二百二十三、貨幣改鋳
草太の子が生まれた次第については既に述べた。
だがそれはそれとしても、尾張美濃への出兵、戦いこそなかったものの京への出兵と立て続けに出兵が続き、兵の疲労は明らかであった。つうを正室にした評定でもその点は指摘され、当面は軍事行動を控えて物資と武器弾薬の集積に当たることが決められた。
だがそれは別段、草太たちが何もしないことを意味するわけでもなかった。
姉小路家日誌天文二十四年長月二十日(1555年10月5日)の項にこうある。
「姉小路房綱公、評定を仕り、(略)当面は兵を養うことに相定め候。又長野工藤家の長野藤定の招聘も定められ、また一向宗加賀派による北伊勢における石山本願寺派の切り崩しも定められ候。またつう様を正室と致し候。また貨幣を製造、流通させるための準備を、城井弥次郎兵衛に命じ候」
半月ほど姉小路家日誌には空白期間があり、この評定で定められたことも長月初めから行われていたことである。したがって、この評定自体も他の資料を突き合わせるともっと早い時期に行われたと考えるべきなのかもしれない。あるいは、この評定は単なる確認の場であり、既に行われていたということであるのかもしれない。
この評定で重要なのは、この日とその翌日の評定でつうが正室、余の者が側室と定められたという点である、というのが一般的である。
この時期の姉小路家は大幅な物資の集積を必要としており、姉小路の変での京への出兵も、かなり無理をしたというのが定説である。更に美濃の陣はまだ続いており、こちらに対する補給も必要とされていた。何より急速な膨張による負担は姉小路家といえども軽いものではなかったようであり、美濃の有力国人がこぞって姉小路家の武将衆として身を投じた後には、その弊害は限界であったといってよかった。いかに多数の鉱山を抱え、能登から明との貿易を行っていたといっても、その儲けだけでは賄いきれない部分が実際に存在していたのである。通貨を発行するのは簡単であったが、姉小路家といえども、いや姉小路家だからこそ、それを流通させるのには時間が必要であったのである。
天文二十四年長月二十日の姉小路家の評定は、それまでとは一風変わっていた。その違いは簡単であった。武将衆が大幅に増えた関係上、大広間であっても武将衆全員をこれまでのように収容はできず、かといって評定の仕方を変えるためにも評定が必要という点については変わりがなかった。特に美濃と伊賀からの武将衆は数が多く、一種の門閥をなしていた。これまでもなかったとは言わないが、この時期に至って問題となってきたのは門閥間の争いが顕著になってきたことであった。
更に内政方を専業とするのは弥次郎兵衛以下の者たちがいたが武将衆の力を借りることも多く、美濃の内政であれば美濃の武将を使うことが望まれたため、その意味でも門閥は自然に形成されていったのであろうと思われた。
こうなれば古参で飛騨統一以来の武将と伊賀衆のように調略で、あるいは美濃衆のように姉小路家の力を借りるために武将衆に加わった者が平等に扱われるのは、やはり面白いものでもなかった。自然、内紛の種が育っていくのが道理というものであり、姉小路家であってもそれは避けられないものであった。そのため、評定の準備に半月近くを要したのであった。
観音寺城に草太が帰って早々に、この問題を解決する策を提示したのは美濃衆の竹中重元であった。
「最も新参の我らが古参の武将衆と平等というのは、やはり問題が多かろうと存じます。全員、姉小路家の戦の仕様も分からぬものでもありますれば、古参の方と同列というのも憚られます。ならば我らは軍学校へ参るのが上々と考えます」
あからさまに言えば美濃衆の力が劣っているから降格、という意見であり、他の者が言えば問題であったかもしれないが歴戦の勇士であり謀将でもある竹中重元の言葉であった。美濃衆の誰もこの言葉には反対の声もなかった。その声を上げることは、竹中重元を侮辱しているに等しいからであった。
この言葉を聞いた草太は言った。
「単独では確かに戦の仕様も違うため、戸惑うことも多くなるだろう。軍学校へ行きたいものは軍学校へ、前線に出たいものは誰かを与力とする、あるいは誰かの与力とすることで対応しようと思うがどうか」
反対の声は出なかった。あるものは陪臣として、あるものは軍学校へと別れて行った。武将衆として残ったのは稲葉良通、安藤守就、氏家直元、不破光治、竹中重元の五名だけであった。
続いて服部保長が声を上げた。
「甲賀衆については我らが配下としていただき、兵を率いて戦わぬ者たちとさせていただきたい。武将衆を希望するのは、佐治為次と土山盛忠の二人にて、残りは武将衆ではなく別組織にしたい」
この服部保長の言葉に甲賀衆の反対もなく、というよりも甲賀衆の希望でもあったのであろう、甲賀衆の大部分はそのまま服部保長と多羅尾光俊の陪臣として諜報、調略に物見を中心とした活躍をすることとなった。この提案に弥次郎兵衛が言った。
「それならば、武将衆という名でも国人衆という名でもない、全く新たな組織とするべきだろう。名は、……そうだな、庭番とでもするか」
草太は庭番と聞き、内心奇妙な暗合、歴史の修正力とでもいうべきものを感じていた。公儀御庭番、などというのはほとんど講談の中の話でしかなかったのかもしれないが、組織が姉小路家の諜報、調略を中心として担う組織の名として御庭番が使われるのは、内心面白く思ったが同時に怖ろしくも思った。
草太の知っている本来の歴史の中では、自分は誰なのだろうか。
このようなことは誰にも相談できなかった。出来る訳もなく、したところで意味がないのは分かっていた。一度これに近いことを顕誓に相談したことがあるが、顕誓の回答はこうであった。
「歴史の中で自分がどう思われるのか、そのようなことは考えても仕方がありますまい。大事なのは今すべきことを全力でして、最後まで志を捨てずに進むことです。それに加えましょうか。誰が何と言おうと、我々は姉小路房綱公がどれだけの犠牲を払いどれだけの心を砕いて民のために努力したのか、知っております。いかに優しい為政者であったか、あろうとしたか、知っております。今はそれで、十分ではありませんか」
こうした組織改革が表面的にだけでも終わるのに、半月近くかかり、そのために評定まで半月近い時間を必要とした。
草太は、表の仕事はかなり草太が出張る必要がない、あるいは出張るとこじれるような問題が多かったため、専ら奥にいた。武将衆となるか軍学校で鍛えなおすか、と草太に言われて、本心はどうであれ武辺の者であれば武将として一手を率いたいと言うに決まっていた。事はある程度客観的に決める必要があった。そのためには、やはり草太はその場にはいない方が良かったという面がある。
奥の書院で草太は悩んでいた。言うまでもなく子供の名前であった。評定の際には発表しなければならない、その上でつうが正室だと正式に定めることになるが、さてその子供の名前をどうするのか、であった。弥次郎兵衛に相談すると半ば呆れた顔で、自分で考えてください、と言われ、平助に相談すると、どうせ幼名であり元服したらまた別の名になるのだからと軽く言われた。だが草太は書斎で一人悩み、そして奥へ行って子の顔をみてあやそうとしては泣き出され、つうやひ文字姫に呆れ顔で追い出される始末であった。
武将衆はここまで落ち着きなくオロオロとしている草太を見るのは初めてであった。
だが政務の時間にまでこのオロオロした姿を持ち込んだりはしない辺り、流石は草太であった。奥でのオロオロした姿とは全く違った姿が、表ではあった。政務の間では、弥次郎兵衛が貨幣鋳造の建白を行っていた。
「……既に明から輸入した銅銭だけで回すのは、不可能に近いのです。武将衆や兵たちの俸禄まで銭で払うのは、月ごとに分けているとはいえそろそろ限界が見えています。能登航路で持ってきた銭の大半はここに消えています。足りなくて市中から銅銭をかき集めることもあるようです。ですから、我らも一文銭、作らなければそろそろどうにもならない時期に来ています。民同士が物々交換しかできない時代は、終わりにしなければならんのです」
草太は確かにそうだと言ったが、それが実現可能かをまずは考えた。
「銅銭の鋳造技術は十分にあるのか」
「既に明から完全な形で鋳造技術も手に入れていますし材料の銅も鉱山で十分に産出されています。後は足りないのは、作ったはいいがどうやって流通させるか、それから本当に流通させていいのか、この二点だけでございます」
ふむ、と考えていた草太に横から口を出したものがあった。見ると評定のために観音寺城に上っていた小島職鎮であった。
「御屋形様、随分とお悩みのようでございますが。……この件、朝廷のお耳に入れ将軍家のお耳に入れねば、あとに角が立たぬとも限りません。とはいえ、お耳に入れさえすればおそらくは通る話でございましょう。問題は流通の方でございますが」
ここで言葉を切った。
「御屋形様、飛騨のことは気にかけていらっしゃいますか」
何を、と言いかけた草太であったが、小島職鎮は言った。
「飛騨では今、銭が余っております。絹、金銀、こういったものを売って食料を買ってもまだ手元に銭が残る、という訳で民の手元には銭が余っております。そして買った食料を税として納めております」
何が言いたい、と草太が言いかけて、そして止めた。不足している場所があれば余っている場所もある、ということであった。
「検地をして税額を変えるのは先の話としても、この仕組みを少しばかり変えてはいかがでございます。例えば年貢の半分は銭でよし、その銭は今の永楽銭だけではなく新しく作る銭でも良い、となれば」
「民が受け取り、それを我らに払う、民が受け取るとなれば商人たちも商いに使う、という訳か。……御屋形様、これは良い案でございます」
うむ、と草太は言って、更に言った。
「それならば最初に流すべきは民百姓への支払いではなく武将衆、兵たちの俸給からであろう。その半分を新しい銭に変えるだけでも大分違うだろう。そうしてその銭が巡り巡って年貢となって帰ってくる、という訳だな。面白い策だな。それを進めるが良い」
はは、と頭を下げた弥次郎兵衛の次に控えていたのは、後藤帯刀であった。
ここで草太の政務の間のことを少し解説しておくのも良い機会であろうと思う。
姉小路家の政務の間は、議題のあるもの、ないものに分かれ、議題のあるものも重要度が低いものは順位が下と定められていた。議題がないものも政務の間には列席が可能であり、通常、訓練や見回りなどの仕事のない諸将や弥次郎兵衛以下の内政方も席を連ねていた。一段高い上席に草太が座り書き物机に紙筆が揃えられ、その後ろに平助と師岡一羽が座を占めていた。
議題のないものの座る順序は公式の序列に準ずるものとなっており、小島職鎮などはかなりの上位者であった。一方議題のあるものは序列に関係なく議題の軽重に応じた席次となっていた。そのため一門衆筆頭の後藤帯刀といえども、更に議題が重いと判断された弥次郎兵衛の後ろに座を占めることになった。
その後藤帯刀が言った。
「一鍬衆の古参兵、そのうち家族が越中、能登から加賀へ移住したものを中心に除隊を希望する動きが出ております。元々二年から三年の期間を兵として過ごし、残る家族が開拓を進めるという話でございましたから、当然と言えば当然でございます。開拓が進んできて人手が足りなくなれば呼び戻そうという動きがあるのも当然にございます」
草太は、ならば簡単に除隊を、とは考えられなかった。現在の姉小路軍の中核をなす古参兵の大部分は越中、能登、加賀で集めた兵であった。かといって無理に兵として縛りつけても良い結果は得られないのは目に見えていた。
「確かに、重大で難しい問題だな。……渡り者をそちらに流すことは出来るか」
これには弥次郎兵衛が答えた。
「流すと言われれば流れるように工夫をしましょう。ですがやはり自分の家族で、という方を望むのは人情、流れ者を流したところで解決は難しいかと」
一番大事な問題は、結局は銭では動かない、かと、草太は今更ながらに弥次郎兵衛が昔教えてくれたことを思い出していた。逆に言えば銭で解決する問題にすり替えてしまうのが妙案なのだということも、草太は実地に学んでいた。だがどうやって、という部分については何の思案も浮かばなかった。
小島職鎮と同じように評定のために観音寺城に上っていた長沢光国が言った。
「どうせいずれは返す身、永久に兵に留めることが出来る訳もありませんから、当座が凌げればそれで良いのではございませんか」
うん、と草太は聞き返した。確かに当座が凌げればそれで良かった。新兵を訓練により古参兵同然に仕立てるだけの時間があれば、それで充分であった。
「ならば、小作を割り当てるか斡旋する形で流れ者を流し込めば、当面は何とでもなるでしょう。そうですね。二年か三年。それ位であれば問題も起こさせないで村に溶け込ませることが出来ましょう。その小作にも開拓の途を開いておけば、いずれ定着するやもしれません」
そうだな、と草太は言い、評定で最終的に結論を出せるように指示を出した。
「その方針でいこう。ただ、公的な銭は出来るだけ新たに発行する銭を使うようにさせよ」
草太は子供に百合若と名付けてつうに、良い名前ですが御伽草子からですか、と見抜かれたもののつうも了解をし、そして評定へ臨んだのであった。




