百九十一、稲生の戦い
織田信長が清須城を攻め落とした次第については既に述べた。
尾張下四郡の支配は織田弾正家のものと定まったが、織田弾正家は未だに内訌の危機が去っていなかった。それは織田信勝の存在のためであった。
尾張一代記にこうある。
「織田信勝、岩倉織田家と計りて稲生を横領せんと兵を出すも、織田信長大いにこれを破り、(略)織田弾正家の内訌はしばらく止み候」
織田信長の家督相続はあまり円滑に行ったとはいえず、最後まで家督争いを繰り広げていたのが弟である織田信勝である。清州織田家、岩倉織田家をはじめとする織田弾正家の親族一同から、織田信長の付家老の筆頭であった林秀貞さえも織田信勝を支持していた辺り、織田信長の家督相続は危ういものであったといえる。清州城攻略後にも林秀貞は名を連ねておらず、居城であった那古野城は平手政秀に預けられ、林秀貞は織田信長の付家老筆頭でありながら織田信勝の下に伺候していたとされる。
この状況を大きく覆した、少なくともそのきっかけとなったのが稲生の戦いである。
木下光秀は織田信長が清須城を占拠した後も引き続き足軽八番隊を率いる組頭であった。人数が百五十名に増えていたのは、先の戦で七番隊の組頭が負傷したためであった。その五十名を木下光秀は弟である木下秀満に宰領させて側面からの攻撃に充てようと考え、その動きの訓練をさせていた。
「足並みを乱すな。二十歩進め、突け、十歩引け……」
訓練の声を聞きながら木下光秀は木下秀満に尋ねた。
「どうだ、村の方は。なんとか軌道に乗りそうか」
村のことを半ば任されている木下秀満は言った。
「この前の合戦のはぎ取りで多少儲けたが、難しいところだな。今年の収穫が良ければ楽にはなる。だがそれだけだろう。大体、兄者も分かっているだろう」
実の兄弟ではないが、このころから木下秀満は木下光秀を兄者と呼ぶことが多くなっていた。その木下秀満のいわんとすることは木下光秀にも明らかであった。
「……豊かな実りが容易に得られるならば、既に村ができているはず、か。確かにその通りだな。だが実り自体は良いはずだぞ。そうでもなければ、帰蝶様の化粧料とされるわけもあるまい」
問題は合戦で荒れており、更に今後も合戦で荒れ続けるという点であったが、それを口には出さずに言った。
「水害や戦さえなければ、今年の実りは悪くはあるまいよ」
木下光秀は務めて明るい声で言った。
だが木下光秀は織田信長の治める清須城に出仕している身であった。そのため、様々な噂を聞くともなく聞いていた。どうにもきな臭い匂いのする噂の数々に、木下光秀は情報を集める必要を感じていた。
ある夜、村に戻った木下光秀は木下秀満に数名の目端の利くものを集めさせた。集められたのは明智の庄からの重臣である明智光忠、溝尾茂朝、藤田行政の三名であった。木下光秀は言った。
「このところどうにもきな臭い。織田家の家督を巡る争い、暗闘に終わるとは思えぬし武力を使っての争いの兆しもないわけでもない。三人に集まってもらったのは、それぞれに敵の内情を探ってもらうためだ」
はは、と平伏した三名であったが、そのうち溝尾茂朝が尋ねた。
「して、どの勢力を探れと仰せでございますか」
「まず織田信勝殿のいる末森城、これは溝尾茂朝に任せる。次に岩倉城、ここには岩倉織田家の他、清須織田家の残党も入っているはずだ。明智光忠、お前に任せる。特に軍備について探れ。流れ者を多く雇い入れているようであれば潜り込め。最後に藤田行政、お主には少し難しい役割を与える。林秀貞殿の身辺を探れ」
三人は木下光秀の下知に反論もせず質問もしなかった。木下光秀という人物を信頼しているためであった。更に木下光秀は言った。
「先の戦での武具、抜かりなく集めておろうな」
木下秀満は当然のごとく集めております、と言った。
「ただ質が良くない。またほかの村の衆との取り分もありますゆえ、さほどにはなりませんでした」
いかほどか、と木下光秀が問えば、使える物は五十人分もなく、鍛冶師の五平が直せば使える槍や脇差、胴丸まで合わせれば百に届くか、という辺りであった。
「兄上、知行地ではないため出陣はないはずではありませんか」
木下秀満の問いに、木下光秀はだからこそだと言った。
「だからこそ、戦に備えておけ。予測ではここが合戦場になる」
そして、時は流れて天文二十四年水無月二十九日(1555年7月17日)となった。
この日は訓練の一環として木下光秀が行軍で一里半の移動と模擬戦闘、その中継地点として清須城より那古野城に入っていた。模擬戦闘が終われば日没までにまた清須城に戻る、そういう予定であったが、木下光秀は心に予感があった。それはこの日、林秀貞が手勢を率いて那古野城へ入る、とされていたことであった。
武将たるもの単身で移動するのは極めて珍しいことであり、林秀貞の地位であれば五十や百の手勢を率いること自体は不思議でも何でもなかった。だが木下光秀は先日より岩倉城での流れ者の新規雇が終わったこと、末森城の戦支度を合わせて考えると、何らかの行動に出るのではと考えていた。
木下光秀が兵の調練をし城内で休ませていると急に慌ただしく林秀貞の手勢が動き出した。木下光秀は予測通りのことが起きたと感じ、まずは兵に城門の確保をさせた。当然、閉じさせた。林秀貞の行動はこの那古野城の確保であり、援軍が来るまで持ちこたえることであろうと考えられた。城門を閉めようというのは林秀貞の手勢とも一致した動きであり、特に混乱もなく城門封鎖は木下光秀隊の手によってなされた。林秀貞の手勢はこの他に四方の櫓に人を配したようであった。
城の広間に呼ばれた木下光秀は、織田信長の付家老、それも一番家老にも拘わらず織田信勝擁立に走る林秀貞を、木下光秀はかなり冷ややかな目で見ていた。
「城門封鎖、ご苦労であった。お主、このまま織田家に仕えんか」
「その質問に答える前にお教えください。城代、平手様はいかがなさいましたか」
木下光秀の知りたいことは、平手政秀の安否であった。生きているのであれば、策を巡らせて助け出さなければならない、そうでなければ織田信長という器に入る中身が少なくなりすぎるためであった。林秀貞が平手政秀を生かしているかどうかは、木下光秀の見立てでは五分五分であった。一般に考えられているほど織田信長という人物は情に薄くはない。幼い頃よりの傳役を見殺しにできるほど織田信長は情が薄くないのである。むしろ、平手政秀と交換と称して那古野城支配を譲りさえするかもしれなかった。
「平手殿か。奥に押し込めてあるわ。味方となってくれればよし、そうでなくとも人質としても使える故、な」
木下光秀は咄嗟に頭を巡らせた。
「ならば説得に某も当たらせていただけませんか」
林秀貞は一瞬考えたが、自らの手の者だけではなく織田信長直属の被官からの説得もあればよいと考えたのであろう、この申し出を了承した。
奥の一間に平手政秀は正座し瞑目していた。そこへ板戸を開けて木下光秀が入った。
「そなたは、……日が浅いゆえ、そういうことか」
片目を薄く開けて木下光秀を認めると、平手政秀はそう言ってまた目を閉じた。木下光秀は小声で言った。
「某は寝返っておりません。ここに来たのは平手様を逃がすためにございます」
それは重畳、と言った平手政秀であったが、表情は険しくなった。
「儂がこの城を逃げ落ちれば、この那古野城は信勝様の手に落ちる。それはまずかろう。ここで儂が死んでも、その直後に奪回できれば那古野城の支配権は変わらぬ。そういうわけだからな。そう簡単に逃げるわけには行かぬ。落ちるとなればそれは那古野城の奪回の直前でなければな。……それよりも、だ。これを」
平手政秀は手文庫を引き寄せ、中の書状を出して底板を外した。二重底になっていた。
「手文庫の中身は改められたが、この二重底には気が付かなんだようだ。……そなたにこの書状を託す。殿に、信長様に必ずお渡しせよ」
はは、と頭を下げたが、一つ無心をした。
「そこにあるどうでもよい書状、それを一ついただけますか」
平手政秀もどう使うのか気が付いたのであろう、一つの書状を選んだ。そしてどうも無腰では腰が落ち着かぬ、と言いながら平手政秀は笑って言った。
「今宵亥の刻に騒ぎが起こる。それに乗じてそなたらも騒ぎを起こし城から出よ」
木下光秀が戻らない事情は、先の平手政秀の書状と共に既に木下秀満に託して清須城の織田信長の下に届けられていた。流石に織田信長は機を見るに敏であった。書状が届いた未の下刻から即座に兵を集め、五百の兵を纏めると城を出て申の刻には名塚砦に入った。名塚砦に入った織田信長に木下秀満が言った。
「上様、わが村の者五十を兵として陣に加えてよろしいでしょうか」
構わぬ、そなたの手の者として使え、と織田信長は言い、それよりも諸方の情勢について物見を命じた。物見を出すまでもなく、兵の集め方から木下秀満が言った。
「岩倉城から織田信友、織田信賢率いる千二百、末森城からは柴田勝家殿率いる五百の合計千七百がこちらに向かっているものと思われます。この他、那古野城には林秀貞の手勢を合わせて五百が詰めておりますが、そのうち百五十までが兄木下光秀の足軽組八番隊にございます」
それは確かか、と言ったのは前田利家であった。内通の者を潜ませておりましたゆえ確かでございます、というと織田信長は言った。
「さすがは木下光秀、見事である。問題は那古野城にある。亥の刻にひと騒ぎあるそうだから、それまではそちらはひとまず置く。岩倉城、末森城からの兵はいまどのあたりにいる」
流石に木下秀満は物見を出していた。
「岩倉城の軍勢は出陣に手間取り城下からさほど離れていない模様。末森城の軍勢は既に矢田川沿いに進軍し、現在位置は長母寺付近の模様」
「その報告はいつのものだ」
織田信長の質問が飛んだ。
「半刻ばかり前にございます」
「ならば打って出る。日没と同時に奇襲をかけてくれるわ」
日没となった。
柴田勝家は既に織田家にその人ありと伝えられるほどの猛将であり、織田信長の方が織田家にとって良いと考える一人であった。しかし彼は義の人であった。そのため、織田信勝の傳役であり付家老であるという立場を離れることができなかった。
「分かっては、いるのだがな」
柴田勝家は内訌など益体もないことをしていないで、織田信勝が織田信長の配下として、一門衆としての地位を確立する方が良いと考えていた。挙兵した以上今更か、とは思っていた。それにしても忌々しいのは織田信友、織田信賢の二人であった。この二人が持ち上げたためにこの益体もない内訌をしなければならなかったためであった。
手筈としては夜のうちに庄内川を渡って稲生の北で合流することとなっていた。最近になって流人が入り新しい村を作っていると聞いていたため、その者たちには気の毒なことだと考えながら日没の残照の中渡河を命じた。
渡河は、最も気を遣う時間であった。奇襲をかけるのであればこの時を置いてなく、それ故に柴田勝家も名塚砦をはじめ、特に庄内川を渡った西岸に敵が潜んでいないかを調べさせた。村人は合戦が起こるとは考えていないようで、開墾に精を出していた。ほんの少しの違和感があったが、軍が行軍するのはほとんど毎日のことであるため村人も特に気にも留めないものかと考えた。もう日没であるというのにまだ精を出す村人を憐れんでさえいた。
五百の兵のうち半ばが渡河し、或いは渡河のために川に入った時、村の庄屋の屋敷からであろう、太鼓の音がして村人たちの動きが変わった。柴田勝家は作業の終わりを告げる太鼓か、と考えたが異なっていた。一列に並んで槍を取り出し、そのまま突撃をかけてきた。その数は僅か五十程度であったが、奇襲を受けた兵はもろく、柴田勝家自身が槍を振るわざるを得なかった。
そうこうするうちにどこに隠れていたのか前田利家率いる足軽隊が突入を開始した。
「鬼と呼ばれた柴田勝家、いざ尋常に勝負だ」
前田利家は大音声に柴田勝家を呼びながら槍をつけた。柴田勝家は、この戦は負けだとは思いながらも、これで死ぬわけには行かなかった。また前田利家を倒すのに手間取れば、戦場からの脱出ができなくなると思われた。こういう時に即座に逃げるという判断ができるあたり、柴田勝家は名将であった。
「全軍、撤退せよ。……犬、悪いが勝負はまただ」
即座に柴田勝家は馬上の人となり、馬を飛ばして一町下がって配下の集結を待った。だが織田信長が集結を許すはずもなく、織田信長自身が兵百を率いて突入し、柴田勝家は降伏した。
また対岸では接近しているのが丹羽長秀隊であるのを発見したのであろう、慌ただしく戦闘準備が始められていた。が、充分に準備された待ち伏せであり、まずは鉄砲隊二百の洗礼を受けて浮足立ったところに二百五十の足軽隊の突撃を受けて、渡河直後の部隊はほとんど組織的な戦いらしい戦いもできずに壊滅した。可能な限り捕虜としたのは別に織田信長や丹羽長秀のの温情ではなく、単にこの後自軍に組み込むためであった。
大部分が流れ者を雇っているだけの足軽であるからこそ、勝敗がはっきりしているならば報酬をちらつかせれば簡単に靡くのは、同じ尾張の事情を知り抜いている織田信長には分かっていた。




