二百五十九、三河への序曲
伊勢討伐の報告のために上洛した草太が将軍足利義輝から褒美として伊勢守護代の任免権を得、守護職に残った北畠具教はそのまま幕臣として足利将軍家に仕えることとなった次第については既に述べた。
高屋平助日記弘治二年弥生十五日(1556年4月24日)の項にこうある。
「姉小路房綱公、一条房通公の邸を訪問、西洞院時当殿とも面会いたし候。駿河今川家の動向について話あり。夕刻二条御所に参内、三好家への対策を練り候」
この部分は、他の文書から十五日ではなく十七日の事であるという事が分かっている。
時の三条西家の当主三条西実枝は九条稙家の従弟に当たり、この記述などからこの縁で駿河今川家を三好家、乃至は九条家が動かそうとしていた節があるという見方がある。三好家がこの時期その戦力の大部分を播磨での赤松、内ケ島両家との戦いに充てていた事もあり摂津への侵攻を避けたかった、という理由からであるが、三条西家が本当に駿河今川家を動かそうとしていたかどうかについては疑問が残る。
もっとも尾張織田家と三河松平家、ひいては駿河今川家の抗争自体は、織田家先代の織田信秀の頃には本格化していたため、工作の有無に関わらず早晩駿河今川家と姉小路家は対立していたとは思われる。実際にこの時既に松平元康は既に朝比奈泰能と共に遠江で兵を集めており、三河入りもこの前後の事である。
弥生十五日に朝廷に参内し、二条御所にて将軍足利義輝に拝謁した草太であったが、すぐには観音寺城に戻ることが出来なかった。というのも、自らの烏帽子親であり恩人の一条房通が折から体調を崩していたため、その見舞いをする必要があるためであった。
「西洞院時当殿から返書が参りました」
弥生十五日夜、一条房通の体調について西洞院時当に手紙で様子を尋ねた返書が届いた。西洞院時当はこの頃、草太のことが縁で一条家の寄子のような立場になっており、かなり内情について詳しく知る立場にあった。返書に書かれていたのは、まず病状のことであった。医者ではないため詳しくはないが、としつつも既にかなり重篤であり、曲直瀬道三の見立てでも「あまり宜しからず」との事であった。
更に見舞いにも触れてこう書かれていた。
「日頃付合いも無きに病と知りて急に見舞いを言い立てる者甚だ多く、見舞客多くあり病の床に就かれる事も難し。甚だ難儀なり」
返信に添えられた押し寄せた客の名簿をみて草太は気が付いた。草太は思いもよらなかったが、見舞客が押し寄せたことは姉小路家が公家に、横領された所領分を補てんする名目で出している多額の寄付、その元締めであるために起こっていた。現在は一条家との関係がどうあれ、寄付の総額を元々の家格や役職などを勘案して分割してそれぞれの家に配っていたのではあるが、一条家に接近しておけば今後の分割に手心を加えてもらえる、という期待からであった。そのため元々一条家と親しい家柄だけではなく、九条家の寄子ともいうべき立場にいるような家まで一条家に押し寄せていたのであった。流石に清華家はいなかったが、大臣家の中院家の名があったのには驚いた。草太は知らなかったが中院家は分家として伊勢北畠家を輩出しており今回の伊勢討伐に関して姉小路家の機嫌を窺うためであった。もっとも草太自身もこのことを知らない上に姉小路家自身は分配に全く関与していないため、まったく意味はなかった。
草太もこのような有様では、とは思わないでもなかったが、それでも草太の意を汲んだのであろう、手紙には見舞へ行く話は書いていなかったが末尾には「弥生十七日夜、二条晴良公、近衛前久公がお見舞いされる際にご同席をお願いいたしたく」と書かれていた。草太は一条家への訪問の手紙を出すとともに、西洞院時当にも話を通すべく手紙を書いた。
そして十七日夜、草太は下り藤の紋のついた牛車に乗り、一条家の門前で降りた。邸に着くとすぐに奥に通された。二条晴良、近衛前久の二人はまだついていないようであり、草太は少しほっとした。身分としては目上に当たる二人を待たせるのは、やはり憚られたためであった。
奥の一室で、一条房通は床に横たわっていた。草太が一条房通を見た印象は、かなり痩せたのに加え頬が大きくこけているのがその原因であろう、小さくなった、であった。また燭台の明かりではよく見えなかったがかなり顔色も良くないようであった。草太が入ってきたことを察してか、一条房通は目を開けた。起き上がろうとしたが、それは家宰の鈴木が止めた。
少しして二条晴良、近衛前久が脇に西洞院時当を連れ入ってきた。すると一条房通も起き上がり、床の上に座った。その体はやつれているとはいえ、その目は生きていた。鈴木が湯呑を差し出し白湯を飲むと、一息ついて一条房通は声を出した。普段と変わらぬ声であった。
「姉小路房綱、よくぞ参った。……なに、仮病よ。一日一度薄めの重湯のみの生活は、流石にきつかったがな。こうでもせねばそなたと会うのにいろいろと勘繰られるからな。……近衛公も二条公も、茶番に合わせてもらって済まなんだな」
「それよりもお年を召しているのにこの芝居は流石に応えましょう。見舞いのあしらいもかなり厄介だったでしょうに……そういえば随分と九条家の側からも公家が釣れましたな。来ていないのは今京にいないものを除けばいくらも居らぬほどに」
近衛前久が笏を片手に面白そうに言った。それを二条晴良が引き継いだ。
「それだけこの姉小路家からの寄付が命綱の家が多いのであろうよ。……それにしても九条の派閥に、我らの派閥の公家があまり来ていないことから重病ではないと見破るものも居らぬとは情けない。姉小路房綱が京を離れてから仮病を装い噂を流し、京に居て少し注意してみれば分かることだろうに、狼狽しおって」
情けない、というのは確かに二条晴良が、平安の昔から戦国時代に至るまで権謀術中の中で生き抜き磨かれてきた生粋の公家、その頂点の一人であるためであった。もっとも名簿を渡されても分からなかったから、草太には九条派の公家を笑うことはできなかった。
「姉小路房綱まで来るとは思っていなかったが、どうも気になることを聞いたからな。丁度上洛してきたのを幸いにな。……なに、噂を聞く耳には不自由しておるまい。そして噂を無視できるそなたでもあるまい」
一条房通は言ったが、どうもこういったことは草太では一条房通には敵わないところがあった。して気になることとは、と草太が尋ねると西洞院時当が言った。
「図らずもほぼ全員が釣れてしまったのは予想外でございましたが、これは九条家の派閥の切り崩しを狙ったものでございます。既に中院家以外の大臣家、精華家の九条派は二条家、近衛家の派閥へと鞍替えしてございます。中院家は伊勢北畠家を分家として輩出しており、伊勢北畠家は足利将軍家に討伐される事となったため憚られたのでしょう。間諜として働かれてはこちらも迷惑でございます故」
その中で、と一条房通は言った。
「気になる噂を聞きつけてな、辿ってみれば本当であった、というのが本筋だ。三条西家、この当主三条西実枝は、今は駿河におる。歌を詠むのは良いがそれ以外はあまり、という御仁ではあるが、九条稙家の従弟に当たる。そして駿河今川家を動かそうと密書を送っておる」
近衛前久が一つため息をついた。
「三条西実枝は歌三昧の者、かようなる事には縁がないと思っていたのだが、な。分からぬものよ」
草太は少し気になった。確かに密書は本当であろう。だが駿河今川家の動きはつい先年の織田家の家督相続への介入、さらに言えばそれ以前の三河松平家と尾張織田家との確執から生じているように思われ、更に今は姉小路家の兵が平谷の宿へ展開していることを視野に入れてのものであるように思われた。そのことを伝え、草太は言った。
「三条西実枝様は関わっていないかもしれません」
そうか、と二条晴良は頷き、言った。
「関わっていないならば、精々東宮殿下に古今伝授をさせるだけにしようか。……姉小路房綱、これから今川家との抗争であろう、ご苦労であるが三条西実枝は生かして連れてきてもらいたい」
翌日、草太は早朝のうちに朝廷に下向願を提出して即座に受理され、その足で二条御所に出向いた。将軍足利義輝はこの日は政務もなく、朝餉の後は北畠具教を相手に剣術の修業に余念がない様であった。剣術の修業の最中に草太が平助を連れて現れたと聞き、すぐに奥の広間に呼び入れた。
「慌ただしいが、下向か。今の状況で領国を開けるわけにもいくまい。……それよりもしばらく会わないなら一手、どうだ」
将軍足利義輝の手には既に木剣が二本握られていた。一昨日の今日で随分と仲が良さそうなのは、どうやら北畠具教も将軍足利義輝と同じ剣術使いが本質か、と草太は苦笑しながら、一手を受ける前に話をせねばと思った。
「話が終わってからならば、一手とは申しませんので夜まではお相手仕りましょう。実は……」
草太は駿河今川家に関する一連の話を話して言った。
「既に尾張織田家は、止められません。止めるのであれば当家が尾張を平らげる以外には手がございません。尾張織田家先代織田信秀以来の三河松平家との確執はそこまで来ております。そして駿河今川家も、東の相模北条家、北の甲斐武田家との同盟を破らない限りは勢力を伸ばすには三河から尾張、美濃へと手を伸ばすしかございません。駿河今川家も止まらぬでしょう」
そこへ北畠具教がぞんざいな声を上げた。この広間では兄弟弟子で一剣客、とぞんざいな口調を許されているようであった。
「どうも分らんな。確執のことは知っている。だが正月には尾張織田家からは織田信長殿、駿河今川家からは今川氏真殿が名代として上洛したと聞いているが、そこまでの仲なのか」
「つい最近も尾張織田家の家督相続問題を口実に駿河今川家が兵を出して姉小路家との衝突が起こり、その際の姉小路家との和睦の条件で上洛しただけだ。駿河今川家は足利将軍家の分家でもあるが、どうもこちらにはついてくれぬようであったな」
将軍足利義輝が少し寂しそうに言い、そして続けた。
「もっとも付いてくれたところで尾張織田家は止まらぬのであれば無駄か。……姉小路房綱、そなたは織田信長、あの男をどう見る」
草太は少し考えて言った。
「懐深く情を知っているものの、最後の一線では冷徹に情を切れる人物かと」
「では、三河はどうなるのが良い。誰の支配が良い」
この言葉に、草太は少しだけ言い淀んだが、それでも言った。
「苛政さえ行わないのであれば誰でもよいかと。ただ、このままいけば三河の民は尾張織田家と駿河今川家の間ですり潰される運命でございましょう。一層のこと松平家が再興されれば三河の民は納得するかもしれませんが、やはり東西に左右される運命でございましょう」
ふむ、と少し考えた将軍足利義輝であったが、その決断は早かった。
「三河までは、これも戦国の世の習い、調略の結果にかかわらず受け入れよう。だがそれ以上は、当面は許可しない。尾張織田家にはそう伝えよ。こちらからもそう使いを出そう」
「駿河今川家はどうしますか」
北畠具教の問いには将軍足利義輝は簡単に言った。
「駿河、遠江の守護は駿河今川家。ならばその地は駿河今川家が治めるべきもの。と、これは駿河今川家にも使いを出さなければならぬな」
御意、と草太が頭を下げると将軍足利義輝は、聞いたな、と小姓の河田長親に声をかけた。北畠具教は、守護代を置かせることで実権だけを姉小路家に与えるとは上手い手を考えるものよ、と釈然としないながらも苦笑した。
「さて、政向きの話はここまでにしよう。……草太、久々に一手、相手願おうか」




