二百二十一、黒幕探し
姉小路の変の一部始終については既に述べた。だが草太たちには重大な問題が残されていた。それはこの姉小路の変、これがただの民の一揆ではないとして、民の一揆ではないのであれば一体誰が、何のために、どのようにして引き起こしたのかという点について検討を加え、再発防止策を講じるという問題であった。
姉小路家日誌天文二十四年長月四日(1555年9月19日)の項にこうある。
「姉小路房綱公、将軍足利義輝公に拝謁しこの度のことについて討議致し候。城井弥太郎、末席より、事前に察知できぬは我らが罪也、と申し候えども、公その咎はなしとぞ。三好家、河内畠山家、九条稙通、六角家、果ては一乗院覚慶、足利義維など名が出るも結論は出ず、(略)そして沙汰止みとなり候」
姉小路の変については、未だに朝廷黒幕説から自然蜂起説まであるほど、その黒幕が誰なのかはわかっていない。案外に三好家が黒幕であり事前準備段階での暴発説というのが正しいのかもしれない。
長月四日、未の下刻。本圀寺の茶室に将軍足利義輝は座っていた。亭主は田中与四郎が務め、上座から将軍足利義輝、一条房通、草太、了貫、内ケ島氏理、細川藤孝、東海坊天光、服部保長、そして城井弥太郎が神妙な顔で連なっていた。茶席では上下なし、とはいうものの、城井弥太郎をして将軍足利義輝は十分に恐縮するに足る人物であった。更に一条房通公は公家でも別格も別格、五摂家の一つの実質的な支配者であり、現在の公家の最大派閥の顔役と言っても過言ではなかった。動かせる力の種類は違えども、畿内においては城井弥太郎も十分に巨大勢力の顔役であるのだが、それでも格というものがあった。
内ケ島家の兵は返事を聞くや即座に動き、老ノ坂を越えた。流石に山崎城に入るのは池田隼人の顔を潰すと考えたため、勝龍寺に本陣を置いて五千の兵を展開していた。そのため三好家や河内畠山家の動きにも物見を多数放っており、それらの動きについての情報は内ケ島氏理によってもたらされたものが多かった。
最初の一服が回った後、突然城井弥太郎が土下座をした。
「申し訳ない。今回の件について、事前に察知できなんだのは我らが落ち度、いかようにも処罰を願いたい」
将軍足利義輝は訳が分からないという顔で草太に尋ねた。この者はなぜあのようなことを言うのだ、それともこやつが黒幕か、と。すると草太は微笑んで言った。
「城井弥太郎殿、気持ちは分かるが、まずはお手を上げていただきたい。今回の、特に下京での蜂起は多数が同時に立ち上がった。どれも城井弥太郎配下ではないだろうが、大規模に動くのを見逃したというのがそちらの咎だといいたいのだろう。だがそれは別に咎めぬよ」
だが、と食い下がる城井弥太郎に服部保長は言った。
「どうせ居合わせるように細工した、そして街中で大きな騒ぎをさえ起こさせれば後は勝手に暴れる連中だな。どうも火元は姉小路通りの、上様を狙った連中の一件だろう。どうせ捕まえ次第極刑と決まった凶賊、かえってあぶりだせてよかったのだろうさ。それよりも、だ」
問題は上京の方であった。
「午の刻の鐘を合図に、同時に上様に斬り付け、姉小路通りで騒ぎを起こし、二条御所の攻撃が行われた。これらは、何者かが仕組んだことだ。盗賊どもにはな、その日に会えるように、集まるようにしておきさえすればいい」
流石は裏も知り抜いた服部保長であった。今回捕縛され斬首となる盗賊の頭目達はいずれも別の名を挙げ呼ばれたから来たと答えていた。一夜で傷一つ付けずに口を割らせるにはどうやったのか、服部保長の恐ろしいところであった。服部保長は続けた。
「問題は、誰が集めたか、でしてな。複数の公家の方の名が出ております」
公家が仕組んで将軍足利義輝を狙い京を騒がせた、ということかと簡単に済ませるわけにはいかなかった。その公家が本当に関わっているのかどうかを検証する必要があるためであった。
「吐いた公家の名は、九条家を挙げたものが二名、その他一条家系、近衛家系、二条家系がそれぞれに入っております。西洞院家も名が出ましたな」
つまり彼らは名を語られただけ、ということであろうと思われた。この自白だけを以て何らかの詮議をするわけにもいかない立場の者たちであったため、それ以上の詮議は難しかった。次に細川藤孝が言った。
「上様を襲った賊はさておき、我ら二条御所を襲った賊の大多数は下級公家とその手のものでございました。何人か捕らえて尋問したところ女官の名を呼ぶため、その女官を呼ぶと事の次第が簡単に明らかになりました。彼らはその女官の許嫁や、単にその女官を一方的に好いているだけの者もいましたが、女官を救出するために挙に及んだと。ただそれならば同時に襲ったということ、そして火を放ったり指揮をしたりしたということから、誰かが裏にいるはずにございます。ですがこちらは分かりませぬ」
服部保長が我らが尋問をかけても、と口をはさみかけて流石に草太が目で止めた。何をするのかは草太も知らないが、どうせ複数の筋が入り乱れるだけであろうからだ。
「それよりも情勢から考えてみようか。将軍足利義輝公を除いて何らかの利益のあるもの、これは三好家が最右翼か。手中に足利義維殿もつい最近までいたからな。次は河内畠山家、大和の一乗院覚慶殿を迎えれば足利義輝公の弟君、継がせるに悪い選択肢でもあるまい」
自白から追うのには手詰まり感があった。そのため一条房通が言った。これに草太が答えた。
「間違いのないところからいえば、三好家、河内畠山家は騒乱の直後、姉小路家が兵を京に入れてから手勢を集めております。つまりこの騒乱が起こるとは知らなかったはず。それに大和は平穏無事、この点からも一乗院覚慶様を担いでの政権奪取は無理筋だろうと思われます」
「ふむ、ならば同じことで一乗院覚慶さまも容疑が外れますな。兄を倒してなり替わろうという目論見であれば、すでに姉小路家に接近していなければおかしい」
ならば六角家、と言ったが服部保長は言った。
「近江は平常通りでございます。小さな攻勢はあれども未だに大きな攻勢は気配すらございません」
朝廷との仲はどうか、とふと草太は考えてしまった。不敬なことではあるが、朝廷も確かに容疑者であった。だがこれについては一条房通が否定した。
「そのようなことを天皇陛下が考えていたとして、実際に手足となるのは公家、ならば我らが何も知らぬというのは在りえぬ話だ」
想定した容疑者は全て否定された形になった。下京での騒乱を別にすれば、上京での将軍足利義輝を狙った襲撃の裏にいる者が分からなかった。
そこへ、思い出したかのように現れたものがいた。興仙であった。比叡山延暦寺にいたというが、わざわざ本圀寺まで来たところであるらしかった。
「お困りのようじゃのぉ」
草太たちが手詰まりであるのを見越したかのように、興仙はのんびりと言った。
「そなたたちは一つ、忘れていることがあるはずじゃ。この一件、起こすためには相応の時間がかかる。そう、一月ほどかの。一月前に何があったか、覚えておるな」
一月前、といえば、将軍足利義輝が京へ入り諸侯を招集した、という件があった。
「その招集した諸侯で、来なければならないが来れぬ事情がある、そういう策謀家がおらぬかの」
草太は、興仙和尚が何かを掴んでいると考えて尋ねた。
「それは何らかの証拠を元に話しておりますので」
「いや、証拠など何もない。おそらく何も残っておらぬよ。大体、そんなものを残すようでは、策謀家としては失格じゃな」
焦れたように将軍足利義輝が言った。
「和尚、結局誰だとお考えでございますか」
興仙が一言で言った。
「なに、たった一人しかおるまい。北畠の小僧よ。……このまま波風を立てぬようにするならば上洛して参内し将軍家に拝謁せねばならぬ。だが上洛すれば六角家への支援打ち切りなど、六角家のことで何を言われるか分かったものではない。何しろ六角家は朝敵なのだからな」
ここで一呼吸置いた。将軍足利義輝が唾をのむ音が聞こえた気がした。
「そこで将軍足利義輝公が死去してみよ、この度の参内、拝謁の必要がなくなる。姉小路家とも敵対することもない。上手くすれば長野工藤家の背後を姉小路家についてもらえるやもしれぬ。いや、それが目的かの。とにかく、儂の読みでは黒幕は、十中九まで伊勢北畠家だろうて」
言われてみれば確かにその可能性は否定できなかった。だが想定されていない事態に、対応策が咄嗟に出てくるほど簡単な相手ではなさそうであった。単に兵を出すのであれば簡単であった。だがそれでは再発防止はおろか更なる混乱を招くもとになるだけであると思われた。
どうすればいいのか興仙に聞くと、興仙は言った。
「後藤帯刀殿、あれには子が三人ほどいたの。その次男を長野工藤家の跡継ぎにせよ。……なに、ただの嫌がらせじゃよ。将軍足利義輝公の口利きがあり姉小路家が後ろ盾であれば無理もなかろう。その上で伊勢北畠家を圧迫すればよかろう」
ふと草太は、証拠もなしに言う興仙に尋ねてみた。
「この度のこと、伊勢北畠家の関与を示す何か証拠がございますか」
「そんなものはな、陰謀をする側が上手なれば残さぬものじゃ」
ならば、と草太は言った。
「冤罪ならばなんとします」
悪びれずもせずに興仙は言った。
「なんともせぬよ。どうせ伊勢北畠家は攻め滅ぼす必要のある家、ならば言いがかりでも構わぬよ」
草太は、比叡山延暦寺が黒幕ではないかという言葉を、辛うじて飲み込んだ。それはこの場にいる了貫の顔を潰すことであるためであった。
それはそれとして、と前置きして興仙は言った。
「姉小路房綱公、和子様のこと、おめでとうございます」
草太はこの時、京での変事のことを聞いてから興仙に言われるまで、子供のことを忘れていたことを思い出した。
「なんじゃ、つうどのは産気づいておったのか、それはいかんの」
将軍足利義輝は笑って言ったが、草太はひたすら恐縮するばかりであった。
「で、いつまでこうしておるのだ。田中弥左衛門隊がおれば三好家を刺激するばかりだろうし、子の顔も見るために帰ってはどうかの。おそらく三好家や河内畠山家も姉小路家の対応の早さが分かったであろうし、そうであれば山城への出兵も躊躇われるというものだ」
将軍足利義輝の言葉に、確かにそのとおりであると草太は答え、その場はお開きになった。
一方、霧山御所とも呼ばれた多気城でも密談が行われていた。
「そうか、将軍足利義輝公は結局従三位のままでおじゃったか」
若干落胆の声を出したのは、報告を受けた北畠具教であった。
「だからこのような手は不確実だと、言ったではないか。もっとも気取られてはおるまいが」
こう言ったのは伊勢北畠家の実権を握っていた北畠晴具であった。家督こそ北畠具教に譲ったものの、伊勢北畠家のかじ取りを一手に握っているといっても間違いではなかった。
「それで、これからどうなさいますか」
藤方朝成が口を開いた。どう、とは言うまでもなく上洛するかどうか、という問題であった。
「長野工藤家の動向を考えれば、我らがあ奴らを屈服させるのは難しくはなかろう。その後上洛、と言いたいところだがな」
ここで北畠晴具は一旦言葉を切った。それを息子の北畠具教が続けた。
「左様、それまでの期間がどれ程になるか、という問題でございますな。年内ならば問題なかろうと思いますが数年となれば流石に問題でございましょう」
いずれにせよ、と北畠具教は続けた。
「攻勢を強めましょう。木造、分部などにも檄を飛ばし、圧迫を強めましょう」
うむ、と言った後、北畠晴具は言った。
「場合によっては六角家から姉小路家に乗り換えられるように、準備しておくが良いだろうな。その辺りは」
と言って視線を向けると、心得てございます、と藤方朝成が返した。




