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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第六章 東奔西走編
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二百二十六、続、高峰山の戦い

 渡辺前綱が高峰山に誘い込まれ周囲を囲まれた次第については既に述べた。だが合戦は終わっていなかった。少なくとも三か所で合戦は続けられていた。包囲されていた渡辺前綱隊の他に、武田信玄自らが率いる甲斐武田家の精鋭の攻撃に呼応して城内から馬場信春隊が全力で出陣して浅間山に張られた陣に殺到し、更に落合に張られている陣には甲斐武田家の「本隊」が苗木城に兵糧その他の物資を運び入れるべく襲来していた。

 局地的に見て、姉小路家はこの陣では劣勢であった。



 姉小路家日誌天文二十四年長月二十四日(1555年10月日)の項にこうある。

「渡辺前綱殿、高峰山にて武田家の本隊と合戦致し候。当初、戦、利不在あらず、(略)一陣の血路を開きて浅間山に退くのみ。竹中重治、功あり。また斎藤義龍、功あり。(略)ただ浅間山に退き兵を纏め武田家の軍勢を食い止めんとし(略)」

 国人衆となった斎藤義龍に功あり、とあるのは非常に珍しいことである。国人衆には基本的には軍役を課さないのが姉小路家の作法であったとされるが、稲葉山城にいたはずの斎藤義龍が急を聞いて駆けつけるにしても苗木城まで十五里以上の距離があることでもあり、不思議なことである。斎藤義龍の美濃斎藤家はこの後も一門衆として要所で兵を出しているのが軍役帳などで確認できるが、内ケ島家のように領土を加増され独立して行動するというよりも一門衆のひとりとして総大将格の出陣が主であることからも、美濃斎藤家の扱いは国人衆に準ずるものであった。国人衆全体の取りまとめの一翼を担うことを期待されていたというのが近年の主流の見方である。



 渡辺前綱は隊を率いての攻撃をしたことを後悔していた。完全に誘い込まれ、来た際に通った尾根道には既に空堀が割られており、おそらくは通のには支障なく、更に簡単に崩せるように細工してあったに相違なかった。それも簡単な細工であれば見落とすはずもなく、昨日今日に準備したというよりも相当以前から、おそらくはこの一月近くかけての準備が行われていたことを示していた。正に死地である、と渡辺前綱はこの陣の場所自体が用意されたものであると認識を改めてした。と同時に、武田信玄ほどの武将が念入りに死地を用意したという点から考えれば、そこに嵌り込んだ自身は討死するという予感しかなかった。

 せめて木島大八の言葉通り、甲斐武田家の本隊の背後を突こうとしたが、山岡景隆は冷静に言った。

「渡辺前綱殿、落ちるなら北でございます。南には甲斐武田家の本隊がいるとのことでございましたが精兵は五千、ならばこの山には精々六千に満たぬ数しかおらぬはず。南の浅間山の陣を抜くならば相応の兵を集めねばなりませんから、北は手薄になっているはずにございます。北に抜け木立の少なく罠の仕掛けにくい山すそを回り込むのが上策かと」

 ふむ、と渡辺前綱は考え、そして言った。

「ただ落ちて立て直すだけならつまらぬ。北東に抜け、坂下から落合川を下り敵の輜重隊を叩くことにしよう。……兵を纏めよ」



 三番の狼煙が上がったという報告が竹中重治の下に届けられた時には、浅間山の陣を預かっていた竹中重治は、既に北から甲斐武田家の精鋭が殺到していたほか、南の苗木城からも兵が出撃しているという報告を受けていた。竹中重治は簡単に言った。

「打ち合わせ通り陣を捨てます。敵兵には中筒隊で牽制を」

 増派されてきた武将衆の一人である黒瀬左近は驚いたように尋ねた。

「本当ですか。陣を捨てるなど。それも西ではなく東に半里、落合川を目指すなど」

 当然、という顔で竹中重治は言った。

「甲斐武田家の精鋭がいかに強くても輜重隊は従えておらず、苗木城内にも兵糧はそれほど残ってはおらぬ様子。ならば半月以上も高峰山で工作を行っており腰兵糧にもそれほどの量がない今なら、輜重隊を潰せば兵糧もなくそれ以上の進軍は阻止できます。物資の搬入を阻止する、それが上策。この際、甲斐武田家の精鋭には苗木城に入ってもらいましょう」

 く、という顔になったが、黒瀬左近は言った。

「この場を任されたのは竹中重治殿、ならばその命に従いましょう。しかし図に外れ、美濃での甲斐武田家の席巻を許した際には、この黒瀬左近の言を忘れずに」

「私は美濃の出です。美濃は私の故郷、この策で甲斐武田家の席巻を許したなら、如何様にも」

 黒瀬左近は、それでも納得のいかぬ顔をしていたが、言った。

「それならばこの場は従っておきましょう」



 一方の武田信玄率いる甲斐武田家の精鋭は山伝いに浅間山の陣を攻撃していた。四千程の兵であったが前線の将は甘利信忠であり、更に既に見える距離にあった苗木城からは馬場信春隊が出撃を開始しており、武田信玄は合流自体については全く心配していなかった。問題はましらの報告によれば高峰山に包囲した姉小路家の兵に動きがなくなったことであった。このように動きがなくなった場合に次に来るのは大きな動き、つまりは全兵力による突撃か大幅な方向転換と相場は決まっていた。

 甲斐武田家の諸将はそう考えていなかったようだが、実際に追い込まれているのは甲斐武田家の側であると武田信玄は考えていた。既に伊那谷から持ち込んだ物資は底をつきかけており、これは苗木城もほぼ同じであると考えられた。つまりは現在坂下から中山道を使って苗木城へ運び込む兵糧その他の物資がなければ、立ち枯れとされるのは甲斐武田家の側であった。兵がいくら強くとも、兵糧もなければ戦えないのは事実であり、飢兵が強いのはほんの四半時程度でしかなく、その程度の時間では血路を開いての撤退もおぼつかなかった。

 そこへ甘利信忠からの使い番の報告が入った。

「浅間山の姉小路軍、撤退を開始した模様。馬場信春隊との合流を急ぐとの事でございます」

 武田信玄は、予想以上に早い撤退に違和感を感じ、そして尋ねた。

「どちらに逃げた」

「姉小路家の撤退した方角は西にございます。東は既に深沢の陣との間を馬場信春隊が抑えておりますれば、苦し紛れに落ちたかと」

 俄かに武田信玄は立ち上がり、左右の者に命じた。

「誰ぞある、坂下の輜重隊を守る秋山虎繁に命じよ。突破のみに力を注げ、とな。……我らは急ぎ苗木城へ入る。これが陽動なら苗木城が落ちる。ならば元も子もない。それから深沢には兵糧その他の物資が唸っている。これを奪取せよ」



 馬場信春隊の出撃については、その出撃準備の段階から深沢の陣からも物見の報告が上げられていた。今までにないほどの炊煙が上がっていたことから、その規模は今までにない規模となることが予測されていた。深沢の陣ならば万余の軍でも問題なく持ちこたえられると兵は信じていたが、守将である青地茂綱は一人、危惧していた。飢兵と化した今の苗木城の城兵の全兵力、これに甲斐武田家の精鋭が加わり、背水の陣としてこの深沢の陣の物資を目的として被害をいとわぬ突撃をかけてきた場合、いかに空堀土嚢に逆茂木を結いまわした陣を敷いているとはいえ突破を許す危険があった。空堀も深くしているとはいえ、千程度の兵が体を投げ出せば簡単に突破できるのは明らかであった。そのような戦い方を甲斐武田家がするとは考えにくかったが、話には聞いていた一向宗は実際に金沢城付近で行ったと聞いていた。ならば甲斐武田家がやらないとは断言できなかった。

 だが馬場信春隊は深沢の陣と浅間山の陣を遮断するように行動し、甲斐武田家の軍との合流を急いでいるようであった。合流してそのまままた苗木城に入るのであれば問題はないが、青地茂綱の勘はその後に来るのはこちらへの、深沢の陣への攻撃であると告げていた。青地茂綱は麾下の五千の兵に防衛準備を命じた。中筒隊がいないのが無性に腹立たしかった。



 戦場から一里、中津川盆地に入ったところに斎藤義龍は兵五千を引き連れて進んでいた。目的はいつも通り、捕虜の引き取りであった。これだけなら配下の者に命じれば済む話であったが、斎藤義龍は稲葉山城に籠っているのを良しとせず、自ら城を出て深沢の陣に向かっていた。陣中見舞いが一つの目的であり、渡辺前綱という人物に興味があったということもその一因であった。また久しぶりに稲葉良通の顔を見てみたいという気になったのも手伝っていた。

 ふと斎藤義龍はただならぬ兵気が立ち上っているのを感じた。何かが起こっている、斎藤義龍はそう感じ、物見を厚くするように左右に命じ、全軍に急進を命じた。何も起こっていなくとも、多少早く着いたところで何のとがめだてもあるわけがなかった。程なくして物見が戻り報告した。

「報告します、甲斐武田家の軍勢が深沢の陣を囲むように攻めてございます。その数は少なくとも万余、既に深沢の北東部へ兵が回り込んでいる様子」

 ご苦労、と一言斎藤義龍は言うと、長井道利に言った。

「輜重隊は任せる。ゆるゆると追いつけ。余の者はと共に、回り込んでいる甲斐武田家の軍勢に突撃する」


 甲斐武田家の攻撃が始まってから一時が過ぎていた。日も落ちかけていたが、三千まで数を減らした青地茂綱隊は城で言えば二の丸にまで押し込められていた。本丸に当たるところには多くの兵糧その他の物資が残されていた。流石に飢えない様に最低限戦えるだけの兵糧は他にも準備をしていたが、これを奪われれば甲斐武田家の軍勢の虎に翼を与えるようなものであり、姉小路家の軍略そのものに大きな掣肘を与えることとなるのは明白であった。であれば最悪の場合には戦線を縮小して守れるだけ守り、そして最後は物資に火を放って敵に利用させないというのが心得であった。

 そこへ、斎藤義龍隊が救援に入った。深沢の北東に広がる中津川盆地は起伏に富み、また木立も多く残っていて容易に見通しが聞かないのが幸いしたのか、それとも回り込んだ甲斐武田家の軍勢は小高い丘の上にある深沢の陣を目指して進軍しており後方への物見が不足していたのが幸いしたのか、駆けつけた斎藤義龍隊は甲斐武田家の軍勢を後方から正に奇襲する形で攻撃する形になった。思いもよらぬ敵兵の出現に動揺が広がった。その動揺を見逃さず、斎藤義龍は甲斐武田家の軍勢を追い込むように苗木城へ向かい、その動きを察知した青地茂綱も逆襲に出た。


 甲斐武田家の軍勢の突然の乱れに、武田信玄は左右に何が起こったか尋ねた。

「姉小路軍本隊が深沢の北東より突撃をかけてきた模様」

 本当か、と武田信玄は思った。確かに尾張における戦の帰趨については知っていた。またその後東美濃へ兵が増派されているのも知っていた。それ故に姉小路軍の本隊が現れても不思議ではなかった。だが諜報網にはそれほどの大軍は引っかからなかった。小出しに増派した一隊、その一つか、と考えたが、いずれにせよ苗木城に入り秋山虎繁の守る輜重隊が兵糧を運ぶのを待つことを選び、左右に命じた。

「全軍、苗木城へ入る。深沢攻めは明日以降じゃ」

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