表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
258/291

二百四十八、伊勢討伐(九)

 伊勢討伐、その帰趨は、大河内城を含む諸城の攻略、霧山御所への街道封鎖により幕を閉じ、足利将軍家、姉小路家の幕府側の勝利に終わった次第については既に述べた。


 姉小路家日誌弘治二年如月十五日(1556年3月26日)の項にこうある。

「姉小路房綱公、大河内城攻略、霧山御所への街道封鎖の報を聞き、黒瀬左近に一鍬衆千、中筒隊二百をつけて残し、田丸城に移り民の慰撫に努め候。(略)磯野員昌、大湊町衆角屋元秀を伴い登城。公不興なるも寛大なり」

 そして如月二十五日(4月5日)の項にこうある。

「藤方朝成、北畠晴具の首を持参いたし候。公、怒を発するも影腹を斬りたるを知りこれを収め、丁重に葬るよう左右に命じ候。夕刻、姉小路房綱公、全体の抑えに磯野員昌殿を充て、九鬼嘉隆殿に志摩を任せ紀伊を氏家直元殿に任せて観音寺城に戻り候」

 姉小路家日誌には書かれていないが、草太が伊勢神宮に十数名の供回りを引き連れて現れ大宮司と面会したという旨の記録が伊勢神宮側の資料に残されている。草太のことであるためありそうなことであるが、供回りを連れて行ったというのは珍しいことである。或いは格式を重視する伊勢神宮側の要請があったのかもしれない。いずれにせよ伊勢神宮の神域は姉小路家も尊重する、というのが歴史的な結論であり、またこの翌年には姉小路家の寄進により遷宮が数十年ぶりに復活したのは確かなことである。

 伊勢の内政については、尾張織田家との約定という側面からも大湊の支配は欠かせない一面である。苛政は行わなかったものの、相当規模の矢銭を出させ霧山御所への街道整備を命ずるなど、姉小路家としては珍しく厳しい処置を行っている。やはり大河内城攻略まで北畠家に物資を提供し続けていたという点が問題であったのかもしれない。



 田丸城に入った草太であったが、草太は時間を持て余していた。実際に戦場となったのは雲出川付近と大河内城付近のごくわずかな地域であり、田畑もほとんど荒れておらず、裏作の麦の刈り入れも間に合う時期であったため、食料を配り農民兵を村に戻し、渡りの傭兵の内山賊になったものを退治すればそれで済んだ。そのため、戦後の復興といってもこれまでのように大規模なものでもなく、水利権争いなどの訴訟も草太が出なければならないほどのものも、というほどのこともなかった。伊勢の地については姉小路家の切り取り次第とは正月の内に将軍足利義輝と約定が出来ていたため、特に足利将軍家との折衝は不要であった。

 寝返った国人衆の大部分について、草太は信用していなかった。条件次第で姉小路家についたということは、条件次第では姉小路家に背くことでもあった。所領安堵はしていなかったが、条件が悪ければ国を挙げての一揆ということになりかねなかった。そうなれば迷惑するのは民であり、到底それを飲むつもりはなかった。

 悩んだ末に、結局は草太はこれまで通り、ある程度以上の規模をもつ国人衆や北畠家の降将については、姉小路軍の武将衆となるか規模は小さいながらも軍役のない小領主として生きるかを選ばせることとした。小規模の地侍については、軍に入るか、庄屋として生きるかのいずれかであった。この他、少ないながらも長谷川藤直のように、陪臣という地位につく者もいた。

 条件を提示したところ、北畠家の四家老のうちの大宮含忍斎、芝山秀定、水谷俊之の三人は一も二もなく姉小路家の将になることを選んだ。だが作戦行動には問題があると見て草太は軍学校へ送ることとした。一方で草太が滞在している田丸城主田丸具忠は国人衆であることを選んだ。草太は大湊の代官職を命じた。他に大きな国人衆として波瀬具之が将として参じた。ただしこれは配下をすべて抱えることが条件であった。

 木造具政も将として姉小路家に仕えることとなったが、家臣は海津喜三と柘植保重が残っただけであった。残りは木造家直系の木造康親に付き、国人衆として木造城周辺の一郡を領することとなった。草太は木造康親に街道整備を命じた。


 草太が最も頭を悩ませていたのは北畠具教の扱いであった。扱いを間違えれば、北畠具教を神輿に担いでの大規模な反乱がおこる可能性すらあった。こういうものは本人の希望によらず起こるものである、と草太は知っていた。どうしても妙案が浮かばず、端的に本人に尋ねると意外な返答があった。

「言われなくともこちらも心を痛めている。希望、と言われれば、僧侶は肌に合わぬ。だが姉小路家には使えることはできぬ。出来うるならば幕臣にでもなっておくのが一番であろう。足利義輝様は同門と聞いているから、その意味でも面白かろう。もしかすれば幕府の力で伊勢守護に返り咲きもできるかもしれぬからな」

 伊勢への帰還など考えていないような顔で北畠具教が言った。口だけはきくが、と草太は言ったが、細川藤孝は諸手を挙げて賛成し、将軍足利義輝に対する最大限の口利きを約束したのであった。



 大湊と交渉をしていた磯野員昌が一人の男を連れてきた。

名を角屋元秀といった。伊勢から伊豆にかけての廻船問屋としては最有力の一人であり、今回は伊勢大湊町衆の代表として来ていたのであった。

 草太の第一印象は「生臭い男」であった。これでも父も祖父も伊勢神宮の神職だというのだから、この男の臭気なのか神職全体が既に生臭くなっているのか、草太には判断が付かなかった。

「角屋でございます。まずは矢銭二万貫、お納めいただきありがとうございました。この他兵糧についても用意がございますな」

 岩田九兵衛は流石に事前に目録を確認していたため、言った。

「矢銭は分からんでもないがな、このお蝶というのはいかなることだ」

 角屋元秀の顔がにやりと笑った。

「姉小路房綱様はそのお年で三人を娶られておるお方。ですが陣中には女性にょしょうの匂いがない。男色の気もない。ならばさぞかし不自由であろうと、こちらで用意させていただきました。大湊の町では一番の遊女を身請けしてまいりました。お好きにお使いくだされ」

 草太は笑った表情を崩さぬように、だが内心はいらいらとしつつ言った。

「そうやって伊勢北畠家にも駿河今川家にも近づいているのかな」

「北畠晴具様は、好みがうるそうて困りました。しかも精々ひと月も経たぬうちに次を次をと。しかもすぐに元の遊女に戻しておしまいになりますので、はたしてお胤を受けてもそうと証することのできるものは何人いるやら。今川様は興味がないとばかりにすぐに家臣に押し付けられたそうにございます。茶器や書画を好まれますな」

 角屋元秀は他家の内情を明かしているようで、北畠家は死に体と見て見切りをつけ、今川家については少し調べればわかることしか話しておらず、更に草太が調べたところでは相模北条家、相州里見家も大口の取引相手であったがそれについては口を閉ざしていた。中々の狸であった。もっとも狸でなければ生き残れないのかもしれないが。

「要求は何だ」

 草太はやや焦れていった。

「大湊は矢銭も受け入れますが、自治は保ちたい。それだけにございます」

「無理だな。人を物のように献上品に加える、そういうものたちに大湊の町は任せられぬ。そなたらの上に代官を置く。その下での自治ならば認めよう」

 はらわたは煮えくり返っていたが、草太は努めて冷たく言い放った。角屋元秀は、その代官を懐柔すればよいだろうと考え了承した。

「町そのものについては姉小路家からしかるべきものを代官として入れる。ただ港湾部については尾張織田家から代官が来る。支度をしておくが良い。それから大湊の町には、今まで北畠家に従っていた罰として九鬼水軍の船づくりの手伝いを命ずる。これは代金を払うが、ほかの船の建造よりも優先して作ってもらう」

 はは、と平伏する角屋元秀に草太は言った。

「お蝶とやらを連れて帰るのを忘れるな」

 この件で女性を献上しようとするものがいなくなれば良いが、と草太は思った。


 田丸具忠が登城してきたのは如月十八日朝のことであった。要件は、たまには遠乗りをお願いしたく、ということであった。既に根回しは済んでいるものと見え、平助も特に驚くことなく厩舎へ行けば既に愛馬秋雨の準備ができていただけではない。馬廻りのうち十騎がすでに出発の準備を終えていた。民の生活を自身の目で見る機会、と草太も反対しなかった。

 ついた先は伊勢神宮の内宮の外周部分にある猿田彦神社であった。無論、外宮で既に下馬しそこからは徒歩であった。古社らしい独特の空気に包まれつつ、草太は田丸具忠に誘われて奥へと入っていった。一人の禰宜が出てきて、そこから先は草太だけを案内するような手はずだったらしく、平助も連れずに奥へと誘われた。

 一室に入ると既に一人の宮司が座っていた。上座は開けてあり円座も敷かれていたが、草太はわざとその宮司よりやや下座に座った。板の間に直接座るのには抵抗がなかった。宮司が上座へと促したがそれは無視して草太は頭を下げ名乗りを上げた後、言った。

「伊勢神宮、その大宮司殿と見ましたが、いかに」

 大宮司は驚きを隠して型通りの挨拶をした後、言った。

「これからは姉小路家が伊勢志摩の支配者となったと聞き、お越し願った次第。私は内宮から出られませんので」

 その後何が話されたか草太と大宮司しか知らないが、良好な関係を築くことが出来たのは確かであった。



 山賊に身を落とした農民兵をその在所の村に戻し、傭兵たちを捕縛し、農村に対する税制の説明や水利権の確定など、草太自身が手を出すことはなくとも姉小路軍がやるべきことは少なくなかった。負傷した兵の大部分は二月以内に戦線に復帰できる模様であり、むしろ敵兵の弔いの方に手がかかった。九鬼嘉隆の志摩制圧も順調であり、また既に大湊での九鬼水軍再建のための船の建造は始められていた。紀伊への攻略も既に間諜を入れ物見を多数出している段階であり、海岸線を抑えた後熊野三山に渡りをつけて安定を確保する、という基本戦略が立てられていた。おそらくは山中に隠れ里が残ることになるが、それは内政の段階で支配体制に組み込んでいけばよかった。この方面にも一鍬衆五千、中筒隊千が充てられることとなった。


 現時点での伊勢討伐は順調そのもの、ただし霧山御所についてどうするのかについては草太と細川藤孝の意見は真っ二つに割れていた。草太はこれ以上の手出しは無用、既に伊勢討伐は成ったという考えであったが、細川藤孝は霧山御所も伊勢の一部であるため、ここを残しては伊勢討伐は終わらないという立場であった。実利と名目、両者の対立軸はそこにあるといえた。


 そこに珍客が来た。北畠晴具の近臣、藤方朝成であった。如月二十五日のことであった。

 小刀のみを差し脇に包みを一つ持って、小姓一人を伴って田丸城へ現れた。草太はすぐに会おうと言い、先方も身支度があるだろうと一室を与え、半刻後評定の間での面会となった。武将衆も大半が手すきであったため、多くが居並ぶ中静々と、念のために簾を下した草太の前に座った。平助が、特に直答を許す、というと藤方朝成は型通りの口上を述べた後、脇に抱えていた包みを前に差し出した。

「霧山御所は降伏いたします。我が主、北畠晴具の首を献上いたします故、城内の者は一命をお助け願いたい」

 諸将の顔が曇った。早速首実検が行われ田丸具忠が確かに北畠晴具の首であると確認した。一点の不審を除いて。草太の許可を得て田丸具忠が色をなして尋ねた。

「藤方朝成、答えよ。年余であれば気も弱くもなろう、だが我の知る北畠晴具という人物はひと月やそこらで腹を切るような真似はせぬ。山中を他国へ逃げて再起しようとしたという方がよほどあの方らしくもある。そして頬のこの傷……そなた、主を闇討ちしたか」

「いかにも」

 藤方朝成はこともなげに言った。

「さもなければ霧山御所の兵二千五百、悉く鬼籍に入るしかございませんでした。ならば降るしかない。それに頷かぬため、かような仕儀にさせていただきました。ご容赦を」

 草太は激怒した。助かりたいがために主をも殺す、首を持参すれば助かると思っている、こういう考えは、確かに戦国の習いとはいえ草太にとっては絶対に受け入れがたいことであった。草太が怒気を発するのを感じた平助は、お平らに、と言って藤方朝成の脇へ行き、脇差を抜き打ちに服を割いた。晒が幾重にも巻かれていたが、右わきに広範囲に血がにじんでいることは遠目にも見て取れた。

「陰腹、か。殉死するつもりか」

 藤方朝成は頷いた。

「殿との謀は楽しくござった。ですが殿がおらぬ世界では、謀も楽しくなかろうと存じます。それに殿を手にかけたも自分、最後に謀にかけたのが殿というのも、不思議なえにしでございました。ですがそれは後味が悪いものにございます故、どうせ二人とも地獄行きでございましょう、地獄でまた謀をいたそうと存じます。後のことは、我が臣の加留左京進の手により既に手配りを済ませておりますれば、ご安心を」

 草太は、越中でこれに近いやり取りを見ていたため、衝撃は受けながらもかつてのように取り乱しはしなかった。その代わりに言った。

「介錯は必要か」

 是非、という言葉に草太は師岡一羽に中庭での介錯を命じた。流石に作法にのっとった切腹であり首の皮一枚を残しての見事な介錯であった。草太は、目の前で人が死んだという衝撃よりもその無責任さに、やるだけやったから後始末もせずに死んで終わりという無責任さに腹を立てたが、それを言ってもどうしようもないことであった。二人を丁重に葬ることを左右に命じ、また黒瀬左近に霧山御所への道を、とりあえず通れるようにするよう手配させた。


 そして翌日、草太と細川藤孝は観音寺城へ向けて帰還を開始した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ああいった武将、大名を殺せないから農民兵が死んでいく。 平和にならないと思う。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ