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草太の立志伝  作者: 昨日の風
草太の立志伝の世界(第五章終了時点)
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草太の立志伝の世界(第5章終了時点)

 いい加減、姉小路家も大きくなりました。そのため色々な戦国大名がそれぞれに割拠している状況で、どうにも関係が分かりにくい、という以上に作者も把握しきれない可能性があるという、なんとも素敵な状況になってまいりました。戦国時代の戦国大名同士の関係なんてその瞬間瞬間で変わり、同盟を組んで一つの勢力を攻め滅ぼしたその帰りに同盟相手も滅ぼしたり、なんて話さえあったり、東北地方での戦国大名のように武将まで含めてほぼ全員親戚同士で殺し合いという素敵な状況だったりします。


 ですので、単純にこの大名とこの大名は親戚だから味方で、なんて考えるとドツボに嵌ります。大体史実世界であれば織田信長の義理の甥が斎藤龍興です。兄弟で殺し合い親子で殺しあうのが戦国時代です。同盟関係を結んでいても、例えば金ヶ崎の退き口のように裏切るなんてのも日常茶飯事、それぞれにそれぞれの利益を追求するのが戦国時代です。この関係は大名と臣下の関係でも同じことがいえます。斎藤龍興ではだめだとなったら西美濃の地方領主や東美濃の遠山家は織田家に乗り換えています。その遠山家のように、甲斐武田家と美濃斎藤家や尾張織田家の両方に従属している、両属と呼ばれる状況もあります。


 分かりにくい、というのは、筆者の力という以上に、この時代そのものが「訳の分からない」世界だからであります。


 よく戦国時代の幕開けとして応仁の乱が挙げられますが、幕府内部での権力闘争が武力抗争として表に出た状況だといえば大体正しいでしょう。対立軸は簡単に言えば「次の将軍は誰?」です。銀閣寺を作ったことで有名な足利義政の時代、要するにこの足利義政が自由人で政務を全部部下に丸投げして自分の好きなことにお金を湯水のように使ったのが原因なのですが、その次の将軍になるべき人が二人いました。養子にもらった足利義視と養子を取った後で生まれた実子の足利義尚です。要するにこの二人の戦いなのですが、仲が良かったかどうかまでは知りませんが、二人とも同じ家に住んでいました。


 結局は実子の側が後を継ぐのですが、その次の代がいないためにその次は足利義視の息子の足利義稙が継ぎます。しかしこの足利義稙も京にゆっくりなどできず、追いやられたり担がれて京に戻ったかと思えばあまりに自分が軽んじられるのを嫌がって家出したりと訳の分からない動きをし、最後には阿波で病死します。


 はっきり言って、一言でいえば「みんな好き勝手」なのです。



 さて。

 言い訳はこの位にして、草太の立志伝の世界(第五章終了時点)を概観してみましょう。といっても本編にたくさん書かれている国、例えば飛騨なんてやっても面白くもなんともないので、余り書かれていない国を書きます。



 まずは東北です。伊達家のいわゆる天文の大乱がようやく終わって伊達晴宗が伊達家を継いでいます。東北の戦いは、要するに伊達家を中心とした親戚同士が喧嘩するだけなので、伊達晴宗が継いで平穏を取り戻します。表向きは。


 更に北陸奥になると三日月の丸くなるほどと呼ばれる広大な領地を持つ南部家が、ピクリとも動きません。否、動けません。基本的に南部家の敵は自然であり、食えるかどうかなのです。この時代はまだ北陸奥ではコメがほとんど取れませんからね。


 次に関東ですが、結構錯綜しています。後北条家ともいわれる相模北条家が1554年に三国同盟を結んでいますが、それ以前から融和ムードではありました。それを背景に山内上杉家(関東管領の上杉家)、扇谷上杉家、古川足利家を圧迫し、武蔵、上野を領有していきます。里見家はまだ元気で佐竹家などと連携を取ってこの相模北条家を包囲するように戦闘が繰り返されていますが、最強の敵である越後長尾家が介入することで戦局は大きく動きます。ただ、どうにも越後長尾家は戦以外は苦手だったようで、上杉謙信が来ると続々と上杉家に降るものの国元へ引き上げるとすぐに相模北条家が取り返す、という繰り返しが何度も行われました。

 上杉謙信という人は、どういう訳か戦争は確かに上手なのですが、結果的に領土に反映されないという悪癖を持っています。川中島の戦いも戦略で最初に負けて川中島のある善光寺平を取られ、それを戦争をして取り返すという性格が非常に強く、史実世界よりも南まで取り返しましたが、草太の立志伝の世界でも元々の勢力下であった村上義清の領土までは手が届いていません。史実世界では、犀川という善光寺平の中ほどを流れる川の北まででしたから、大きく取り返したのは間違いないのですが。


 少し話が出てしまいましたが甲斐信濃。甲斐武田家がほぼ史実通りに統一しています。例外は犀川以南の善光寺平位です。南信濃へ進出し伊那谷を制圧するところまでは同じです。第六章では美濃の陣で美濃へ進出しようとしているところは、史実世界よりも早いながらも大体同じです。大きく違うのは飛騨侵攻をしたことくらいですか。史実世界では1559年なので8年近く早く出陣しています。


 ほぼ史実通りなのはその南の駿遠三の駿河今川家も同じです。第六章で史実より大分早い尾張侵攻をしますが、史実世界では三河の地固めを一生懸命にやっているところです。


 美濃、尾張の情勢も第五章終了時点ではほとんど影響がありません。木下藤吉郎、滝川一益が姉小路家に取られてしまいましたが、彼らが史実世界で活躍するのはまだ10年は先の話なので、その影響もないです。因みに史実世界でも飛騨(偽姉小路家の三木家ですが)と同盟しているという点まで同じです。三木家に斎藤道三の娘の一人が嫁いでいるところまでぴったり同じです。長良川の合戦が一年ばかり前倒しされた程度です。


 越後、越中にまたがる越後長尾家は少し事情が変わりました。本来ならば椎名家に泣きつかれて越中に兵を出し、加賀一向宗との不毛な戦いに神経を使い、いかに軍神でも二つの戦場に同時にいるわけにはいかないので、結構消耗もしました。第四次川中島の戦いの後になるまで、越中に力を注いで領土を広げるということはありませんが、そのころには織田家が加賀へ進出しているという運命が待っていました。草太の立志伝の世界ではこの越中戦線がないだけでも相当に力が違います。その差が出たのが第六章の川中島の戦いであります。


 さて。次は南の方から。南蛮貿易にも何も姉小路家は絡んでいないので、史実通りです。

 南九州は島津家が力を付け始めたところです。歴史ゲームでは島津家はイージーモード(後ろを気にしなくていい、武将が優秀、鉄砲がかなり最初から手に入りやすい)と言われることが多いですが、現実の島津家もこの時期から領土拡大が始まります。といっても南九州に一大勢力を築きあげるまでに1570年代後半までかかりこのころには既に織田家が畿内をほぼ手中に収めた時期になります。


 北九州は大友家が一強です。北九州から中国地方に一大勢力を持っていた大内氏は陶氏にクーデターで乗っ取られ、更に毛利氏がクーデターで乗っ取るという訳の分からない状況になっています。因みにこの大内氏は勘合貿易が出来る家で、だからこその一大勢力なんですが、クーデターで勘合貿易が出来なくなると途端に衰退していく運命にありました。因みに勘合貿易が出来る地位を継ぐことが出来そうだったのは毛利元就の息子毛利隆元であり、毛利家がその地位を無事に引き継げれば勘合貿易の利益が入る……はずだったんですが、勘合符を継げるように工作しているうちに毛利隆元が病死してしまうというアクシデントがありますが、草太の立志伝の世界ではまだ毛利家のクーデターが起こった直後です。


 四国。土佐は未だに土佐七雄の割拠している時代であり、一条兼定公がプロレスな戦に飽き飽きしている時期です。伊予へ出ようとはしているけれども後ろの国人衆が不穏、というのが一条家の置かれた立場です。その伊予は南は国人衆、特に西園寺家が、北は河野家が抑えていますが、ほぼ無風状態です。この状況は毛利家の四国出征まで続きます。


 讃岐、阿波、淡路は下剋上で三好家が細川家から乗っ取り、讃岐を中心に国人衆が強いながらもほぼ三好家の領土です。畿内になりますが摂津も三好家の領域です。河内、和泉などを中心とした地域の支配をかけて河内畠山家と争っていますが、その辺は畿内のところでやりましょう。


 中国地方。大内家の陶家によるクーデターにクーデターを起こした毛利家がようやく強固な地盤を手に入れています。そして日本海側の大分部を占めている尼子家と死闘を繰り広げる訳です。でもそれは西半分の話。東半分は、地味なのであります。


 まず備中。国人衆である三村家が大体は支配している、と言われていますが、所詮は国人衆です。土豪に過ぎません。庄家、石川家といった守護代もおり、あんまりしっかりとした支配でもなく、当然領土拡大なんてありません。某歴史ゲームでは登場できても毛利家か尼子家に美味しく頂かれてしまいます。


 それでも省略されることすら多い美作みまさかよりはましかも知れません。振り仮名が必要なくらい、地味なんです。大体は備前と一緒にされています。


 備前は少し面白いですが、赤松家がこの時期弱っているので、守護代の浦上家が取り仕切っています。浦上家と来れば、思い浮かぶ方も多いでしょうが宇喜多家に下剋上された家であります。美作もこの下剋上の時についでのように宇喜多家に支配されますが、宇喜多直家の下剋上は1560年代後半からなのでまだ起こっていません。


 播磨。豊臣秀吉が姫路城を築いて中国戦線の最前線として使った国なのですが、この当時は赤松家が弱りながらも支配しています。しかし半分くらいは守護代の別所家に権力を持っていかれていますし、三好家の侵攻も受けて息も絶え絶え、というのが実情です。

 因みにこの別所家が三木城の水攻めの舞台であります。意外に中国地方でも畿内に近い地域です。


 地味で忘れ去られることの多いもう一つの国が但馬です。最近では天空城で有名になった竹田城のある但馬ですが、竹田城は有名でも但馬は忘れ去られることが多いです。因みに山名家という、応仁の乱の一方の大将格の家柄が支配していたりしますが、戦国時代はほぼ何もしていません。攻めない国は多いですけれども攻められもしない国というのは珍しいものです(一応尼子家と戦っていましたが)。因みに但馬には二つの重要なものがあります。一つは奈佐家という、日本海中部の海賊の親玉ともいえる家の本領がこの国にあることです。もっとも奈佐日本之介自身は普通の地侍だったようですが。もう一つはまだ内緒です。一応作中にも出ているんですけれどもね。


 播磨の北、美作の東に位置するのが丹波であります。史実世界では細川家が守護、守護代が内藤家という構図なのですが、内藤家を国人衆の波多野家を中心とした勢力が追い出し、それを細川家が認めてしまうという事態になっています。そして、この内藤家の丹波帰還を、細川家から下剋上をして領土を乗っ取った三好家が「手伝う」という形で出兵しています。これだけでもややこやしいのに、内藤家の惣領である内藤国貞が波多野家との抗争に敗れて討死してしまうという事態が起こり、更に内藤国貞の妻を娶って婿養子に入るという名目で松永久秀の弟が内藤宗勝と名乗って跡目を継いで丹波攻略を進めるという事態に発展します。史実ではこの後、松永久秀は大和攻略に回りますが内藤宗勝が丹波攻略を進めていき、……結局討死。波多野家側が勝ってしまいます。明智光秀も苦杯をなめた地を舐めてはいけないのであります。

 草太の立志伝の世界では波多野家たち国人衆を味方につけた内ケ島氏が三好家の丹波攻略隊を文字通り叩き出し、姉小路家の勢力下におかれました。


 その北、丹後は一色家が、史実世界では何事もなかったかのように過ごし、若狭武田家と時々思い出したように喧嘩しています。丹後の一部は若狭武田家、その背後の朝倉家に取られてしまうのですが、この国は本当に何もなかったかのようにしています。草太の立志伝の世界でも、そのまま国人衆として従属関係に入る辺り、やっぱり何もないのでしょう。


 最後に畿内。

 まずは扱いの薄い伊勢から。伊勢は本来は伊勢、志摩の二国ですけれども、一緒にしてしまいましょう。史実世界の伊勢の国は大雑把に北側に長野工藤家という、伊勢北畠家にとって分家なんだけれども敵対的な国が頑張っています。この家との抗争は最終的には伊勢北畠家の勝利に終わりますが、そのころには今度は織田信長率いる織田家との抗争が始まってしまいます。

 草太の立志伝の世界でもこの構図は同じですが、長野工藤家の後方を六角家が脅かし正面から伊勢北畠家が攻める、という構図を取っている関係上、伊勢北畠家は六角家を支援せざるを得ないという状況になっています。もっとも、伊勢北畠家は長野工藤家を背後から攻撃してくれれば姉小路家でも構わないため、六角家への支援を打ち切っても問題なかったりはしています。この辺りは第六章でやるのでこれ以上書きませんが。


 河内畠山家の版図は河内、和泉、そして紀伊です。これらの国を纏めて河内畠山家が支配している、というだけではなく、更に能登も越中も支配していると言えば支配しています。ただし、河内畠山家が本家扱いです。なので家臣、というか守護代もやっぱり遊佐氏で親戚だったりします。史実世界でも草太の立志伝の世界でも、三好家と河内畠山家は利害関係によって、或いは協力して、或いは敵対して、国人もその時々に自分に有利な方に着くため将棋の駒のように取ったり取られたりという形が多いです。


 畿内には書かなければならない特殊な勢力があります。それは宗教勢力であります。


 南都北嶺と言いますが、大和を纏め上げているのは筒井家、越智家などの国人衆ですが、これらは元々は興福寺の関係者であったりする場合がほとんどです。例えば筒井家は元々は興福寺の別当です。これが南都です。一方の北嶺は既に本文中でも何度も言及がありますが比叡山延暦寺のことです。


 あと二つ、言及しなければならない宗教勢力があります。一つは言わずもがなの石山本願寺であります。


 最後の一つは、高野山、その麓にある根来寺であります。根来寺がなぜ重要なのかと言えば、言ってみれば彼らが雑賀衆であるためです。根来寺の在家集団が傭兵団化したものが雑賀衆です。だから彼らを語るときには切り離すわけにはいかないのです。史実世界では彼らが付いた方が勝つ、とまで言われた傭兵団であり、三好実休を討ち取ったり、石山本願寺で左右の将の一方が雑賀孫一だったりと、恐ろしい強さを誇る集団でありました。

 草太の立志伝の世界でも彼らの強さは健在ですが、索敵能力に欠けていたり、という欠点も同時に持っている良くも悪くも鉄砲を撃つ技術者集団として扱われています。



 史実世界では、例えば常陸の佐竹家や会津の相馬家、蘆名家のように、沢山の小領主がしのぎを削っていた時代でもあります。これを機会に興味を持っていただければ幸いであります。


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