表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草太の立志伝  作者: 昨日の風
第六章 東奔西走編
241/291

二百三十四、続、赤松義祐と草太

 赤松義祐が観音寺城下へ入り草太と会見した次第については既に述べた。その際、従者として会見した黒田官兵衛が赤松晴政からの密命を受けていた。


 高屋平助日記弘治元年閏神無月朔日(1555年11月14日)にこうある。

「姉小路房綱公、赤松義祐が従者小寺万吉の言を聞き、大いに驚き候」

 小寺万吉、後に黒田官兵衛と呼ばれるこの男が姉小路家の資料に出てくるのはこれが最初であるが姉小路家日誌にはこの会見に関する記述は見当たらない。草太がここで何に驚いたかは高屋平助日記からは読み取れないが、前後の事情から赤松家が姉小路家に臣従する件と思われる。といっても臣従が実際上成るのは三好家が播磨から手を引いた後のことであるが、それでもこの時期に姉小路家の傘下に入ったことは確かなことである。問題は従者に同盟や従属という重大な問題は手に余るという事であり、また嫡子赤松義祐がそれを知らないという事はないはずという事実である。

 ともあれ、三好家、石山本願寺などが姉小路家を中心とした諸大名によって包囲されていく、その嚆矢となる事実の一つがこの赤松家との関係構築であったことは概ね間違いではない事実のようである。



 草太が僅かな供回りを連れ観音寺城下の金森御坊別院の一室で赤松義祐とその従者黒田官兵衛と会うことに同意したのは、それも正式な外交の手段ではなく内々にという条件を呑んだのは、一つには既に没落しかけた赤松家が何を言うか、どう出るのかを知りたいという好奇心でもあったが、それ以上に服部保長の熱心な説得によるものであった。元来、服部保長はあまり説得を熱心に行うよりも事実を淡々と積み上げていき自身の戦略へ説得するのが常であった。それがたとえ単なる嫡男といえ、いや嫡男であるといえども、面会をするよう強く説得を行うというのは異例であった。そのため草太は少し興味を覚えた。

 

 一室に入ると既に赤松義祐、黒田官兵衛は平伏して待っていた。草太が着座し平助が面を上げさせ、まずは人となりを草太自身も見ようと思い、こういった。

「政治向きの話は後だ。まずは、湯なりと運ばせるのでな」

 小姓が出入りして湯呑に白湯を入れたものを回し、また蕎麦餅の皿を回した。黒田官兵衛は少し面食らった。蕎麦餅は京で売られているもの、確かに姉小路家の蕎麦好きは有名であったため相応しいと言わないではないがこれは将軍家とのつながりを誇示しているのか、と考えを巡らせていた。

 その一方で赤松義祐は白湯にさえ手を付けていなかった。毒殺が怖いという以上に、緊張していたためであった。自身は無位無官ともいえる身、未だに殿上人ですらないのに対し、目の前にいる草太は代々の公家で現在は従三位権参議であり公家の中でも公卿、それに武家としての領土も赤松家に比べても広大なものであった。有力家臣が名代として座っているはずの場に草太自身が座っているということは、もし一度怒らせれば三好家ともども踏みつぶされるのは明白であった。平時は仏だが戦場では鬼の姉小路という話は十分に伝えられていた。それ故、平伏から面を上げた姿勢から迂闊に動くわけにもいかず、こと畳の上に薄く漆を塗っただけの盆、その上に白湯と小皿に載せられた蕎麦餅をどう扱うか、その作法はどうしたものか考えていた。


 この動きを見て、草太は赤松義祐を面白そうに見、反面黒田官兵衛を主君が手を付けぬまでは手を出さぬ心得のあるものと見た。だが服部保長は赤松義祐は単なる緊張であると読んではいたが、黒田官兵衛は何か腹に一物持っているように思えた。といって赤松家にまつわる重要な外交をいかに嫡男とはいえ元服そこそこの息子とこのような小姓に任せるとは思えず、腹の内が読めていなかった。

 草太は二人が白湯にも蕎麦餅にも手を出さないのを見て、自ら白湯を啜り蕎麦餅を一口切り分けて食べて言った。

「毒など入っておらぬ。遠慮なく食べるが良い。蕎麦餅も、最近は観音寺城下でも作るようになったから京より取り寄せるほどのこともなくなったからわざわざ京まで買いに出すようなものでもない。最近は茶菓子としても味がよくなってな」

 促され赤松義祐と黒田官兵衛は白湯を飲み蕎麦餅を食べた。確かに京で食べた蕎麦餅とは異なった味だが美味であった。食べ終わり食器類を下げさせると政治向きの話であった。

「して、西播磨の赤松家が当家に何用かな。年賀に幕府に行くとの返答があったはずだが。道は丹波路ならば安全であろう」

 赤松義祐は、単に人となりを見ることが目的であるとしか黒田官兵衛からは聞いておらず、顔を横に向けて黒田官兵衛に発言を許した。黒田官兵衛は言った。

「幾つかございます。まず第一に播磨守護赤松家の立場を明らかにしていただきたく存じます。こういった案件については足利将軍家のものであろうと思われますが、姉小路家にもこのことは根回しをしたい、というのが第一でございます。第二に我らと同盟を結んでいただきたく存じます。我らと同盟を結び、ともに三好家を叩くことが我らの願いに存じます。最後に年賀以降、若殿、赤松義祐に姉小路家の家法、軍法を学ばせていただきたく存じます」

「いずれも重い話であるな」

 草太が返すと黒田官兵衛は、ならばこそ時間のあるこの時期に披露致し申した、と言った。少しの沈黙の後、服部保長は言った。

「御屋形様、返答は年賀でよいでしょうからこの一件の返答はそのころに致しましょう。が……小寺官兵衛、発案者は誰だ」

「殿よりの命故、分かりませぬ」

 言うてくれる、とばかりに服部保長は言った。

「主君に一言入れての独断。ちがうか」

 思わず黒田官兵衛は目を上げた。その目が服部保長にとっては証拠であった。何のためだ、とは尋ねても無駄であろうと思われた。

「最後の一項、小寺官兵衛、そなたが赤松義祐殿の陪臣として仕えるならば考慮してもよい。おそらくこの項を入れなくとも赤松義祐殿についてくるつもりだろうがな。それでよいか」

 は、と黒田官兵衛は頭を下げた。

 この後、赤松家の内部から見た播磨近郊の現状についての話をし、この日は終わった。



 金森御坊別院の一室を与えられ周辺の街道筋や街並みを見ていた赤松義祐は、そろそろ京へ戻ることを考えていた。街並みの往来は赤松領内のどの街よりも活気があり、それでいて騒ぎの類は非常に少なかった。良い統治、というのは民の活気である、というのは言葉では分かっていたものの、それを実践するのは非常に難しいことであった。案内人兼付き人として宗太の代わりに内政方の重臣の一人岩田九兵衛が付き従っていたが、ほとんど見たいというものは見せてもらえた。ただ軍事訓練の場だけは見せてもらえなかった。勿論、見ることが出来ないのは理由があった。

「軍事訓練でございますか。この時期に行っているのは五里先まで駆けて行って模擬合戦を二刻ほど、食事を作って食べ個人の武錬を一刻ほどやって戻ってくる、というのがほぼ日課ですが、五里先まで行かれるのでございますか」

 馬を走らせれば五里程度の距離を移動するのは難しいとは言えないが、往来にこれほど人がいては往復だけでも一日仕事であった。ならば火縄銃を、というと危険だからと拒否された。そうして、街並みを見、船着き場を見、鍛冶村を見た。

 ふと気になって草太と同じ食事を、と頼んだところ、蕎麦団子のみそ焼きに琵琶湖で取れた魚、香の物という非常に質素なものが出され、少々面食らった。年齢のせいか酒もなく、京の宿の食事の方がよほどに豪勢であった。岩田九兵衛に尋ねると、客人の来た時以外ではこの位だということであった。

「最近は魚の献上が多くそれを一品に入れておりますが、特に何の献上もなければ蕎麦掻、蕎麦団子に香の物というのが基本でございますな。因みに御屋形様の食事は城内で召し上がるときは奥方様が料理されることがほとんどでございます」


 赤松義祐が草太と会見してから三日目の夜、小者が文を持ってきた。文には簡潔にこう書いてあった。

「白菊姫の輿入れの宴があるため、明午の刻登城仕り候様に」

 赤松義祐はこの文の書きように自身が一段下に見られているような気になったが、このことを相談された黒田官兵衛は少なくとも同盟、それは多分に従属関係に近い形になるだろうが、それはなったと判断した。そして言った。

「行くべきでしょう。正装は支度してございます。この度の同盟について好印象を持っているからこその文かと」

 そなたも行くか、という問いに黒田官兵衛は、従者の一人もいなければ恰好が付きますまい、とどうせ次の間までしか行けないのを見越して言った。

「それよりもなぜ行くかは分かっておいででしょうか」

「式に呼ばれたから、という以上に、見分を広げ、できれば重臣たちに顔と名前を売り込むことだな」

 左様にございます、と黒田官兵衛が言ってこの話はそこまでとなった。


 宴、といったが、いわゆる式は午前中のうちに終わり、午の刻の少し前に観音寺城の門前で案内状を見せた二人は城の奥の広間に通された。途中で弥次郎兵衛が合流し、これからの次第を簡単に説明した。

「簡単に言えば、最初の口上が終われば後は無礼講にございます。裃も口上が終われば脱ぎ捨てて結構でございます。ただ新郎新婦のお二人がいらっしゃいますから、ご配慮を。赤松殿は上の間、小寺殿は下の間にそれぞれ座をお願いいたしますが、無礼講となればその境はなくなります。存分にお楽しみください」

 弥次郎兵衛が広間の前で全員に播磨赤松家からの客人であると告げ、二人が膳の前に着座すると程なくして草太と白菊姫が入り金屏風の前に座った。後藤帯刀が一門衆筆頭として口上を述べ、草太がそれを受けて一つ大きく頷いて言った。

「わが身のことであるが折角の宴である。これよりは無礼講といたす。皆楽しんでいってくれぃ」

 夕刻まで続いたこの宴の中で、赤松義祐は渡辺前綱、滝川一益、田中弥左衛門、平野右衛門尉といった姉小路家の諸将との面識を得た。驚いたのは無礼講となった後は上の間から下の座へ向かうものもあれば下の間から上の間へ上るものもあり、更に下座にいた若い武将、後で吉田右衛門と名乗ったが、下座の若い武将まで草太に話しかけに上ったことであった。赤松家では考えられぬことであり、重臣の誰かの嫡男か何かかと思って尋ねると簡潔に答えられた。

「他家は知らぬが当家では御屋形様に話をするのは、手続きをきちんとすれば村の庄屋でも難しくない。特に武将衆であればさして難しくないな。最低限度の礼儀を弁える必要があるが殊更に畏まることもない。確かに公家ではあるからそれなりの格式を外向きにはするが姉小路家の領内では一切無用と触れが出ているよ」

 夕刻になり後藤帯刀が再度口上を述べ草太たちが引き上げても、日が暮れて赤松義祐達が辞す時刻になっても宴は続いていた。


約三週間ぶりに投下であります。

とにかく平常に近い生活に戻りつつありますが、書くのも中々思うに任せないのであります。しばらく書いていないと、勘のようなものがものがなまっているのでありましょう。

しばらくはリハビリの日々であります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ