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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第六章 東奔西走編
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二百十七、外交という剣

 尾張の陣は織田信長による統一という形で幕を閉じた。織田家と姉小路家は対等な同盟関係を築き、といっても国力差は歴然としているため織田家の半従属状態であった。先に美濃は姉小路家の勢力下となっていたため、織田家の当面の敵になりうる勢力は伊勢北畠氏、駿河今川氏の二家しかなかったが、伊勢北畠氏については姉小路家が考えることがあったため、必然的に織田家は東へ下る戦略、駿河今川氏との対決を迫られることとなった。これらの次第については既に述べた。

 木下光秀は鳴海城に入り、三河国人衆の調略に当たることとなった。この尾張織田家の活躍についてはまた項を改めるして、草太の動向はこの後、軍を返し、観音寺城へ入ることとなった。


 姉小路家日誌天文二十四年葉月晦日(1555年9月15日)の項にこうある。

「姉小路房綱公、美濃衆悉く引き連れ観音寺城に帰城仕り候。引き連れたる美濃衆は安藤守就、氏家直元、不破光治(略)等也。後藤帯刀、弥次郎兵衛配下岩田九兵衛と共に美濃大垣城に入り、検地仕り候。斎藤義龍殿、稲葉山城を中心に二万石余を領する国人衆となり、また一門衆の端に名を連ね候。この年の収穫の終わり次第の検地手伝いを命じられ候」

 この時草太と共に観音寺城に入った美濃の武将衆は、美濃の陣で滞陣している稲葉一鉄、竹中重治らを除けば、斎藤義龍の側近以外はほぼ全ての大小武士の名が挙げられていると言われている。相当早い時期から竹中重治が根回しをしていた証拠とされ、斎藤道三の策の神懸っていたことを物語るものとして語り草になっている。

 また、美濃衆と並んで一人だけ尾張衆が紛れ込んでいるのも興味深い事実である。それは山内盛豊であり、田中弥左衛門の陪臣として名前が挙がっている。

 姉小路家としては武将が二倍近くに増えたことでもあり、これをどうさばくかが問題であった。それまでは在所の兵を阿吽の呼吸で使っていた武将に命令による軍を左右させるという意識改革を行う必要があり、配下に入ったからといって姉小路家の家風に合わせて兵を動かすことが出来るようになるのには、しばらくの時が必要とされたのである。この他、北近江の後藤帯刀の後任も問題であった。地理上の問題から特に攻撃されるということは想定されない以上、徳田小次郎が充てられていたが、飛騨と並んで重要な地であり、何より鉄砲鍛冶の多い土地であった。そのため、然るべきものを充てる必要があるなど、全体として言えば内政が姉小路家の膨張に追いついていないという状況が続いていたのである。



 観音寺城に戻った草太であったが、未だつうが出産していないと聞いて少しほっとしていた。やはり生まれるときにはつうの傍についていたかった。だが、予想外のこともあった。それはひ文字姫に月のものが来なくなった、という事実であった。確かに草太には覚えがあった。だがまだ婚儀も行っていないのに月のものが来ないというのは、やはり問題があるような気になっていた。もっとも、月のものが来なくなったのは美濃へ出陣した直後のことであるから、婚儀には影響がなかろうと思った。それにしても、と感想をもらすとひ文字姫は言った。

「まだ二人でございますよ。跡継ぎに、武将に、政略結婚に、子は序列が明らかならば多い方が良いに決まっています。子作りも仕事の内でございます。正室がつう様でお子が男児ならば、きっと嫡男として立派に育ちましょう。そこがどっしりと構えられればいくらでもお手をお付けになって良いのでございますよ。例えばつるなど」

 ひ文字姫は、意外な名を挙げた。つるというのは奥仕えに入ったばかりの女性であったが、話すら満足にする暇もなく美濃へ出たため、どのような女性か良く分からなかった。なぜだ、と聞くとひ文字姫は言った。

「つるは一度嫁して子をなしています。そして母御は八人の子持ち、子だくさんの家系にございます。まだ若う存じますから、まだまだ子を産むかと」

 草太は、この辺りの感覚は未だに戦国大名としてのそれとは一線を画していた。子を産むためだけに女性を抱く、という意味は、分からないではなかった。だがなんとなく、そう何となくではあるがそういうことをしてはいけないような奇妙な倫理観があった。

 適当なことを言って言葉を濁し、その場を立ち去り政務の間に戻った草太であった。だがその日の湯殿番はそのつるであった。

 湯殿番、というのは、薄物一つで湯殿に侍り、この場合であれば草太の体や髪を洗ったり着替えを手伝う係であった。つるは美人とは言わないが愛嬌のある娘であった。夫であった男性は鈎の陣の被害者であり、行商の護衛をしていたところを矢で射られて亡くなったそうであった。その冥福を祈る、と言った草太であったが、ふと喪も開けぬうちから良いのか、と思った。そのことを言うとつるは、笑いながら言った。

「喪、なんて葬式が終わればそれでお終いにございます。何よりも食べて行かなければなりませんから」

 薄物が湯にぬれその下は何もつけていないため、薄物越しにいろいろと見えてなまめかしい、そのなまめかしさに草太は男性らしい反応を見せた。そして、自然に手が付いた。


 その夜、草太は後悔していた。つうと一緒に夕餉を摂りながら、つうには何か感じるものがあったのだろうが、そこは何も聞かなかった。問わず語りに草太が、つるに手を付けたことを話した。つうは、やはり動揺したのは事実であっただろうが、それでも気丈にこういった。

「側女を置き子を多く残す、血を多く残すのは、武家の棟梁としては当然の義務にございます。一々、そのような表のことにつうは口出ししません。ただ、表のことは表のこと、お手を付けようと庶子を設けようと、表のことは表のことにございます。奥に持ち込まぬように、それだけはお願いいたします」

 つうにとって奥とは草太とつう、そしてその子らの場であり、ひ文字姫も入るかもしれなかったがそれだけの場であった。草太が他の女性に手を付けようと、それは全て表のことであり、目を塞ぐ、これがつうの選択であった。もっとも、ひ文字姫と美濃から来るという白菊姫だけは奥に入る可能性は残っていただけ、つうは懐が深いのかもしれなかった。

「前にも申しましたが、つうは、草太様を信じております。それだけでございます」



 このような甘やかな時間を草太が過ごしている間も、目に見えない干戈が交えられている地があった。それは伊勢北畠氏の居館、別名霧山御所ともいわれる多気城ではこの間も舌戦が繰り広げられていた。言うまでもなく議題は、参内し将軍足利義輝に伺候するか否か、であった。

「足利義輝とは、一体どのような男でおじゃるか」

 宮廷言葉をはき違えたような言葉を発しているのは、半ばうつけと言われている、その実恐るべき謀略家であり戦略家である北畠具教であった。これを受けたのは鳥屋尾満栄であった。

「退くことを知らない剛剣の使い手と聞いております。……殿、このような冗談を、某としていても始まりますまい。ご決断を」

 ふふ、と笑って、少し考え込んだ。確かに分家筋も多数居並んでは居たが、話ができるのはこの鳥屋尾満栄のみであるのは、寂しい限りであった。藤方朝成は長野工藤家の動向が怪しいために北方に居り、大河内頼房も所用で出かけたままであった。所用というのも長野工藤家の謀略に絡む話であるため、無視するわけにもいかなかった。

「決断など、今この場で出来る訳もない。それが分からぬそなたでもあるまい。あの父をどうにかするのが先だろうよ」

「ですが」

 尚も食い下がる鳥屋尾満栄に北畠具教は言った。

「名代なりとも出せば、必ずや六角家に対するあれこれを言われるだろう。だがそれは避けなければならぬ。六角家が後ろにいるからこそ長野工藤家を討てるのじゃ。長野工藤家を討った後であれば、それこそ儂自らが顔を出そうよ」

 話はどう頑張っても平行線を出なかった。長野工藤家の後ろの壁、それを六角家が負う限りにおいて、六角家に不利になる可能性の高い行動は避けるべきであるが、同時に足利将軍家の命令を無下に断り続けることも避けるべきである、という二律背反であった。今のところは国内情勢の悪化、特に一向宗の動きが活発なために身動きが取れない、という名分を立てて上洛を延期させていた。あくまで延期であり、上洛しないと断ったわけではないのは、他の諸家が上洛した場合に伊勢北畠氏だけが上洛しないというわけにもいかないためであった。

「第一、あの足利義輝という男、将軍としての力は未知数だがその後ろにいるのは姉小路家、あの公家大名じゃろう。儂は従三位権中納言じゃ」

「あの姉小路房綱殿も従三位でございますが」

「それを言い出したら足利義輝は正一位でおじゃる。などということではない。儂でさえ父と共に南北に戦い、はかりごとを巡らせ、東紀伊、大和の一部を手に入れ長野工藤家と戦って居る。それがなんじゃ。飛騨国司になったかと思えば数年で能登加賀から近江まで支配して居る」

 北畠具教が膝を屈するのに反対している最大の原因は、要するに嫉妬であり、姉小路家に伊勢北畠家も飲まれるのではないかという不安であった。




 一方で早々に使者を出すことに決めたのは、駿河今川家、尾張織田家を除けば播磨赤松氏の当主赤松晴政であった。というよりも、播磨赤松氏は既に実権をほとんど失っており、浦上家と三好家、尼子家といった周辺諸国に蚕食されており、姉小路家の国人衆の一人としてでも生き残りを図りたいという形になっていた。そのことを評定で言う前に小姓の一人が旅支度を整え始めた。赤松晴政が不思議に思い何をしていると聞くと小姓は言った。

「近く殿は京に上り将軍足利義輝様にご挨拶なさるとか。さらば旅支度が必要でございます故」

 赤松晴政は未だに誰かに上洛について口外していなかった。その日の夜に評定を行い、上洛を諮ることにはなっていた上、おそらく否決されることはないとは考えられたが、そのことをなぜこの小姓が知っているか、不思議に思った。そのために尋ねてみた。

「なぜ上洛すると思うのだ」

「なぜ、ってまさか上洛しないのですか。上洛して姉小路家に救援を依頼し、播磨の実権、は難しいにしても播磨の一勢力としての名をとどめようとするのではないのですか」

 赤松晴政は背筋が凍るような思いをした。赤松晴政の心、その一部始終をこの新人の小姓に見透かされているような気がしたためであった。小姓は続けて言った。

「でも殿、欲をかいてはいけません。ご嫡男義祐様を是非お連れなさい。そうして人質でも見習いでも何でもいいから、あちらに残しておいでなさい。……なぜって、そうしなければ殿、何年もしないうちに家督を追われますよ。大人しく家督を渡すつもりなら別ですが、殿がご自分で隠居しようとして隠居するまで殿で居ようと思うならば、そうなさるべきですね」

 まるで台本を読んだ芝居の先を解説するように話すこの小姓、名は小寺万吉といった。後の名を黒田官兵衛というこの小姓が、赤松晴政には何やら怪談にあるサトリという化け物のように見えてきた。そこで次の上洛に連れて行く、そして姉小路家に赤松義祐と共に預けようと考えていた。

 一方でこの黒田官兵衛は黒田官兵衛で、赤松晴政はこう考えることを読んでいた。だから自分の旅支度は既に万端整えてあった。もっとも、いざ出陣となればいつでも出なければならない関係上、身支度だけは常に整えていたのであるが。



 もう一つの勢力が、上洛を促すというこの動きを苦々しく眺めていた。それは三好家と争っているはずの河内畠山家であった。いずれも畿内の支配権を掛けて争っている仲であったが、そこに第三勢力ともいえる姉小路家が登場して横から秩序を押し付けようというのだ、苦々しく思うのも当然であった。これで三好家との武力抗争を幕府での訴訟に切り替え、訴訟に強い勝ち目でもあれば別であるが、そうではなく……おそらくではあるが姉小路家の目標は畿内の制圧にあるように思われた。既に細川家がその守護としていた地の大部分が姉小路家に与えられたように、その内の一つ摂津の支配を掛けて三好家と争っていたのだ。その守護の座が姉小路家に与えられたという意味はその地に姉小路家の進出を許すという、将軍家のお墨付きを与えたに等しかった。

 この第三勢力の出現に、にわかに三好家と河内畠山家は接近を始めた。河内、摂津、阿波、淡路、讃岐。これに大和の一部と紀伊の一部、一向宗も味方につけ一大勢力を形成する構想が動き出していた。盟主は後の障りになるため定めず、ただ本願寺顕如が基本的には反目しあう三好家と河内畠山家の調停役となるのであった。


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