百九十七、甲賀蚕食と七太郎の出立
松永久秀に謁見を許した草太が近江観音寺城へと戻った次第については既に述べた。
内ケ島氏理は丹波に戻り、地固めをすると共に摂津への圧力を強め、足利将軍家の山城支配の側面支援を担当することとなった。
姉小路家日誌天文二十四年葉月十日(1555年8月26日)の項にこうある。
「多羅尾光俊、甲賀五十三家のうち三十までを下し候。姉小路房綱公、これを賞し太刀一振りを下し候。(略)これにより甲賀調略は多きく進み候」
多羅尾光俊は草太の留守中も元々の甲賀五十三家の仲である者に対し硬軟取り混ぜての調略を行い、多くのものを引き入れていったようである。このうち、特筆すべきは三雲城を中心とした地域については特に調略が成功していないものの、佐治城主佐治為次を登用したことである。これにより三雲、山中両家は東西両方から姉小路家の圧迫を受けることとなり、三雲城に籠った六角家の鈎の陣は大きな後退を余儀なくされたのは当然の成り行きであり、事実として三雲城はこの後程なくして落城するのであるが落城当時には既に三雲城には主だった武将はおらず、上野城がその最前線の城としての役割を担っていたのである。
このようにじりじりと後退しつつも、南近江には盗賊に扮した六角家の兵が出没しては討伐されるという形で、南近江の安定を脅かす存在として六角家は一定の役割を担っていたといってよい。
草太達一行が観音寺城へ戻ったのは、葉月九日(1555年8月25日)の夜であった。政務は明日からとした草太は、まずはつうとひ文字姫の待つ奥に入った。
「まだ生まれぬのか」
と草太は聞いたが、典医の話ではあとひと月ほどとの事であった。一か月後には暦が天文から改元される見込みであり、草太は何か因縁めいたものを感じていた。ともあれ最近は料理の腕を上げたひ文字姫が料理を作り、三人でゆっくりとした時間を過ごした。眠る時間にはつうは下がったようであるが、それを除くのは野暮というものであろう。
翌日、政務を行った。書類の決裁だけで済むものは京でも行われていたが、やはり政務の中には書類の決裁や代理のものでは済まないものが多かった。陳情などは代理の滝川一益が受け、滝川一益がまとめたものを決済する形で処理していたが、どうしても草太自身の手で行わなければならない仕事があった。それは調略、登用した国人衆たちの任用であった。
草太が戻ったと聞いて一月近くの留守の間には控えていた陳情をするものも陳情に来たこともあり、草太は政務に追われることとなった。弥次郎兵衛は同時につうの出産、そして草太とつうの婚礼、引き続いてひ文字姫の婚礼の支度もあり、恐ろしく多忙であった。
そうした中、多羅尾光俊が数名のものを引き連れて入ってきた。書類では聞いていたが、調略に成功した甲賀国人衆のようであった。
「この者たちは甲賀五十三家で調略に応じた者たちのうち主だった者、右より伴長信、佐治為次、土山盛忠、岩室貞俊の四名にございます。何れも武将衆としての随身を希望してございます」
草太は書状で既に伴長信の調略が成ったことを知っており、その縁で多数の国人衆が調略に応じたことを知っていたが、主だったものが皆武将衆としての随身を希望するというのが不思議であったため、尋ねた。
「なぜ全員武将衆を希望する」
これには伴長信が答えた。
「我らの甲賀の土地は全体にやせており、更に平地も少なく、簡単に言えば食えませぬ。それ故に古来より出稼ぎとして傭兵をする、それが甲賀衆でございます。伊賀も似たような事情でございます。そのため諸方の情報を集めることには長けましたが、今更あの土地にしがみつきたいとは思いませぬ」
土地がやせているため食うものも食えない、という点は飛騨に似ていたが、飛騨には豊富な鉱山資源や木材、毛皮などがあった分だけ飛騨は有利であったのであろう。作物として何ができるかと訪ねると土山盛忠が意外なものを挙げた。それは茶であった。
「我が土山の地では茶を作っております。元は比叡山に卸し米に変えて暮らしておりましたが、昨今では商人を介して米を買って暮らしております。ですが商人の買いたたきもあり、なかなか難しきことにございます」
もっとも、多羅尾光俊曰く土山家は現金収入がある分だけ楽な部類であるらしかった。
「わが多羅尾家の信楽の地は細々と焼き物を致しますが銭での収入はほとんどが年貢米の売却によるものでございます。他の村々もさして変わらず、それでいて六角家の軍役を果たさなければなりませぬ。領地の経営などよりも武将衆として出仕した方がよほどに楽にございます。我が領土でなくなるとしても帰る家まで取られるわけでもございませんし」
聞けばほどんどが数か村程度の小領主であった。
やはり気心が知れた方がよかろうと、草太はこの四人を直臣とし残りはそれぞれの陪臣とするように命じた。その禄高については弥次郎兵衛に相談するように命じた。
四人を退出させると多羅尾光俊を残し、更に服部保長と滝川一益を召した。今一度、南近江から伊賀にかけての諸地方の情勢について確認するためであった。二人が席に着くと多羅尾光俊が懐から絵図を出し、説明が始まった。
多羅尾光俊の南近江は甲賀の説明から始まった。
「大きく言って、甲賀は既に相当部分が姉小路家に従っております。蒲生殿は当面は独立勢力として、同盟者として行動したいと言っておりますがまずは味方でございますな。青木筑後守が籠る丸岡城を北端として、三雲城を中心とした三雲氏とその一党、植城を中心とした山中氏とその一党、野尻城には甲賀服部氏に加えて六角家の重臣後藤高治が籠っておりますな。また上野城にも兵が入っているようですが将は望月吉棟が入っているようですな。これらの作る細長く突き出した領域が六角家の南近江における全勢力ですな」
続いて服部保長が言った。
「やはりこの中では佐治城がこちらの手に入ったのが多きく、伊勢北畠家は鈴鹿越えの道での補給を諦めてその南の奈良街道に切り替えました。しかも佐治城から兵を出して植城への輜重隊を攻撃させたため、六角家側はその警備に人を割かなければならずにおります。近江へ侵入しようとしている兵は随分と減ったかと」
ふむ、と言って絵図をじっと睨んだ草太であったが、やはり急所は甲賀服部家の守る野尻城であるように思われた。ここを落とし補給路を断てば三雲城と丸岡城は経ち枯れる、そう見た。
「ところで伊賀はどうだ」
草太が尋ねると服部保長が言った。
「某は既に隠居の身であるとして、中々難航しております。といって三家を調略すればよいだけでございますから、周辺を落とせば後は銭で片が付きましょう」
銭で片が付く、と奇妙であった。どういうことか尋ねると服部保長が言った。
「伊賀は甲賀よりもさらに土地が痩せており、忍びの技で雇われることによって生計を立てておる国にございます。元々服部家、それが三つに分裂した百地、千賀地、藤林の三家が支配しております。土地を耕しても食えませぬ故、銭になるならば簡単に手放すかと」
「寝返りはどうだ」
これには滝川一益が答えた。
「無理だろうな。戦場で銭で転ぶ傭兵など誰も雇わぬ。既に明確に敵対している以上、和睦が結ばれるか雇っている側が滅びるかでもなければ、銭を積んでも寝返ったりはしないだろうよ。これまでの恩義は別にしてもな」
草太は少し考え、山城から戻った兵を対六角包囲陣の兵と交代させ、今まで対六角包囲陣を担っていた兵のうち一鍬衆九千、中筒隊三千の一万二千を編成して滝川一益に野尻城を落城させ補給路を完全に断つように命じた。
同日午後、久々に七太郎が登城してきた。城下には葉月朔日よりいたと言い、おっつけ帰ってくるからということで旅支度を整えていたのだといった。
「御屋形様、暇乞いに参りました」
草太は約束を覚えていた。書状でも国友村の量産体制が整ったことは既に知っており、多数の鍛冶師が既に鉄砲と薬莢の生産態勢を確立していた。後は集積と後継者育成、規模の拡大といった問題であり、七太郎の扱うべき問題ではなかった。
「話は聞いている。出立はいつだ」
「早ければ早いほど」
七太郎の言い方に苦笑しつつ、草太は言った。
「既に旅支度は済んでいるのだろうが、いくつか言っておくべきことがある。……ああ、面倒ではない。まず一つは路銀だ。どの程度用意しているかは知らぬが、とりあえず金で一貫目用意してある。持ち歩くのも重すぎるであろうから全てとと屋に預けてある。九州までの便船もとと屋に手配させてあるから問題もあるまい。便船に乗りがてら受けだすが良い。九州での受け取り方もとと屋の田中与兵衛と相談せよ。二つ目は連絡は密にとるように、ということだ。月に一度は近況報告の文を書け。こちらとしても心配なのでな。三つめは期間だ。決めておかねば無制限に研究するだろうから今決めよう。とりあえず一年を目途とする。どうだ」
「一年、でございますか。それは出立してから一年ですか」
うむ、と草太が言うと、七太郎は頷いた。
「分かりました。それでは一年の間、務めさせていただきます」
もう一つだ、と草太は言った。
「新型銃、薬莢、棒火矢、擲弾筒。これらは極秘だ。他の技を伝えるのは構わないが、これらは伝えてはならぬ。よいな」
「かしこまりましてございます」
そうして出立前の四方山話とばかりに国友村の話などを草太は尋ねた。そのうちに三好家の使った船と呼ばれるものの話が出た。
「あれに似たものは、実は一度試しましてございます。鉄砲から身を護る盾を、と言われましたからな。結局は重すぎて動かすのが難しすぎ、断念いたしましたが」
なんとかならぬか、と草太が言うと、今のところどうにもなりませんな、と言った。
「気休めであれば竹束、あれを改良した程度のものは試作しておきました。試すとあれば鉄砲場にありますから御覧に入れましょう」
鉄砲場には七太郎の試作した鉄盾がおかれていた。矢盾と同じく、地面に置く形であり、下部に凹凸が付けられているのは刺さって動かぬようにするための工夫と見えた。大きさは高さ五尺幅二尺程であり、厚さは一寸ほどであったが、重さは三貫目ほどとのことであった。この重さであれば手で持つこともできなくはなかった。
「鋼の板に革を挟みこんでございます。同じものがあそこに」
と指さすと半町先の的に並んで盾がおかれていた。七太郎が中筒の支度をし、撃った。盾に当たったようであった。検分を、と小者に取りに行かせ、戻ってくると盾は貫通こそしていないものの大きな凹みがあった。
「小筒であれば数間先であっても多少凹む程度でございます。まず実用には耐えるかと」
「試作とはどういうことだ」
草太が聞くと、七太郎が答えた。
「作成には非常に手間がかかり、また鎧三領は作れるほどの鉄を使います。また重さから槍は持てぬでしょう。中筒一発であれば問題はございませんが、五発も受ければ割れ、貫通します。そういったことから、改良の余地が大きくありますな」
草太は、それでもこれは有用であると考えていた。製法を誰かに伝えたかと聞けば、国友善兵衛の弟子で七兵衛というものに教えたということであった。教えたというよりも、共同で作ったため製法を知っているという方が正しいようであったが、草太は即座にそのものを観音寺城下に新たに作った鍛冶の村に招き、他の武器防具と合わせて盾の制作にあたらせることとした。どれだけ作れる、と尋ねたところ、七太郎は答えた。
「分業体制を駆使し材料さえあれば十人の職人で月に百は固いでしょうな」
この他、乾田の法が試験的に飛騨、東越中、能登、加賀で行われた結果の見込みが伝えられ、他の田に比べて二割ほどは収穫量が増えたことは明るい兆しであった。来年からの導入に向けての準備を進めるように指示を出した。また貿易についても順調であるなど様々な明るい話題が続き、草太はこれまでの政策が実を結んでいることを実感していた。
そして夕刻になりその日の政務は終わった。奥へ入るとつうもひ文字姫も夕餉はまだということであったのでともに摂ろう、と言った草太の下に服部保長の使いが入ってきた。火急の用があるということであった。明日にせよ、と言いかけたが服部保長が火急というからには火急であるはずであった。至急表へ戻った。
表へ戻ると服部保長のみならず蜂須賀小六も控えていた。ただならぬことであると草太は直感した。座に就いた草太に蜂須賀小六が言った。
「御屋形様、至急、斉藤義龍の妹君、白菊を娶っていただきたい」




