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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第七章 戦と内政と
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二百三十八、弘治二年の始まり

 暦が弘治と変わった後も草太は内政に外交にと忙しかった。弘治元年は二月もない短い年であったが、姉小路家の外交という意味では非常に中身の濃い年であった。特に外交については一条兼定の後見となり四国への繋がりに端緒を付けるなど一定の成果を上げたことについては既に述べた。



 姉小路家日誌弘治二年元旦(1556年2月11日)の項にこうある。

「姉小路房綱公、元旦の朝議に参内し又二条御所にて将軍足利義輝公に拝謁し年始の挨拶を致候。内ケ島氏理様丹波守護を任じられ、また織田信長殿尾張守護に任じられ候。(略)冒頭、北畠具教非礼の廉あり、叱責を受け退座致し候事、やはり悪行は巡って自身に戻るものとぞ(略)」

 弘治二年正月には馬揃えこそなかったものの近畿を中心とした戦国大名が朝廷の朝議に出席し、更に引き続いて室町幕府の年始の集いに参賀するという意味で、実に久々のことであったようである。勿論、位のない戦国大名は朝議には出なかったのであろうが、それでも室町幕府の再興という意味で捉えたものは多かった半面、敏感なものには姉小路家による支配の幕開けと見える者が多かったようである。しかしこの冒頭何らかの意味で北畠具教が室町幕府と対立を決定的にしたことは伊勢北畠家をはじめとする反姉小路家勢力にとっては痛恨のことであったと言われているが、いかなる非礼があったかについては不明である。北畠具教ともあろうものが作法の問題で叱責を受けるはずもないから、伊勢北畠家との対立が決定的になることはこの年始以前からの既定路線であったと考える方が自然である。

 いずれにせよこの弘治元年から弘治二年の冬はそれ以前十数年なかったほどに畿内にとって平和な冬であったらしく、特に三好家と畠山家の戦いが止んだのは大きかったようである。堺から京への夜盗の類はそれほど増えていなかったようであるから、案外それぞれの地所に戻しての休養を図っていたのかもしれない。とはいえ、嵐の前の静けさでしかなかったのではあるが。



 平安を取り戻した京は香具師に溢れていた。民からはさして不満らしい不満は感じられなかった。だがやはり戦の臭いというものは簡単には消せないらしく、草太の目に映る民の中にもそれなりの割合で傭兵働きを生業としていると思しきものがおり、また戦によるものか略奪狼藉にあったのか大きな傷跡を持つものが見受けられた。なにより未だ澱んだ目をした民も少なからずおり、京の街中で乱暴狼藉に及べば比叡山延暦寺の僧兵が出張り街中の安全はある程度確保されているとはいえ、またお救い寺があるために最低限度の食事は確保できており今日は餅が入った雑煮が振る舞われ、屠蘇も振る舞われる手はずにはなっているとはいえ、京はまだまだ荒廃から立ち直っていなかった。

 それら一切を見ないふりをして、供回りを従え絢爛な文様を付けた牛車に乗り御所へ向かって進んでいるのは、草太にとっては心の痛む話であった。


 宜秋門を通って控の間に入り、呼び出しに応じて朝議の間へと向かった草太であったが、宮中のも剥げた部分が減ってきており、明らかに最初に通された時に比べれば暮らし向きは良くなっているようであった。とはいえやはり天皇陛下のおわす御所といえども戦乱の影響は完全には免れ得ないのか、少し目立たぬところには手入れが行き届かぬところも見受けられた。今上陛下は潔癖なところがあられるため直接の献金は難しく、かつての御料地の復活という形で支援はしているが、やはりそれでは限界があるようであった。

 御所でのこの日の朝議は、特に何も話をするでもなく百官が平伏しているところに御簾の向こうに天皇陛下がお成りになり、一同面を上げて近衛前久が代表してご挨拶を述べて平伏するとまた天皇陛下がお帰りになるというだけの内容であった。もっとも宮中行事の一環としての朝議でしかなく、天皇陛下はこの後も内宮で儀式を続けると聞いていた。流石に御簾は古びてはいたがよく手入れがされており、古びた様が逆に価値を持っているようにさえ思えるような見事さであった。


 朝議に参内した後は幕府の新年の宴であり、草太は落成間もない二条御所へ入った。まだ建造中の建物もあるはずだが、資材その他は見えぬように上手く隠されていた。大手門から入ると控の間に通されたが、中での諍いを避けたものであろう一大名につき一部屋が充てられていた。部屋に入ると火桶に炭が熾されており部屋は暖かであった。そういえば御所では火の気がなく震えている公家も見受けられたところを見ると、やはりご内証はあまり芳しくないらしいように思われた。

 控の間で手早く宮中での武官束帯から肩衣に袴に着替え、腰に小刀ちいさがたなを差し、そして髷を直させた。身嗜みを整えると後は呼び出しを待つだけであった。


 四半刻後、呼び出しが来て広間へと移った。草太の位置は役付きではない単なる守護としては最上位であった。最上位に座していたのは管領職を継いだ細川氏綱であり、政所執事の伊勢貞孝であった。特に伊勢貞孝は自分の仕事として多数の戦国大名がこの場に伺候してきたことが手柄であると認識しているため、満面の笑みを浮かべていた。その次には見慣れぬ男が座っていた。事前の情報がなければ分からなかったがこれこそが関東管領上杉憲正であった。相模北条家に追われ越後長尾家を頼り、そしてこの度越後長尾家の名代と共に京都への帰還の成った足利将軍家に支援を要請するためにはるばると京まで来たのであった。といって越後から京までは地理的な距離と危険度を度外視すれば特に危険はなかったため、さほどに困難はなかったはずであった。草太はこの機会に上杉憲正と面識を得ておくことを目論んでいた。下座を見回すといくつかの席はまだ空いていたが丹後守護一色義幸や播磨守護赤松晴政など守護職が並び、末席には内ケ島氏理と織田信長が座っていた。美濃守護職を継いだ斎藤義龍も中ほどに座っていたところを見ると、草太は後から入る手筈になっていたようであった。聞いてきた限りにおいては空席に後から入るのは伊勢守護北畠具教と河内畠山高政がいるはずであったが未だ座っていなかった。

 少し遅れて二人が入り、一同が席につくと太鼓が鳴り、将軍足利義輝が上座の一段高い一の間中央に座り、そして伊勢貞孝が言った。

「新年、おめでとうございます。年賀の前に、二人に栄誉をお願い致します」

 うむ、と将軍足利義輝が頷き、伊勢貞孝が続けた。

「内ケ島氏理、織田信長、これへ。……内ケ島氏理、丹波守護に任ずる。織田信長、尾張守護に任ずる。各々励むが良い」

 二人が粛々と入って来、平伏してこれを受ける口上をした。そして二人が戻ると将軍足利義輝は言った。

「さて、年初のこの時期に集まってくれて、皆の者、大儀である。だが新年の言葉の前に言っておくことがある。我々は元々天皇陛下の宸襟を安んずる、そのための存在である。したがって朝敵六角家は滅ぼさねばならぬ。今は伊賀を中心に根を張り、近江を中心に民に被害が出ていると聞く。このような者たちは、いかに歴史が深かろうとも足利将軍家と縁が深かろうとも、滅ぼさねばならぬ。更に昨年、我ら将軍家が京を奪還した後に我らを攻撃してきた三好家、石山本願寺も同様である。これらについては姉小路家、内ケ島家に特に功があり京を確保しているが、斯様な無体な戦を我らが許すことは出来ぬ。今年中に兵を起こすつもり故、各人用意を怠らぬが良い。加えてこの三家に支援をしている家も同様である。もしここにいる各家の中に六角家、三好家、石山本願寺につきたいと思う家があれば遠慮なく今すぐ立ち上がり出ていき戦の支度をするが良い」

 こういって将軍足利義輝が一同を睨み付けると、小大名たちはそれだけでその力に当てられたようであった。畠山高政もその一人であったが、ただ二人反論を口にした者がいた。一人は伊勢北畠家の北畠具教、もう一人は伊勢貞孝であった。先に発言できたのは北畠具教であった。

「大殿、反論を失礼致しますがその者たちにに付こうというものは少ないかと存じます。ですが石山本願寺については真宗本願寺の一つの派閥、公然と敵対するのは難しかろうと思います。更に六角家に付いては……」

「黙れ」

 将軍足利義輝が言った。

「伊勢北畠家が六角家を支援していること、既に聞き及んでおる。即刻取りやめねば如何に名門であろうといえどもただではおかぬ」

 続いて伊勢貞孝が口を開いた。

「大殿、伊勢北畠家は名門、特に北畠具教殿は官位も御座います、処罰するのは朝廷の覚えも悪かろうかと。また三好家は細川家の被官で御座います、これを討つ討たないは軍議を重ねてのこととせねば序列が立ちませぬ。更に石山本願寺は真宗大谷派の取り纏め、これを討つというのは外聞も悪しかろうと。いずれにせよ今日はめでたき日、めでたき宴でございます。斯様なことを話し合うために皆ここに集うてはおりませぬ」


 草太は将軍足利義輝の発言を、ある意味当然ではあるが年始の一言としての発言としては草太達戦国大名のみならず幕府内部でも根回しが行われていないような状況であるのは意外なほど性急なこの発言に唐突という印象を持った。勿論草太にとってこの発言に異論はなかった。名分上は確かに従わなければならないのは事実であったが、しかし根回しもなしに一段高いところから命じるだけでここにいる諸将を従えることが出来るほど足利将軍家には力がないのも事実であった。おそらく背後にいる姉小路家が言わせているのだろうと思われるのが関の山であり、協力したとしてもあまり積極的な態度は期待できない様に思われた。消極的な、ある意味単なる付き合いだけの出兵はかえって味方の害になることも草太は知っていた。

 一座は尚も睨み付ける将軍足利義輝と北畠具教、そして必死で取りなしをする伊勢貞孝の間で険悪な空気が重く支配した。

 それでも草太は発言はできなかった。背後にいる姉小路家が言わせている、そういう印象を更に強めるだけでしかないためであった。


 その空気を救ったのは、今回、饗応役として上洛していた今や東海坊天光と名を変えた浅井久政であった。

「大殿、年頭のお言葉、大変結構に存じます。ですが本日は軍議ではなく宴、まつりごと向きの話はそこまでと致しましょう。……折角の酒、料理の数々、堪能していただきとうございます」

 この言葉に将軍足利義輝は我に返ったかのように睨み付けることを止めわざとらしく相好を崩し、ならば酒を配れ、と命じた。小女たちが酒を注いで回り、乾杯の音頭と共に盃を干し、宴が始まった。


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