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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第二章 飛騨統一編
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二十二、興仙一行の到着

 内政の柱としては、まずは開墾が一つ、それからぶりその他に対する関税政策が一つの合わせて二つが現状として上がっていたが、村々を回っていて特産品となりうるものを探していた。だが、飛騨の国は貧しい。現金収入につながる産業といえば、紙漉きである。これは現代でも「こうぞの冬流し」と呼ばれ、冬の間に盛んにつくられる和紙である。戦国時代を通じて、和紙の需要は高まりをみせ、良い和紙は高く売れた。といっても和紙であるから知れたものではあるが、それでも貴重な現金収入の途としては重要な位置を占めていた。

 とはいえ、美濃紙、越前の奉書紙など、近在の国に比べればその地位は下位にあり、飛騨の紙と同等のものであれば日本中ほとんどどこでも出来るため、売れるといってもさして高額にはならなかった。酒も同じことであり、赤カブの漬物に至ってはほとんど見向きもされないらしかった。意外に現金収入になるのは、出稼ぎであろう大工の稼ぐ送金にヤマメ、山菜の類である。とはいえ、その額は知れていたが、安定的な収入として見込めるものは、今のところその程度しか見当たらなかった。


 もう一つ、草太が耳にしたことがある。それは鉱山である。

 山から金銀や銅が出るという。勿論鉱石であり、精錬して初めて鉱山としての利が生まれるにせよ、鉱山の存在をすっかり失念していた。

 現代では、採算の問題もあり大部分は閉山となっているが、この時代にはまだほとんどの鉱山が現役であり、掘れば出る山は沢山あった。それも飛騨北部に集中している。最大のものは江馬氏の治める神岡の地にあるが、小規模から中規模、或いはこれから開発するということであれば有望な山はいくつもある、そう山の民が言っていたと古老から聞いた。その古老は、その当時は鉱山を開発させるほどの変化を領主代行であった古川富氏が求めず、結局は掘らぬままになっていると言っていた。十数年前の話だという。


 確かに鉱山を開発するに当たっては、厄介な問題が少なくとも二つ存在する。鉱山についての問題は「掘って良いか」という問題と「精錬に必要な燃料などの資材確保」の二点である。

 掘った場合には、その掘った後の土をどこにもっていくのか、という厄介な問題に突き当たる。無計画かつ無制限に掘らせると山が農地としては不適当になる。更に、掘るだけの人員が飛騨に入った場合には、それに対する食料供給の目途も必要である。現状でも食べるのがやっとという状況である以上、食料をどうやって確保させるか、というのは、なかなかに難しい問題であった。


 更に精錬という問題である。精錬の方法は数あるが、要するに熱を加えて金銀銅とそれ以外を分ける、という位の知識は草太にもあった。つまりは燃料の問題である。この時代の燃料はほぼ木材であるため、すぐに木材がなくなりはげ山になる。治水上の問題にもつながるため、ある程度計画的に樹を切り植樹することが必要となるが、どのような計画にすればよいのかについて全く草太には想像もできなかった。

 おそらく古川富氏もこれらの問題解決について何の良案も出せないため、許可しなかったものと思われた。


 大体、検討しようにも、堀採、精錬にどの程度の人数が必要で、資材や燃料がどの程度必要なのかすら全く分からないのだ。

 山の民なら知っているだろうが、村の古老に山の民への接触方法を尋ねてみても、向こうから来るのを気長に待つ以外にはないようであった。少なくとも接触方法を知る者は、村人には一人もいなかった。ただ時折やってきて、肉や毛皮と農作物などを交換するという、簡単な取引以外には接触がないようであった。少なくとも、山の民に接触をはかり、鉱山の計画について詰めなければならない。しかも冬は雪の問題もある。鉱山として稼働するまでの期間を短く見積もっても数年はかかると草太は考えていた。



 他には特に現金収入を見込むことが出来る産業は見いだせなかったし、草太の郷土史の知識にも何も浮かばなかった。


 煙硝以外は。


 たしか白川郷は煙硝を作っていた、それも戦国時代から作っており、江戸時代を通じて日本有数の煙硝の産地であったと読んだ記憶が、草太にはあった。勿論白川郷は内ヶ島家の領土である。それを召し上げ、別の領土を与えて……ダメだ、と草太は首を振った。確実にこじれるのが目に見えている。大体、煙硝を現在本当に作っているのかも確認できない。作っているとして、その方法を伝授してもらい、領内で作らせることは出来るかもしれない。だがそれをどこで売るというのだ。鉄砲すら今のところ京でも噂位でしか聞いたことがない。実物を目にしたことは、京にいた草太たちでも一度もなかった。これは配下たちも同じらしく、ただ一人薩摩の出だという男が実物を使っているのを見たことがあるというだけである。



 いわゆる種子島と呼ばれた火縄銃が日本の合戦で組織的に使われたのは、遅くとも1549年の島津氏の大隅加治木城攻めである。奇しくも草太が戦国の世に流れ着いたのと同時期であり、遅くとも1543年に種子島に伝えられた火縄銃は、この後、遅くともその翌年の末には国産化が開始されている。開始された場所は、種子島と国友のいずれかであることは間違いないが、いずれが早いかは議論が分かれるところである。この後、量産が始まり火縄銃が大量に戦場に投入されるまで、例えば石山の合戦で織田家と本願寺が鉄砲合戦を行う1570年までまだ二十年近い年月を必要とする。

 しかも、煙硝として売却した場合には火薬としてどこかの戦場で使われる可能性が極めて高く、それが自分達に向かないとは限らないのがこの時代の悲しいところでもある。

 いずれにせよ、煙硝が大規模に作られていたとしても、その大規模消費先が存在しない以上、現時点での収入源としては全く当てにならないことだけは間違いなかったといえるだろう。



「なんというか、手詰まりだ」と草太はぼそりと呟いた。夕方、城への戻り道で立ち寄った茶店でのことだ。茶店といっても何ということはない、単に長椅子が置いてあり麦湯を出してくれる、それだけの店だ。先に一文銭を渡すと麦湯が湯呑に一つでてきた。隣が小間物屋であり、蓑、笠、草鞋といったものを扱っている。もうすぐ日が暮れ、閉店であるらしく商品も片づけが始まっていた。

 すぐ脇にいる平助は、一応のお忍びではあるが護衛は護衛として付いて歩いていた。というよりも、おそらく草太だけであればお忍びではほとんど誰も大人としては扱わないだろう。なにしろ、草太はまだ10歳なのだ。

 だが、平助は草太の呟きに対して何も言わない。平助が答える策を持ち合わせていないのと同時に、平助が答えるべき問題でもない。草太も平助が答えるとは思っていない。ただ呟いただけだ、といわんばかりに、一つ大きく伸びをした。日が暮れるまでには岡前館に戻らなければならない。

「手詰まり、かの。ならば愚僧が手を貸そうかの」

聞き覚えのある声がすぐ後ろから聞こえた。

「興仙僧正、お出でになられたのですか。お山は、鞍馬寺はどうしたのですか」

「なに、僧正など名ばかりじゃからの。暇だから抜けてきた。ちと顔でも見せたら帰るつもりじゃったが」と言葉を切った。「随分と困っておるようじゃの」

 手短に現状を伝え、そういうわけでどうしていいのかが分からないと答えると、興仙は言った。

「なんじゃ、つまらんことじゃ。銭など、なければ使わなければ良いではないか」

 それが出来れば、誰も苦労はしない。

「ま、策は一緒に考えてやるから、安心をおし。それよりも、じゃ」興仙のかなり後方になるが、一団の集団があった。

「手紙で頼まれていた手代衆に花脊の村の衆じゃ。どちらも城井弥太郎殿に感謝をするのだな」

 ありがとうございます、と言ったところで興仙が言った。

「ついでもあるからな、頼まれてくれぬか。人を一人、いや二人預かってほしい」


 いずれにせよすぐに日没である。それまでに岡前館に戻るため、一先ずその話は後回しにして一行は夕暮れの道を急いだ。

 館に着き、弥次郎兵衛に手代衆が来たことを告げた時のうれしそうな顔といったらなかった。待ちわびた、内政の実行の文字通り手足となる人材であるためだ。手代衆はすぐに弥次郎兵衛が仕事を頼みたいらしく、旅塵を落とす間も惜しむように急き立てるように館の奥へ連れて行った。

 残されたのは花脊の衆五人と草太、平助、興仙、そして僧が二人であった。

 花脊の衆五人は草太が「従五位下飛騨国司姉小路房綱である」と名乗るとすぐにその場で平伏し、面をあげよと命じても「畏れ多いことでございます」となかなか動こうとはしなかった。興仙が五人に対し、飛騨の国では房綱様に限りそういうことは不要じゃ、と何度も促して、ようやく顔を上げた。堂上人と地下人の差、というものがどういうことか、本来はどうであったのかを、草太は初めて目にした気がした。それまでは誰も、草太の位に対する畏敬の念など表したりはしなかったからだ。

 このままではどうしようもないので、当面は下男たちと同様の部屋に起居させることとして門番の一人に案内させた。旅の疲れを癒したら働いてもらうからそのつもりでいるように指示を出し、二三日は慣れさせるのが妥当のように思えた。


「あ奴らは、実家にいても部屋住みの身、あれでよかろう。それから内政の相談に乗るのは良いとしてな、頼みがある」と興仙は言い、二人の僧を紹介した。

 一人は荒法師でもう一人の護衛だという厳石という僧で、体格からしても僧兵である。問題はもう一人の僧である。静かな雰囲気をたたえた老僧で名は顕誓だという。護衛が付くからには偉い僧侶なのだろう、という程度の認識しかない草太に、興仙は説明した。

「なに、顕誓殿はな、本願寺八世蓮如さまの孫じゃ」

 この説明にも草太はピンとこなかったが、驚いたのは平助であった。

「房綱様、この方は蓮如さまの孫、ということは、現在加賀越中一円を支配する一向宗、その指導者である法主証如上人の伯父にあたる方にございます。一向宗は血筋にて継承されるため、その一門衆に当たる方でございます」

 聞けば、大小一揆と呼ばれる一門衆内部の加賀越中支配をめぐる権力争いに破れ、異母弟蓮淳によりその蓮淳の死まで十数年ほど末寺の一つに軟禁され、それが昨年解かれてはいるが今度は本山で軟禁されるような風があるため逃げてきた、という。

 預かれば、一向宗に再度内紛を誘い、そこに介入する形で越中、加賀への足がかりがつかめる。と同時に、越中、加賀の一向宗内部の権力争いに否応なしに巻き込まれることも意味していた。

「私は、争いを好みませぬ。既に破門も解かれた身ですから、一僧侶として教えを説きたい。門徒衆と触れあい、教化したい、そう考えております。政事や兵のことは貴族や武士の仕事、なれど信心のことは我ら僧の仕事にございます。我らは彼らの心を救わなければならぬのでございます。その手段は戦ではございませぬ。そのことを学ぶのに多くの門徒衆を死なせ、十数年も思索をせねば分からなかった、愚僧でございます」

 この言葉は、草太の考えと図らずも一致していた。草太は、当面は寺は用意できないが、と断ったうえで預かることを了承したのであった。


活動報告にも書きましたが、飛騨統一までの間は毎日0時に更新します。

推敲が甘くなる可能性もありますが、その場合はご指摘ください。

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