表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
265/291

二百五十五、飯田城攻略

 下伊那の支配権の帰趨を決める姉小路家の渡辺前綱と甲斐武田家の馬場信春の戦いが二ツ山、三ツ山を前に行われ、甲斐武田軍は完膚なきまでに敗北、安藤守就は兵を繰り出して追撃をしたが及ばず、辛うじて馬場信春らは飯田城に戻ることに成功した次第、そして渡辺前綱と合流して飯田城を包囲した次第については既に述べた。


 

 甲陽軍鑑にこうある。

「馬場美濃守殿、飯田城に籠り高遠城に在る武田左馬助様に後詰を願い候。武田左馬助様、救わんと欲するも甲斐なく、(略)囲まれること二十日、飯田城は降伏いたし候」

 甲陽軍鑑は成立時期もはっきりしないが、早くとも武田家滅亡直前からの数年間とされる。そのため様々な間違いも多くあり、例えばこの馬場信春がこの時点で美濃守を名乗っている点などもその典型である。とはいえ、大筋としては姉小路家が飯田城を攻略し姉小路家が下伊那を完全に支配下に置いた、という点に違いはない。

 一方の姉小路家もこの飯田城の攻略後は渡辺前綱が飯田城に入り、暫くは前進をしなかった辺り、姉小路家もこの時期からしばらくは内政の時間、ということであったのだろう。



 二ツ山、三ツ山を巡るあの合戦から三日経った弘治二年如月二十八日(1556年4月8日)に至っても、渡辺前綱は飯田城を目の前に、包囲陣を組ませたまま動かなかった。否、動けなかった。北には武田信繁が高遠城に擁している兵一万を中心に、国人衆なども合わせれば二万から三万という兵を集めることが出来ると思われた。野戦でこの数と対峙するのは現在の兵力では不安が残る状況のまま、飯田城攻略に動いても飯田城がそう簡単に落ちるという保証もなく、飯田城を攻撃中に後方から襲われると相当の不利になるのは明らかであった。


 久米ヶ城は既に守備兵三百を置いただけで、戦のための支度は最低限度しか行っていなかった。そのため稲葉良通も兵を引き連れて飯田城包囲に加わっていた。この日、着陣挨拶に来た稲葉良通が、一通りの挨拶のと報告の後言った。

「さて、朗報にございます。既に報告が上がっているかもしれませんが、昨日街道が開通し輜重隊が既にこちらに向かっております。第一陣は我らとともに参りました。また一部は竹中重治の平谷の宿へ送りましてございます」

 ご苦労、と言った渡辺前綱であったが、その顔は晴れなかった。

「……動くに動けませんか」

 うむ、と苦々し気に頷いた。物見の報告では高遠城を中心に一万数千の兵が展開されており、仮に徴募しなくとも数の上では互角以上の兵力を集めるのは難しくないようであった。更に先日の戦で蹴散らかした兵の内、さして重傷でもなく捕虜にもできなかった者たちは、付近の村で徴募された農民兵であればそのまま村に帰っただろうが、甲州兵や中信濃の兵は飯田城に入れない以上、高遠城に入ることも十分に考えられた。実際に物見がそれらしき兵を確認したという報告もあげられていた。

「城攻めは、背後を突かれる恐れがあるだけに取りにくい。だがこの飯田城を残して決戦を求めるにしても、あちらが動かねば手の施しようがない。だからといって兵を下げるのも下策、今は我慢の時だ。……甲斐武田家が動いてくれればむしろ楽なんだがな。その後変化はないか」

 渡辺前綱の言葉に平野神衛門が言った。

「甲斐武田家は守備の構えのまま特に兵を集めてもおらず、大幅な後方よりの増援でもない限りはこちらへ攻め寄せるのは困難かと。諏訪にも手の者を回してはおりますが、今のところ増援が来る気配もありません」

「今動けないのであれば、足場固めをすべきかと。お許しがあれば村々を回り下伊那の治安維持と住民への慰撫工作を行いたいと思いますが」

 こう言ったのは軍学校二期生で、軍学校の中でも軍政を専門にした砺波市蔵であった。民心を掴むのは早ければ早いほど良いため、渡辺前綱はこれを許可し、一鍬衆五百と輜重隊、医療隊の一部を割り当て、砺波市蔵は早速兵を率いて出陣した。まずは村々の巡回、そして怪我人、病人の手当てと庄屋を回っての状況聞き取りと土地の作物の調査、そして治安回復が主な仕事であった。水利権の問題や戦場となった村々の補償問題、阿智村付近の宿場の整理など、すべきことは多かった。



 十日経った。

 信州遠山郷に向かった山岡景隆は順調に降伏させて既に帰陣しており、吉岡城には一鍬衆五百が入っているだけであった。寝返った伊那谷国人衆の兵は解散させ、郎党のみを伴として許して飯田城包囲の陣に加えていた。また竹中重治も平谷の宿のはずれに陣を築き、いつでも三河に入ることが出来る支度が出来たと報告が上げられていた。しかし肝心の飯田城包囲、上伊那への侵攻の戦線は膠着したままであった。

 膠着する戦線は城に籠る側に有利に働きやすく、侵攻している側が不利と相場は決まっていた。姉小路軍も野営の本格化を行ってはいたもののやはり疲れは溜まっていくようであった。渡辺前綱はこの状況を見て、目に見えるほどの影響が出る前に何か手を打つべきだと考え、陣幕の中で意見を募った。不破光治が言った。

「まずは足場固めを優先すべきでございますが、停戦を呼び掛けてはいかがでございますか。条件は飯田城からの城外退去、そして三月程度の停戦。これでいかがでございましょう。国境線は、飯田城と船山城の間とすればよかろうかと」

「無論それが通ればかなり楽になるはずだ。問題は相手が飲むかどうか、という点であろう。……小笠原長時殿、どう見ますか」

 軍議の席には連なっていたが、特に発言をしないつもりであった小笠原長時は、突然意見を求められて戸惑っていたが重ねて渡辺前綱に尋ねられた。

「実際に甲斐武田家とこの信濃の地で戦ったことがあるという経験から、先ほどの提案は受け入れられると思われますか」

 ふむ、と考え、小笠原長時は答えた。

「おそらくは条件次第では通るでしょう。高遠城には武田信繁殿が既に入っているとのことでございますが、背後を突くつもりであれば既に兵を集めて攻撃に向けて動いているはずにございます。なぜなら、これから農繁期に入るからに兵が逃げぬように纏めるだけでも一苦労であり、更に収穫高も下がってしまいます。速戦を選ばないならば停戦は魅力的でございます。さらに馬場信春以下を無事に連れ戻せるということであれば、充分に目はありましょう」

「何かを、例えば一揆など後方攪乱の策を待っているのでは」

 安藤守就の声に渡辺前綱が言った。

「一揆はなかろう。その核となる地侍は小笠原信貴が纏めて船山城に入っている。入っていないのは甲斐武田家に反発した者達や小笠原長時殿についた者達だけだ。国人衆も、甲斐武田家につく者たちは皆、既に各城に配置されている。……こうみると、甲斐武田家側は余裕がないのか」

 御意、と不破光治が言ったが、稲葉良通は言った。

「余裕、という意味ではこちらもございません。更に上伊那から諏訪にかけてはまだ動員をかけることが出来ますし、後詰も期待できるでしょう。西美濃からの新兵を派遣してもらえる確約はなく、飛騨から美濃までの街道も、少人数の行商や隊商ならば可能でしょうが、軍となれば難しいかと。雪解けまでにはもうしばらくかかるものと思われます。……いずれにせよ、苦しいときはいずれも同じ、ならば手をあまりに早く打つと見透かされるかと」

 一息を吐いて、渡辺前綱が言った。

「苦しいときはいずれも同じ、か。……十日待つ。十日後、情勢が変わらぬようであれば軍使を出す。その方針で動く」



 一方の飯田城では連日軍議が行われていた。丁度、渡辺前綱が十日後に軍使を出すと決めた夜にも、軍議は行われていた。

「して、高遠城からその後の連絡は」

 馬場信春が眉間に皺を寄せて言った。報告は上がっていない、即ち何の連絡もないことは分かり切っていた。それでも聞かなければ気が済まない、何とも言えない腹立たしさがあった。案の定、ございません、という報告が上げられた。

 その後、兵糧、水の手の確認がされ、籠るだけならば半年近く籠城できるという報告がなされたが、これも状況が変わらないのだ、昨日と大きく変わらぬ報告がなされた。

 だがこの日の軍議では、遂に新しい報告がもたらされた。といっても悪い報せであったが。

「報告します。昨日夜、兵の一部が脱走を試みました。幸い城外に出たものもなく、多少の被害がありましたが全て捕縛いたしました。この動きを敵が見て取ったとは思えません」

 馬場信春は、起こるべきものが遂に起こり始めた、と感じていた。それは士気の崩壊であった。いかに兵糧があろうが兵が残っていようが、士気が崩壊しては一たまりもなく戦は負けるのは、戦場往来の長い馬場信春にとっては明らかであった。

「いかがでございましょう、捕縛したものを見せしめに斬首を……」

「やめぃ」

 誰かが言いかけたのを、誰かを見もせずに馬場信春は拒否した。実際、誰が言いかけたのかは馬場信春には分からなかった。だが、ごく短期の野戦であればその見せしめも効果があるかもしれぬが、籠城している身としては斬首などしたところで士気は上がらず、一時は脱走を試みる兵も減るかもしれないが三日もしないうちにその効果は消え失せ、逆に脱走が増えることは目に見えていた。


 飯島為政が言った。

「このまま何の手も打たなければ近いうちに士気が崩壊し城を守り切れませぬ。出来る手は打つべきかと。……小部隊で突破し高遠城へ向かい、再度の後詰を願う、という手はいかがでございましょうか」

「無理だな。手を出せるのであれば、あの武田信繁様が手を出さぬはずはない。逆に言えば武田信繁様ですら手を出せない、そういう状況なのであろう。であれば、再度の後詰を願っても無駄というものだ。……だがそうだな。小部隊で戦いを行い小さな勝利を得る、それならば士気は多少は改善するかもしれんな。もし勝てるのであれば・・・・・・・・

 馬場信春は、現在の士気の落ちた配下の兵、それも甲斐、中信濃から率いてきた精兵のほとんどを失い、飯田城に籠っている兵力は伊那の国人衆を中心とした農民兵、それも全軍を合わせても二千五百に欠ける数でしかなかった。全軍を率いて最も手薄な面を一撃、としたところで、勝てるかどうかはともかく大きな被害を受けるのは避けられそうになかった。城を出た兵は帰還しない、という前提で考えた場合には、勝ち目のあるほどの兵を出せば城を守る兵が足りなくなるのは明らかであり、むしろ適当に敗走させられて収容のために門を開いた隙に城を落とされる危険性すらあった。

 だがそれでも消極的に当てもなくただ城に籠るだけ、という方法では局面を打開することが出来ないのは明らかであった。そこで馬場信春は言った。

「攻勢に出る。だが晴れていては鉄砲の良い的だ。夜であろうが城門を通らざるを得ないからな。城門が開けばそこへ撃ち込めばよいと教えるようなものだ。場所が分かっていれば、夜目が効くものが見ておれば射撃の合図も容易かろう」

 ここで一拍をおき、馬場信春は言った。

「そこで出撃は雨の日とする。雨ならば鉄砲も使えまい。儂自身が率いて突撃、一撃し反転、城に戻る。……単なる嫌がらせ以上の意味はなかろうよ。だが士気は上がるだろう」

 応、と軍議の間が響いた。その声が消えた後、馬場信春がただし、と言った。

「ただし、だ。合戦が出来るほどの士気が持つのはおそらくは三日、精々四日であろう。それ故、四日以内に纏まった雨が降らない場合には、武運がなかったものと見て遺憾ながら降伏する。左様心得よ」



 そして五日目の朝である弥生十四日(4月23日)、馬場信春は覚悟を決めた。空を見れば雲一つない快晴であった。

「……死に場所に恵まれなかったか」

 馬場信春は雨が降れば突撃、一撃を加えるところまでは考えていたが、おそらくは自分は生きては戻れず城は降伏する、とも考えていた。おそらくは姉小路家側は城兵全ての命と引き換えに主将の、即ち馬場信春の首を条件に降伏を受け入れるであろうと思われた。であっても、逍遥としてそれは受け入れるべきであった。ただ、降伏、城兵の助命のためよりも戦場で敵に首を討たれる方が、馬場信春の望みではあった。

 軍議の間に諸将が集められたのは午の刻であった。その場で馬場信春が降伏の軍使として飯島為政を指名し、城兵の助命以外は全てを飲んで降伏する、と決められた。


 未の下刻、渡辺前綱は陣幕の中で難しい顔をしていた。未だ動かない高遠城のことも気にかかるが、それ以上に目の前にいる軍使の取り扱いをどうすべきか、悩みどころであった。

 本音のところを言えば、馬場信春ほどの武将はここで除くのが後々に面倒がなかった。むしろ他の諸将、特に武田信玄麾下の一手の武将として活躍されるのは少々どころかかなり危険であった。だが、草太はこの場合には、絶対に切腹など許さないことは、近くで戦ってきた渡辺前綱は良く知っていた。特に稲葉良通や安藤守就は当然のごとくに馬場信春の首を主張しており、説得には骨が折れるものと思われた。

 黒木典膳が言った。

「首にすべき、という意見ももっともながら、生かして返すべきかと存じます。それが姉小路家の作法、と言われて納得できないのも当然でございますが、それ以上に当然に首になるところを生かして返せば、甲斐武田家の家臣団の結束に楔を打ち込むことにもなりましょう。甲斐武田家との戦はまだ序盤、今は種を播く時期かと」

 その意見はもっともだ、と渡辺前綱が言えば稲葉良通も反論はできず、結局は武装解除を条件に降伏を許すこととなった。


 その夜、飯島為政の報告を聞いた馬場信春は、生き恥をさらせと言わんばかりの内容に、深く怒りと憎しみを抱いた。だがこの場は敗者である、と兵の武装を解かせて飯田城と共に引き渡しの準備を命じ、引き渡したのは弥生十六日の朝のことであった。

 渡辺前綱は、兵は一人当三日分の食料と一疋の銭を与えて解散させた。同じように三日分の食料と一疋の銭だけをもって去ろうとする馬場信春を稲葉良通が呼び止めた。

「人手を出します故、馬場昌房殿のご遺髪、仮のものでしょうが位牌などはお持ちくだされ。また馬や武器甲冑の類も、由緒のあるものでございましょう、お持ちになって結構でございます」

 勿論他の者は、体を検めることこそしなかったが馬や槍、太刀などは没収であり、地侍はおろか軍議の間に詰めていた国人衆も兵と同じ扱いであった。一人だけの特別扱いを拒否する姿勢を見せていた馬場信春であったが、半ば押し付けられるように人手が付き、引き渡され、そのまま直接高遠城に送り込まれていった。


 この扱いに、更に憎しみを抱いた馬場信春であったが、馬場信春に対して特に飯田城にいなかった国人衆は不信感を持った。正に、黒木典膳のいう楔を打った形であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ