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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百六十四、続、松平元康の挙兵

 松平元康が遂に挙兵し岡崎城を占拠した次第については既に述べた。この挙兵に先立ち姉小路軍が三河の国境を越えて杣路峠を抑えて武節城を落とし、また挙兵の報を聞いた尾張織田家が三河へと侵入していた。更に今川義元率いる今川家の本隊も東から接近中であり、戦の日は確実に近づいていた。



 姉小路家日誌弘治二年弥生二十三日(1556年5月3日)の項にこうある。

「松平元康殿、岡崎城にて挙兵。急を聞きて朝比奈泰能兵を返し、平野右衛門尉これを防がんとせしも不能あたわず、(略)鈴木重直降伏仕り候」

 松平元康の挙兵に応じて朝比奈泰能は軍を岡崎へ返し、まるで先に打ち合わせがあったかのように姉小路軍が入れ替わって足助に入ったのは、他の資料と突き合わせると弥生二十四日の事である。さして足助鈴木家は抵抗をしなかったところを見ると、本当に打ち合わせがあったのかもしれない。

 ところでこの頃から三州街道は大幅な改修工事が始まり、数年を待たずして三河から信濃を経て飛騨、越中へと至る、太平洋と日本海を結ぶ大動脈が形成されている。それまで小さな宿場であった足助の宿はこの時期から大いに賑わったとされている。だが不思議なことに姉小路家が足助の宿を直轄としたことはなく、逆に足助鈴木家には所領安堵状が出されている。一方平谷の宿は美濃を経て飛騨へと至る街道も同時期に整備されており、交通の要衝としてこちらも以前に比べ大いに栄えたのであるが、足助城のように城が築かれることは遂になかった。姉小路家が平谷の宿を軽視していたというよりは、殊更に城を築く必要がない程度には安全であったという事かもしれない。



 岡崎城陥落の急報を携えた使い番が足助城に駆け込んできたのは、弘治二年弥生二十三日朝のことであった。夜通し馬を責めてきたらしく疲労していたが、朝比奈泰能はすぐに報告を聞くべく陣へと召した。使い番の報告は簡潔であった。

「岡崎にて松平元康が挙兵仕り、岡崎城は落ちましてございます」

 朝比奈泰朝はこれを聞いて驚いていたが、朝比奈泰能はさして驚いた様子もなく落ち着いて尋ねた。

「意外に早かったな。……ときに山田景隆殿はいかがした」

「山田景隆様は兵三千を連れて東へ落ちてございます」

 三千か、と朝比奈泰能は考えた。全軍が無事に落ちることが出来たとすればそれほどの戦闘もなく城を脱したという事であり、更に追手もかからなかったという事であった。朝比奈泰能は使い番を下げて軍議を開いた。


「……ということで、岡崎城は松平元康の手に落ちた。早速軍を纏め岡崎へ取って返す。遅くとも夕刻には出る故、各隊支度をせよ」

 朝比奈泰能は軍議と言ってもほとんど議論もせずに、状況説明の直後に命令を下した。その命令に救われたような顔になったのは鈴木重直であった。少なくともこれで足助は兵糧不足のために略奪にあわなくて済むためであった。その鈴木重直に朝比奈泰能は言った。

「鈴木重直、そなたはどうする。……我らと共に岡崎へ向かうもよし、ここに残って姉小路軍を迎えるもよし。松平元康からの指示はないのであろう。それ以前に松平広忠殿にも仕えていなかったから松平元康へも仕える義理はないか」

 鈴木重直は混乱していた。三河国人衆からは距離を取っていたためにこの度の挙兵も聞かされておらず、松平元康の挙兵の意図が掴みかねていたためであった。こうした時には距離を取って様子を見るかどちらかへ賭けるかのいずれかであったが、この時の鈴木重直は前者を取った。勿論、直後に姉小路軍が侵入し足助を占領するのは目に見えていたが、手向かいさえしなければ仏の姉小路である、それほどひどいことになるとは思えなかった。

「この足助は我が所領、残って姉小路軍を防ごうかと存じます」

 ならばそうせよと朝比奈泰能は言い、軍議は終わった。


 軍議が終わった後、朝比奈泰朝は朝比奈泰能の部屋を訪れていた。

「足助から全軍を退けば足助は姉小路軍の手に落ちますが、よろしいので」

 朝比奈泰朝の質問に朝比奈泰能は答えた。

「無論だ。残せばその分は壊滅するだけだ。分散しても意味はない。全軍が残るか、全軍が退くか、どちらかしかない。だが残っても兵糧が足りぬ。となれば退くしかなかろう。……退いた後は、まずは岡崎城の西、矢作川沿いに陣を置く。矢作川を通じて兵糧が運ばれてくるからそれを取り込む」

「遠州から船で運んでおりましたか」

 いや、と朝比奈泰能はため息をついた。

「教えていなかったがな、それは私曲で蓄えられた兵糧だ。挙兵したからには岡崎城に入れるつもりなのだろう」



 松平元康の挙兵の報が武節城に本陣を構えた平野右衛門尉、竹中重治らの下に届いたのは、弥生二十三日の夕刻のことであった。既に平谷の宿に設けていた陣は周辺の治安自治と慰撫、そして補給物資の中継のためのわずかな兵を残して引き払い、杣路峠から武節城にかけての街道脇に幕屋を立て並べていた。一報を聞いた平野右衛門尉が言った。

「早いな。国人衆がそれほど兵を早く集めたのか。……いや、兵は既に集められており岡崎に集結しただけか。それにしても早いな」

 感想とも独り言とも言えない言葉に、竹中重治が反応した。

「兵は神速を尊ぶ、と申します。いささか拙速であったとしても策が露見するよりは挙兵する方がましだったかと存じます。ですが……」

 うむ、と平野右衛門尉は頷いた。

「おそらく足助から朝比奈泰能は兵を退く。松平家が復興し国人衆が敵に回るとすれば孤立するためだ。可能な限り早期に事態を収拾する必要があるだろう。ますこれで足助は兵糧が不足するようなこともなく略奪にあうこともなかろう。追撃が出来れば後が楽だが……物見や細作はどうだ」

 辰の刻ころの報告にございますが、と前置きして喜多村直吉が言った。

「足助の兵に動きはなし、とのことでございました。もっとも足助へ一報が届いたかどうかという時刻にございますから、まだ動きがなくとも不思議はないかと。物見はおっつけ夕刻の動きの定時報告が参る頃にございましょう」

 急襲をかけるにせよ、今から準備し街道があるとはいえ六里余の山道を踏破してということであれば、足助へ着くのは早くとも早朝となることが予想された。もし足助へ出陣した場合に朝比奈泰能隊一万五千が陣を張ったままであれば、不利は否めず、敵の動向次第では急襲ではなくじわりと寄せるべきであろうと思われた。

 いずれにせよ進軍する、支度をせよと平野右衛門尉は陣払いを命じた。


 夜半に入って朝比奈泰能の兵が足助を出立したとの急報が物見から届けられ、平野右衛門尉は翌払暁の出発とした。朝比奈泰能隊を追撃することは不可能であった。竹中重治は悔しがったが、平野右衛門尉は仕方があるまいと言っただけであった。翌夕、姉小路軍は足助の宿の北の口に布陣した。

 当然のことだがその様子は鈴木重直にも報告が上がっていた。

「数万、か」

 姉小路軍の数を聞き鈴木重直は諦めを含んだ声を上げた。小原直重が念のために尋ねた。

「籠城いたしますか」

「それで今川家の援軍を待つか。……無理だろう」

 分かっているだろう、と言外に言いながら、鈴木重直は軍使を命じた。降伏の軍使であった。



 一方、今川義元のもとに岡崎のことが伝えられたのは弥生二十三日夜のことであった。この夜、今川義元率いる駿河今川家の本隊は掛川城を出て東海道を進み、既に天竜川のほとりに陣をとっていた。既に寝所へ入っていた今川義元の下へ、不寝番が声をかけた。

「報告いたします、山田景隆様より使いが参っております」

 すぐ行く、と今川義元は声をかけた。身支度は陣中の事であるから帷子の類は脱いでおらず、脇差を差し小物を持ち烏帽子を被ればそれで済んだ。化粧首などと言われることもあるが対外的なものであり、特に陣中では公式に誰かと会う場合以外には薄化粧すらしなかったため化粧直しなども必要なく、単に濡れ布巾で顔を拭いただけで陣幕の中へ入っていった。

 陣幕の床几に腰を下ろし口上を述べさせるべく使者に面を上げさせると、その一人は見覚えがあった。

「まて、報告の前にじゃ。その方、名を何と申す。松平元康の配下と見えるが」

 言われたのは使い番の斜め後方、副使の座に座っていた若武者であった。頭を下げていた時には兜を目深にかぶっていたためか、誰も気が付かなかったようであった。

「松平元康が臣、天野康景にございます。主の命により推参いたしました」

 周囲の武将たちはいっせいに色めき立ったが、今川義元は裏があるようじゃのと笑い、使い番に報告するよう促した。

「松平元康、岡崎にて国人衆を率いて挙兵。岡崎城は松平元康の手に落ちましてございます。山田景隆様は兵三千と共に城外へ逃れ、西へと落ちてございます」

 今川義元は報告を聞き、使い番にのみ下がるように命じた。使い番が下がると今川義元は天野康景に尋ねた。

「で、何があった。あの松平元康のことだ、短慮に兵を挙げたわけではあるまい。手柄次第ではこのまま三河に留まり松平宗家として三河全土を束ねることも可能であっただろう。いずれは当家からの独立もな。何が起こったのかな」

 と水を向けてはいたものの、松平元康が家臣を送ってきた以上ある程度の事情は今川義元にも予想がついた。

「松平元康は岡崎にて兵を挙げましたが本意ではございません。そうせねば国人衆の暴発は免れない仕儀になったためでございます。その証拠に山田景隆様以下足軽に至るまで、ほぼ無傷で岡崎城を退去し追っ手もかけておりませぬ」


「それで黒幕は誰だ。暴発する、ということであれば誰かが裏で糸を引いており、それを抑えきれぬという事であろう。その糸を引くものは誰だ」

 富士信忠が尋ねたが、天野康景に代わって岡部正綱が言った。

「岡崎についてからの仕置き、それも内密に行うつもりであったからそなたらには話が通っていないのも道理なのだがな、三河では大掛かりな私曲がある。……まま、黙って聞け。私曲に参加している国人は多いが、大まかに三つに我らは分けている。一つは元締めからの締め付けで私曲と知らずに参加しているもの、小者の大部分がこれだ。一つは松平家の三河復帰に向けた資産獲得のためのもの、もう一つは私利私欲のために私曲をしているものだ。最初の者たちはさておき、残りは峻別せねばなるまい。……糸を引いているとすれば私利私欲のための私曲をしたもの、さもなければ外部からの調略だろう。なぜと言えば、松平元康も知らぬ事ではあるが、松平家の三河復帰はここで挙兵しなくとも数年以内に容易に達成できるからだ。挙兵すれば、結局は尾張織田家か姉小路家の走狗にされるのが関の山、今川家との戦いですり潰されるだけだ」

 天野康景が後を引き取った。

「我が殿松平元康も同意見で、国人衆からの挙兵要請を断りました。挙兵せずとも十年以内には三河には戻ることが出来る、と。国人衆の突き上げにも織田家との交渉が纏まるまで結論を伸ばすとして時間を稼ぎ、御屋形様の到着を待つ策に出ましたが突き上げも激しく、松平傍流松平家次を担いで織田家に寝返り戦を行う、松平元康を殿とは認めぬ、とあれば挙兵せざるを得ませぬ。……首魁は、おそらくは酒井忠尚。他にも関わっているものもおるかと。その背後には尾張織田家がおり、姉小路家もおります。ただ姉小路家は松平元康が立たなければ兵を退くと言ったとの事、今回の挙についてはあまり積極的ではないように存じます」


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