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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百六十八、三河一向一揆(二)

 草太が合流した姉小路軍が足助の陣から矢作川沿いの仮陣屋に入り、酒井忠尚の居城である上野上村城を囲むべく兵を進め、更に囲魏救趙の策として平野右衛門尉に一手を持たせ刈谷城へ向かうべく兵を柳川瀬の渡しへ向けて出陣した次第については既に述べた。

 同じころ、三河一向門徒も柳川瀬の渡しへ向かっていた。



 大河内秀綱覚書の中にこうある。

「本證寺を発したる雑兵、安城を囲み一息に押しつぶさんと欲するも利なく、また下間頼照といいし僧、戦を知らず、四囲を厳に囲み攻め込まんといたし候。(略)又下間頼照、何事かあらん、本證寺の空誓さまと仲を違え小荷駄なく、また大軍ゆえ兵糧の支度も足らざれば(略)即ち矢作川を越え岡崎で兵糧を徴すべし、と。空誓さま聞かばいかに思わんとぞ、安城に留まる者あり」

 大河内秀綱は三河一向一揆の際に一揆勢に付き、その後許されて松平元康の家臣となったという人物であり、一揆勢から見た三河一向一揆について書き残している。この覚書はその一節である。大河内秀綱は一時は一向一揆側に付きながらも、例えば一揆勢を差して雑兵というなどその筆は辛辣である。もっとも、書き残したのは松平家への帰参後の事であるとされることから、その分は割り引いて考える必要があるかもしれない。

 興味深いのは、三河一向一揆の最序盤の時点で、中央勢力である石山本願寺から入った下間頼照と、地元勢力ともいうべき本證寺空誓とが既に仲違いしている点である。一向一揆は戦国時代の末期を通じて各地で起こっており特に大規模なものとして北陸、摂津、三河の三つが挙げられるが、摂津は中央である石山本願寺が主導しているから例外としてもその他の二つとも、中央と地元の対立という構図を一揆の中に含んでいたのは、やはり結局は権力闘争でしかないという事であろうか。




 本證寺空誓が本證寺境内、その周辺に多数の民が集まっていることを下間頼照に問い詰めたのは弥生二十日のことであった。その数日前から数は増えつつあったが、いよいよ異常としか思えない数になったのを不思議に思った空誓が、庭を掃き清めていた一人の民に尋ねた。その民は手には寺で借りたと思われる竹箒を持ち、普段は田畑を耕しているのであろう、節くれだった指をしていた。

「掃除、ご苦労であるな。……そうかしこまらずともよい。よく掃き清められておる。御仏のご加護も篤かろう。ときにそなたは百姓と見たがどうじゃ」

 その通りでございます、という答えに重ねて尋ねた。

「そろそろ田植えの時期であろう、田はどうした」

「どうした、って和尚様、廻り状で人手を集めたのは和尚様ではないかね。んで田畑は爺様と嫁とに任せてとりあえず来たがね」

 その廻り状に空誓は心当たりがなかったが、人手が必要な事業には心当たりがないではなかった。例えば近々戦になるとなれば寺を護るための兵が必要であり、またいざという時の民の避難場所の確保のために寺の拡張も必要であった。

 あまり無理はせぬようにな、と言ってその場を離れた空誓であったが、自分の知らない廻り状で、ごく少数であればまだしもこれだけの数の民を集めるとあればそれを調べる必要があった。


 廻り状自体は本證寺にもその写しは残されており、坊官に命じると簡単に手渡された。空誓に手渡されたその廻り状は空誓のあずかり知らぬものであり内容も穏当ではないものであったが、何よりもその末尾の署名を見て驚いた。署名した記憶はなく祐筆が代わりに署名したのであろうが、その署名は連名でこうあった。

  下間 頼照

  願証寺 証意

  本證寺 空誓

 署名の順序が空誓は末尾にされていた。署名は籤順、などと書かれていない以上、空誓は下間頼照、証意よりも格下と宣言しているに等しかった。書札令を知らぬはずもない下間頼照がこのような廻り状を、空誓に黙って出したという事は、本證寺の乗っ取りをたくらんでいるとしか空誓には考えられなかった。

「下間頼照殿は、証意殿はなにを考えているのだ……」

 独り言のような空誓の声に傍らにいた坊官が答えた。廻り状を持ってきた坊官であった。

「何やら、長島の願証寺を取り返すだの、姉小路家を倒すだの言っておりましたが……」

「なぜそれを儂に言わなんだな」

「その……石山本願寺の、宗主様のご命令であり空誓さまもご存知だと」

 空誓はこの坊官を問い詰めても仕方がない様に思い、礼を言うと下間頼照、証意を捜し真意を尋ねるべくその場を離れた。


 二人の居場所は程なく見つかった。二人は本證寺へ落ちる際に僧兵を千五百程引き連れており、そのために貸した僧房にいた。僧房へ入ると脂粉がし、酒の香りがした。確かに浄土真宗は酒色を禁じてはいない。禁じてはいないが僧房に入った途端に香るほど耽ることまで是とするような考えは空誓にはなかった。奥の一間に通されたが、流石に二人とも酒色の色は見えなかった。だが下間頼照は床の間の前から動かず、空誓に下座に座るよう促した。

「これは一体、どういうことでございますか。説明してもらいましょう」

 空誓は立ったまま、手に持った廻し状を投げつけるように渡した。

「これはしたり。拙僧は宗主顕如さまのご意思により行動しているだけの事。それなる証意も同じことだ。一向宗は本願寺の下、その力を併せねばならぬ。協力せねばならぬ。これは来た時に書状で示したはず」

「だからといって我が名を勝手に使われては堪りませぬ。おそらく寺を乗っ取り民を誑かし、一揆でもそそのかそうというのでございましょうが、拙僧は許しませぬ」

 許さん、とはどういうことかな、と証意が口を出した。

「確かに名は勝手に使わせてもらった。それについては謝罪しようし今後は使わぬ。約束しよう。だが石山の意向は一揆であり、姉小路家を討つことなのだ。いかに空誓が蓮如さまの孫であるとはいえ行動が目に余れば、蓮淳さまがなされたようにお血筋であるとも容赦はなりませんぞ」

「……少なくとも石山本願寺より正式な辞があるまでは本證寺は拙僧が預かる寺。その点はお間違え無き様」

 この後空誓は下間頼照、証意と会おうとはしなかった。民へは粥の施しが行われていたことから、下間頼照は席次争いに過ぎないと見、一揆自体には反対ではなかろうと判断していた。



 そして質こそ悪かったが武具を手に一揆が蜂起した。弥生二十六日のことであった。この時本證寺に集まっていた民は一万二千を数え、更に長島城から付き従わせた願証寺の僧兵千五百の他、本證寺の僧兵千が本證寺におり、総勢一万五千に近い数となっていた。一向一揆に限らず数は力であった。

「これまで三河を圧してきた今川家を追い出すのは今ぞ。三河を我ら民の手に取り戻すのじゃ。まずは今川家の牙城、安城城を攻める。進めば極楽、引けば地獄、いざ進めや」

 こう言って下間頼照、証意は願証寺の僧兵千五百を先頭に民を率いて前進を始めた。中には地侍や国人衆、浪人なども含まれていたにせよ、大多数はただ集められただけの農民であった。統率のとれた行軍など出来るわけもなく、隊列は伸び乱れ、その速度は遅かった。本證寺から安城城まで二里ほどの道程であったが、朝方出発した一揆勢が安城城周辺に集まったのは夕刻も近い頃であった。これは、単に歩く速度が遅いという以上に集団行動をさせるための能力、いってみれば下士官の不足であった。それでも先頭を下間頼照以下の僧兵が進み、中ほどは兵を率いて参陣した国人衆が、最後尾は本證寺の僧兵千が勤めることとしていた。


 申の下刻、下間頼照は安城城付近に陣を張り兵が入るのを待っていた

「吉良義昭様到着、面会を願い出ております」

 下間頼照は、すぐに入れなさい、と報告の兵に言いながらも、顔が緩んでいた。国人衆の中でも三河の名門吉良家の吉良義昭が足軽千二百を率いて参陣した事は本證寺の影響力の強さを物語っており、今は日和見の民や武士なども少し勝てば続々と一揆勢に入ることが予想され、その兵を使っての三河簒奪は難しくないように思われた。そしてその立役者である自分の石山本願寺での権勢を想像していた。

 吉良義昭隊は隊の中央よりやや後を進むこととなっていたが、吉良義昭が到着したのがこの時間という事は全軍が揃うのは夜か、と大軍ゆえの移動の不自由さを思い、下間頼廉であればもっと上手くやるのであろう、とちらりと思わないではなかった。

 吉良義昭が陣幕に入り一通りの挨拶が済んだ後、吉良義昭は何やら言い難そうであった。そこで下間頼照は水を向けた。

「時に、後方の隊がつくのはいつ頃かの」

 吉良義昭は言い難そうに言った。

「……本證寺の僧兵は来ません。我らの後ろには民はほぼなく、我らが最後尾だとお思い下さい」

 本證寺の僧兵が来ない、というのはさもありなん、と思うだけであった。民も、おそらくは空誓が手を回したのであろうとも想像がついた。そうか、と下間頼照が言うと吉良義昭は、それでどういたしますので、と尋ねた。

「どう、とは何をだ」

「兵糧でございます。我らが持ち込んだ、あるいは他の国人や地侍の持ち込んだ腰兵糧が多少はございますが、民の分の兵糧はございません。本證寺の蔵から出ると伺っておりましたが……」

 下間頼照の顔が曇った。

 調べさせると安城城に来た者は一万、このうち願証寺の僧兵、国人衆の手勢など腰兵糧のある者は三千五百であり、残りは本證寺でも粥を貰っていた者達であった。このまま行けば数日で瓦解する危機を目の前に下間頼照は、窮余の策として内藤清長に救援を頼むとともに安城城への攻撃を決心した。

「空誓め……」

 さすがの下間頼照も本證寺を攻めるなどとは言えるわけもなかった。


 安城城への力攻めは即座に実行に移され、夜は行われなかったものの明け方には再開された。

「進めば極楽退けば地獄、者共進めや」

 明け方からの力攻めは、激しくはなかったが折悪しく降ってきた雨の中も続けられた。だが下間頼照、証意の必死の督戦も空しく被害を出すのみで門にたどり着くことも出来なかった。陽が傾くころには力攻めの指図をしても攻撃を仕掛ける者もなく、一揆勢は雨を凌ぐすべもなくただ体力を削られるだけであった。本證寺を出て二日目にして既に逃亡するものが出始めていた。

 翌朝、安城城包囲を夜半に到着した内藤清長の足軽隊に託し、一揆勢は矢作川東岸を北へ向かっていた。下間頼照は空誓のことを思い出していた。

「空誓め……」

 そして下間頼照は何度目か分からない恨みを含んだ言葉を飲み込んだ。日暮れには柳川瀬の渡しへ着くことが出来、上手くすれば渡ることもできるかもしれなかった。


 いつしか雨は上がっていた。


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