていない平野右衛門尉隊はそれほど物資に余裕があるわけではなかった。
「仮陣屋に送ればいかがでございましょう。おそらく城井弥次郎兵衛殿は人手が足らぬはずでございます。食糧にも事欠きません」
傍らを進んでいた藤堂虎高の発言を是とし、平野右衛門尉は言った。
「全軍であれば恐れて逃げるやもしれぬな。……藤堂虎高、そなたは一鍬衆五百を率いて先行し、その難民たちと話をせよ。必要とあれば仮陣屋まで送ってやれ」
そして一番に渡河した藤堂虎高率いる五百の兵は渡河後即座に前進を開始した。
下間頼照率いる一揆勢、その外側の見張りは吉良義昭の手の者であった。夜が更けるにつけ鳴る腹をどうにか宥めながら、それでも物見を出し見張りを続けていた。物見の中の一人が川を渡った軍勢が一揆勢へ向かって進んでいるのを発見した。更に後方にはまだ多数の兵が渡河中であった。
「敵襲」
その物見は声を上げながら陣幕へと向かった。その声を聞いて下間頼照は寝所とした天幕の中から遊び女を追い出し、証意は書見を止めて陣幕の中に入った。陣幕の中では既に吉良義昭が報告を受けていた。入ってきた二人を見て、吉良義昭は報告した。
「良くない知らせでございます。柳川瀬を渡りつつある一軍があります。数、所属は不明ですが、川向うからこちらへという事であれば十中九まで今川家か姉小路家の兵でございましょう。このままいけば合戦となります」
下間頼照は、姉小路家と聞いた途端に決めた。
「合戦をする。客、水を絶わたりて来たらば、半ば渡らしめて之を撃たば利あり。利を捨ててどうする。それにこちらへ向かっているという事はまだ兵糧が多いはずだ。それを奪えば楽になるだろう」
敵襲、起きよ、並べ、刀はどこだ、などひとしきり混乱が巻き起こり、それでも藤堂虎高隊の接近までにはなんとか形ができた。もっとも形が出来たといっても武器を手に大まかな集団ごとに集まった、程度の事であり、軍として活動できるほどの準備が出来たのは願証寺の僧兵千三百と国人衆を纏めた吉良義昭の足軽隊千五百だけであった。吉良義昭の纏めた国人衆が最前面に立ち、来襲する敵部隊を迎え撃つ態勢をとった。
既に敵軍はつい三町ほどまで接近していたものの旗指物の紋は夜の事でもあり見えず、敵味方も判然としなかった。だが三間槍が見当たらないのを見て、その相手は姉小路軍ではないと判断していた。僅かではあるが味方の可能性もあるにはあった。が、念のために弓隊に矢の支度をさせ、吉良義昭は警戒を怠らなかった。
だが接近してきた部隊から、大音声に声がした。
「そこにいるのは誰か。我は姉小路家の将、藤堂虎高である。困っておるならば兵糧なりとも遣わす故、どこから来たのか名乗るが良い」
吉良義昭は件の軍が姉小路軍であると使い番を走らせつつ、返答もなしに討つわけにはいかぬとばかりにこう言った。
「我が名は足利家傍流、三河吉良家当主吉良義昭である。仏敵姉小路家め、三河への侵略を図るならばその方から地獄へ行くが良い」
そして吉良義昭は左右に合図をし鏑矢を射させた。流石に三町の距離があるため鏑矢はほとんど届かず、届いたとしても威力は期待できないものでしかなく、ただ風を切る音がするだけであった。無論、吉良義昭もそのことを知っていた。だが宣戦布告としてまずは矢合わせを行う意味で、古式ゆかしく鏑矢を放った。
藤堂虎高は、おそらくは知多湾沿岸部辺りからきたであろう難民の警護と誘導のために先行していると考えていた。そのため槍も一段目のみの手槍とし、また多くは小太刀をさやから抜かずにいた。だが大音声に誰何してみれば矢作川の東岸、岡崎城よりも更に南西にある東条城が居城である吉良義昭の兵であり、距離があるにもかかわらず矢を射かけてくるなど戦意も低くはない様であった。使い番を報告に走らせた後、藤堂虎高は太刀を抜き、彼我の距離は一町半となり弓の射程に入るのも構わず百間前進を指示した。
「百間前進、投げ槍一投、その後突撃」
彼我の距離が二町を切ったあたりから矢が降り注ぎ始めたが藤堂虎高隊は構わず前進し、投げ槍を投げた。五百本に少し欠ける数の投げ槍が投げ上げられ、藤堂虎高を先頭として一鍬衆が突撃を開始した。
まず投げ槍が吉良義昭隊に被害を与えた。吉良義昭率いる一揆勢にとって幸いであったのは、良くも悪くも統率があまりとれておらず、全体にあまり固まっていないことであった。更に人数の差が倍以上開いていることもあり投げ槍もまばらにしか落ちず、結果として脱落した者は全体でも百にも届かなかった。それでも兵にとって闇夜に空から槍が降り突き刺される者を目の前にしたことは、士気を大きく下げることになった。
突撃してくる藤堂虎高隊に対して吉良義昭は弓で応戦させていた。
「弓の心得のないものは石も投げよ、槍を持つものは槍を構えよ」
ところで吉良義昭が、既に千を少し超える程度にまで数を減らしていたが、当初千二百名の手勢を引き連れて本證寺へ入ったものの訓練の行き届いた足軽は精々二百、残りは兵役でかき集めた農民兵でしかなかった。訓練の行き届いた足軽といっても全員が弓を射るわけでもなく、これは他の地侍などを含めてもさして事情は変わらなかった。そのため吉良義昭が配下に弓を射させたといっても、弓を射る者は百名もいなかった。そして百程度の矢が飛んできたところで、一矢が当たったからといって脱落する一鍬衆はそう多くはなく、吉良義昭隊は瞬く間に距離を詰められた。
吉良義昭はしかし、そこまで焦りはなかった。見たところ目の前の姉小路家の兵は五百で後続は見えず、国人衆だけでも兵力は倍以上、更に後方にいる農民兵を合わせれば数は十倍を超えていた。その上辺りは遮蔽物の少ない土地であり、数の利を十分に生かすことのできる戦場であった。現在姉小路軍の正面にいる足軽隊五百は押されつつあったが、それでも吉良義昭には十分に勝算はあった。
「左右、兵を出せ。押し包むのだ」
吉良義昭の指示を待たずに既に兵は動き出していた。両翼が進み、一部は藤堂虎高隊を囲むように動いていたもののさらに矢作川へと向かう兵があった。使い番が吉良義昭に報告した。
「下間頼照様より伝令、証意様僧兵千と民四千を率い柳川瀬へ向けて進軍、吉良義昭様も目前の兵を蹴散らかし次第向かうようにとの仰せでございます」
「承ったと伝えよ」
吉良義昭は包囲の中に包まれた藤堂虎高隊を仕留めるべく、更なる攻撃を命じようとした。そこへ報告の兵が来た。
「報告します、敵部隊、我が足軽隊を一押しした後、後退しております」
藤堂虎高は突撃を命じた後、自身も前線で太刀を振るいながらも一鍬衆の強さに舌を巻いていた。かつて指揮した甲斐武田家の兵も強かったが、三人一組で確実に目の前の一人を倒す、首も取らず次へ行く、この動きは相手が雑兵であれ武士であれ変わらなかった。とはいえ被害がないわけでもなく、ほぼ同数の正面の足軽隊を完全に崩すころには五百の兵も三十程の兵が脱落しており、更に六十程の兵が手傷を負い後方で手当てを受けていた。その上藤堂虎高は敵の両翼が動いているのを見逃してはいなかった。
「潮時だな。……反転、柳川瀬へ向け後退する。駆けよ」
藤堂虎高隊は命令一下、崩れた足軽隊へ背を向け駆けて行った。完全に崩された吉良義昭隊は隊を立て直すために足が止まり、追う事は出来なかった。せめてもの嫌がらせとして吉良義昭は弓隊に矢を射させたが、藤堂虎高隊が闇に紛れるまでに射た者は二十に足りなかった。
藤堂虎高は反転する直前にも最前線にいたが、反転後も一鍬衆の大部分を追い越して又しても最前線にいた。目前には農民兵であろう、槍もまばらで脇差程度を手に持ち、碌に胴丸も付けていない者たちが目前を塞ごうとしていた。藤堂虎高は足を止め大音声を上げた。
「姉小路家の将、藤堂虎高である。ここは我ら武士の戦場である。だがそなたらは農民であろう、そなたらの戦場は田畑であろう。今ならば巻き込まずに済む。逃げるならば追わぬ。また食がないのであれば姉小路家の陣では食事も遣わそう。それでもなお歯向うというのであれば容赦はせぬ」
一揆勢を扇動して攻撃を仕掛けさせようと後ろから誰かが何やら声を上げていたが、構わず藤堂虎高は血刀を上げ前進を命じた。一鍬衆は藤堂虎高の後方に続き、一揆勢は我勝ちに道を開けた。ただ一人扇動していた僧兵が薙刀を構えていたが藤堂虎高は特に立ち止まりもせず、薙刀を振り上げた隙にするりと懐に入り振り上げた左腕を斬り飛ばした。そして組み伏せて太刀を振り上げた後、既に道を開けた農民兵の一人に尋ねた。
「ときにそなたらにとってこの僧は大事な者か」
「いんや、三日ばかり前に会ったばかりだがね、偉そうにしてばかりだで、なぁ」「命の方が大事だで」「んだ」
だそうだ、と藤堂虎高が太刀を振り下ろそうとしたとき、一人が言った。
「だども昨日説法してくれたでなぁ」
一つ息をついて藤堂虎高は太刀を反して振り下ろした。どさりと崩れ落ちる僧兵を見もせず、左右に血止めを命じて言った。
「峰打ちだ。片腕は飛ばしたが僧侶としては生きられるだろうよ。……なに、気紛れだよ」
流石に一鍬衆は手慣れた様子で血止めをしていた。
「次は無い、道を誤るな、そう言っておけ」
そして藤堂虎高は兵を率いて柳川瀬へと向かって進んでいった。
そのころ、証意が率いる僧兵千、一揆勢四千からなる部隊は柳川瀬の渡しへ攻撃をかけようとしており、また藤堂虎高隊から五町と離れずに下間頼照の僧兵五百、一揆勢千五百と合流した吉良義昭率いる国人衆千三百が後に迫っていた。




