二百三十九、将軍足利義輝の内意
弘治二年の元日、姉小路家を筆頭に多数の戦国大名が上洛し宮中に参内、その後二条城にて足利将軍家の年始の宴に参加した次第、更にその席上足利将軍家と伊勢北畠家の対立が決定的になったことについては既に述べた。だが伊勢北畠家と同盟をしていた者のうち河内畠山家の畠山高政は一言も発言せず、また伊勢貞孝は両者の対立を取り持つような発言を繰り返していた。
諸大名が京にいる間にこの問題を解決するために、もう一波乱が必要とされた。
高屋平助日記弘治二年睦月五日(1556年2月15日)の項にこうある。
「夜、足利義輝公俄かに姉小路房綱公を召され候。弥次郎兵衛、供をす。足利義輝公、東海坊天光殿を供として一室にて面談、その後道場にて公、足利義輝公と立ち合い、某は柳生宗厳、そしてかつての師吉岡憲法様と立ち合い候」
実のところ、姉小路家日誌は高屋平助日記が下書きになっている。というよりも、高屋平助日記のうち高屋平助個人の記述を除きその他の文書で確認できる姉小路家の様々な動きを綴ったもの、というのが高屋平助存命中の姉小路家日誌の実情である。考えてみれば高屋平助は姉小路房綱の護衛として常に付き従っていたため、その日記に拠ることが多かったのかもしれない。その弊害なのか合戦などを中心に数日分が一日に書かれている部分があるので、特に合戦の推移については注意が必要である。ところが姉小路家日誌には珍しく、高屋平助日記のこの部分は姉小路房綱の事績でありながらも書かれていない。その理由は明らかではない。またこの面談についても内容は、おそらくはこの直前の年始の宴に始まる足利将軍家と伊勢北畠家の対立についてであろうと思われるが、詳しいことは一切謎のままである。
興味深いのは柳生宗巌がこの席上に出ている点である。吉岡憲法は京に住んでいるが柳生宗巌は大和の柳生の庄に住んでいるため、わざわざ呼び寄せるにしては少し距離がある。更に柳生宗巌はこの時期、大和筒井家と姉小路家との外交に関わっていたとされるため、大和筒井家との関係であったかもしれない。
姉小路家の定宿となっている双林寺に足利将軍家の使いが来たのは、弘治二年睦月五日戌の刻のことであった。草太は既に政務を終え、奥で夕食を摂っていた。松の内も開けぬ正月の事でもあり、草太の食事は常の蕎麦団子ではなくうどんに焼き餅を入れた、いわゆる力うどんであった。丁度食べ終えた時分に使者が付いたとの報告に、草太は少し訝しみながらもすぐに表に戻り面会することとした。着物を改めて広間に戻ると使者が平伏していた。草太が座に着き面を上げさせた。足利義輝の小姓の一人、河田長親であった。足利将軍家が小姓を使者にしなければならないほど人材不足ではない以上この使者は非公式な用件であろうと予想をつけていた。
果たして用件は将軍足利義輝の呼び出しであり、曰く、秘密裏に会いたい、という事であった。問題は十中八九二条城も双林寺も伊勢北畠家の手のものに見張られているということであった。だからこそ夜に、ほとんど顔の知られていない小姓の河田長親を使いに寄越したのであろうが、闇夜に河田長親を連れて歩くことだけでも危険であった。草太と平助だけであれば夜盗の類の心配はほとんどいらなかったが河田長親を連れて歩けばその心配もしなければならないためであった。ふと草太は思いついたように尋ねた。
「そういえば二条城からここまではどのように来たのだ」
「夕刻に兵法所へ行く者たちに紛れて城を出、兵法所の終わりの時間に吉岡憲法殿の息吉岡直綱殿に送っていただいております。某はこのまま朝まで双林寺にご厄介になり、明朝参詣客に紛れて帰るよう申し付かっております」
「よくできた策、だが誰の言い付けだ」
「東海坊天光殿にございます」
そうか、と草太が納得したが、それでも問題はあった。草太と平助二人で行く、というだけではおそらくは政治向きの話に行き届きかねるところがあるように思った。ふと草太は顧みて多羅尾光俊を呼んだ。いるはずのない、声の聞こえる場所にいるはずもないその声に、襖が開いて下座より多羅尾光俊が入ってきた。
「多羅尾光俊、お召とあり参上仕りました。……ときになぜお判りで」
何がだ、とは草太も聞かなかった。何となくではあったが、襖の外の警護の侍が多羅尾光俊である、と感じただけであった。
「何となしだ。多羅尾光俊、弥次郎兵衛を二条城に連れていきたい。できるか」
「容易きことに存じます。吉田右衛門と兵を五十ばかり借りましょう」
うむと草太は頷き、支度を命じた。この会話を耳にした河田長親は驚いた。極秘裏に会う、というが兵五十が動けばその動きが察せられるのは必定であった。だが河田長親に口を出せるはずもなく、また寺僧が現れて宿泊する部屋へ案内されるとそれ以上の動きは分からなかった。
河田長親が部屋に通された頃、草太は既に二条城に入る支度を済ませ、また平助、弥次郎兵衛の二人もそろっていた。庭先には吉田右衛門と四十の兵が並んでいたが、その服装は兵も鎖帷子を下に着こんだだけで胴丸の類を付けず三間槍も持たないというものであった。何人かの手には松明が明々と火を放ち、闇を払っていた。その吉田右衛門に多羅尾光俊が言った。
「よいな、目標は革島城、行って、ただ戻れ。片道二里だが夜明けには戻れるだろう」
は、と吉田右衛門が返し、寺の大門が開いた。
驚いたのは見張りをしていた密偵たちであった。突如門の中が騒がしくなったかと思えば篝火の光が差し、更に引き続いて兵が足並みをそろえて進みだしたためであった。この動きに動揺しないはずはなく、一人を急を知らせるべく走らせたところで多羅尾光俊が見逃すはずはなかった。十名の兵が残る密偵を捕らえ、寺の中に引きずり込んだ。
四十名の兵に紛れて草太、平助、弥次郎兵衛も寺を出ていた。三人は闇の深いところでそっと隊列から離れ二条城へ向かっていたが、ふと気配を感じて草太が立ち止まった。
「多羅尾光俊にございます。ご安心召され。どうやら二条城の大門は開いている様子。ならば大門より堂々と入ることに致しましょう」
この時刻にか、と草太が問うと多羅尾光俊は言った。
「伊勢貞孝殿に少しばかりいたずらを致しました。半刻ほどは問題なく通れるかと」
何をした、とは草太は聞けなかった。
二条城の大門の前につくと、なるほど多数のものが出入りしていた。中には武装しているものもあり、茶坊主あり、多彩な者であり、これに紛れて入るのは容易いことであった。案内も乞わずに門から入り奥へ進むと、東海坊天光が草太たちの到着を察したのであろう、待っていた。
「この騒ぎ、やはり姉小路房綱殿の到着でございましたか。……いや、伊勢貞孝が書見をしているとふと太刀を盗られ、太刀置きの上に一札置かれていたと。その気になれば賊が自分の首を取るのも自由自在であるという事実に大慌てで、この騒ぎを引き起こしたのでございましょう」
いたずら、とは確かにいたずらであった。さぞ伊勢貞孝は肝を冷やしたであろうと思いつつ、草太は東海坊天光の後に従って将軍足利義輝の待つ奥へと連れられて行った。
奥の間に入るとまた広間になった。どうやら道場として使われているらしく、今も将軍足利義輝が柳生宗巌を相手に立ち合いを行っていた。流石の柳生宗巌であったが将軍足利義輝とは少しやりにくそうであった。気当りから察するにどうやら位負けしており、また全力を出してよいものか測りかねている部分があるようであった。将軍足利義輝もさほどに全力で戦っている風でもなく、囲碁のように出方を返し凌ぐ、その動きの確認とも相手のいる型稽古ともいえる風なやり方を取っており、柳生宗巌の剣先の鈍っているのを分かっていてもそれを是としているようであった。
将軍足利義輝は草太が到着したことを期に、これまでにしようと剣を収めた。吉岡憲法、柳生宗巌にこの場で待つように言って木刀を吉岡憲法に渡し、東海坊天光とともに庭にある四阿に入っていった。
草太が入ると将軍足利義輝は奥の上座に座っていた。将軍足利義輝といえども草太は言わなければならないことがあった。それは先日の宴の事であった。だが将軍足利義輝が先に言った。
「呼び出しに応じ、ご苦労である。さて先日の宴の一件であるが」
将軍足利義輝は伊勢北畠家との対立をわざと荒立てようと企てたものであるようであった。同じ塚原卜伝に剣の手ほどきを受けた、言ってみれば同門でありながらも同時に手ほどきを受けたとは言い難く、朝敵となった六角家の処分について苦慮した挙句の行動であると思われた。といって足利将軍家が単独で戦って勝てる相手でもなく、結局は他の守護、つまりは戦国大名に号令をかける以外に他はなかった。他の戦国大名というがおそらくは河内畠山家は伊勢北畠家と通じているため、伊勢北畠家と戦うのは姉小路家かその息のかかった大名以外に他はなかった。
「北畠具教は未だ京にいる。大評定を催し六角家に対する姿勢を問題視するつもりである。おとなしく幕命に従えばよし、さもなければ一戦に及ぶことになる。……長野工藤家のことは聞いておる。おそらく正面は長野工藤家、その実は姉小路家が担当することになろう。このことは、そこにいる東海坊天光と細川藤孝としか話しておらぬ。まず矢面に立つそなたには話しておかねばならぬ、と今宵来てもらったわけだ。伊勢貞孝には話しておらぬ。あれは公事方には強いが、どうにも信用が出来ぬ。恣意的に公事を曲げているという噂もある。おそらくは事実であろうよ」
こういって将軍足利義輝は一息ついた。暫し沈黙が座を支配した。
「伊勢貞孝についてはそのうちに何とかする。が、精々幕府内部のことだ。後回しにしてもよかろう。それよりも外部、伊勢北畠家のことだ。そこに大和を蚕食している河内畠山を加えてもよいかもしれぬが、一度に兵を起こしすぎであろう」
河内畠山家のことを口にするあたり、将軍足利義輝が一介の剣術狂いではなくそれだけの器、というよりも実力を持ちつつあるのは草太も認めるところであった。
「して、いかがなさるおつもりでございますか」
草太の質問に、将軍足利義輝は秘事を打ち明けた。
「近く大評定を催す。京にいる戦国大名はすべて参加させよう。伊勢北畠家、河内畠山家も逃れられぬ。下向願は全て十日まで出ぬように工作してあるからな。そして奴らに三好攻めを命じるつもりだ。精々、伊勢北畠家、河内畠山家の力を削ぐことにしよう」
「反発した場合は」
「いずれも押しつぶす」
断固たる口調で将軍足利義輝が言った。
草太は諾否を検討するほどの事もなかった。横にいる弥次郎兵衛に目で諾否を確認した後、諾と答えた。細かい話は弥次郎兵衛に投げるつもりであったし、弥次郎兵衛もそれでよいと考えているようであった。その草太に将軍足利義輝が言った。
「政向きの話はここまでにしよう。細かい点は、天光、城井弥次郎兵衛と話をしておけ。さて姉小路房綱、剣の修業は怠っておらぬの。……ならば良い。一手手合わせを。高屋平助といったか。そなたも剣を取れ。相手はかつての師、吉岡憲法に柳生宗巌だ。見るのも修行の一つだからな」
草太はこの剣術好きに苦笑しつつ、平助と共に道場へ向かった。




