表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
193/291

百八十八、論功行賞

 姉小路家の上洛から生起した京防衛戦は大量の血を要求して終了し、その死者を弔うための大法会が姉小路家の主導で行われた次第については既に述べた。その大法会には比叡山延暦寺、大和興福寺、高野山金剛峯寺をはじめとした当時の中央の宗教勢力の巨頭が参加し、また一向宗加賀派も存在感を示した。これにより浄土真宗の本流としての地位を、ある意味では一向宗加賀派が得たといってもよかった。参加した寺社には相国寺南禅寺、

 要請があっても参加しなかったのは日蓮宗と石山本願寺のみであった。



 姉小路家日誌天文二十四年文月二十六日(1555年8月14日)の項にこうある。

「将軍足利義輝公、姉小路房綱公を召し山崎、丹波、填島の戦いにおける姉小路家の働きを賞し候」

 この後に下賜されたものの目録が続くが、それは割愛する。この目録の中には太刀一振りとあるが、足利将軍家の記録によれば大典太光世とされる。しかし姉小路家の記録にはこの名はなく単に太刀一振りとあるのみである。姉小路家の宝物にも大典太光世の名はないことから、何らかの事情があったのかもしれない。因みにこの大典太光世が再び「発見」されるのは明治維新後のことであり、奈良のとある寺の宝物庫の片隅にひっそりと収められていたそうである。寺の記録では享保年間に寄進されたということになっているが、この当時の寄進はいわゆる寺社による貸付金のカタであることが圧倒的に多いことから、由来はそのあたりであろうといわれている。

 目録の他、三好家の領土にあたる丹波、讃岐、摂津、阿波、淡路の守護を姉小路家に与えられた。細川家は既に三好家による下克上のためこれらの地域の支配権を失っており自力で切り取る必要があるものの、これらの地域への進出の名文を手に入れたのはかなり大きなことであった。



 京の平和を守った足利将軍家と姉小路家であったが、難題を抱えていた。

 懸案事項は複数あったが、その根本はたった一つ、これからの足利将軍家による山城国の支配体制の確立という問題であった。事実として言えば、足利将軍家は姉小路家の後援を受けて成立していると言っても過言ではない。だが足利将軍家の威信を考えた場合には、事実がどうであれ少なくとも形式的には足利将軍家が上位にいるべきであった。その上で三好家をはじめとする反姉小路家勢力と対峙することが求められていたのだから、姉小路家や足利将軍家が単独でどうにかできる問題ではなく、協調することが必要であった。

 政治的な問題として言えば、大法会を姉小路家の主導で行ったことが問題であった。

 足利将軍家にとっては大法会自体を行うことは、足利将軍家は臨済宗に深く帰依しているため、多宗派を統合しての大法会を行うことは難しかった。足利将軍家が今後も臨済宗との仲を良好に保つために大法会を姉小路家の主導で行うべきであるという考えは将軍足利義輝と草太との一致した考え方であった。問題は、結果として姉小路家の擁立した足利将軍家という図式が内外に定着してしまい、足利将軍家ではなく姉小路家が主であるかのように京の民に思われたことであった。これは今後の足利将軍家の山城支配にとってかなりの負担となると見込まれた。


 こうした中、天文二十四年文月二十一日(1555年8月9日)、草太は仮御所の置かれた本圀寺に伺候していた。

 草太は謁見の間として使われている広間に通された。供回りは平助、弥次郎兵衛の二人であった。広間では将軍足利義輝の他、細川藤孝、池田隼人が座を占めていたが他は空席であり、人払いもしてあるもののようであった。

「上様にはご機嫌宜しく」

 うむ、と将軍足利義輝は返して本題に入った。

「さて此度の働き、まことに見事であった。……などと型式張るのはやめにしよう。この席には知られて困る相手もおらぬ故にな」

 将軍足利義輝はここで言葉を切り、少し考えて言った。

「上洛、三好家の乱入を防ぎ、その後の大法会で民心を鎮める。いずれも我ではできぬことだ。否、足利将軍家では力が足らぬ。大法会は余計な波風を考えれば思いついても実行できぬ。姉小路房綱、全てはそなたのおかげじゃ。改めて礼を申す」

 こういって頭を下げようとした将軍足利義輝を、草太は止めながら言った。

「そんな、もったいないお言葉にございます。我らは我らの思うがまま、信ずるがまま行動したまでのことにございますれば」

「だがな、礼は言っておかねばならぬのだ。そうせねば、我の気が収まらぬのだ」

 そう言って将軍足利義輝は細川藤孝に合図をした。細川藤孝は一つ頷いて話を始めた。

「それで話は今後のことだ。……姉小路家として足利将軍家は、上に戴くべき存在か、それとも保護すべき存在か、忌憚のないところを聞きたい」

 返答次第では足利幕府そのものの存立が危ぶまれる、そういう意味の問いかけであった。将軍足利義輝は太刀を膝に引き寄せ、細川藤孝は手元の鉄扇を握りながら答えを待った。返答次第では刃傷沙汰にも及ぶべき、と考えていたためであった。池田隼人は大音声に配下に合図を出す役回りであり、更に草太、平助の脇差を体で止める役を負っていた。そのため見えぬように鎖帷子を着ていたが、それでも草太や平助がそのつもりで斬れば鎖帷子のない頭や首、手足を斬るのは容易であったため、気休めでしかなかった。

 そうした気配を感じた草太であり平助であった。佩刀は玄関で預けているため脇差を差しただけであったが、平助は脇差の鯉口に手を添えていた。草太はそれを目で抑え、自身も脇差からは手を大きく離して言った。

「上様、ご安心召されませ。足利将軍家を下に見る、などと考えたことは一度もございませぬ。上下の定かならぬ世の中でございますから、せめて我らだけでも上下を定かにすべきでございます。姉小路家が足利将軍家を凌ぐ力を持っているのは移り行く世の仮初かりそめの姿でございます」

「幕府に盾突く気はない、そう確約してくれるか」

 将軍足利義輝は念を押すように言ったが、草太は返した。

「幕府という存在が民にとって、或いは姉小路家にとって悪しきものにならない限りは、姉小路家は足利将軍家に盾突こうとは致しません。……姉小路家が欲するのは、天下の支配ではなく戦のない世でございます」

 この言葉を聞いた将軍足利義輝から緊張が解けていく気配がした。


「それはそれとして、この後の妙案はございますか」

 弥次郎兵衛は一触即発の窮地を脱したとみて務めて明るい声を出した。その明るい声に救われたような顔になった細川藤孝は言った。

「こうした上下関係を内外に明らかにする、その方法はたった一つでございますな」

 そう言った細川藤孝が将軍足利義輝に目線を走らせると、将軍足利義輝は一つ頷いた。それを確認してから細川藤孝は続けた。

「昔から、御恩と奉公、という形で上位の者が下位の者に封土を与え下位の者は上位の者の意を汲んで活動する。これが一般的な形でございます。なので姉小路家に対する封土を与え、それに対する奉公という形をとらせるのが、おそらくは最も良いかと。幕府の要職は、おそらくは姉小路家にとっては邪魔にしかなりますまい」

 弥次郎兵衛は、つまりは現在の姉小路領の追認であろうと考えた。これであれば幕府の懐は痛まず角も立たず、良い策のように思われた。だが細川藤孝の提示したのは別の地であった。

「細川家が持っていた、既に失った五ヵ国、丹波、讃岐、摂津、阿波、淡路。これらはすべて三好家に簒奪されたものにございますれば、その守護を姉小路家に命じる形ではいかがでございましょう」

 これには草太も驚いた。これらを失えば細川家にはほとんど領土が残らないことになるためであった。そのことを言うと細川藤孝は寂しげに言った。

「既にすべて我らの支配下になく、取り戻すあてもございません。本家の当主である細川晴元も納得している話でございます。……見返りでございますか。管領職への復職にございます」



「もう一つの懸案事項もこの際に片づけておこう」

 領国についての話がひと段落したところで将軍足利義輝は手を叩いた。入ってきたのは興仙、多門院英俊、顕誓、妙心寺快川であった。最も上座には比叡山延暦寺の応胤法親王の代理であるためであろう興仙が座った。その次の座には先日の大法会で初めて会った顔である妙心寺快川が座った。足利将軍家にとって臨済宗を特に保護してきた経緯があるために他ならなかった。

「もう一つの懸案事項とはほかでもない、これからの京内外の宗教勢力についてだ。京を留守にしている間に姉小路家が比叡山延暦寺の僧兵の力で京の治安を維持していたことは聞き及んでおる。その功績も高く評価するところではあるが、それによって他の宗派を圧迫するわけにもいくまい。無用の軋轢は避けるべく、集まってもらった次第だ」

 ここで将軍足利義輝は一息を入れたが、草太はちらりと先日の日便のことを思い出した。

「ここには来ていないが高野山金剛峯寺からは、真言宗の信仰において従来通りでさえあれば他のことはこの集まりの決定に従うとの一札が入っておる。問題は石山本願寺と法華の二つだ。この二つに対してどう扱うか、これがこの集まりで決めるべきことだ。姉小路房綱、そなたのところにも日便が行っただろう」

 はい、と草太が答えると将軍足利義輝は言った。

「あれはここにも来た。ここにも、というよりも、何代も前からことある度に来ている。宗門争いなる論争をして勝ったら自分たちの宗派が優れているとして保護せよ、他の宗派を排斥せよというばかりだ。あまりに煩いので追い返したが。……時にそちらはどう断ったのだ」

 草太は簡潔に言った。

「口喧嘩で勝っても民を善導するには何の役にも立たぬ、と」

 将軍足利義輝は笑って、そして言った。

「あの者たちは、自分たちの宗派以外の者は虫か何かだと見下して居る。だから素直に従わぬとあれば途端に不機嫌になり喧嘩腰になる。折伏しゃくぶく、とかいったか、布教、説得というよりも押し売りだな」

 そういって真顔になった将軍足利義輝は、恐ろしいことを言った。

「石山本願寺の一向宗は顕誓殿の加賀派に任せるとして、法華はどうしようもない。禁教にしようと思うが、どう思うか」

 これに賛成したのは、興仙であった。比叡山延暦寺と日蓮宗の確執を知っている以上、そう言わなければならないのは草太にも分かった。だが興仙自身はさして乗り気ではないようであった。弥次郎兵衛が水を向けると興仙は言った。

「禁教、のう。やるのは反対ではないしお山は賛成だろうから賛成するが、個人としては益体もないことだと思う。禁じられれば固く信じる者が隠れて信じるようになるだけでな。割に合わぬのだよ」

 草太も禁教には反対であったがその理由は別であった。特に他に迷惑をかけない限りは信ずるものを禁ずるべきではない、という理由であった。

 そんな中、顕誓が言った。

「我らも反対ですな。何よりも、ご政道のことで宗教の世界に踏み込んでくるつもりであれば、我らは宗教の世界で戦うのみでございます。我らが戦の真似事などして侍の世界に入ろうとすれば反対されましょう。それと同じことでございます」

 結局、結論としては一向宗は一向宗加賀派が引き取り、日蓮宗は他人に迷惑をかけるような行為を厳しく取り締まる、ということで決した。この内容は即座に書状とされ、高野山金剛峯寺と一乗寺の日便の下に届けられ、更に日蓮宗については高札として京の辻に掲げられることとなった。



 調整のための話も行い僧侶たちが退出した後、退出しようとした草太に対して将軍足利義輝は脇の太刀を取った。自らの佩刀とは別の太刀であった。平助が反射的に脇差に手をやったが将軍足利義輝は無造作に太刀を鞘ごと投げて寄越した。乱暴な渡し方であった。

「領国は政治向きの思惑もある、だがそれは儂個人からの褒美だ。そんなものしか渡せぬがな。……大典太光世だ。抜いてみよ」

 大典太光世。足利将軍家に伝わる名刀の一振りであり天下五剣のうちに数えられる刀であった。すらりと抜くと、なるほど名刀には違いない、細やかなにえの沸き立つような太刀であったが、どうも妙であった。草太は確かにさほどに目利きではなかったが、その草太の目からしても天下五剣といわれるほどの物とは思えなかった。怪訝そうな顔をした草太に対して、将軍足利義輝はにやりと笑って言った。

「やはり、分かるか。偽物だ。それ一振りだけではない。足利将軍家の宝物庫、そのほとんど全てがすり替えられている。管理していたのは、会ったことがあるだろうが伊勢貞孝、あの男だ。そういう油断のならぬ男、それが伊勢貞孝だと知らせるのが礼だ。……本物の大典太光世は行方不明だ。今、八方手を尽くして探させておるがな。発見したら、改めて贈らせてもらおう」



 五日後、幕府の重臣の居並ぶ中で草太は栄誉を与えられた。その重臣の中には三好長慶が御供衆として名を連ね、この時は名代を立てており、姉小路家が三好家の領土に対する守護の位を与えられたということは三好家と足利将軍家、姉小路家の対立を鮮明にするものでもあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ