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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百四十三、伊勢討伐(四)

 姉小路家が足利将軍家の命を奉じて伊勢へ侵攻をはじめ、遂に草太が姉小路家本隊を率いて観音寺城を発し木造城へと出陣した次第、そして伊勢北畠家も木造城とその南を流れる雲出川流域沿いに防衛線を築いた次第については既に述べた。


 伊勢風土記にこうある。

「姉小路房綱公、兵を挙ぐ。続々と街道を通りまだ雪の残る鈴鹿峠を通るも、兵に害なく民に害なし。亀山城主関盛信、公を接待し中枢に入らんと欲するも、警戒されたるや、公、陣中なりとて兵と同じく天幕へ入り兵と同じものを食せり。飛騨国主の前より民に米を与え自らは蕎麦を食していたという噂通りなり。(略)明払暁、既に陣は払われ、代わって夕刻には輜重隊が入り候。翌日、足利将軍家の兵と合流し出発いたしたるも、その後数日にわたり三々五々鈴鹿峠を渡り(略)。田中弥左衛門が家臣革島一宣、兵を率いて亀山の防衛に当たるも如月六日、輜重隊と足利将軍家の兵の半数と共に発てり」

 神速の異名をとる姉小路軍に対し、越前兵との速度差は著しかったとされる。姉小路家も特に足並みを揃える必要がない場合には後詰として参加したという名目だけに留めることも珍しくない。特に飛騨での冬の峠道における経験を豊富に持つ姉小路軍と、それをほとんど持たない足利将軍家を比較するのは酷というものである。それでも如月六日に亀山を一部とはいえ発ったというのに観音寺城では七日まで出陣が続いたとあるのは、どこかで日付の間違いがあるようである。あるいは追加出発し北回りに長島城付近を通過した輜重隊、医療隊が出陣したのがこの日なのかもしれない。

 それにしても、この時期には既に飛騨統一前後の、民には米を施し自分は蕎麦を食べていたという話が伊勢に伝わっている辺り、既に有名な美談になっていたようであった。



 草太率いる伊勢討伐隊、一鍬衆一万二千、中筒隊五千、騎馬隊および馬廻り二千、これに輜重隊および医療隊千という陣容が観音寺城から出陣を開始したのは如月三日払暁であった。二万という兵が門を出るまでに、複数用意させていた城門を通用門と足利将軍家の越前兵受け入れのための一つを除き全て使っての出陣であったが半刻かからない辺り姉小路家の兵の練度の高さが知れた。細川藤孝は、門の数が違うために単純に比較はできないが越前兵で同じ規模の出撃をさせようとすればまず半日はかかる、と見積もり、またその整然とした無駄のない隊列をうらやましく思った。しかもその速度が、どう見ても歩くというよりも小走りとしかいえない程度の速度であった。未だ三割近くは農民兵で補っている越前兵を同じ速度で走っている姿は、敗走するか農民兵を見捨てる場合しか浮かばなかった。

 しかも細川藤孝は気が付いてしまった。道の両側に人が二人分ほど通ることのできる隙間が空き、また数十人ごとに隊列が少しずつ途切れていたことを。そしてそこを領民が、まだ払暁であるためにさして数は多くないが通っていた。道幅をほとんど一杯使い、遮る者は場合によっては無礼打ちさえありえるのが多くの戦国大名の軍勢であり、といって整然とした隊列など組まずに進むために民も心得たもので通っている兵が少なくなった時に横切るのが普通であった。

 だが姉小路家の兵についてはそのような常識は通用しなかった。これまでは京にいたからという認識であったが、そうではなく姉小路軍は常にそうなのだ、というのが分かってしまったのは、細川藤孝にとってよいことだったのか悪いことだったのか、分からなかった。頭を一つ振って、辰の下刻(8時)までに署名し終えると約束した書類の束に向かった。それにしても、と不思議に思った。どう見てもすべての檄文の文字が同じであるようであった。筆遣いのわずかな違いがある程度であり、同一人物の手によるものと思われた。流石に数百通に上る檄文を一人が書いたとは思えず、祐筆がいると思われた。であればその祐筆にさえここまでの統一を求める、とはどういうことなのか、考えざるを得なかった。



 姉小路軍の一鍬衆の一隊を率いていたのは、市川大三郎であった。一鍬衆の一方の将、などと言っているが馬には乗らない。軍装で特別なのは背嚢のほかに体の前面につける前掛けのような袋を下げていたこと、指揮官を示すために陣笠に朱塗りの筋が入っている程度であった。心の中で考えていた。

「二十五里程度なら峠道を考慮しても明日の夕刻には着く。まずは戦場に無事につくまでが戦、となれば問題は峠、それから六角の妨害か」

 とはいえ市川大三郎はさほど心配はしていなかった。既に六角家が伊賀から出るほどの力をほぼ完全に失っているのは事実であり、出せるとしても精々数人規模の隊でしかありえなかった。峠道は既に蒲生家と長野工藤家の兵が確保しているうえに山中は甲賀者達の庭といってもよく、事前警告なしに問題になるような事態が起こるとは考えにくかった。その上に姉小路家は元々の本拠地は飛騨でありその当時からの古参も少なくはなく、雪道に対しての経験は並々ならぬものがあった。


 午の下刻、鈴鹿峠の入り口付近、甲賀土山の地で食事を兼ねた小休止を取った市川大三郎隊であった。

 渡された食事は牛肉の味噌漬けとショウガを練り込んだ味噌玉にネギや漬物の類を入れた暖かい汁物、そして蕎麦団子であった。訓練で何度か出された料理であり常のように蕎麦団子を適当に汁に入れて食べた。

 食べていると古参兵の一人が食事を手に話しかけてきた。

「お休み中申し訳ありません、質問があります。この後伊賀攻めでございますか。……いえ、これまでの訓練であれば途中で戦闘訓練が入っていたため体力はまだ問題ありません。問題があるとすれば夜襲を行うのであれば槍の穂先や小太刀に墨を引く必要がありますし寝刃ねたばを合わせさせる必要もございます」

「夜襲の予定はない。この後峠を超えて伊勢へ入る。……我が隊は予定では未の下刻か申の上刻に峠へ入り、順調にいけば日のあるうちに峠を抜け亀山付近で一泊できる予定だ。とはいえ雪も残る峠道だ。油断は禁物ぞ」

 市川大三郎自身も鈴鹿峠を通るのは初めてであったため、気持ちを改めた。市川大三郎も知っていることではあったが、この伊勢討伐では新しい陣中食を実戦で使ってみての問題点の洗い出しを一つの目的としていた。食べ終わった後に調理を担当した兵に聞き取りに行くと、兵は既に鍋を洗い終え温石を作っているところであった。流石に手回しが良い、と市川大三郎は苦笑せざるを得なかった。



 草太はそのころ、亀山城で関盛信の歓待を受けながら鬱陶しく思っていた。蒲生家を通じて姉小路家へ引き入れたは良いが、未だに蒲生賢秀同様その立場が確定していないためであろうが、蒲生賢秀と違い草太を接待することで立場をより良くしようという魂胆が見えていた。といってここで背かれるのも面倒であり、ただ陣中であることを理由に歓待の類は全て断っていた。その草太に平助が言った。

「一室を借りてはどうかな。明日の朝までは時間が取れるだろう」

 その手には二振りの木剣が握られていた。草太と平助の気に当てられた関盛信が戸板で運ばれるまで半刻ほどであった。

「半刻は、もった方かな。横で見ているだけだったが。いたずらが効いたか」

 苦笑交じりに草太が言うと平助が少しも悪びれずに言った。

「丸腰で平気で見ていられるほどは抑えませんでしたし、時折本人に対しても向けておりましたな。何十回斬り殺されたと感じたのか、悪いことをいたしました」

 そうして表敬訪問を終え城外の天幕へ帰った草太たちであったが、それでも夜には侍女として薄絹一枚の妙齢の女性を草太の寝所へ送り込んできた辺り、草太には苦笑いしか出なかった。戦場に出る以外であれば意外に大人物なのかもしれませんな、と平助も妙に感心した様子であった。



 翌如月四日未明、檄文を持った者たちが既に夜半に通過したこと、輜重隊と越前兵以外の一万九千の兵が無事に集結していることを確認した草太は、出撃を命じた。命令一下軍が出陣し、木造城から北へ一里弱、阿漕の地に着陣したのは午の刻であった。

 早速に軍議が始められ、諸将はすぐにも戦端が開かれると考えていたが、草太の口から出たのは意外な言葉であった。

「木造城へ降伏勧告を。正使は滝川一益、副使は磯野員昌。書状はここに用意しておいたが条件は武士は当面亀山城預り、それ以外は解散の上木造城および雲出川沿いの砦の明け渡しだ。降伏期限は今日一杯。明日には攻める」

 九鬼嘉隆が驚いたように言った。

「お屋形様、それはちと、通らないと思いやすが。なにしろ……」

「北畠具教と兄弟であり剛毅で鳴らした、か。分かっている。単なる時間稼ぎだ。少し敵に動いてもらうのが目的だ。城に籠られると時間と被害が増えていけない」

 草太の言葉に滝川一益が何やら納得したような顔になった。

「相手をすべきは後ろの北畠家本隊、ということですか。なるほど」

 兵も休ませなければならないしな、と言いながらも草太は攻め口の将兵の配置を決めていった。

「九鬼嘉隆、そなただけは敵本隊との決戦時、中軍で役割がある。それゆえ本陣に残す」

 配置が決まった後、草太は奇妙な命令を出した。といって帷幄に参じていた武将には察しがついた。むしろ察しがつかない程度であれば務まらないのが姉小路家であるといえた。

「青い旗を掲げた部隊は放っておくように」



 一方の木造城の奥では木造具政が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。木造城は急遽増築してはいたがそれでも五千が定数、後方に櫓と木柵で三千を収容できる施設は作っていたが単体としてはこれ以上は無理があった。この他にも川の上流に二つ、下流に一つ、櫓と土壁のある砦を築き千数百ずつを籠め、更に百程度の兵の籠る小さい陣を数十も作って時間を稼ぐ工夫には怠りがなかった。仮設橋も砦に各一つ、木造城の後ろに二つと後詰めの準備も万端であった。

 ここで姉小路軍を止める、その間に他の家が姉小路家を攻撃するのを期待する、というのは確かに理にかなっていた。たった一つの点を除いて。

「他人がこちらに都合よく動いてくれる、なんてのを期待するのは、既に負け戦だ」

 やるだけはやってくれるわ、と思い直し左右に酒を命じようとするとあわただしく入ってきたのは海津喜三であった。

「殿、姉小路家からの軍使でございます」

 姉小路家の軍使である滝川一益、磯野員昌の口上と姉小路房綱名の署名花押の入った書状を見て、思わず笑みがこぼれた。明朝、おそらく払暁、姉小路軍は我らとの戦いを受けてくれる、おそらくすべての支度は終わっており姉小路家の勝利と決まっていても、勿論、国人衆には調略されているものも多いだろうがそれも戦だ。どこかの誰かが状況を変えてくれるのをただ待つよりも、ただのにらみ合いよりは余程にまともだ。

「両名、軍使ご苦労であった。だが一戦にも及ばず降伏などありえぬ。明日は楽しき戦としよう、と姉小路房綱公にお伝えいたせ。……ときに一献、などとは受けてもらえまいが」

「時間もございませぬ故一献のみならば」

 さすがは滝川の放蕩息子よ、と笑って、そして元々飲むつもりで用意させていた酒を一献酌み交わし、そして滝川一益と磯野員昌が退出するまで見送った木造具政の目にはわずかに羨望の色が浮かんでいた。

 無論、明朝姉小路家の攻撃、との急報は大河内城に飛んだ。



 夕刻、降伏勧告から帰ってきた滝川一益と磯野員昌はその旨を復命していた。降伏勧告自体は失敗に終わったが、草太も諸将も単なる時間稼ぎ以上の意味がないことは百も承知であったから、可能性は低いながらも人質にされる心配だけが問題であり、無事に帰ってきて何より、という空気が流れていた。諸将がそろっているところから草太がそのまま軍議、というよりも作戦の最終確認をその場で行うことになった。

「分かっていると思うが明朝、伊勢北畠家の軍勢と直接矛を交える。重点目標は櫓を備えた三つの砦だ。木造城の本格的な攻略は行わない。周囲から銃撃を打ち込む程度に留め、その背後の安普請の陣を強襲する。これらにより橋を完全に味方側の勢力下に置き、おそらくは木造城に入っているであろう伊勢北畠家の本隊を孤立させ兵糧攻めにする、場合によっては内応により撃破するのが目的だ。

 木造城の包囲に合わせて九鬼嘉隆、そなたを先陣として志摩へ進出し九鬼水軍を抑えよ。磯野員昌、そなたは旗幟を明らかにしない大湊の町衆へ圧力をかけてもらう。最低条件は伊勢北畠の滅亡までの中立、決裂した場合には最低限の流血も許す」

 流血も許す、という言葉にどよめきが起こった。確かに町衆はそれなりに傭兵を雇い一種の地侍に近い立場にあるが、それでも民は民であった。草太の口から民を攻撃することをも許可する、という言葉が出たのはまさに驚きであった。とはいえ草太自身、磯野員昌が武力を使う事態になるとは全く考えていなかったという事情はあった。

「両翼の編成は既に伝えたとおりだ。といって相当数の国人衆はこちらに寝返ることが予想される。敵と寝返った味方が入り乱れるため、今回は投げ槍は使えない。中筒も最低限に控えよ。寝返った国人衆と合流した場合には一旦この阿漕の本陣へ戻せ。木造城包囲の兵に加える。状況次第ではあるが包囲後は細川藤孝殿と共に大河内城、田丸城、笠木城、霧山城などを落とす」

 はは、と諸将が頭を下げる中、一人氏家直元だけが手を挙げた。

「お屋形様は出撃されますので」

 当然だ、国人衆には岩田九兵衛に饗応を任せてある、と草太が言うと氏家直元が言った。

「出来ましたら川向うまで進まれますように。……いえ、最近姉小路家にきて感覚が鈍っているのかもしれませんが、木造城の援軍、間に合わないかもしれません。川向うで野戦、というのも十分に考えられます。その時に指揮系統が混乱すると面倒ですから」

「平地でわずか五里だぞ」

 誰かが言った。

 五里。これが木造城から大河内城の距離であった。姉小路家であればそれほどの距離でもなく、昼に使い番を立てれば日のあるうちに軍を整え簡易的ながらも陣を構築し終える程度の時間であった。であるからこそ、諸将は忘れていた。農民兵を主体とした伊勢北畠家の軍勢であれば、本来は急いでも出陣ですら翌払暁、五里を移動するとすればどんなに急がせても一刻に一里程度が限界であった。兵の脱落を許容するのであればもう少し急ぐことはできるかもしれないが、決戦を前にそれを許容するほどの余裕があるとはありえなかった。

 この点について、草太も含めて諸将は感覚が麻痺していた。唯一、新参の美濃衆から参加していた氏家直元だけがこの点に気が付いた。


 行軍速度を言い立てても難しいと判断した氏家直元であったが、尚も言った。

「策としても挟撃の策はありえぬ策ではございません。渡河が成った時点で物見を多数出すべきでございます」

 草太は、そう致せ、と献策を受け入れた。


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