百九十四、新九郎の仕官
話は多少前後する。
浅井家の本領である小谷城は姉小路家の手により落城した。当主浅井久政は行方知れずとなり、嫡男新九郎は小谷城を落ちていた。
浅井新九郎は追っ手を警戒して比叡山に身を隠していた。比叡山に入った直後、浅井新九郎は尋ねた。
「弟たちはどうした」
浅井新九郎は言った。弟とは浅井政元、浅井政之の二人であった。まだ十にもなっておらず、刀も握れる年でもなかった。落ち延びる際に逸れていたが、そこは流石は雨森弥兵衛でありその点は抜かりがなかった。
「お阿久さまの所に匿ってございます。戦が終われば仏の姉小路、とあればひとまずは安全かと」
そうか、と浅井新九郎は一安心した。お阿久さまとは姉というより叔母であり、父浅井久政のの養女になったために姉となった実西庵庵主であった。合戦場に近いことは気がかりではあったが、心配しても何もできなかった。
比叡山に入っての隠遁生活もそろそろ半年、再起を考えるべき時期であった。先立つものはほとんどなく、供回りは雨森弥兵衛、赤尾清綱の二人を筆頭に遠藤直経、片桐直貞、宮部継潤がおり、そのほかに小者が数名であった。特にあの混乱の中赤尾清綱と合流できたのは行幸であったといってよいだろう。しかし浅井家を示す物は、たった一つしか持ち出すことができなかった。それが浅井一文字と呼ばれる刀一振りであり、他には何もなかった。身を証するものがない以上、何らかの縁にすがる以外にはなかった。他には既に玉薬もなくなった火縄銃が一丁、これには確かに三つ盛亀甲が象嵌されていたが、これで身を証できるとは思えなかった。
追っ手も既にかかっていないことを周辺の探りを入れていた宮部継潤が確認したことを期に、一同の暮らす宿坊の一室に主だったものが集まり今後のことについて話し合うこととなった。
「それで、これからのことですが」
うむ、と浅井新九郎は答えた。質問の内容は想像がついた。どこへ落ちるか、という問題であろうと思われた。だが雨森弥兵衛の質問は少し趣が違った。
「何を目指しますか」
何を目指すか、というのは漠然としていた。少なくとも武将として身を立てる、それははっきりとはしていたが、それをなすためにはどうすればよいのかは分からなかった。考え込んでいる主を見て赤尾清綱は助け舟を出した。
「ただ武将としての立身を望みますか。それとも浅井の家の再興を目指しますか。或いは更に踏み込んで北近江の小谷城周辺、我らが本貫の奪還を目指しますか」
流石に天下を、とは言わなかったが、この質問には、浅井新九郎は得心がいった。最終的に望むもの、それを考えて身を寄せる相手を決めるということであった。少し考えて浅井新九郎は言った。
「今更、小谷城には戻れまい。姉小路家をどうにかするのは難しかろうし、民も姉小路家に靡くだろう。少なくとも我らの行ったものと同等以上の生活は保障するだろう。なにしろ内政は」
言葉を赤尾清綱が引き取っていった。
「仏の姉小路、でございますか」
うむ、と頷いていった。
「それ故、残念だが小谷の地は当面は諦める。真に残念だがな。問題は武将として立身するとすれば、どこへ行くかだ。どこか良い土地を知らぬか」
雨森弥兵衛は少し考えていった。
「生活するだけであれば殿の伯母上がいる美濃斎藤家、ここであれば難しくはございません」
確かに親類のところを頼って武将として再起するというのは順当なところであった。しかし、と雨森弥兵衛は言った。
「最近長良川での戦いが起こり内情は芳しいとは言えないでしょう。まだ足場固めに奔走せざるを得ない身、とあれば美濃斎藤家は安住の地としてはあまり良いとは言えません。更に美濃には既に伸び代がありません。所領が与えられるとすれば外征をするべきですが、北と西は姉小路で味方なれども東が甲斐武田であり、既に東美濃遠山家は両属の身。となれば南に出て岩倉織田家と戦い、更に義兄弟の織田弾正忠家と戦うか、伊勢志摩へ出るか。となれば甲斐武田家と対峙する覚悟で遠山家を退治するか、背後を気にしながら南下する以外にはありません。しかも西美濃の不破家は岩倉織田家との仲が深ければおいそれとどうにかできるとも思えません。
簡単に纏めると、生活はできるでしょうが先はございません」
「武将として再起するとすればどういう家がよいか」
これには赤尾清綱が簡単に答えた。
「今後膨張して、更に人材が足りないところ、でございますな。それはどこか、織田弾正忠家の織田信長殿でございましょう」
織田信長。その名は浅井新九郎も知っていた。ただし尾張のうつけ、という意味であったが。
「あのうつけの、か」
左様でございます、と雨森弥兵衛は言った。
「うつけ、と申しましたが、あの美濃の蝮が娘を嫁がせ、家督を継いでから長良川で蝮が死ぬまで三年半、家を乗っ取るどころか一指も触れさせず、ただ援助しただけにございます。うつけはうつけとしても、生半なものではありません。むしろ大器かと」
そういうものか、と浅井新九郎は思い赤尾清綱を見ると、赤尾清綱も同じようであった。西はどうか、と尋ねたが、二人は首を振った。
「三好家は既にその主力の大部分を消耗しており、後は飲まれるだけでございましょう。精々数年かと。少なくとも膨張は難しいでしょう。土佐はそもそもの伝手がございません。安芸毛利家や出雲尼子は国人衆の糾合に長けておりますが、我らのようなものが入るのは難しかろうと思われます。そもそもの伝手も御座いませんから、雑兵からであればともかく、それ以外はどう考えても難しいでしょう。
同じ意味で駿府今川家や甲斐武田家も難しいでしょう。下級武士なら別ですが、中級以上は家柄がものをいう国でございます」
ふぅ、とため息をついた。思ったよりも選択肢は少なかった。だが赤尾清綱が言った。
「僅かに可能性があるのは越後長尾家でございます。村上義清殿の例がございますれば」
「村上義清殿は、北信濃のことがあるからだろう。我らを受け入れるかどうかはかなり微妙だな。伝手もない」
雨森弥兵衛は否定的であった。何より越後長尾家では急激な膨張は見込めない、という事情があるようであった。
伝手がないのは織田家も同じだろう、と浅井新九郎が言うと、宮部継潤が言った。
「同じ天台僧の天沢殿と面識がございます。織田信長殿とは近いため、伝手としては悪くはないかと」
と、赤尾清綱が言った。
「そういえばかつて国友村にいた橋本一巴、あの者は今尾張にいるとか。伝手になるやもしれませぬな」
ふむ、と浅井新九郎は考え、そして言った。
「ならば尾張へ、織田信長殿に会ってみるとするか」
この時点ではまだ織田家への仕官は決めかねていたが、ここまでついてきた配下の勧めもあり尾張へ行くことにした。織田信長という名高いうつけとも名将ともつかぬ人物に興味がわいた、ということもないではなかった。
南近江は鈎の陣に入ったこともあり治安が悪く、そのため琵琶湖を船で渡り長浜より関が原を経て美濃、そして尾張へ入ることができた。関はないではなかったが特に見とがめられることもなく、何となく拍子抜けしたと同時に小ばかにされたような気分になった。姉小路家は浅井新九郎という存在を、北近江浅井家を歯牙にもかけていない、そう思えたのであった。今にみておれ、と思う反面、それだけの価値しかない自分の身を悲しく思った。
複雑な顔をしている浅井新九郎を見、雨森弥兵衛は優しく慰めた。
「殿、必ず日の本全土に浅井ありと、あれが浅井新九郎であると知らしめましょう」
浅井新九郎が尾張に着いたのは、織田信長がその弟織田信勝の内訌を治めた、その直後であった。尾張についてすぐに橋本一巴を探し出すことができたのは、彼が天沢和尚の庫裏に間借りしていたためであった。聞けば織田信長の鉄砲の師匠であるため、織田信長が味鏡天永寺に馬で乗りつける、その時に鉄砲の訓練ができるように待機しているとのことであった。暇な頃には三日を開けずに来ることもあるが近頃は騒がしいため間が空いている、とのことであった。
天沢和尚が言った。
「織田信長殿に仕官する、とな。なかなか難しいことを」
仕官が難しいかと聞けば、仕官自体はそれほど難しくなかろうと言った。
「何しろ、織田弾正忠家は現在領土が二倍になったようなものでしてな、人間自体が足らぬので仕官は簡単に仕ることができましょう。問題はそのあとでございますな。なにしろあの織田信長という殿のご気性、その気宇、常人ではありませんからな」
そういえば尾張に入ってから織田信長の評判を聞いていたが、不思議とうつけという評判は聞かなかった。どうやらうつけという評判すら織田信長が自ら流したものであるらしかった。
「うつけのふりをして、うつけという評判を流して、ご家中を篩にかけておったようでございますな。先代織田信秀殿が理解者であったとはいえ、なかなかできるものではございません。人は、とかく人の評価を気にする生き物にございましてな」
雨森弥兵衛が気になったのは領土が二倍になったようなもの、という一言であった。すると橋本一巴が言った。
「先ごろの戦で清須織田家を攻め滅ぼして尾張下四郡の完全な掌握を行い、更に尾張上四郡の岩倉織田家を圧して春日井郡の半ばを従え、また丹羽郡は元々殿の側近丹羽氏の影響力が強い地域、此度の戦で今までは隠然たる力であったのが表に現れるようになり申した。収入としては津島の津からの富があるから二倍には程遠いが、それでも石高からしても面積、人口、こういったものは二倍近いというわけにございます」
管理するべき土地が増えれば管理のための家臣も増やす必要があるのは明白であった。
何より雨森弥兵衛が気になっていたのは織田家がこの後、膨張することができるかどうかであった。織田信長には停滞を良しとせずに膨張する、その意思があるとみた雨森弥兵衛は言った。
「殿、織田信長殿に仕えましょう。そして浅井の名を日の本に轟かしましょう」
浅井新九郎は、ただ頷いた。
浅井新九郎が仕えようと思っても、肝心の織田信長が天永寺に来なければ話は先に進まなかった。浅井新九郎は寺に籠り織田信長が来るのを待つ間、天沢和尚に天台仏教を習い平田祐秀に陣法の手ほどきを受けた。また玉薬には事欠かぬ橋本一巴に鉄砲を習った。そうして一月も経たぬ間に多少の進境を見せた浅井新九郎であったが、どうやら陣法は浅井家伝来のものを雨森弥兵衛に習う方が手に会うように思われた。
織田信長がふらりと姿を見せたのは、神無月三日(10月18日)のことであった。供回りは前田利家、塙直政をはじめとする少数であった。天沢、橋本一巴が熱心に推挙したが、織田信長はただ一言、であるか、と言っただけで興味がない様子であった。つ、と立ち上がり、鉄砲を撃つと言った。
「その、浅井新九郎であったか、撃てるのであれば連れてまいれ」
浅井新九郎は既に鉄砲の用意をして角的の前で待っていた。織田信長が渡ってくると先ぶれが来た時から織田信長が鉄砲の稽古をすることは予測がついており、本堂での面会が叶わなくともここで待っていれば会うことができる、と踏んだためであった。その予想は正しく、織田信長が角的のある一角に入ると既に浅井新九郎は鉄砲の準備をして待っていた。雨森弥兵衛、赤尾清綱を従え、また遠藤直経、片桐直貞、宮部継潤も後方で待機していた。
織田信長はこれほどの面々を仕えさせていてその位に負けていない浅井新九郎はまだ若年であるとはいえ一廉の武将としての将来がある、と感じた。だが手に持っている鉄砲を撃たせぬのは癪であった。そこで言った。
「その方が浅井新九郎か。三十数える。角的二つ、撃ち抜いてみよ。一、二、……」
二つ、と言ったのは一発は既に弾込めが済んでいたとしてももう一発は自分で込める必要があるためであった。一発を撃ち、三十のうちにもう一発を込めて撃つ、しかも両方とも当てるのは難しい技ではあったが、それでも織田信長でもそのつもりであればできた。だが数え始めてすぐに浅井新九郎は弾込め、その最初の動作である火縄への点火を始めた。織田信長は内心失望したが、三十数えるうちは待とうと思った。
す、と浅井新九郎が使ったのは早合であった。十を数え終わる前に膝立ちにて一発目を撃ち、角的を射抜いた。更に火縄銃の中を襤褸でぬぐい、また早合を使い撃った。二十五を数える前に二つ目を撃ち抜いた。襤褸ですぐに拭い、二十六で数えるのをやめた織田信長を尻目に三発目の早合を込めて三発目を撃ち、立ててあった角的をすべて射抜いた。更に襤褸で拭って次を用意しようとした浅井新九郎を織田信長が止めた。
「もう良い。……ところでなぜ三発目を放った」
浅井新九郎の答えは明快であった。
「二発目を放っても三十は数えられておりませんでした。ならばまだすべきかと心得ましてございます」
「角的二つ撃ち抜け、と言われておってもか」
「三つ撃ち抜くな、とは言われておりませぬ故」
織田信長は、言われた以上をやろうとするこの浅井新九郎を大いに気に入ったようであった。そして言った。
「仕官を許す。が、前髪は要らぬだろう。犬、介添えをしてやれ。……ときに浅井新九郎、そなたの家の通字は何か。政か。ならば我が一文字をくれてやる。これからは浅井長政と名乗れ」




