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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百六十五、三河分裂

 松平元康の挙兵、その報に対しての諸方の行動は既に述べた。朝比奈泰能は足助の陣を払って岡崎へ向かい、平野右衛門尉は兵を進めて足助を獲り、織田信長は那古野城の兵に進軍を命じ、そして松平元康は密かに今川義元に使いを出して事情を説明した。



 松平家誌に「松平家次謀反の事」としてこうある。

「松平元康様、岡崎城にて兵を挙げるも城内不和なり。酒井正尚、衆を募りて兵を引き、桜井松平家が当主松平家次を立て松平元康様に背き候。本證寺と結び尾張織田家と結び、(略)」

 三河松平家の独立を語る際に外せないのは、岡崎城を支配した直後におこった大規模な離反、いわゆる本證寺の乱、別名三河一向一揆である。本證寺の乱の本質は三河支配をめぐる対立であったが、本證寺の三河一向宗を分国支配を約束して大規模な援助を取り付け、また乱に参加した国人の大部分が一向宗であったため、この別名がついている。さらに言えばこの時、三河本證寺には直前に落城した長島城に籠っていた下間頼照以下が入っており、反姉小路家としてこの戦に積極的であったことも理由として挙げられる。

 東三河は駿河今川家が制圧、今川義元の甥に当たる鵜殿長照が中心となり東三河の国人衆を纏め上げ、一枚岩と言われる三河武士が大きく三つに割れた事件が始まったのである。



 弥生二十四日(1556年5月4日)夕に松平元康の挙兵を刈谷城で聞いた竹中重元はその時、刈谷城の離れで鳥居元忠に付き添い丹羽長秀と交渉の最後の詰めを行っていた。問題は二点あった。尾張織田家があくまでも三河を織田家の勢力下に置きその領土からの徴税権を主張したのに対し、鳥居元忠は三河と尾張は、例え従属的であっても独立した戦国大名であるという立場を崩さなかったこと、もう一点は松平元康が織田信長に臣下の礼を取るか否かという点であった。前者は実際上の臣従であり今川家の支配とさして変わるところがなく、後者は名目上も松平家が尾張織田家の臣下になることを意味していた。総合的に考えれば尾張織田家による三河支配体制の確立としか言いようがなく、鳥居元忠には到底首肯できるものではなかった。竹中重元も条件の緩和を交渉していたが、逆に領域の提案をされて苦慮していた。織田家の望みは最低でも三河の海沿いの地全ての領有であり、それは即ち遠江への攻撃を意図したものであった。


 こうした中で既に挙兵の方針は伝えられ那古野城へ尾張織田家の兵が入りいつでも刈谷城へと寄せることが出来る状況になり妥結を急いでいたが、根本の条件に全く歩み寄りがない以上、早期に妥結される見込みはかなり少なかった。

 丹羽長秀にとってこの交渉は、既に時間の引き延ばしの段階に入っていた。というのも松平元康が挙兵の決心を決めた、との報が入って六日余が経ち、既に内々にではあるが三河の有力国人にはこの事を伝えていた。今川家本隊の接近、岡崎城入場までに挙兵すればよし、さもなければ松平家次を担いでの挙兵と既に方針は決まっていた。


 そこへ一報が届いた。

「報告いたします、松平元康様岡崎城にて挙兵仕りましてございます」


 ご苦労、と返した丹羽長秀であったが、竹中重元と鳥居忠吉は違和感を感じていた。少なくとも鳥居忠吉が戻るか今川家本隊が迫るまでは挙兵はないと読んでいたためであった。別室に入り竹中重治は鳥居元忠に言った。

「そなたの目から見て松平元康殿がこうした挙兵をするように見えるか」

「いいえ。おそらくは何らかの状況が変わったのやもしれません」

 竹中重元は何か良くないことが起こったか、と一言呟いた。

「大樹寺では皆の手前、松平元康殿の策は十年、十五年とかかると言ったが、今回の尾張織田家の侵攻をうまくさばけばそのまま松平元康殿が三河に戻る、その可能性はそれほど低いものでもない。おそらくは自分のことだ、松平元康殿はその辺りの事情は良く知っておろう。だからこそこの挙兵は松平元康殿の意思ではなく何らかの事情により強制されたものと考えた方が良い。もっともその事情は分からぬが……」

 鳥居忠吉は少し考えて言った。

「事情は分かりかねますが、この上は殿の居る岡崎城へ戻るべきかと存じます」

 うむ、と竹中重元は頷き、竹中重元も姉小路家と尾張織田家は既に交渉すべきことがないため岡崎城へ入ることとした。丹羽長秀には書置きを置き夜陰に乗じて刈谷城を出、岡崎城へ入ったのは翌未明のことであった。


 岡崎城の周辺では国人衆が兵を展開し、物々しい警備が行われていた。本の字の幟を遠目に見つけた鳥居元忠は、知己も多い本多家の陣とみて近寄った。対応したのは、丁度見回りに出ていた本多忠勝であった。

「誰だ」

 陣に近づくために下馬し轡を引いていた二人に鋭い誰何すいかを発しながら二丈の大槍を構えたが、近付いたのが鳥居元忠とみて槍を下した。

「鳥居元忠殿ではないか。城内にいるとばかり思っていたがどこぞへ使いに出ていたのか」

「うむ、だが殿のご命令だ、済まんが詳細は明かせぬ。これから登城するので案内してもらいたい」

 鳥居元忠が頼むとかしこまったとばかりに本多忠勝は左右のものに案内を命じ、そして見回りを再開したのであった。


 既に使いが走っていたのであろう、松平元康は評定の間で既に待っていた。

「挙兵と聞き、急ぎ戻りました」

 鳥居元忠の声に松平元康は暫し躊躇した後、松平元康は鳥居元忠に交渉の結末を尋ねた。

「尾張織田家の要求はこちらが名実ともに尾張織田家の臣下となることにございました。到底飲めるようなものではございませぬ故交渉を続けましたが、平行線のままでございました。あちらが譲歩したのは精々松平本家の所領、それから国人衆から松平家の陪臣として何家かつける、その数程度のものにございました」

 予想通りか、と松平元康はご苦労と返すしかなかった。松平元康の脳裏では、姉小路家及び織田家の側についても一臣下としてしか扱われず対今川家の戦で使いつぶされ、かといって今川家に戻ったところで国人衆が松平元康についてくるとは思えなかった。やはりこの挙兵は拙速でしかなく、乾坤一擲の賭けには破れたようだと思った。


 そこへ竹中重元が声を上げた。

「何をお悩みなされますか。松平元康殿は独立を願いますや」

 ふと松平元康は顔を上げた。

「松平元康殿は三河を纏め上げた松平清康公の嫡孫ではございませんか。三河を継ぐのは松平元康殿以外にはありえぬと存じます。先にお伝えした通り、姉小路家は松平元康殿の三河支配を支援する所存に存じます。……たとえ織田家が三河を望んだとしても」

 そうか、と松平元康が頷きかけた時に、ただし、と竹中重元は言った。

「ただし、松平元康殿の三河支配が三河の民のためにならぬとあれば、その時はおそらく鬼の姉小路が出現することでございましょう」

 平然と武力を背景にした威嚇を行った竹中重元に半ば唖然としながらも、鳥居元忠は言った。

「善政は当然のこととして、織田家に下らぬ以上、三河を望む織田家とは軋轢も起きましょう。戦になるやもしれませぬ。それでも姉小路家は我らを支持するのでございますか」

「そのように姉小路房綱より言いつかってございます」

 竹中重元が言い切ると今度は松平元康は尋ねた。

「もし今川家と当家が手を結ぶとしてもか」

「某は今川家の影響力を三河より除くように言われてはおりませぬ。故に問題はないかと」

 この言葉に姉小路家の目的が見えてきたような気がした松平元康は切り込んだ。

「姉小路家の目的は、もしや尾張、三河の安定、それによる伊勢、美濃等の安全確保、という辺りか」

 これには竹中重元は答えられなかった。当初の策では三河支配が目的であったが、それは草太自身により否定されたためであった。その沈黙を見て松平元康は続けた。

「それにより尾張織田家との衝突が起こるとすればどうする」

「三河の民のためにならぬとなれば別にございますが、某に与えられた命はあくまで松平家の三河支配支援にございます。その敵は誰であっても容赦は致しませぬ」



 松平元康はその夜評定を開きこれからの方針を確認した。その方針はそれまでとは特に大きな変わりはなく松平家の独立のための挙兵、姉小路家の支援を受けることであった。そしてその次に鳥居元忠の口から語られた言葉に、座は騒然となった。

「……尾張織田家との交渉は決裂、現時点では何の約定もございませぬ。また今川家も兵を三河に向けており、先日岡崎にいた遠州兵一万五千の他、今川義元自ら率いる本隊が三河と遠江の国境付近に至っているとのことでございます。東西を挟まれた形となる当家は、姉小路家の援軍ありといえども容易なことではございませぬ」

 本多忠真は騒乱を鎮めて尋ねた。

「織田家との交渉が決裂、ということでございますが、先方の条件はどのようなものでございますか」

「織田家の要求は織田家に税を納め臣下の礼を取ること、つまりは織田家の配下になることだ。到底飲めるものではない」


 松平元康は努めて冷静に答えたが、再度騒乱が起こった。織田家を討つべしというもの、織田家に下るべしというもの、策をもって織田と今川を相打たせ漁夫の利を求めるべしというもの、様々であった。酒井忠尚がその騒ぎの中で言った。

「姉小路家の援軍が来る、ということは姉小路家は当家の側につくという事でございましょう。それがなぜ織田家が敵でございますか。両家は協力関係にあるのではございませんか」

「既にそうでもございません。当初、尾張織田家と姉小路家は三河松平家の再興という一点で協力しておりました。姉小路家は三河の民のため、尾張織田家はその勢力の拡大のためでございました。しかし尾張織田家が三河支配を望み三河の民に苛政を加えるとあれば、姉小路家としては協力することは到底できませぬ。某も刈谷城で丹羽長秀殿、織田信長殿を説得しようと試みたのではございますが」

 竹中重元が言ったが、竹中重元自身、たとえ草太がそう言っていたとしても民のためなどとは信じていなかった。おそらくは座に居並ぶ諸将も信じなかったであろうが、名目はさておき姉小路家と尾張織田家は切り離されているという点については間違いのない事実であった。諸将は、おそらくは三河を今川家から切り取った後の取り分で揉めたのであろうと理解した。

 だが密かに織田家に通じていた者はこれでは済まなかった。自身が織田家に通じているために織田家の支配に入るべき、などという事は言えなかったが、織田家との協力関係を構築して姉小路家と共に今川家の兵を撃退すべし、という論調で論陣を構築した。

 だが石川数正は反論した。

「尾張織田家が当家を臣下として扱うのであれば今川家から織田家に乗り換えただけの事、この度の挙兵など何の意味もございませぬ。あくまで三河松平家の独立の問題にございます」

 この反論にまともに答えることのできるものはいなかったが、内藤清長は尚も交渉で、と粘った。その内藤清長に松平元康は言った。

「ならばそなたが織田信長の元へ交渉に行くが良い。期限は二日あるか無いか、精々三日、刈谷城から兵が岡崎へ来るまでだ。下手をすれば明日の朝にも来るだろう。成功しなければその方は一族郎党共々磔、家は取りつぶさせてもらう。当家が滅んだ場合には……」

 松平元康が目をやると竹中重元が頷いた。

「その場合には姉小路家が請け合いましょう」

 この言葉に内藤清長は口を噤まざるを得なかった。


 論議が尽きたところで松平元康は言った。

「姉小路家の援軍ありといえども東西に敵在り、容易ならざる状況だ。一方とは結ばざるを得ぬ。だが尾張織田家は臣従を強いるため先はない。それ故に今川家につく道を模索すべきであろう。条件としては儂の岡崎帰還、及び三河の独立だ」

 またしても騒乱になったが、最も過敏に反応したのは酒井忠尚であった。

「今川家につけば今までの苛政を認めることでございます。民の困窮は極限に至っており、それ故に我らは挙兵したのでございます」

「裏表六公四民」

 松平元康は静かに言った。一同静まり返った。ある者は自らの所領を思い、ある者は別のことを思った。

「我が父松平広忠の時代には表五公五民が普通だった。今は裏表六公四民。三河では多くの村々で課されているが、それで三河にいる今川家の兵五千が養えぬとは思えぬ。だが実際には多額の金穀が遠江より三河へ運ばれている。三河から遠江ではなく、な。今回の挙兵の軍資金と兵糧、というがな、今川家の城代が入ることとなって足掛け七年、その額は莫大なものとなっておろう。賦役も今川家から銭が出ていたと聞くが、現地では貰った家もあるまい。……さて酒井忠尚、蓄えた金穀はどこにあるかな」

 酒井忠尚は言葉に詰まった。三十五万石から四十万石近い量であり、半分を銭としていても十万貫の銭に二十万石の兵糧となるが、それだけの金穀はどこにもなかった。三割程度に当たる三万貫と五万石の兵糧とは残っていたが、金穀がかけ離れているのは明らかであった。更に賦役のために支払われた銭があるはずであった。本證寺に、と苦しい言い訳をしていたが、それを信じない国人衆は一斉に声を上げ始めた。それを鎮めて松平元康は言った。

「今は戦の前故、特に何も言わぬ。言わぬがこの一件が片付いた後に詮議をする。皆もそれでよかろう。……今川家につく道を模索する、その方針に何か申したいものは申せ」

 これには一同言葉もなく、交渉の軍使として鳥居忠吉が遣わされることとなった。


 翌払暁、酒井忠尚の陣をはじめいくつかの陣がもぬけの殻となっているのが発見されたが、松平元康は事実であったかと寂しそうに言うだけであった。酒井忠次は肩身が狭くなった。


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