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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百八十五、填島城の戦い

 渡辺前綱は三好家の軍勢の動きが鈍いのを見て強襲し、三好康長の率いる三好家の軍勢を壊滅させた。だが三好家の軍勢の第二陣は隊を分けており、三好実休率いる兵九千が巨椋池の南を通り填島城を確保した安見宗房隊と合流した。この次第については既に述べた。

 三好実休隊と安見宗房隊合わせて一万七千が、填島城から北上して山科へ、そして京へとなだれ込もうとしていた。



 姉小路家日誌天文二十四年文月十一日(1555年7月31日)の項にこうある。

「平野右衛門尉、騎馬隊を率いて三好実休、安見宗房を破り候。足利将軍家の越前兵も大いに働き候」

 姉小路家日誌に足利将軍家の兵が登場することは、あまり例が多いわけではない。この京の防衛を巡る一連の戦いは、そのうちの一つとして数えられる。ただ、不可思議なことにこの足利将軍家の兵を率いた武将が誰かは判然としない。この時に京にいた足利将軍家の有力な武将には細川藤孝らがいるが、細川藤孝は京で歌会に参加していることが判明しており、更に池田隼人は宇治橋の付近に陣を張ったまま本陣には戻っていない。一説には真柄直隆といわれているが、この戦の後の論功行賞でも特に賞されていないため可能性は低い。

 多くの場合には平野右衛門尉が騎馬隊と共に率いた、或いは青地茂綱が一鍬衆と共に率いたとするのが一般的である。この場合には足利将軍家が姉小路家の将に兵を預けたことになる。姉小路家と足利将軍家の関係の深さを示すものとして扱われるが、直接的にこれらを示す資料はない。




 草太の下に填島城陥落の報が届けられたのは、未の下刻のことであった。落城したのは遅くとも卯の刻であったため、半日近い時がかかっていた。なぜここまで時間がかかったのかという点については、草太は追及しないことにした。おそらくは姉小路家と足利将軍家との連携不足が原因であり、それ以上に追及したとしても大した益はなさそうなためであった。

 日暮れの近い双林寺の一室で、草太は物見の報告を待った。申の下刻、果たしてそれはもたらされた。

「報告します、填島城付近では一向一揆が略奪を行い、周辺の民悉くその被害にあいましてございます。川を挟んで宇治川沿いに池田隼人殿が越前兵千を擁し、一向一揆の被害を防がせています故、宇治川以東は比較的被害はないものの手が足りず被害が出ている模様にございます。安見宗房隊八千は填島城跡に足を止めている模様。……跡とは、填島城自体が一向一揆の略奪対象であったためか、既に城の態をなしておりませぬ。塀はほとんど残らず崩れ、建物櫓の類もほとんど焼け落ち崩されております。最早城としての戦闘能力はないかと」

 流石の姉小路家の物見ではあるが、この時点では三好実休隊の接近を把握してはいなかった。


 この時、既に双林寺の兵は大部分が出払っており残っていたのは一鍬衆五百と騎馬隊三千だけであった。田中弥左衛門隊からは既に戦後処理の局面に入っているとの報が入っていたが、その兵が戻るのには時間がかかった。この他に填島城方面に動かすことができる兵は大善寺の青地茂綱隊千のみであり、一鍬衆千五百、騎馬隊三千の合計四千五百が姉小路家の動かすことができる兵の全てであった。草太は戦い方次第で何とかなる、と思うことにして命を発した。

「誰ぞある、全軍に出陣を指示せよ。青地茂綱に合流次第出撃できるよう準備できるよう使いを。平野右衛門尉、騎馬隊二千を率いて先行し大善寺へ入れ」

 は、と平野右衛門尉が出ていき使い番が走ったのを、不安な顔で見ていたのは弥次郎兵衛と平助であった。不安は戦についての不安ではなく、草太自身にあった。弥次郎兵衛はそっと人払いをさせ、付近に人がいなくなったのを見て言った。

「旦那。何を焦ってます。敵が目前に迫っているわけでもなければ城が落ちそうなわけでもない。落ちたのは半日も前で、安見宗房隊は動きがない。焦る必要なんてない。なのに何を焦ってます。今までであれば軍議を行いその上で出陣を決めたことでございましょう。このような慌てた形での出陣など、かつてないことにございます」

 草太は言われて、何を、と反論した。だが平助に返された。

「草太。……弥次郎兵衛、御屋形様は、焦る、のではなく、怖いのではないか。あの一件もあったからな。御屋形様、何を案じておられます。剣の試合であれば、相手の出先が分からぬから考えもなしにただ撃ちかかるのに似ております剣の道でも、剣を怖いと思い、それを乗り越えてこその強さがございます。怖いと思うことは恥ではございませぬ。それを苦し紛れに乗り越えるのは恥でございます。落ち着いて飲み込んで乗り越えることができれば、それは恥ではございませぬ」

 こういわれれば、草太も悟るところがあった。考えもなしに兵を出してもさして良い結果は出ないというのは確かにそうであった。草太は確かに怖かった。戦をなくするために戦をするという志は立てた。だが人を斬って、戦そのものが怖かった。また人を斬るかもしれない戦という場が怖かった。剣の試合であれば感じない怖さがあった。

「済まぬな。自分では分からなかった。いや、分かっていたが認められなかったのだろう」

 こういう素直な面を見て弥次郎兵衛は、草太がまだ草太であるという認識を新たにした。

「とはいえどうします、旦那。八千の敵兵に四千五百で一戦、は問題ないにしてもさ、周辺に民と見分けのつかない一向宗が多数いるとあれば、……全部で何人くらいの敵兵がいるかさえ明らかではなく、安見宗房隊以外は民と見分けがつきません。対策が必要でございます」

 平助が一言が窘めたため途中から口調が改まったが、草太は特に気にせずに言った。

「何、一向一揆であれども民は民、炊き出しの一つも行い従うのであれば特に気にすることもなかろう。それでも手に武器を持って向かってくるのであれば仕方がなかろう。となれば手が足りぬな。近在の民に声をかけよ」

 草太が言うと、弥次郎兵衛が一つの提案をした。

「上様の、足利将軍家の兵を借りるというのはいかがですか。今後の山城は足利将軍家が治める地、その足利将軍家が炊き出しをすれば、今後の展開にもよい影響が出ましょう」

 草太はこの言を容れ、即座に弥次郎兵衛を使いに出すと共に、自身も兵を率いて双林寺を出陣、山科回りにて大善寺へ向かった。山科回りであれば本圀寺の足利将軍家の兵との合流にも便が良かったためであった。


 弥次郎兵衛は首尾よく本圀寺にいた細川藤孝に会い、兵を借り出すことに成功した。細川藤孝は山城の雑兵の弱さを見抜いていたが、それでも人足程度には使えると考えて言った。

「ならば越前兵の残り三千を出そう。またこの本圀寺より兵糧を出す故、その護衛として、山城の兵を千付ける。……何、運ぶ程度であればこなすことができよう」

 越前兵は山科で草太率いる本隊に合流し、山城の雑兵による兵糧の運搬は弥次郎兵衛が宰領とされた。



 草太率いる本隊が大善寺に入ったのは、既に日も落ちた戌の上刻であった。大善寺には既に平野右衛門尉隊も到着しており、元々いた青地茂綱隊と合わせて一鍬衆千五百、騎馬隊三千、これに足利将軍家の越前兵三千を合わせて七千五百の兵とした。付近の池田隼人隊千も合流を目指して行動中ということであり、これも合わせれば八千五百という兵となった。

 だが物見の報告では、敵は増えていた。

「三好実休隊九千が到着している、とな」

 大善寺の本堂を借りての軍議を行っていたところへ物見の報告を持ってきた馬回りのものに平野右衛門尉が言った。

「雨中のことであり視界がきかぬこともあったのでしょう、発見が遅れたのも無理のないことかと」

 青地茂綱が宥めるように言ったが、平野右衛門尉は特に怒っているわけでもなかった。ただまとまった数としての敵兵が最低でも二倍の数を擁し一里の地に陣を張っているというのは、座視すべき問題ではなかった。その上に鉄砲隊がおらず、呼ぶことができたとしても雨のため威力を発することは難しいため、戦は接近しての肉薄攻撃にならざるを得ず、被害が大きくなりがちであった。敵兵の数からすれば勝利できたとしても被害が大きくなりすぎる可能性があった。

 こうした諸々のことが頭の中を駆け巡りつい声を荒げたが、そうした平野右衛門尉を見て草太の頭はかえって冷静になっていった。


「報告します、池田隼人殿、着陣しました」

 ほとんど話が進まぬうちに池田隼人が越前兵を率いて到着し、状況を説明した。話が石川長高の討死に至ると、菊池武勝が不思議そうに言った。

「あの石川長高殿が討死覚悟の突撃とは、一向宗はそれほどまでに強かったのでございますか」

「一向宗は確かに弱かった。だが僧兵団がいた。この僧兵団とは橋の袂で交戦したが、向こうが退かねばこちらの全滅もあり得た位、強い。だが、その僧兵団は既に退いていったようだ」

 何となしにだが草太は、三好家と協力体制にあるとされる一向宗の仲は、実はあまりよくないという可能性を感じていた。それはそれとして目の前の戦であった。

「その後、一向一揆は小舟で宇治川をそこかしこで渡り、それを放置するわけにもいかずに宇治橋の袂は放棄して転戦しながら退却してきた、というのが大まかな流れでございます」

 と簡潔に報告を上げた池田隼人に、流石に相手は幕臣であり草太の直属の部下ではないため、ご苦労と一言で済ますわけには行かなかった。ねぎらいの言葉を重ねつつ、残りの兵について問うと池田隼人は言った。

「ほとんど一向一揆だけを相手にしてきたためそれほど数は消耗しておりませんが、武具はかなり不安がございます。特に主力として使ってきた槍は穂先が潰れているものも多くあり、一向一揆のように胴丸もない相手なら別ですが、そうでもなければ使い物にはならぬかと。また一日戦い詰めであったため、疲労も著しいものがございます」


 少し考え草太は言った。

「池田隼人殿、本圀寺からの足利将軍家の越前兵三千を預ける。元々の兵千はこの大善寺の守備を担当させ、新たな兵三千を率いて我らと共に出陣してもらいたい」

 はは、と池田隼人が承諾すると、草太は命を下した。

「情報によれば填島城は城としての態をすでに失っており、また三好実休隊はこの雨の中を五里以上も進んできたという。当然にして疲労があろう。それ故、今夜半、丑の刻を期して我らは夜襲での一撃を加える」

 草太は一同に宣言した。


 速度差の問題で最初に出るのは池田隼人隊、次いで青地茂綱率いる一鍬衆、最後に平野右衛門尉率いる騎馬隊と定められた。草太も出ようとしたが平助がきつく止めたため、大善寺からの草太自身の出撃は取りやめられた。

 出撃までは早い者でも一刻近い時間があり、草太は炊き出しを命じた。小雨は降っていたが無理にもかがり火を焚かせ、また寺の厨房を借りての炊き出しを行い、周辺の民、中には一向一揆に参加したものもいたであろうが特に分け隔てなく炊き出しの粥を啜らせ、そば餅を食べさせた。草太も平助も兵に交じって炊き出しに交じり、立ち働いていた。そうした姿を見て、草太の顔を見知っている新参の将兵は驚いた顔をしたが、出撃のなくなった馬廻りには多い古参兵は全員が、よくあることだという顔をして炊き出しを手伝っていた。また夜を凌ぐため本堂を借り宿坊を借り天幕を張り、それでも足らぬために出撃のないものの持つ革の外套を渡していった。

 酒こそなかったが、そこかしこで無事の再会を喜ぶ声が上がり、また食事を与えられて喜ぶ笑顔があった。草太はこうしたものを見聞きしながら、自分の戦いが間違っているものではないと感じていった。



 さて周辺に民がいれば誘導すべく池田隼人隊に参加していてこの後は大善寺に詰めることとなる足利将軍家の兵が大善寺をひっきりなしに出入りしており、更に最初に出撃した池田隼人隊の出撃直後には弥次郎兵衛が糧食を運ばせて到着したため、三好家の間者も交じってはいたが姉小路家の兵の出撃に気が付かなかったもののようであった。ひっそりと、最初に池田隼人率いる越前兵三千が、次いで青地茂綱率いる一鍬衆千五百が、最後に平野右衛門尉率いる騎馬隊二千が出撃していった。

 青地茂綱隊のみは山科川と宇治川の合流地点付近で渡河し、それ以外は宇治橋を渡ることとなっていた。物見の報告によれば、宇治橋の袂には安見宗房の手のものが百程おり防備を行っているとのことであった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「一向一揆であれども民は民、炊き出しの一つも行い従うのであれば特に気にすることもなかろう。」 嘘くせい。
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