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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百五十六、北伊勢騒動

 渡辺前綱が下伊那に地盤を築き、飯田城を攻略した次第については既に述べた。この後しばらくは小競り合い程度で伊那谷の飯田城以南を姉小路家が、中部より北は甲斐武田家が保有するという形で戦線は膠着するのであるが、これについてはまた後に述べる機会があろう。



 勢州軍記にこうある。

「姉小路房綱公、長野工藤家を一門衆後藤帯刀が子後藤泰治に継がせ、(略)長野泰治が家督を継ぎて後、北伊勢を長野工藤家の支配と致し候。されども付家老安藤守就、竹中重元の両名国を開けること多く、千種忠治、ふと悪心起こりて神戸利盛、関盛信らと語りて騒動を起こし候。姉小路房綱公、激怒召されて曰く、位にあらざるなり、即ち封土を召し上げ(略)」

 北伊勢は、姉小路家の支配下となった土地に珍しく騒動が起こった土地である。国内での一揆、反乱の類は、姉小路家は非常に少ない部類に入るが、例外の一つはこの北伊勢である。

 ところが彼らがなぜ蜂起に及んだのか、その理由ははっきりとはしていない。長野工藤家が姉小路家に臣従した直後に長野工藤家に臣従した北伊勢の有力国人、いわゆる北勢四十八家の多数が参加したこの騒動は、何を目的としてのものなのかすらはっきりしないのである。ほぼ同時期に長島城も陥落していることから石山本願寺との呼応も強く疑われるが、それを示す資料は何も残されていない。

 これを機に北伊勢が長野工藤家による支配ではなく姉小路家の直轄地として組み入れられ、また長野工藤家も責任を問われてされ長野泰治が武将衆として出仕し長野藤定を安濃津を中心とした国人衆として分家するということで一応の決着を見ている。長野工藤家の嫡流という名こそ後藤帯刀の血筋である長野泰治が継いだが、長野藤定は傍流とはいえ長野工藤家の血筋を残すことが出来た辺り、上手い立ち回りに成功したといえるかもしれない。



 弘治二年如月二十六日(1556年4月6日)夕、亀山城に三人の武将が集まり酒宴を開いていた。集まり、というのは少々正しくはなく、実際は街道整備の都合で来合わせた二人を城主の関盛信が歓待し、旧知の中である三人で酒宴を開いただけであった。その席上、千種忠治が言った。

「それにしても、じゃ。あの長野工藤家が姉小路家の一門衆を養子に貰い家督を譲るとはのぅ。踏みつぶされては溜まらぬ、と我らは長野工藤家に臣従した。そうすれば相応の地位が与えられるべきじゃったからの。じゃが」

 酒をあおって忌々しそうに続けた。

「じゃがふたを開けてみれば美濃の安藤守就、竹中重元が付家老として儂らの上についた。それだけでも腹が立つのに、我らに街道整備、領内巡察を命じただけで本人は何もせぬ。どころか、姉小路家に命じられたからと一人は信濃へ、一人はどこぞへと行っておる。賦役も禁じられては我らが貯えを費やして人を雇って行っているのに、じゃ」

 酒も回ってきているのであろう、千種忠治は日ごろの不満を口にしていた。それに同調したのは関盛信であった。

「そなたの言い分ももっともだ。それ以上に腹に据えかねるのは、儂は蒲生賢秀殿を介して姉小路家に仕えた積りであった。だが伊勢北畠家の脅威が去ると十日ばかり前に来たこの一片の書状で長野工藤家の傘下となるように、と片づけられた。どういう扱いになるかが決まっておったわけではない。我が言い分は現状の領土を保ちつつ戦にならぬように、とそれだけなのだ。多少のことは目もつぶろう、だが一片の書状で陪臣とされるのは、流石に腹に据えかねるのだ。どうだ、神戸利盛、そなたのところは」

「その手の不満はない。ないがな。……既に北畠家の領土は姉小路家のものだ。もうすぐ長島城も降伏するだろう。これも時間の問題だな。だが我らはいずれにも参加していない。手柄を立てる機会すらないのだ。長野工藤家に回ってくるとしてもそう多くはあるまい。そして新たに付家老が付けられた。未だ禄高さえ決定していないが付家老にも禄を出さねばなるまい。碌に領内にもいない、姉小路家のために働いているあの付家老に対しても、だ。……長野工藤家が直轄領を削ることが出来るほど領土が広いわけもない。となれば手は一つであろう」

 関盛信が、忌々し気に言った。

「我らの領土を削る、ということか」

「特に亀山城は交通の要衝、ここを抑えたいという気は十分にあるだろうの」

 千種忠治が言えば神戸利盛も言った。

「千種城も千種越えの要衝、そちらも危険であろうし、梅戸高実は六角家の一族、睨みを利かせる意味でも怪しかろう。ま、そこを言えば当家も伊勢北畠家の流れをくむ家柄、うちも怪しかろう。……おそらく減封は北畠家の件が片付けばすぐにでも行われるだろう」


 しばしの沈黙が流れた。

「姉小路家との対立は、まず無理じゃの」

 千種忠治が無念そうに言い、酒を一口飲んだ。仕方があるまい、とほかの二人も頷いた。それを見てさらに千種忠治が続けた。

「防ぐ手立ては、何らかの功績を上げること、これ以外にはあるまいて」

「どうやってだ。我らは戦場に立つことすらなく手柄の上げようもない、それが問題なのだ」

 関盛信が言ったが、千種忠治は言った。

「我らへの命は何だったかの。……街道整備と治安維持、これじゃ。街道整備は大きな手柄を突如として立てるようなことはできぬ。地道に一歩ずつ整備するほかはあるまい。だが治安維持、こちらはやり様次第じゃ。……大規模な一揆がおこり、それを早期に鎮圧する。そうすれば手柄じゃ」

 神戸利盛が言った。

「そう上手いこと反乱が起こればよいがな。……いや、起こすのか。一向宗……は早期に収拾させるのが難しいな。やるとすれば地侍辺りか」

 こうして三人の密議は、酒が入って過激化し混乱しながらも続いていった。


 翌朝、三人が密議の最後の詰めとばかりに連判状を作った直後、使い番が来て北畠晴具が首とされたことを伝えてきた。三人はことを急ぐ必要があった。実行できる期間は草太が伊勢から近江へ帰還した後、長島城の陥落までであり、もう準備の時間もあまりなかった。千種忠治、神戸利盛は急ぎそれぞれの城へ戻っていった。



「本気でございますか」

 鹿伏兎定長は話を聞き思わず耳を疑った。主君関盛信が周辺の地侍を集めて扇動しそれを自ら鎮圧してみせる、と言い出したことに対してであった。

「当然本気だ。やらなければ当家は大きな減封になり、おそらくは亀山城は召し上げられるだろう。それは我慢がならぬ」

 鹿伏兎定長は必死に説得しようとした。地侍をそのように扱えば本当に一揆が起こりかねず、自ら鎮圧しようとして返り討ちに遭う可能性すらあり、なにより姉小路家がそのような動きを察知しないとは思えず、おそらくは扇動している時点で関家が鎮圧対象とされる、と。なにより鎮圧のための兵力が不安であった。

「今までの戦でさえ、地侍を集めての戦でございます。扇動により地侍が敵に回って、勝てるとでも思うのですか」

「そこは三家合同だからな、軍役を強化することと同時に談合により手加減をさせる。共倒れではならず、さりとて火が小さければ手柄にはなるまいからな。加減が難しかろうが」

「三家、とは他にも参加する家がございますか」

「千種家、神戸家が参加する。特に千種家は北勢四十八家の有力者、上手く出来るであろう。最悪の場合には千種家にすべてを押し付けることもできよう」

 そう上手くはいかないだろう、と鹿伏兎定長は説得を続けたが、その説得は不調に終わった。



 千種忠治、神戸利盛、関盛信は草太が鈴鹿峠を越えて帰国し次第、活動を開始すべく暗躍していた。だが彼らの配下は事が明らかになれば処罰は免れないため、当然のことながらこの計画には反対であった。鹿伏兎定長は密かに千種家の春日部俊家、神戸家の峯広政と連絡を取り合い、情報を共有していった。

 千種忠治の勧誘は見事であった。北勢四十八家、その当主ではなく部屋住みの次男、三男、分家筋など今後領地が削られれば真っ先に影響が出る層に働きかけて危機感をあおり、上手くいけば本家の当主になるための後押しを約束し、かつ本家筋にはもしもの時にも影響は出ないと説いた。更に味方となったを他家の説得に向かわせることによって、北勢四十八家中三十五家までが二日目の夜の時点で協力を約束していた。北勢四十八家とはいえ実際には五十三家系四十一家しかない上にその中には三家と長野工藤家が含まれるため、この数はほぼすべての北勢四十八家が関与しているといってよかった。この他、神戸利盛、関信盛の元にも食い詰め者やならず者の類が徐々に集められており、蜂起は予想以上の規模で行われる見込みとなった。


 そして四日経ち弥生朔日となった。

 草太は軍をまとめて観音寺城に戻る、と決めて田丸城を出たが、今回は急ぐ事情もなし、と足利将軍家の越前兵と共に足並みを揃えての移動であったため明日は亀山城下に入る、という旅程であった。服部保長は妙な動きがあるのは察知していたが、兵を集めているといっても山狩りや定期的な調練と言い逃れできる程度の数でしかなく、時期が農繁期も近いのに多くの家が同時期に兵を集めるのが妙なだけであった。

 そこへ鹿伏兎定長、春日部俊家、峯広政がご機嫌伺、と来た。公式には鹿伏兎定長が、往路ではあまりもてなしもできなかったため、と饗応の使者であったが、その用件は他にあった。無論、この一件について知らせるためであった。


 服部保長は言った。

「最近の動きに妙なものがあると思ったが、それか。……御屋形様、いかがなさいますか」

 草太はどうにも嫌な気分になった。所領を守るためとはいえ、自作自演で一揆を起こして鎮圧してみせ、それを手柄として憚らないなど、なんと醜いものであろうかと思った。一揆鎮圧が手柄となるほどであればそれなりの規模でなければならないため、一揆が起き鎮圧する過程では少なからぬ人が死に、また被害が出るであろうと思われた。

 無論、蜂起前に鎮圧すべきであった。それも千種家、神戸家、関家も合わせて一切の行動を鎮圧しなければならなかった。


 使者を返し難しい顔をしている草太の前に長野泰治が進み出て平伏した。

「御屋形様、この一件、私に預けていただけませんか」

「どうするつもりだ」

 服部保長が尋ねると長野泰治が簡潔に答えた。

「蜂起させ、鎮圧させます」

 なに、と草太は長野泰治を見据えたが、長野泰治は続けた。

「兵に被害が及ばぬ、とは申しませんが、最小限にはなるかと。何しろ実績作りの談合で出費はなるべく避けたい、というのが本音でしょうから。それに当主の交代を迫るつもりとあればそれなりの兵力は残そうとする筈にございます。……その後、参加した各家は連座として取りつぶし、本家筋のみ庄屋程度に致します。そして三家は鎮圧の功、どころか騒乱を未然に防ぐこともできなかった罪に問いこちらも取りつぶします」

 ふむ、と草太は考えた。長野泰治の策は実際上、蜂起に参加しようとした各家や千種家、神戸家、関家を個別に鎮圧しようとするよりも短期間に終わり被害も小さくなる、と認めざるを得なかった。問題はその後、北伊勢を長野工藤家が抑えられるかどうかであった。

「……策には続きがございます。その後、この騒乱の責任を取り長野工藤家は今の地位から一国人衆にまで降り、同時に三家の策動によるものと噂を流します。後の支配は姉小路家の手で行えばよろしいかと」

 草太は目を瞑ってしばらく考え、そしてこの策を一部変えて採用した。



 十日後、草太は既に観音寺城に在り、細川藤孝は兵は部下に任せて報告のために京に上っていた。


 政務の間で草太が政務をとっていると、服部保長が面会を求めてきた。用件は聞かずとも分かっていた。北伊勢の騒動について、遂に一揆が蜂起したが、千種家、神戸家、関家が迅速にこれを鎮圧した、とのことであった。

 草太はかねて用意してあった長野工藤家に対しての書状に署名花押をし、後藤帯刀に一鍬衆千をつけて安濃津城に派遣し、また北勢四十八家の当主らを安濃津城に集めさせ、披露させた。書状にはこうあった。


 一、蜂起に参加せし者を出した各家は取りつぶす

 一、千種家、神戸家、関家は鎮圧の功ありと言えども、そも役目は蜂起を起こさぬ事なり。よって三家ともとりつぶしの上、当主は鞍馬寺にて蟄居を申し付ける

 一、長野泰治は事を未然に防げぬとは未だ位にあらず、即ち長野泰治は軍学校よりやり直すべし。また付家老はその任を解くこととす

 一、長野工藤家は安濃津城及び安濃郡より一万石相当を安堵する。家督については姉小路家の容喙するところにあらず


 蜂起に参加した身内を持つ北勢四十八家は取りつぶしと聞いて愕然としていたものの、庄屋としての地位を認める、など一種の郷士としては存続を許すと後藤帯刀が明言し、戦国大名として兵を率いることはないがそれ以外の実質としてはさして変わらぬ扱いときいていささか安堵した。

 一方で千種家、神戸家、関家は納得がいかず後藤帯刀に詰め寄ろうとしたが、長野泰治に連判状や蜂起に参加した者たちに発給した安堵状を公開されると黙った。鞍馬寺での蟄居は他家の手から姉小路家による保護である、と気付いたためであった。

 長野工藤家は家督はそのままに長野藤定が分家を作り国人衆となる道を選んだ。これは、姉小路家の一門衆の連枝、という立場を考えれば名を捨てて実を取るためであった。


 こうして一連の騒動は終息した。

 同じ日、平野右衛門尉から下間頼照、願勝寺証意ら主だったものと僧兵団は船で東へ逃げ、残された末端の僧や農民たちは降伏し、長島城が陥落したという報告があった。

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