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草太の立志伝  作者: 昨日の風
間章、尾張の覚醒
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百九十二、織田信長の覚醒

 織田弾正忠家の家督を巡る内訌、織田信長に対する織田信勝の反乱が始まった。織田信勝は謀略を以て那古野城を手中に収め、更に清須城に迫って家督を得ようとしたが稲生の地において柴田勝家隊が撃破され柴田勝家自身も捕らわれの身となった次第については既に述べた。



 萬松寺雑記にこうある。

「織田信長殿、柴田勝家殿の降を受け容れ、また那古野城に迫り候。亥の刻、火事あり。木下光秀の働き之有、林秀貞を捕らえるも平手政秀、切腹して果て候。木下光秀平手政秀の諫状を渡し、織田信長殿不行跡は影を潜め候」

 現在、尾張織田家と言えば織田弾正忠家であるが、織田信長による尾張の統一までは内紛に次ぐ内紛であったといえる。その中でも織田信長にとって清須城攻略、そして織田信勝との戦いの勝利は最初の大きな一歩であった。

 この時期に織田信長の覚醒を促したとされるのが、斎藤道三の美濃譲り状とこの平手政秀の諫状である。この後、織田信長は織田信長として覚醒するのであるが、平手政秀の諫状自体は残されていない。



 織田信長は稲生の合戦の直後、柴田勝家の降兵二百五十を加えた六百の兵を纏め上げると夜陰に乗じて那古野城へ兵を進めた。稲生の名塚砦から那古野城までわずかに半里、しかもその地形は織田信長たちが生まれ育った地であるため移動は容易であった。亥の刻の合図として何が起こるか、木下光秀も知らなかったため、当然木下秀満が知るはずもなかった。それでも織田信長は大体は予測がついていた。幼少の頃より住んでいた城でありどこが弱いかなど手に取るように分かっていた。大方、巽にある二の丸櫓が炎上し大手門が開く、東門は二の丸櫓の炎上に合わせて開かぬように細工する、という辺りであろうと辺りをつけていた。

 おそらくあの木下光秀が足軽八番隊の百五十と共に内応すると考えていたが、大手門にどれだけの手勢を配置できるか、或いは二の丸前の武者溜まり辺りに配置される可能性も十分に考えられた。



 一方、那古野城の林秀貞は、織田信長の付家老筆頭の座を捨てても織田家を盛り立てるべく織田信勝擁立に動いていたが、それは建前であった。林秀貞は織田信長という人間とそりが合わず、折り目正しい織田信勝と馬が合った、というだけの話であった。無論、野心もあるがそれは尾張一国、いや尾張下四郡の中での林家の地位を高めるというものでしかなく、天下など見えるわけもなかった。

 その林秀貞の説得に、尾張を越え美濃東海道、更には天下をさえ織田信長の器量の中に見出していた平手政秀が心動くはずもなかった。最終的に激しい罵り合いを演じ、一室に閉じ込めておけ、と自らの手勢の一人に命じたのは酉の上刻であった。だが林秀貞には休む暇はなかった。木下光秀という人物に対する説得が待っていた。広間に入り上座へ座り、下座に新規召し抱えの木下光秀という人物を見た。

 下座に座り平伏したままの木下光秀は微動だにせず、それは何人かが咳払いしても変わらなかった。緊張に固まっているのであろうと、仕方がなしに林秀貞が声をかけた。

「織田家臣、林秀貞である。織田家清須城足軽八番隊の組頭、木下光秀とはその方か」

 木下光秀はそれまで顔を上げなかったが、僅かに頭を上げ、左様でございます、と細い声で言った。これを緊張しているものと見た林秀貞は、緊張することはないと更に声をかけた。

「木下光秀、此度のことは織田家を左右する大事な戦いだ。そなたは新規召し抱えといったが、所領はどこだ。……もらっておらぬのか。それはいかぬ」

 木下光秀は内心で、この林秀貞を見下していた。説得するのであれば相手を十分に調べて、それからかかるべきものであるというのに、林秀貞は基本中の基本である所領でさえ把握していないようであった。

「稲生の地に百石与え士分としよう。当然騎乗も許そう。それでどうだ」

 どうせ裏切るつもりであったが、どこまで譲歩するか見てみたくなったのは木下光秀の悪い癖であったかもしれない。

「所領はほしくございます。ですが他にもほしいものがございます」

 何か、と林秀貞が尋ねたところ刀を所望した。無論木下光秀の刀は手入れの行き届いたものであったが、林秀貞の刀を見てみたくなったのであった。ならば佩刀を下さるということであり、村正の流れをくむ正重の作であるとのことであった。流石に抜くわけにはいかなかったが、受け取って驚いたのは鞘に返し角がついていることであった。つまりは刀の拵えだけを取ってみれば二世代近く前のものであった。このような人物が適任であるというのは、確かに今までと同じく変革を求めないのであれば良いのであろうが、その今まで通りを打破するという意味で織田信長という人物にかけた木下光秀にとっては全く適任ではないように思った。

 言質を取られぬようにして席を立った木下光秀であったが、林秀貞は説得に成功したと見たのであろう、木下光秀に言った。

「配下は大手門前に詰めさせよ。明日は清須城攻めであるからの」

 御意、と答えて兵の下に戻り、亥の刻を待った。

 控えの間で刀を抜こうとすると目釘が抜けかかっていた。木下光秀は、なんとも言えない気分になった。



 平手政秀は隠しから脇差を出した。隠しといっても、何のことはない板張りの一枚がはがれたために上から板を載せてあるだけであった。林秀貞の闖入ちんにゅう、そのただならぬ気配を感じて刀掛けから脇差を一振り投げ込んでおいたが、瞬く間に百の兵と共に拘束され自身も居室に軟禁されたのは確かな手際であったといってもよかった。もっとも林秀貞にとってもなじみのある城である、そのくらいのことができなくては織田家の家老など勤まるべくもなかった。

 その板を外して脇差を出し、刃を改めると部屋の中央に座った。おそらくは亥の刻、策が始まれば最後の手として林秀貞は平手政秀を人質とするであろうことは読めていた。そうなれば那古野城であろうと庄内川以東の領地であろうと、表面上酷薄であるがその実情に厚い織田信長が飲まないはずはなかった。おそらくはそうやって力の差を周囲に見せ、織田信勝の家督相続を認めさせる、というのが目的であろうと思われた。

 であれば、自害するべきである、というのが平手政秀の出した結論であった。

 部屋の中心で正座をし、刀身を抜きはらい懐紙を巻き付け、刀は左手に持って右手で前の合わせを寛がし、ひと撫で二撫でした後に刀を右手に持ち直し、亥の刻の鐘の音と同時に一気に腹に突き立てた。横一文字に割いた後、鳩尾につき込み斬り下げた。いわゆる十字腹であった。

「殿……」

 その目に映っていたのは、織田信長のどのような姿であっただろうか。



 亥の刻の鐘の合図とともに、信長の予測通り二の丸の櫓が火を噴き、大手門が開いた。東門の前には念のため丹羽長秀隊百が伏せてあったが、東門が開かないところを見ると開かぬように細工でもされていたのかもしれなかった。信長は陣頭指揮し、開いた直後にいた木下光秀隊を斬りつけることこそしなかったものの、勝手知ったる我が城である、一気に本丸へ向けて兵を走らせた。

 林秀貞は既に休んでいた。女を抱いたりはせず酒も飲まず、軍装すら解いていなかったのは林秀貞の緊張感の表れであったようだ。二の丸櫓に火が上がったのと同時に馬場の馬が騒ぎ出した。すわ、と枕元の太刀を取り大股に寝所を出ると不寝番が情勢を告げていた。

「織田信長自身での奇襲にございます。既に二の丸まで落ち本丸も時間の問題でございます」

 林秀貞は咄嗟に落ちる決断をした。

「平手政秀を呼べ。あれを人質に城を出、末森へ落ちる。着いて来い」

 だが不寝番を従えて部屋を開けると、既に平手政秀は十字腹で割腹して果てていた。林秀貞は舌打ちをした。これでは人質にはできなかった。仕方がないため人質は諦め、一条の血路を開いて落ちようと考え、一度広間へ出た。しかし入った瞬間に引き倒され刀が目の前に突き立った。

「正直に申せ。平手はどこだ」

 声の主は織田信長であり刀の主は前田利家であった。更に自分を押さえているのが柴田勝家であるのを知るともう諦めるしかなかった。

「奥で割腹して果ててございます」

 織田信長は鼻を一つ鳴らすと、柴田勝家に目で合図をして自身は奥へ向かった。執務をしていた書斎であろうと見当をつけて入ると、確かに平手政秀が十字腹を斬って果てていた。瞬間的に織田信長はかかわった人間すべてに対する殺意を爆発させそうになった。


 そこへ木下光秀が追いついてきた。

「殿、しばし。しばしお待ちを」

 癇癖といわれるほどの織田信長の怒り、それを一身に浴びながら木下光秀は書状を差し出した。平手政秀の諫状であった。広げるのももどかしいように、織田信長はそれを読んだ。


殿へ一筆啓上

 一、殿は屡々癇癖之有。一時の怒りに身を任せる不可べからず。人の上に立つものは寛恕を持つべき也。許しやすき者を許すのは容易なるもの也。許しがたきものを許してこその寛恕也

 一、諸事、事の成否向背に拘わらず損得を旨とすべし。かつてを知らずして事は成らぬ者なれど、かつてに縛らるるは無益な事也

 一、禍根を断つは容易なれども、禍根を断たんとして新たな禍根が生まるるは無益なるもの也。役に立たぬものを使うのも器量のうち也

 一、勝ちて後戦うべし。勝ちのない戦いは致す不可べからず

 一、諸事、大望を持ち民により大望のために戦うべし。私情による不可べからず

 一、天下を望む不可べからず。天下は天下の民の天下也。天下に望まれてこその天下也。


 二度、三度と読んで一筋の涙が流れた。木下光秀はそれを見ぬふりをして懐紙を差し出し、ひとしきり盛大に音を立てた後織田信長は心なしかさっぱりした顔になった。


 その後、諸将を広間に集めての軍議が行われた。織田信長が言った。

「林秀貞の処遇は後に回す。今はその一党と共に牢にでも入れておけ。それよりも北より清須城、稲生の名塚砦またはこの那古野城へ兵が押し寄せてくるという。善後策を」

 三か所に分散して勝てる相手ではないためどう戦うか、という問いであった。物見を厳に、と丹羽長秀は言ったが、平凡すぎると却下された。どうするか、というのは織田信長にとっては迎撃の地をどこにするかという相談であったが、木下光秀は少し瞑目して指を折り、一つ頷いていった。

「ここより末森城は一里半、攻めるべきです。彼らの名分は織田弾正忠家の家督争いであり、担ぐ神輿は織田信勝殿だけでございますゆえ。清須など落ちても、後から取り返せばよろしかろうと存じます」

 囲魏救趙いぎきゅうちょうの策であった。つまりは、まずは内訌の元凶である織田信勝を除く、これが最大の問題であった。

 更にこの策には追い風があった。末森の侍大将は柴田勝家、林通具の二人であったが、柴田勝家は既に織田信長に乗り換えることを表明しており、林通具は合戦の後行方が分からなかった。兵も柴田勝家の言では末森城には常備兵は百も残っておらず、またこちらの勝利を信じているために士気も緩み切っているとの事であった。


 織田信長は末森攻めを決意した。兵は那古野城の城兵と足軽八番隊の兵を加えて八百であり、念のために那古野城に丹羽長秀隊二百を残した残りに丑の刻であるというのに出陣を命じた。払暁には攻撃をできる、という体制を取るつもりであった。

 さらに木下光秀は小さな策を献策して許可された。織田信長の命を受けた兵が北へ向かって走った。

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