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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第六章 東奔西走編
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二百十二、桶狭間合戦次第

 姉小路家の軍勢の急襲により那古野城、末森城を攻略した次第については既に述べた。だが岡部元信が落城を知るまでには一日以上の時が必要だった。既に夥しい物資は持ち去られており、岡部元信は手持ちの兵糧十四日分を手に清須城包囲を続けるか、一度撤退するかの選択に迫られていた。


 尾張一代記にこうある。

「川並衆、那古野城より兵糧物資を奪い、利を得候。さても戦の妙、弓矢を交わすのみが戦にては不有あらず。織田信長公、後に聞きて曰く、川並衆大いに功ありといえども既に恩賞あり、とぞ」

 津島の商人衆が清須城包囲が始まった後も、否、始まったのちにさらに活発に商売を行っていたことを示す資料は少なくない。例えば近年発見され研究報告がなされた伊藤惣十郎の帳面を見ると、意外に多くの兵糧その他の物資を売り買いしていることが分かる。尾張の織田家に売る場合もあり、また今川家の兵などへの行商人へ下ろしたものも少なくないが、意外に多いのは津などの伊勢志摩への兵糧の売却が多かったことである。その値も安く、一部の研究者の間ではこの動きが鈎の陣を支える力の一つであったとするものもある。




 那古野城、末森城を落とした姉小路家の軍勢であったが、強行軍ということもあり末森城で休息と補給を行わせ、周辺の諸部隊、特に清須城包囲を続ける岡部元信隊と岡崎になお二万近い兵を集結させ尚も増え続けている駿河今川家の本隊の動きを注視しながら、鳴海城を落とすべく兵の編成を行っていた。


 軍議はまだ始まらなかった。休息の後、と言われてはいたが、鳴海城攻撃という方針自体はどう考えても覆りそうになかった。

「それで、どうなのだ」

 田中弥左衛門は市川大三郎に尋ねた。どう、とはもちろん駿河今川家の軍勢の動向であった。新智の庄の衆の調べから清須城包囲陣には精々十日分程度しか兵糧などはなく、岡部元信のことである、兵糧が尽きるまで包囲を続けるとは考えにくかった。可能であればこのまま陣を纏めて帰ってもらいたい、とは思っていたが、それは難しかろうと田中弥左衛門は考えていた。撤退するにしろ、準備が必要だが、それを見せるような岡部元信でもないことは分かり切っていた。

 もう一つ田中弥左衛門が考えていたのは、別の糧道を確保する、という方向で岡部元信が考えを纏めているという可能性であった。軍議の際に草太も指摘したことではあるが、糧道は大きく三つ、そのうちの最大のものである末森城、那古野城を後方基地とする糧道は、今回断つことが出来たが、残る二つ、南周りに鳴海城より直接運び込む方法、そして海路尾張の湊より運び込む方法であった。このうち海路は駿河水軍が動いていないため可能性としては低く、更にそうなったとしても那古野城からの妨害で完全に遮断することは難しくなかった。なにより清須町衆である津島の衆は織田信長寄りなのだ。

 となれば、残るのは熱田を経由しての海岸沿いの街道を利用しての輸送だけであった。

「なかなか、切れぬものにございます」

 切れぬ、とはこの輸送路であった。姉小路家の全軍勢で張り付けばあるいは、とは思うが、それでも全兵力をそちらに振り向けるような真似は出来なかった。やはり正道は末森城より南に二里半、鳴海城を落とし東海道による輸送路を切ることが重要であると考えられた。言ってみれば末森城など、織田信勝の居城を抑え親族を抑える以上の意味合いはなかった。ただ兵も少なく、囲めば降ると読んだから落とした。それだけでしかないとは田中弥左衛門には思えなかったし、事実その通りであった。

「清須城包囲陣にある兵糧は十日分ほど。要地を抑えられ補給路を切られて、それでも清須城包囲を続けるのであれば、岡部元信は恐ろしい敵か、さもなければうつけだ。聞いている話からすれば、鳴海城を落とせば包囲を解いて本隊に戻ろうとするだろう。問題は岡崎の駿河今川家の軍勢だが」



 ところ変わって、三河は岡崎城には今川義元が重臣を引き連れて入っていた。先に岡部元信隊を進発させたものの、あくまでも織田弾正忠家の家督相続争いという名目上、実態を別にしても織田信長を捕らえるか、首にするか、織田弾正忠家の家督を織田信長から織田信勝に相続させることが必要であった。その後、岩倉織田家を含め尾張国人衆が駿河今川家の傘下に入る、という形を以て駿河今川家の尾張進出が果たされた。逆に言えば、織田信長という一個人をどうにかして家督を剥奪し、織田信勝に家督を継がせなければ話は進まなかった。

 清須城包囲までは順調であったといってよい。だが恐るべき相手、姉小路家の介入を招いてしまった。姉小路家がどのような理屈で介入したのかは分からなかった。だが姉小路軍が大垣から南下し黒田城が落城したという報がもたらされた。当初この出陣は東美濃遠山家、ひいては甲斐武田家の軍勢との戦いのためのものであると考えられたため、意外であった。だが太源雪斎にかわる軍師としての面を持つ朝比奈泰能は冷静であった。

「御屋形様、起こったことは起こったことにございます。姉小路家が軍を尾張に入れた、その目的は尾張の掌握でなければ尾張の救援、いずれにせよ尾張をも姉小路家が勢力下に置かんという意思の表れ。となれば我らとの戦いも避けられぬかと」

「全軍、押し出すとしてどれ程の兵が動ける」

 今川義元の問いに朝比奈泰朝が代わって答えた。

「二万に少し欠けるかと。ただ兵糧はひと月分、輸送の牛馬が不足しております故、長い滞陣は難しいかと」

 今川義元は、短期決戦を強いられる、ということはそれほど気にしていなかった。それよりも姉小路家の動向と規模を掴み次第に一揉みにする、という方がよかろうという気になっていた。


 そんな今川義元に水を差すように、朝比奈泰能は言った。

「雪斎様より、姉小路家と争わぬよう、争うならば将軍様におすがりして和睦の下準備をしてからするように、と命じられております。いかがなさいましょうか」

 今川義元は妙な名前が出たものだ、と言った。

「将軍様、のぅ。今の足利公方は姉小路家が擁立した者、我らに利があるように動くとは考えにくいがのぅ」

 それでも太源雪斎の発言であれば無視も出来なかった。

「誰ぞある、鵜殿長持をこれへ」

 鵜殿長持に織田信長の不行跡により跡目を織田信勝とすることを目的とした出兵であり他意はないこと、これには他の岩倉織田家なども同意していることを書き、姉小路家と争いになった場合には織田信勝の家督相続を条件に和睦すること、などを書いた手紙を持たせ、岡崎より船で伊勢、伊賀、大和を通って京へ向かうように指示を出した。

 と同時に、今川義元は織田信勝という人物を絶対に守らなければならないものとして扱う必要があることに気が付いた。姉小路家との合戦ということであれば、もし自分が姉小路家を指揮する立場であれば絶対にその首を狙う、そういう立場であった。




 岩倉織田家の偽兵の陣は翌朝には既に偽兵だと見破られていたが、岩倉織田家は出陣どころの騒ぎではなくなっていた。これは木下光秀の計略によるものであったが、それについては別の項で述べることにしよう。ここでは、黒田城落城、岩倉城下を姉小路家の軍勢が昨日夕方に通過した、その報が岡部元信の下に届けられたという点だけを押さえておいてもらいたい。

 この報を聞いた岡部元信は朝餉を摂っていたが、思わず椀を取り落とした。姉小路軍が尾張に、それも黒田城を抑え岩倉城を通過した先、といえば、どう考えてもこの清須城包囲陣の後方基地に当たる那古野城が狙いと思われた。那古野城の物資を失えば、この清須城包囲陣には十日分に足りない物資しかないのは、岡部元信もわかっていた。

「那古野城はどうだ」

 聞かれた使い番は、那古野城のことは存じません、としか言わなかった。早速物見を出し使い番を出した。


 那古野城には、坪内利定、蜂須賀小六以下の川並衆が捕らえた城兵の懐柔に成功していた。というよりも、蛇の道は蛇というように、三河から来た兵の中には川並衆に近い傭兵も混ざっていたため、懐柔も容易であった。

 城兵の胴丸具足を身に着け、合言葉も聞き出した川並衆の配下の者が城門前に立ち、見張り番をしていた。そこへ岡部元信の使い番が来た。

「何か変わったことは起こらなかったか」

 使い番の問いに、何のことか分からないという顔をした川並衆の配下は「特になんも」と答えた。

「そいえば、裏の塀が崩れたがよ、それがなんかしたかね」

 この時点ではまだ那古野城の物資の搬出は始まっておらず、使い番も特に怪しむこともなく戻り復命した。岡部元信は、念のためだ、と言って再び命令を出した。

「松平康親に命じよ、那古野城に蓄えている兵糧その他の物資を残らず本陣へ、この清須城包囲陣へ搬入せよ、とな」


 使い番が再び那古野城に到着したのは、未の下刻であった。既に物資の搬出が始まっていた。半ば以上終わっていたといってもいい。

「これは一体どうしたことだ。松平康親殿はいずこに居られる」

 門番の役をしていた川並衆の一人が、松平康親様は危険が迫っているからと物資の移送を命じられました、と答え、その移送先は「知らない」と言った。門番では確かに分かるまいと荷車で運搬しているものに尋ねても要領を得ず、使い番はその行列の先へと馬を走らせた。庄川のほとりから川船へ積み込み、湊に借り上げた蔵に運び込むのだ、と聞き、流石は松平康親殿、と感心しながら本陣に戻って復命した。


 岡部元信は激怒した。


 勝手に物資を動かしたことではない、物資を動かすのであれば本陣で足りる、距離もさほどに違いはなかった。しかも湊から清須へであれば川を遡って運ぶ必要があるため、もし清須城包囲陣に運び込むことを最終目標とするのであれば悪手も良いところであった。逆に物資を横流しするのであれば、コメに印などついているはずもない、いずこなりとも売却されても分からなかった。

「止めさせろ、今すぐ、那古野城に残っている物資は全て清須城包囲陣に運び込むのだ」

 命じた時には、実は既に遅かった。蜂須賀小六は川並衆が物資を全て運び出し終えると、少し早いが約束の銭だ、と草太から預かっていた銭、一人五十文といっていたが受け取りの証文を取れるわけもなし、二重取りをする者もいるだろうと三十貫の銭を置いて、川並衆全員が日暮れの中に溶けて行った。



 このことを岡部元信が知ったのはその日の夜であった。使い番を急ぎ岡崎に、祐筆に命じて同文の報告書を三通、それぞれ道を変えて出した。最も早くつくと思われるのは東海道を下った使い番であったが、最低でも十数里離れていたため、いずれにせよ到着は深夜になることは確かであった。

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