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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第六章 東奔西走編
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二百三十一、北畠家の影

 長野工藤家に姉小路家の一門衆、後藤帯刀の次男後藤泰治が養嗣子として入った次第については既に述べた。

 無論、伊勢北畠家がこのことを全く感知していないわけではなかったが、伊勢北畠家は特に妨害することもなくその推移を見守っていたようであった。とはいうものの、伊勢北畠家は全く何の措置もしなかったわけではなく、むしろ影に隠れての策動を活発化させていた。



 姉小路家日誌天文二十四年神無月三日(1555年10月19日)の項にこうある。

「伊勢貞孝殿、年初に拝謁すべき者を明らかにいたし候。伊勢北畠家が伺候し候事、驚くべきことに候。姉小路房綱公、書状を見て曰く、戦なければ結構なれど、必ずや戦ならん、と後藤泰治に特に付家老として竹中重元、安藤守就をつけ候」

 神無月十二日(10月28日)に後藤泰治が長野工藤家に養嗣子として入っているため、その際の付家老として美濃衆の二人をつけたことになる。草太はこのとき必ずや戦になるだろうと予測しているが、実際に戦になるのはまだ先の話である。戦のない世を作ろうとする草太にとって、何を根拠にこのような判断をしたのかについては明らかではない。

 ただし、この時期を境に伊勢北畠家の六角家への支援は鈴鹿峠越えから仁柿峠越えへと変更になっていることが分かっている。このことからも伊勢北畠家も六角家の支援が危険なものであるという見方があったのは事実だと考えられるが、それが姉小路家の力を背景にした長野工藤家による収奪を恐れたのか、六角家への支援そのものが秘すべきものとされたのかについては定かではない。



 長月晦日(10月15日)、霧山御所では北畠晴具が久々に広間の上席、北畠具教の隣に座っていた。北畠晴具は先代であり既に家督を譲って隠居していたが、隠居しているというのは名目であり実際には伊勢北畠家を掌握していた。その北畠晴具の前で藤方朝成が言った。

「……ということでございまして、長野工藤家に姉小路家の一門衆、後藤泰治殿が養嗣子として入るのは確実となり申した。これにより北伊勢への攻勢はむつかしくなる情勢にございます」

 この言を聞いて、北畠晴具は少し笑って言った。

「何の、簡単になった。そうであろう、のぅ具教や」

 こういわれた北畠具教は、だが簡単になったとは思えなかった。

「先日、足利将軍家の伊勢貞孝、あれから書状が来ておっただろう。朝廷に参内し、足利義輝殿に拝謁せよと。まだ返事は出しておるまいな」

 出しておりませんが、と言って北畠具教は続けた。

「それが長野工藤家への攻勢と、何の関係がございますか」

「わからんか。姉小路家はな、自縄自縛に陥った。おそらくは驕りであろうがな。……我ら北畠家は伊勢国司、伊勢守護。双方を兼ね備えている。その名目で訴訟を起こせばどうなる。姉小路家のもつ名分は今度はこちらに付く。表だってこちらに味方もできまいよ。更に既に三好家、河内畠山家とも話を通してある。奴らは兵を起こす手筈になっておる。また東のほうでは甲斐武田家が美濃の出入り口で戦っている。こちらにも兵は必要だろう。と、東西で兵が必要ならば、我らまで敵に回すほどの手は空いておるまい。訴訟で我らの勝ちと決まれば、姉小路家が口を出す謂れもない。自ら掲げた旗に自ら反するなどとすれば、筋目も何もなかろうからな。さて藤方朝成、そなたはどう見る」

「それは、……確かに大殿の言う通りかと。ただしそれでも訴訟を曲げてきた場合にはどういたしますか」

 藤方朝成が懸念を示すと、北畠晴具は言った。

「なに、伊勢貞孝、あれは既にこちらの手の者になっておる。政所を預かり訴訟を差配するものが我らの手の者、とあれば訴訟で負けることもなかろうよ。もし強権をもって姉小路家が勝ちとするのであれば、我らはそれを天下に曝して大義の戦いじゃ。さぞ姉小路家の看板は汚れるだろうのぅ」

 楽し気に北畠晴具は続けた。

「なに、どうせすべての戦は正しくない。それをいかに正しいものに見せるか、正しいものだとして地侍や兵に納得させるか。……姉小路家のように傭兵を主体とした軍をもつ戦国大名にはその強さが分からんだろうがな」

 そして三日後、京に使者として藤方朝成が到着した。



 伊勢北畠家が上洛し朝廷への参内、足利将軍家への拝謁を受けるという知らせは、神無月三日の夕方には観音寺城にいる草太のもとに届けられた。届けたのは興仙であった。足利将軍家からの正式な使者ではなかったが、その情報は草太を喜ばせた。

「伊勢北畠家が上洛する、と。ならば戦もなくてよかろう。六角家のことだけはくぎを刺さねばならぬがな」

 草太が言うと、興仙はさにあらずという顔になった。

「むしろ戦の気配が強まるでしょうな。口実は別にして北から一向一揆、南から伊勢北畠家が攻め寄せれば、長野工藤家は相当な危機でしょうな」

 草太には興仙の言っている意味が分からなかった。どういうことだ、と聞くと弥次郎兵衛が言った。

「お忘れかもしれませんが伊勢北畠家は伊勢守護の家柄。北半分を長野工藤家に支配されたままでいたのも実力で長野工藤家が支配を続けていたからでございます。近年は押し込めていたようでございますが、本来ならば伊勢は全て北畠家のもの、と考えているようにございます。ならば面白くもなかろうと存じます」

 興仙が続けて言った。

「おそらくはな、伊勢北畠家の狙いはまずは名分の獲得じゃろう。伊勢守護の立場を明らかにする、そうすれば伊勢のすべての地頭や地侍は原則として伊勢北畠家の傘下に入らざるを得ない。無論、長野工藤家もな。当然にして傘下には入らぬだろうが、さすれば足利将軍家の意向に逆らうもの、幕府に逆らうものとして懲罰ができる。その戦に姉小路家は手出しはできぬ。足利将軍家を担ぐ身としてはな。ま、そういうことであろう」

 そう上手くいきますか、との草太の言に興仙は言った。

「行くだろうよ。なにしろ政所は伊勢貞孝、あのものの手の内にある。姉小路の変であの業火の中でさして傷なく逃れ得た、おそらく伊勢貞孝は姉小路の変の首謀者と内通しておる。その首謀者とは伊勢北畠家に他あるまい。……ま、証拠はないな。姉小路の変については止めにしよう。だが伊勢貞孝が伊勢北畠家とつながりを持ったならば、名分を立てるという策は当然ありうる話であるし、儂が伊勢北畠家に助言するならば進言する、そういう策だ。最終的には戦で決着をつけるとしてもな」

 草太は、結局は戦になるということについてうんざりしていた。草太自身は伊勢北畠家について含むところはなく、そのために伊勢北畠家が今のまま過ごすとすれば足利将軍家の一被官として、一大名としての地位を否定するつもりはなかった。ただ六角家への支援を止めさせる、それだけの話であった。

 だが、興仙の説いたとおりの策を伊勢北畠家が実行するとするならば、戦は避けようがなかった。そんな草太に興仙が言った。

「名分の話だけならば、難しくはないのだがな。実力行使による伊勢統一への動きを防げるかといえば、難しかろうよ」

 これには弥次郎兵衛が返した。

「先手を打って伊勢守護をはく奪する、ということでございますか」

 うむ、と興仙が頷いた。

「そもそも伊勢北部まで手に入れようというのは、伊勢北畠家が先々代に伊勢守護に任じられたことに端を発しておる。また別の者、例えば長野工藤家が任じられれば名分は消えるだろう。……なに、朝敵に散々援助をしてきた家柄だ。伊勢北畠家を罰する言い訳はさして難しくないだろうよ」




 同じころ四国は讃岐の国人衆の反乱を治めていた三好長慶は、足利将軍家に自分が呼ばれないのを半ば当然と思っていた。確かに三好家は姉小路家、ひいては姉小路家が担いだ足利将軍家と、先日の山城国での戦闘などで丁々発止とやり続けていた。三好長慶には足利将軍家の与える権威、それを不要とまではいかないまでも絶対に必要なものであるとは考えていなかった。権威とは必要であれば実力で奪取する、そういう存在でしかなかった。あるいは権威をもっている存在を取り込んで利用する、そういうものであった。

 三好家が取り込んでいる権威は、大きく二つあった。一つは五摂家の一つ九条家の持つ公家の権威であった。やや、どころか相当に姉小路家の持つものと比べた場合には劣っているのは否めなかったが、それでも隠然たる力を持っているのには違いがなかった。もう一つは石山本願寺のもつ宗教的な力であった。


 だが三好家は権威にすがって生きようとするつもりは全くなかった。勝瑞城にて三好長慶は十河一存、三好実休をはじめとする諸将を相手に軍議を行っていた。讃岐の国人衆の反乱は、既に目鼻がついていた。問題は抗争のはっきりとしている姉小路家との戦、その勝ち筋が見えないことであった。そこへ三好長将が報告に上がってきた。簡単な挨拶の後、三好長将が言った。

「姉小路家のものとされる投げ槍について、調査が終わりました」

 三好長将の調査によれば、姉小路家の投げ槍は三尺ほどの長さであり、遠目で見た姉小路家の投げ方を模して投げても半町まで飛ばず、また地に刺さるものは十のうち六七、ということであった。

「訓練の問題かと思ったのですが、一町を超えるほどの距離を飛ばしてくる姉小路家の一鍬衆、その投げ方に何らかの秘密があるのやもしれません」

 こう三好長将が締めくくったのを三好実休が拾った。

「投げる方はよい。だが防ぐ方はどうだ」

 今のところ目途が立っておりません、と三好長将は言った。

「可能ならば兵を散らす、という位でございます。建物を貫くほどの威力もございませんから、籠城戦ではさして問題ではないかと。ただ、全員に厚い板の盾を掲げさせるのは野戦では難しいと存じます」

 ここへきて三好家は野戦で小さな勝利をも得ていない、それが大きな問題となっていた。一回でも勝っていれば姉小路家の一鍬衆の一人や二人、捕虜として得ていても不思議ではなく、投げ槍についても理解が進んでいたはずであった。三好長慶は言った。

「今更言っても仕方があるまい。……松永久秀、姉小路家の兵を調略できるか」

 松永久秀は難しい顔で言った。

「正直に言って難しいですな。一鍬衆と呼ばれる姉小路家の兵の中には寝返りができるものが一人もいないとは思いませんが、大部分が家族が加賀、越中、能登など、一部は近江などでございますが、単に雇っている兵ではありますがその実態は姉小路家の領内に根を張る家族の一員、京などからの移民であっても開拓する家庭がありその一人が開墾が終わるまでの扶持のために従軍している、そういう者が大部分でございます。家庭もない根無し草ならば容易でございますが、今の状況から見れば難しいかと」

 拉致してくれば、と三好実休が言いかけたが、無理に聞き出そうとしてもそのあと何とか投げ槍を含む姉小路家の戦法について指導させる必要があることから、難しいものだと思った。


 状況が煮詰まっているのをみて三好長慶は話を変えた。

「時に河内畠山家の動向はどうだ。畠山高政殿はどう出るつもりだ」

 三好長慶も知っていはいたが、一座に知らしめるためこう言い、三好実休は答えた。

「例の件については、参内、拝謁をすると聞いております。姉小路家は先代畠山政国殿との縁がございますから、河内畠山家を粗略には扱わぬものと」

「ままならぬの。河内畠山家をこちらに引き込めばまだやりようもあるだろうがな」

 そこへ十河一存が口を出した。

「少し話は変わりますが、細川家の持っていた守護国は、ほぼすべて姉小路家のものになってございます。問題はこのことを讃岐の国人衆が知っていることで、今回の国人衆の反乱の端緒でございました。この分では一門、譜代で固めていない土地は反乱の目が捨てきれませぬ。特に危険なのは摂津、和泉の国人衆にございます」

 少し考えて、三好長慶は言った。

「河内畠山家をこちらへ取り込めるように工作を進めよ」

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