表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草太の立志伝  作者: 昨日の風
第六章 東奔西走編
207/291

二百、美濃の危機

 第二次川中島の戦いと呼ばれる戦いが起こり、越後長尾家と甲斐武田家の間で駿河今川家の仲介により和睦が結ばれる形で終結した次第については既に述べた。

 だが武田信玄はこの間に木曾谷に籠る木曾義昌を降伏させていた。それ以前でも同盟に近い従属、という状況であったが、これ以後は完全なる臣従というべき関係となっていた。善光寺平に対する支配権を獲得できなかった甲斐武田家の農業生産力、ひいては人口の問題はその領域の更なる拡張を要求していた。その向かう方向は飛騨、美濃のいずれかしかなく、飛騨攻めは既に堅い守りがあることが知られていたため、美濃へ向かっての領域拡張が企図されていた。


 美濃風土記にはこうある。

「遠山家一族挙げて斎藤家から離反して武田家に服し(略)、武田晴信、軍勢を率いて東美濃から西美濃を望み候」

 また尾張一代記にもこうある。

「織田信勝、今川義元に末森城を献じてこれに降り、また清須織田大和守家、岩倉織田伊勢守家もこれを支持し今川義元に膝を屈し入り候」

 これらの記述はほぼ同時期、天文二十四年文月の末から葉月にかけての記述である。第二次川中島の戦いの直後、或いは同時並行で行われていた調略、ないしは軍事行動が現れたものと見て間違いないことである。興味深い差は、この両者の名分である。甲斐武田家の美濃侵攻は美濃に対する土岐家の支配を取り戻すためということになっている。この時土岐頼芸は失明してはいたものの甲斐武田家の保護下にあり、その帰国支援というのが名分である。一方で駿河今川家の尾張侵攻はあくまでも尾張弾正忠家の家督争い、その一方の当事者である織田信勝を当主に就けるためという名目である。興味深いのは駿河今川家の名分が斯波家の尾張支配を助けるため、というような形のものではなく、あくまでもその家臣の一つであり守護代の一家老の家督相続を目的としたものでしかなかったことである。

 目指すものは確かに両者ともに美濃、尾張の支配であるのは間違いはなかったが、甲斐武田家の名分の方がより直接的であり、駿河今川家の名分はかなり弱いうえに間接的であった。逆に言えば駿河今川家の方がより直接的かつ自らの功を必要としたのであり、これが両者の対応に違いをもたらした、とされている。




 斎藤義龍が実質的に美濃の主となって半年と少しが経っていた。年の初めに長良川で父を討った、それから半年と少しであった。家督を継いでからということであれば二年近くになるが、長良川の戦い以前と以後を比べれば、斉藤義達が家督を継いだ後も父斎藤道三が美濃のために、斎藤家のためにいかに陰から力を尽くしていたかがよくわかった。そのことが分かるだけ斉藤義龍はなぜ父が長良川で討死すると分かっていてあのような行動をしたのか、ますます分からなかった。それでも美濃の命運は斎藤義龍の双肩にかかっていた。

 斎藤義龍の下には既に西美濃の三人衆、稲葉良通、安藤守就、氏家直元を中心に美濃西部の支配体制を固めていた。竹中重元と岩手忠誠の争いも調停し、西美濃は静穏に包まれつつあった。一方で問題は両属となっている東美濃、遠山家であった。長良川の合戦の際に明智の庄の制圧を行った遠山家は、その後の斎藤義龍の命にも従わずに明智の庄のを占拠し続け、ここに一族の明知遠山家の遠山景行が入っていた。


 遠山家は美濃斎藤家の禄を食んでいると同時に信濃の雄となった甲斐武田家の支配も受けていた。正確に言えば、遠山一族の一家、信州は江儀遠山氏が甲斐武田家の支配下に入ったのを縁に、遠山惣領家である遠山景任は東美濃の支配を強めると同時に西に対する警戒を解いていた。

 美濃斎藤家と甲斐武田家の両者の仲がうまくいっている間は問題はなかった。だが甲斐武田家の美濃侵攻の意図が明らかになり、遠山家は三つの道から一つを選ぶ必要が生じた。一つ目は斎藤家の一員として甲斐武田家と戦う道、二つ目は逆に甲斐武田家に服属して美濃侵攻の先兵となる道、最後は一族が二つに分かれて甲斐武田家と美濃斎藤家に分かれて属し、その両者で戦う道であった。一つ目と二つ目の道であれば、属する側が勝利した場合には大きな見返りが期待できたが、逆に敗北した場合には領土を失う可能性があった。第三の道はどのような結果であっても勝った側の中に遠山家の一部は含まれるため結局は遠山家が残るという利点はあるが、逆に遠山家同士で戦わざるを得ないという問題があった。

 いずれをとるか、遠山景任は悩んだ。


 だが時勢は遠山景任の判断を待たなかった。

 文月二十九日夕、山県昌景が兵八千を率いて国境を越え、晦日早朝には岩村城は既に囲まれていた。しかも城内には一族である遠山景行が兵二千を擁して数日前から入っており、示し合わせての行動であると遠山景任は判断した。一室に押し込められた遠山景任は両刀を取り上げられ無腰で遠山景行と対峙した。遠山景行の左右には配下の武者が数名太刀を抜いて従っていたが、遠山景任の配下は既にいずこかに閉じ込められたのか、その姿を認めることは出来なかった。見かけたのは遠山景行の連れてきた配下の武士だけであった。

「惣領殿、この場で決めていただかなければならぬのです。事を荒立てるつもりはございません。ただ甲斐武田家につき西美濃への侵攻に、我ら遠山家が加わることを了承していただきたい。惣領殿自ら出陣せよとは申しませんが、遠山家は甲斐武田家につくと、旗幟を明らかにしていただきたい」

 さもなければ、とは言葉を続けなかったが、さもなければ太刀が動き惣領が遠山景任から遠山景行になり、そうして遠山家の甲斐武田家への従属という結論は変わらないのであった。仕方のないことではあったが、こういう仕儀となったからには遠山景任の意思とは関係なく遠山家は甲斐武田家に着くことが変わらない以上、我を張っても犬死でしかない上、遠山景任自身も甲斐武田家につくという結論も悪くはない、と考えていた。ただ踏ん切りがつかなかった。というのも、遠山景任の妻は織田信長の祖父の娘であり、その織田信長の妻が斎藤義龍の妹である以上、義理とはいえ遠山景任は斎藤義龍と遠縁の親族であると言えなくはないためであった。更に明智の庄を明知遠山家の遠山景行が制圧したことについて不問にしてもらったという恩もあった。

 逆に遠山景行にしてみれば、明智の庄を制圧したことを責められる、その可能性をなくすことができる分だけ甲斐武田家に従った方が有利であることには違いなかった。もっとも、それ以上に間近で見たことのある軍勢の中で甲斐武田家の軍勢が最も強く、また軍略そのものも武田信玄に勝てる者がいるとは遠山景行が信じられなかったこともあった。ただ美濃斎藤家は姉小路家との仲が悪くなく、姉小路家という飛騨半国から越中半国、能登、加賀、若狭、近江と足利将軍家の越前に至るまでの広大な領域を獲得した力と対立したとき、甲斐武田家、姉小路家のいずれが勝利するとしても遠山家がどの程度の被害を受けるのか、それが分からなかった。そもそも姉小路家が甲斐武田家の美濃攻略に介入するのかすら、分からなかった。そのため、美濃斎藤家と甲斐武田家のどちらに着いた方が被害が小さく、または利益が大きいのか、それはもしかしたら半分を甲斐武田家、半分を美濃斎藤家とする場合の方が良いのかもしれなかった。

 逡巡する時間は、だが既に過ぎようとしていた。遠山景任は、一族を上げて甲斐武田家に着くことを内外に宣言し、その証として岩村城に甲斐武田家の秋山信友を主将、下条信氏を副将とした兵三千を入れ、また自らも出陣して美濃斎藤家攻略のための前線に立つこととして苗木城へ入るべく陣触れを出した。

 そしてその後方から木曾谷を制圧し木曾義昌隊を吸収した内藤昌豊率いる兵八千が到着し、更に伊那谷には武田晴信、武田信繁率いる本隊一万四千が控えていた。合わせて甲斐武田家だけで三万を数え、遠山家の外征に充てることのできる全兵力六千を合わせて三万六千という、斎藤義龍にはにわかに信じがたい数の兵が西美濃へ向かい、稲葉山城をはじめとする美濃斎藤家を駆逐するはずであった。


 この動きは、しかし遠山景行による謀反に近い強訴による遠山景任の甲斐武田家への帰順の翌々日には斎藤義龍以下の知るところとなった。流石に斎藤道三の息子であり、内外の有力武将、特にその中でもあまり斎藤義龍に従おうとはしない遠山家には多数の間者を入れていたためであった。他にも例えば竹中重元、稲葉良通、安藤守就からも同様の間者が遠山家に入っており、更に織田弾正忠家の間者も入っていた。織田家の間者が入っていたのは、遠山景任の妻おつやの方が織田信長の叔母に当たるため、自然に入っていたためであった。

 これに対する反応は、三者三様であった。

 第一の集団は、竹中重元をはじめとする西美濃国人衆であった。即座に手勢を集めると同時に互いに使い番を出しての意思疎通を図り、斎藤義龍の命令一下いつでも出陣できる態勢を整えていった。特に竹中重元は斎藤義龍の命令を待たずして稲葉山城から長良川の上流に当たる清水山に既に兵三千を主体とする陣を築き、安藤守就も同様の陣を清水山の南にある三峰山に築いていた。彼らは遠山景任の寝返りの前からこのことがあると予測していたとしか考えられぬ速い動きをみせた。

 第二の集団は尾張織田家、その織田弾正忠家を率いる織田信長であった。だが信長は即座に叔母を切りすてた。どうせ戻りはしないだろうが、と前置きしつつも、戻るとしても清須城に入るに及ばず、味鏡天永寺にほど近い生駒家に預けられることが決められていた。といってもこれは織田信長の情が薄いわけではなかった。それよりも今川家の後援を得ての弟織田信勝の動きが、柴田勝家は逐一に報告は寄越しているがその対応を考えれば美濃救援のための兵を出すことはおろか、尾張の支配権すら危うい状況であったためであった。だが織田信長の動きについてはまた後に語ることになるだろう。ただ、今は織田家は清須、岩村両織田家も含めて美濃へ兵を出すことはできなかった。


 当然にしてこの二つの勢力と同時に斎藤義龍も動いていた。遠山景任が一家を挙げて甲斐武田家に付くというのはいささか予想外であり、おそらくは半分ほどは美濃側に残ると予測していたのが外れたのは残念なことではあったが、いずれにしろ甲斐武田家の本隊と衝突せざるを得ないということは、特に東美濃支配を一戦も交えないうちに失ったことも含めて悩みの種であった。そこへ来客を近侍が告げた。竹中重治であった。常であれば必ず父竹中重元と共に現れるはずのこの男が一人で現れたからには、何らかの目的があるに違いなく、それは既に出陣している今般の戦に関わることに他ならないと考えられた。

 通り一遍の挨拶が済むと、竹中重治は深々と頭を下げて言上奉る、と言った。

「今はなき斎藤道三公のご遺命にございます。何卒お聞き届け願い奉ります」

 短く、申せ、と斎藤義龍が言うと、そのままの姿勢で竹中重治は言った。

「父竹中重元、清水山の陣にて討死するまで防ぎ戦う覚悟にございます。安藤守就殿も同様にございます。時は稼ぐことは出来ましょうが、防ぐことは叶わないでしょう。更に尾張が今川家に飲まれ、今川家をも相手取る必要が生じた場合にはどうにもなりませぬ」

 斎藤義龍は、分かり切ったことを言っている竹中重治が何か思い切った手を打つように言う、その布石としてのこの言であることが分かっていた。そのために分かり切ったことを言っている竹中重治の発言を遮ることなく話をさせていた。つらつらと美濃と尾張の状況を述べ、そして竹中重治が言った。

「かくなった場合に、斎藤道三公の残した遺命はこうでございます。白菊姫を至急姉小路家に輿入れさせ、辞を低く頭を垂れて姉小路家に馬をつないででも姉小路家を美濃の主とされるように、と。そうなれば織田信長殿も義理とはいえ兄弟の間柄、無下にはすまい、との事でございました。今頃は先方に、蜂須賀小六殿が白菊姫の輿入れを打診している時分にございましょう」

「断られるとは、考えないのか」

 斎藤義龍は、自分でも答えの分かっている問いを口にした。当然のごとく竹中重治は返答を帰した。

「断るはずはありませぬ。断るとすれば姉小路家が美濃を直接支配しようと考えているときだけでございますが、そうであれば……」

 それ以上は竹中重治は口には出さなかったが、言いたいことは分かった。北と西から姉小路家の精兵が軍を繰り出してきた場合には、甲斐武田家のことがなくとも美濃の命運は明らかであった。美濃を甲斐武田家の支配とした場合には本拠地である飛騨が危険にさらされるため、絶対に甲斐武田家の支配させるままに任せるという選択肢は取れないはずであった。 

「輿入れが実現するかどうかは別にしても、姉小路家の援助を受けて美濃をお守りくだされ」

 斎藤義龍は、これには頷かざるを得なかった。既に東美濃一帯を失ったに等しい状況であった。更に尾張が壊滅すれば駿河今川家の侵攻にも対応が必要であり、そうなれば斎藤家の美濃支配が続けられるわけがなかった。そして周辺諸国の事情から考えて、美濃を護ることができるほどの勢力は姉小路家だけであった。幸いにして姉小路家との関係は悪くなかった。

 斎藤義龍は、暫しの沈黙の後、言った。

「わかった。その儀を進めよ。……ときに父の、斎藤道三はこうなることを予期していたのか」

 竹中重治は言った。

「こうなる、とは考えていなかった様子にございます。織田信長殿が尾張を統一し御屋形様、斎藤義龍様と合一して、あるいは斎藤義龍様から相続する形で美濃を掌握した後に甲斐武田家、駿河今川家が本腰を入れて来る、そう読んでいたようにございます。あくまでこの策は、ただ備えをおいていただけでございます」

 斎藤義龍は、策を用意するとは、自分の読み以上の最悪にすら備えるものだとは知っていたが、ここまでの策を斎藤道三のが残していたこと、それ自体に驚いていた。そして自分はまだまだだな、と感じざるを得なかった。




 さて、同じころ一方の近江にいる草太はこの次第を聞き、蜂須賀小六の言葉の意味を正確に理解した。つまり白菊姫を差し出すから美濃を護ってほしい、ということであった。

「今、武田、今川の軍はどのあたりにいる」

 草太は目を細めて尋ねた。服部保長が言った。

「本隊としては今川は浜松にあり、また岡崎にて三河兵を集めております。武田方は伊那谷を南下中でございますが、両属であった遠藤家が既に甲斐武田家に通じているとの報が入っております」

 草太は、ふと斎藤家からの使者が蜂須賀小六であることに気が付いた。

「白菊姫、といったな、斎藤義龍殿の妹君は。それで、斎藤義龍殿はそのことを知っているのか」

 蜂須賀小六は平伏した。

「未だ存じないかと。いや、すでに竹中半兵衛殿が許可を取っている時分かと」

 時は一時を争う、とはいえ、兵をすぐに美濃尾張へと向けることは出来なかった。それをするなら、美濃尾張への侵略者と見られても仕方のない行為であったためであった。

 すぐに草太は手すきの武将衆を集め軍議を行った。そして草太は言った。

「服部保長、敵情を可能な限り正確につかめ。渡辺前綱、滝川一益、田中弥左衛門、平野右衛門尉、兵をすぐに動けるように支度させるのだ。更に磯野員昌に留守の間の南近江を任せる。早速準備を始めよ」

 有無を言わさぬ草太の発言に珍しいものを感じつつも、諸将はその理由が分かっていた。飛騨の南美濃は防衛陣を築いていないため脆弱であり、飛騨防衛のためには美濃が必要不可欠であるためであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ