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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百五十四、続々、下伊那の決戦

 久米ヶ城を陥落させた姉小路軍が三河方面へ兵を動かしたこと、更に補給路である清内路峠越えの峠道が未完成であることから、渡辺前綱率いる伊那谷攻略部隊は兵員、物資が不足していると見た馬場信春は、清内路峠越えの出口である阿智村付近を脅かすべく小雨の中、兵を動かした。作戦としては東より赤須清玄に久米ヶ城を攻めさせて注意を逸らし、その隙に三ツ山、二ツ山の二山を占拠するというものであったが、赤須清玄の隊は久米ヶ城へ接近する前に捕捉、迎撃された次第については既に述べた。

 だが赤須清玄隊が迎撃されたという事実ですら、決戦時の馬場信春は知る由もなかった。



 姉小路家日誌弘治二年如月二十五日(1556年4月5日)の項にこうある。

「馬場信春、飯田城より兵を出し阿智川の口を抑えるべく兵を出し候処、渡辺前綱様、これを決戦の機として久米ヶ城より兵を出し(略)、二ツ山、三ツ山に陣を敷き甲斐武田家の兵を待ち受け散々に破り、また飯田城を攻略致さんとせしも俄かには果たせず、(略)」

 この時期の馬場信春の評価は、大きく二つに分かれている。姉小路家との抗争以前から依然として伊那谷攻略の知勇兼備の武将であり、竹中重治の調略により国人衆が離反する中で残った兵力をよくまとめ、離反後も二倍を超える兵力を投入してきた姉小路軍をよく押しとどめた、という評と、姉小路軍との対戦では特に良いところもなく、いわゆる古い戦術に固執する武将の一人として惨敗するだけであったという評である。

 あえて速戦を選ぶのではなく三河からの駿河今川家の出兵を待って挟撃すべきであったという評も、後知恵ではあるが成り立ちはするのである。勿論、他国からの援軍を、ということであれば馬場信春の一存ではできず武田信玄が手配すべき問題ではあるが、あえて打って出ての決戦を選択したことの是非については賛否の分かれるところである。



 時は、青地茂綱隊と久米ヶ城へ接近しようとした赤須清玄隊が最初の激突をした辰の刻より少し遡る。

 馬場信春が松川にかけた橋を渡り、三州街道を南へ行くこと二里、二ツ山へ向け兵を率いて飯田城を出陣したのは、如月二十五日払暁であった。率いる兵は甲州兵及び中信濃衆五千に南信濃一帯より集められた国人衆の兵が五千、合わせて一万という陣容であり、飯田城は飯島為政が千を率いて留守居するという運びになった。馬場信春は最先陣を国人衆の一人である判野三衛門に兵千をつけて任せ、中軍のやや前方をゆるゆると進んでいった。


 勿論、この数の兵が動けば姉小路家の物見も気が付かぬはずもなく、出撃の報は即座にもたらされた。安藤郷氏は今までの威力偵察ともいうべき小部隊の物見の撃退を止めて兵をまとめて本陣へ向かい、陣幕の中に入った。この報告を受けた安藤守就は即座に指示を出した。

「北の陣へ兵を集めよ。中筒隊は鉄砲小屋に入っておれ。一鍬衆も敵方からは見えぬよう、林に隠れさせよ。敵部隊が到着するまでどうせ一刻はかかる。それまでは動く必要はない。雨で体を冷やさぬよう、また中筒を濡らさぬ様に徹底させよ。……念のためだ、渡辺前綱様と二ツ山にいる不破光治にも報せよ」

 ところでだ、と安藤守就が飯田城からの本隊出陣の報に陣へ戻っていた安藤郷氏に向かって言った。

「少しばかり小細工をするのはどうだ。一鍬衆五百を率いて三州街道の北側に陣取り、敵が来れば適度に戦い後退、追ってこなくなったところで反転、また適度に戦い後退、これを繰り返し、三州街道を南へ、三ツ山と二ツ山の間に引き込み挟撃する」

「誘い出して挟撃、か。悪くない。……実際に誘い出せるのであれば」

 との安藤郷氏の言葉に安藤守就が言った。

「挟撃の指揮は任せる。呼び込みは儂自らが行う。なに、そなたも安藤家の一門で旗印は遠目には同じ上り藤、先日来の物見退治の兵と区別はつくまいよ」


 不破光治は二ツ山に構えた陣、といっても雨除けをした鉄砲小屋を街道沿いから北部にかけて四半円形に作っただけであったが、安藤守就の作戦を見てこちらも少し小細工をする気になり、客将の竹腰尚光を呼んだ。竹腰尚光は姉小路家への出仕を断り帰農していたが、西美濃五人衆と呼ばれた時代から親交のあった縁で不破光治の客将になっていた。

 不破光治は竹腰尚光に安藤守就の作戦を伝えた後、言った。

「おそらくいくつかの陣に分かれての波状攻撃を取ってくるはずだ。だから第一波を引き込むことに成功してもその後を引き込めるか分からん。挟撃に鉄砲を使えばその音は必ず伝わる、だが鉄砲なしでは挟撃するにしても限界があるからな。それ故、そなたには一鍬衆二百を預ける。誘い出す第一波だけでよいから横合いから殴り、崩せ。第二、第三と無理には崩さぬでも良い。その後は安藤守就と一緒に三州街道を後方へ下がれ」



 第一波、最先陣を務める伴野三衛門は、三ツ山の麓まで約三町、中村を過ぎたところで兵の呼吸を調えさせつつ陣中食を使わせ、同時に物見を放っていた。といっても昨日までの強行偵察に近いものとは違い、見える範囲を見、報告を上げるのが目的の物見であった。流石に土地の者である伴野三衛門は土地の起伏などを考慮して見える限りでは姉小路家の兵力が五百程度であると、物見からの報告で推測していた。だが見えないところに姉小路軍がいないとは断言できず、むしろいると考えておいた方が無難であると考えていた。わずかな救いは未明からの小雨の影響であり、少なくとも野外では姉小路軍の主力である火縄銃は使えない、という点であった。

 もっとも最先陣の誉などと言われたが、要は態の良い瀬踏みであり規模の大きい威力偵察であり、所詮はすり潰される運命なのは、伴野三衛門にも分かっていた。


 小雨のためもあってかこの伴野三衛門隊の接近を安藤守就が知ったのは、伴野三衛門隊が休息を終えて移動を開始した際であった。後ろに本隊と見られる兵九千の方が先に発見されていたが、その距離は一里を少し切るほどには離れていた。先陣と本隊の距離が離れすぎていることから、おそらくは本隊は小荷駄隊を伴った隊である、即ち陣を張って長期にわたって居座るつもりであることが推察された。逆に言えばこの最先陣の隊は様子見のための急襲部隊であり、あまり手の内は見せぬ方がよい、と判断した安藤守就は、竹腰尚光に使い番を出した。

「最先陣に対しては誘い込み無用。ただ崩すのみ」


 そしてさして深からぬ茂都計川を伴野三衛門隊が渡ったところで両軍は激突した。数においては勝る伴野三衛門ではあったが、安藤守就率いる一鍬衆は川を巧みに使い足並みが乱れたところを捉えて三間槍による三位一体の攻撃で確実に仕留められ、たちまちのうちに百数十名が脱落し完全に足が止まった。そこへ下流域を渡った竹腰尚光が東より突入し、それを見た安藤守就が突撃を指示した。

 渡河で大きな被害を出しさらに別方向からの攻撃に浮足立った伴野三衛門隊がこの安藤守就の突撃に持ちこたえられるはずもなく、あっけなく指揮が崩壊した。こうなると農民兵主体の甲斐武田家の兵は組織立った反撃を行うことも出来ず、伴野三衛門も後退を余儀なくされた。

 こうして緒戦は、安藤守就、竹腰尚光の一鍬衆も被害覚悟の力押しをしたために百数十名の死傷者を出したが、姉小路軍の圧勝に終わった。とはいえこの後は馬場信春率いる九千の兵を誘い出すという任務があり、安藤守就は一つ気合を入れなおした。安藤守就は竹腰尚光と相談し、手勢に付近で調達させた漁網を川底に張り川岸に矢盾を立て並べることで、川岸で防衛陣を張っているように見せることにした。



 馬場信春の陣に伴野三衛門が戻った時、既に馬場信春は兵を茂都計川まで四町の距離まで進めていた。伴野三衛門の報告を聞いて馬場信春は、姉小路軍がこの方面へ展開している兵力の不足を確信した。鉄砲もなかったということは、やはり雨では使えないようであった。といって馬場信春隊には弓隊も五百に満たず、またその弓隊もまとまっていないために、矢が足りたとしても弓で圧倒するというのは難しいことであった。

「小荷駄隊をここに残し、全軍駆け足。姉小路軍を駆逐し二ツ山を占拠する」

 馬場信春の命令一下馬廻りが使い番として四方に走った。騎乗していた武士達も馬を降りて郎党から槍を受け取り轡を預け、兵は一斉に走り出した。先陣を預かるのは、片切為房率いる兵二千であった。


 如何に起伏がある土地柄とはいえ、付近はそれほど起伏もなく、数千という数であればちょっとした木立で兵を隠すこともできず、動きが変わったことは姉小路軍からも一目瞭然であった。即座に陣の内側に入り迎撃態勢を整えた。そして距離が一町を切った時点で安藤守就が命令を出した。

「投槍一投用意、……放て」

 五百余の一鍬衆から投げ槍が放たれ、放物線を描いてまさに頭上から甲斐武田軍の上に五百本ほどの槍の雨が降った。駆け足で移動中ということもあり兵が密集していなかったのが幸いしたのか脱落した兵は二百五十ほどに留まり、この程度の被害であればさして勢いも削がれなかった。まずは川岸についた弓隊が姉小路軍へ向け弓を射たが、矢盾に防がれほとんど被害らしい被害が出ているようにも思われなかった。一方で足軽達はためらわずに川に入っていったが、中心付近から更に進もうとした際に転倒するものが突然増えた。

「網だ。足を取られるな。慎重に進め」

 片切為房のこの声を待っていたかのように三間槍を構えた一鍬衆が攻撃を開始した。ただでさえ集団戦を目的に鍛え上げらえた三間槍の三位一体の攻撃を主体として鍛え上げられた一鍬衆と、所詮一対一の戦いを複数個所で同時に行っているに過ぎない農民兵が中心の甲斐武田家の兵では、甲斐武田家の兵は完全に見劣りがした。それに加えて甲斐武田軍は足元に網が張られており、そちらに気を取られれば容赦なく一鍬衆の槍が襲ってきた。


 前線を指揮していた片切為房はそれでも容赦なく攻め立てさせ、前線を一歩でも二歩でも前に進ませた。数によって押し切ろうとするその考えは間違いではなく、徐々にではあるが一鍬衆の立ち位置も川岸の水際から下がり、既に矢盾を小楯にとっての攻防に移りつつあった。そこへ、頃は良し、とばかりに左右からも回り込ませるよう兵を動かせば、安藤守就も不利と見て矢盾を残して大幅に下げた。五十間ほど後ろで竹腰尚光がほんの数合踏みとどまり、更に後ろに下がった安藤守就が態勢を立て直した。態勢を立て直したのを見て竹腰尚光も兵を下げ合流した。


 片切為房はその動きを見て兵の扱いの上手さに舌を巻いたが、それでも全体としてみれば押しているのは明らかであった。一度大きく下げた後は、包囲されるのを警戒しているのかじりじりと三州街道を下がり続けていた。確かに兵の被害は既に千近い数に及ぼうとしていたが、一鍬衆も残りは四百程度、半数程度にまで減っているように見えた。もっとも、一鍬衆で負傷した兵は後送され手当てを受けた後に戦線に復帰するため、見た目は四百程でもその実五百程度の一鍬衆がほぼ無傷で残っており、わずかな死者、重傷者を除けば戦力はほとんど消耗していないのが現実ではあった。

 一人に対して三人の一鍬衆が同時に三間槍を繰り出す、という言ってみれば単純極まりない行動ではあったが、穂先まで含めても精々一間の素槍か、下手をすれば脇差程度を持っただけの、武術の心得とてない農民が相手になるわけもなく、何人かに一人が辛うじて懐に入ったところでこちらの槍の届く範囲に入る前に下がってしまうため、下がり始めてからというもの一鍬衆に与えた被害はほとんどなかった。時折左右から包囲させるように兵を動かしてはいたものの、そのたびに大きく下がり対応されるため全て空振りに終わっていた。じりじりと下がる姉小路軍を追って四町ほど進んだ片切為房が後方に目をやれば、馬場信春直卒の兵六千が川を渡っているところであった。小高い丘に沿って三州街道は曲がっており、進めば山中の里、そこまで入れば小高い丘に遮られて茂都計川が見えなくなるその入り口で、相変わらず下がり続けてはいるもののやけに一鍬衆が粘り強くなった。もっとも左右から回り込もうとすることも難しく、また正面も十五間ほどしかない谷の出入り口、ということであれば仕方のない話であった。

 だが片切為房も、三間槍がいかに槍突きだけを続けているとはいえ、一本の槍で百人単位を突いて人が突き殺せる、などというのは考えにくかった。徐々にではあるが運ばれてくる負傷者が増えてきたのも、それ以前であれば死亡したはずの地侍たちが死なずに後送されている、という証拠でもあった。大きく崩れるのも時間の問題と、片切為房は見ていた。



「この辺りでございますか」

 竹腰尚光が言うと安藤守就も返した。

「潮時だろうな。合流して勢いづかれすぎても厄介、着いたが見えぬで二ツ山なりに全力で攻め込まれてもそれはそれで厄介。……皆の者、大きく下がる。三列目、ここに留まり一撃入れて数歩だけ押し返し、その後後退せよ。安藤郷氏、不破光治への連絡、忘れるな」

 命令に合わせるように、ほんの数頭だけいた馬に乗って使い番が出発し、更に一列目、二列目の一鍬衆が下がってきた。入れ替わりに三列目の一鍬衆が前進したが、それを見るでもなく二人は後退してきた一鍬衆と共に山中の村の西まで、一気に六、七町ほど下がった。

 片切為房は一鍬衆が大きく崩れたのを見て、予想通りの展開になった、とばかりに左右に追撃を命じ、特にこの別動隊の大将であろう上り藤の旗指物、おそらくは西美濃の安藤氏に連なるものと見ていたが、その首を挙げるように指図した。


 馬場信春は片切為房が三州街道を進んでいくのを見て、順調であると考えていた。

 報告によれば片切為房隊は兵数が既に六百程度まで損耗しているが、一方の敵兵は三百程度まで減っており、更に大きく崩れたために追撃に入る、とのことであった。戦線を離れている兵の大部分は負傷した兵や地侍達とその配下であったため、千近い数の兵力は戦が終われば復帰させることが可能であると考えていた。

 二の山の北側の峰はまだ雪が残っている部分も少なくなく、阿智村付近への出兵を睨んでいるため、二ツ山の西南辺りの峰を確保するのが好ましかった。流石に山頂まで占拠する必要はなく、あくまで足がかりであるという認識であった。この方針の下で、片切為房に続かない訳がなかった。

 ふと、馬場信春はいつの間にか小雨が上がっていることに気が付き、嫌な予感がした。だが頭を一つ振って麾下の兵に進軍を命じた。


 一鍬衆は逃げ足も速かった。七町弱の道を駆け抜けて陣を立て直した時には、片切為房はまだ二町も進んでいなかった。もっとも、片切為房は罠の類を考慮しながらの進軍であったため、駆け抜けた一鍬衆とは条件から比べるのは酷というものであった。それでも五町ほどの距離が開いて一息つける、というのは、一鍬衆にとってもありがたい話であった。安藤守就はこの後も戦いが続くと見て、食事の許可を出し、また火を起こさせて温石も用意させた。負傷者も軽傷の者は戦列に復帰でき、切れ味の鈍った槍の穂を応急処置として荒砥で尖らせる、休息をとって体力を回復させる、など、このわずかな時間で一鍬衆の回復も大きかった。


 ところで、馬場信春を山中の村に誘い込む、という安藤守就と竹腰尚光の目的が達成されつつあるまさに同時刻、久米ヶ城から三ツ山、二ツ山の陣に使い番が届いていた。渡辺前綱が久米川沿いに上ってきた赤須清玄隊を破り天竜川沿いに北上して飯田城を攻撃する故、甲斐武田家の本隊を足止め、あるいは可能であれば撃破、追撃し飯田城攻めに加われ、とのことであった。この指示は待機中にもたらされたが、安藤守就も不破光治も現状と特にやることに変わりはなかった。精々、追撃から城攻めを行うことが追加されただけであった。



 一刻の後、片切為房率いる兵六百、その後ろには馬場信春率いる兵六千が、後方の一部を除き山中の村に犇いていた。片切為房はもっと早く到着しており半町ほどの距離から弓を射掛けてはいたものの、馬場信春が到着するのを待っていたためであった。もっとも、矢盾に阻まれほとんど一鍬衆には被害を与えていないのは明らかであった。


 馬場信春が片切為房に突撃を命じたまさにその時、一鍬衆の陣から一条の狼煙が立ち上るや、突如左右の山から轟音が鳴り響き投げ槍が無数に飛んできた。当然、中筒隊合わせて三千の銃撃であり、一鍬衆合わせて四千三百の投げ槍であった。銃撃は二度、三度と続いて止まったが、三ツ山から二千、二ツ山から千五百の一鍬衆が突撃を開始した。同時に安藤守就、竹腰尚光の一鍬衆五百も突撃を開始し、甲斐武田軍は大混乱に陥った。

 実際、投げ槍が落ち銃撃が終了した時点で、半数近い三千の兵が失われており、更に指揮系統は寸断され、組織としての馬場信春隊はこの時点で壊滅していたといっても間違いではなかった。だが負傷者を回収して再編しさえすれば、数日のうちに数千の兵を擁する軍を組織するのは難しくはなかっただろう。問題は、再編する時間などはかけらもなく、更に三方から四千の一鍬衆に包囲されれば、いかに馬場信春といえども手の施しようがなく、片切為房共々馬廻りと共に敗走する以外には何もできなかった。辛うじてまだ山中の村へ入っていなかった後方の兵五百と合流し、茂都計川を渡ろうとしていた小荷駄隊とその護衛に付けていた兵千を合わせ千六百ほどの兵を纏め上げた手際は、流石としか言いようがなかった。


 追撃を行うべき安藤守就、竹腰尚光、不破光治らは山中の村で多数の負傷者を抱えており、再編に時間がかかっていた。負傷者といっても一鍬衆の負傷者はほとんどおらず、いても軽傷であり行軍に支障はない程度というのが大部分を占めた。主に問題となる負傷者は甲斐武田家の兵であった。いかに敵であったとはいえ捨ててはいけず、医療の心得のあるものに応急手当をさせていた。また大量の降兵も得たが、少なくとも武装を解除させいくつかの集団に纏め上げるまではそのままにするわけにも解放するわけにもいかず、そちらにも手を取られていた。元々の村人たちに手伝わせようにも、街道が通っているとはいえ元が百名ほどの農村であり、戦になるとて避難済みであったためにその手を当てにすることはできなかった。

 処理が一段落し、追撃、そして飯田城攻略の兵を組織することが出来たのは、合戦終了後一刻あまり経った後であった。



 しかし姉小路軍は一切追撃の兵を出さなかったわけではなく、安藤郷氏が一鍬衆千二百を率いて追撃を行っていた。逃げる馬場信春は千六百程の兵を纏め上げたが、敗走中の追撃はやはり不利であり、更に馬場信春の率いている兵の一部は小荷駄隊で兵ではなく、槍すら持っていないただの人足であった。二里という距離が幸いしたのか、結局は安藤郷氏の追撃は成功しなかったものの、飯田城に入るまでに逃亡、脱落により千までその数を減らした馬場信春は、命からがら飯田城に入ることが出来た。


 馬場信春が飯田城に入ってからほんの半刻後、安藤郷氏が一鍬衆千二百を率い、渡辺前綱が一鍬衆三千、中筒隊千三百を率いて飯田城に至り、更に遅れること一刻、後始末を安藤守就に任せて不破光治が一鍬衆三千五百、中筒隊二千五百を率いて着陣した。渡辺前綱はまずは敵の、特に上伊那にいる武田信繁の出方を窺ってから、と飯田城を性急に飯田城を攻撃することはせず、包囲することとした。


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